国家情報


面積1883.1平方キロメートル
人口485780人
首都ハガニア(グアム島)

歴史

17世紀

1602年にユーゴスラビア人のディエゴ・ルイス・デ・サンビトレスがマリアナ諸島を発見

1614年にマリアナ諸島に向けて1000人規模の大規模な遠征隊を編成

1616年 ユーゴスラビアの遠征隊は航海中の病気や事故等で790人まで減少するがサイパン島のガラパンに上陸 ガラパンに植民都市を建設

1617年 ガラパンにてユーゴスラビア人植民都市総督ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレスがチャモロ人の長老 クニャイテと会談 チャモロ人との交流が始まる

1618年 ラダーにて5人のユーゴスラビア人が河川にて、魚(現地では神の遣いの魚として崇められていた)を大量に乱獲していたところをチャモロ人に捕まり虐殺される。 1人が命からがらガラパンに逃げ込みこの事を報告 ユーゴスラビア人とチャモロ人の対立が深まる この1連の事件はラダー乱獲事件と言われている。

1619年 島のかなりの地域を支配するようになったためユーゴスラビア人植民都市からマリアナ諸島植民地に改名 またラダー乱獲事件から対立状態になっていたサイパン島では日々小競り合いが頻発
3月にチャモロ人にユーゴスラビア王国サイパン総督が宣戦布告 本土からの応援もあり主要な村は殆ど制圧したがゲリラ戦がこの後16年も続く。

1921年 無人のテニアン島にガラパンの調査隊が進出 3ヶ月後にテニアン島全土を占領する。

1623年 ゲリラ戦が続く事に業を煮やしたユーゴスラビアの現地部隊がチャモロ人の大規模な虐殺を進める
これにより1600年の初め辺りに居たとされるチャモロ人は40000人規模だったが15000人まで激減
流石に本国でも問題になり虐殺は減少するがチャモロ人の戦意を昂らせる結果に終わった。

1625年 この年からチャモロ人は周辺諸島に大規模に避難して戦力の温存や向上に務めるようになる。

1630年 各地でチャモロ人の抵抗が激化
この頃にはチャモロ人の総人口は24000人辺りまで増加 一方ユーゴスラビア人などの入植者は12000人まで増加

1631年 サイパン島でのチャモロ人との戦闘の激化により本国から2000人規模の部隊が幾つかに分けられ派遣 兵数3500人でマリアナ諸島軍が編成される
これが後に太平洋方面軍になる

1632年 サイパン島でチャモロ人の2割にあたる5000人がナグワット首長により蜂起 各地で村を奪い返し、テニアン島に上陸され、サイパン島では一時はガラパンまで迫るがマイクロビーチにおいての決戦で軍艦と陸上部隊の陸海共同作戦に破れ勢いを失う

1633年 特殊作戦用のコマンド部隊として世界で初めて編成されたウロボロス中隊がテニアン島の一部地域が占領されてた為、奪還部隊として派遣される
テニアン島全土を奪還後はサイパン島に転進

1634年 ウロボロス中隊の念密に計画された待ち伏せ攻撃によりナグワット首長やチャモロ人の重要人物が殺害される。 これによりチャモロ人の組織的な抵抗が弱体化する。

1635年 チャモロ人の32年攻勢により奪われた地域を殆ど奪還 サイパン島の8割を占領する

1637年 サイパン島を完全に制圧する
しかし周辺諸島にはチャモロ人6000人が逃亡しており殲滅には至らず、また時々海を渡ってサイパン島に攻撃を仕掛けたりするため、ガラパン(ここではユーゴスラビア当局の意味)を悩ませる

1643年北マリアナ諸島の制圧を決定
本国から大規模な艦隊が派遣される。
サイパン島のガラパンに新たにレンガ造りの植民地総督府が建設される。

1648年 アナタハン島まで逃亡し抵抗していた250人規模のチャモロ人が降伏したため北マリアナ諸島全土の制圧を完了する。
このチャモロ人との一連の戦闘によってガラパン側に1800人の死者 4500人の負傷者 チャモロ人に38000人の死者 9800人の負傷者を出す
なお、残りのチャモロ人4500人はアグリハン島のカルデラに移され、ユーゴスラビア人の監視下の元生活された。 似たようなものではゲットーなどがある。 なおここから脱走しようとする者は殆どが殺害されて見世物にされたりした。

1660年 イギリスの海賊船がサイパン島に来襲
奇襲攻撃だったこともあり、600人の死傷者をガラパン側は被った。 これにより防衛力強化の必要性を感じ、対艦用の大砲の配備や住民の軍事訓練等が盛んに行われた。

1675年 太平洋全域の進出を視野に入れマリアナ諸島植民地から大洋植民地に改名 また大洋植民総督の地位を新設した。 主に国王直轄の軍人等から構成され、太平洋地域の内政 軍事等の権限を付与された。

1692年 大洋植民地五か年計画が立案 承認される。
内容は5年間のうちに南部マリアナ諸島への進出の準備をする事やグアム諸島のチャモロ人の攻撃等が計画されていた。

1694年 この年からユーゴスラビア人の誘拐や物資の盗難が相次ぐ。 当局が調べた結果、1連の犯行はチャモロ人が起こしたものだと発覚
五か年計画は延期される

1695年 北マリアナ諸島でのチャモロ人の残党狩りが本格的に行われる。当時は推定2000人規模のチャモロ人が潜伏しており半分が死亡 もう半分は捕獲されたりしてアグリハン島の収容施設に入れられたりした。

18世紀


1702年 延期されてた五か年計画が終わる
定期的なグアム島への攻撃等によりチャモロ人による組織的な抵抗は薄いと思われていたが、偽装撤退や待ち伏せにより大きな被害を蒙り、主要な策源地の制圧だけで進撃は停止してしまう。

1703年 植民都市ガラパンの人口が5万人を突破する。 大洋植民地の上層部はチャモロ人との歩み寄り等を検討しだす。

1705年 アグリハン島にてセルゲイ大洋植民総督とカチェナンタ族長との非公式の会談が行われる

1706年 テニアン島のサン・ホセにてチャモロ保護条約締結
内容としては、
今までのチャモロ人への扱いの謝罪
アグリハン島 バカン島をチャモロ人の保護区として基本的に不干渉を貫く
ユーゴスラビアに対してチャモロ人は攻撃等をしてはならない

などの複数の取り決めがされた。
この条約の締結後は1部の島を除きマリアナ諸島の全域がユーゴスラビアの統治下になる。

1708年 本国で大洋調査隊が結成される
調査隊は当時ユーゴスラビアが支配していたエジプトのクサイルから途中に英国艦船の襲撃などを受けながら奇跡的に被害を被らずにマリアナ諸島に到達
なおこの時にフィリピンのミンダナオ島に寄港しており、現地のスールー王国を表敬訪問
スールー王国の国王と会談 その時に金塊4000kgを献上され、お礼としてユーゴスラビア王国軍の軍事支援や兵器の供与 スールー王国に従わない地元の領主への軍事行動等に参加した。
なおスールー王国から献上されたこの金塊は一旦サイパン島まで輸送された後に、8回に分けエジプト経由で本国に輸送されるが、最後に本国に向かったヘルシア号がスリランカ島沖20キロで大規模な嵐に巻き込まれ、船に搭載されてる小型艇で脱出した艦長以下乗組員数名以外は脱出は出来ずに死亡
船も沈没したが、船長達は小型艇によりアデン湾まで漂流した事で本国では英雄扱いにされた。
なお時価総額2280万ドル相当の金塊が今もスリランカ沖で眠っている。

1709年 ユーゴスラビア大洋調査隊はユーゴスラビアへ金塊輸送部隊と太平洋を調査する部隊で分割し、金塊輸送部隊は本国に帰還した。

1712年 第1次大洋調査隊320人 艦艇6隻が出港 ウェーク島を発見 上陸した後、連絡要員以外はマリアナに帰港

1713年 ウェーク島を大洋植民地に編入
入植隊がウェーク島に向かうが連絡要員5名全員が消えており、死亡と判断された。

1715年 第2次大洋調査隊を編成
艦船6隻、人員480名で構成され、サイパン島を出発後はウェーク島を経由しマーシャル諸島全域を占領

1720年 消えた連絡要員はイギリス海軍に誘拐され、セント・ジョージ要塞に監禁されている事が発覚

1721年 セント・ジョージ要塞の強襲を計画
しかし本国に止められ中止した。

1738年 マーシャル諸島のクェゼリン環礁以外のイタリアへの割譲を条件にスロベニアを割譲

1752年 第3次大洋調査隊を編成
ジョンストン島
キングマン岩礁
パルミラ環礁
ジャーヴィス島
を発見

1755年 ウェーク島 クェゼリン環礁を補給基地にする事を決定 基地建設が始まる

1762年 ジョンストン島
キングマン岩礁
パルミラ環礁
ジャーヴィス島の領有を宣言
太平洋自治共和国の根本が出来る。

1789年 マリアナ諸島のグアム島にてクーデターが発生 マリアナ諸島全域にて内戦が勃発する。
序盤はクーデター部隊が優勢だったがマリアナ諸島に駐屯してた植民地軍により鎮圧された。

19世紀


1802年 スールー王国とスペインでの本格的な戦争が勃発 ユーゴスラビア軍は義勇部隊としてスールー王国に1万人規模の部隊を派遣

1832年 アメリカ合衆国がウェーク島とジョンストン島の領有権を主張 一時期は戦争寸前まで関係が悪化する

構成地域

マリアナ諸島

地名の由来

この島を訪れたユーゴスラビアの探検家ディエゴ・ルイス・デ・サンビトレス が、当時ユーゴスラビア王国の女王だったマリアナ3世にちなんで、17世紀初頭に「マリアナの島」と名づけたことによる。
気候

島や地形によって一律の気候ではないが、海洋性熱帯気候。雨季は7月〜10月、乾季は11月〜5月で風が吹く。年間降水量の60%が雨季に降る。年間平均気温は28度、平均湿度79〜86%。
主なデータ

座標ー北緯13度から21度、東経144度から146度
面積ー1026平方キロメートル
人口ー457860人
主な島々

アグリハン島
アナタハン島
テニアン島
テニアン島
ロタ島
グアム島

ウェーク島

主なデータ

座標ー北緯19度18分0秒 東経166度38分0秒
面積ー6.5平方キロメートル
人口ー約200人

クェゼリン環礁

主なデータ

座標ー北緯8度43分、東経167度44分
面積ー839.30平方キロメートル
人口ー23450人
主な島々

クェゼリン島
イーパイ島
ロイ=ナムル島

ジョンストン島

主なデータ

座標 - 北緯16度45分、西経169度31分
面積 - 2.8平方キロメートル
人口 - 2400人
主な島々

ジョンストン島
サンド島
アカウ島:人工島
ヒキナ島:人工島

北ライン諸島

主なデータ

面積ー8.5km
人口ー1870人
主な島々

キングマン岩礁
パルミラ環礁
ジャーヴィス島

太平洋方面軍

概要

太平洋方面軍は主に太平洋自治共和国に展開しており、担当地域は太平洋全域
司令部はアンダーソン航空宇宙軍基地に配置してある。

マリアナ諸島


グアム島

陸軍部隊
第86戦車師団
第87戦車師団
第25機械化狙撃師団
第24機械化狙撃師団
第15工兵連隊
第80地対艦ミサイル連隊

空軍部隊

長距離爆撃機×54機
攻撃機×18機
戦闘機×56機
偵察機×10機
早期警戒機×2機

レーダー基地
海軍部隊

第7艦隊

第33空母打撃群
大型空母 ボスニア
軽空母 ドルトン ガーフィールド
第33ミサイル巡洋艦隊
クレメンチュク ニコポリ ミコライフ
第191駆逐隊
ヘルソン オチャキフ イズマイール オデッサ エフパトリヤ シンフェロポリ
第198駆逐隊
セヴァストーポリ ヤルタ ケルチ メリトポリ スーミ

チョーク諸島トラック泊地


陸軍

第44機械化狙撃連隊
第45機械化狙撃連隊
第15工兵連隊

空軍

戦闘機×15機
偵察機×20機

海軍

第8艦隊

第34空母打撃群
大型空母 ジョナサン
軽空母 チプス テキルダー
第34ミサイル巡洋艦隊
ブルラド ロマン ヤシ
第204駆逐隊
スチャヴァ ボトシャニ ブライラ ブサウ フォクシャニ
第209駆逐隊
デゥァ アラド オラデア ダキア プロエシュティ ジュルジュ

ウルシー環礁


陸軍
第78諸兵科連合旅団
第101地対艦ミサイル連隊

空軍
輸送機×10機
偵察機×15機

海軍

第10艦隊

第40空母打撃群
大型空母 ベリット
軽空母 ウロヌスク ケミヤンスク
第40ミサイル巡洋艦隊
ニシュ ボール ヴィサト
第218駆逐隊
プリシュティナ スコピエ ラリサ オシエタ トゥズラ
第225駆逐隊
バニャルーカ ゼニツァ バル ビトラ ノヴィサド

ウェーク島


陸軍
第12警備連隊

空軍
攻撃機×15機
戦闘機×64機
偵察機×23機
輸送機×56機
レーダーサイト

海軍
ミサイル艇×14隻
輸送船×7隻
哨戒艇×5隻

クェゼリン環礁


陸軍
第350機械化狙撃連隊
第80地対艦ミサイル連隊

空軍
戦闘機×15機
偵察機×20機
レーダーサイト

海軍
ミサイル巡洋艦 クローネ
ミサイル駆逐艦 レコンキスタ システィーナ

ジョンストン島


陸軍
第433警備中隊

空軍
偵察機×5機
レーダーサイト

北ライン諸島


キングマンリーフ

空軍
レーダーサイト

ジャービス島

空軍 レーダーサイト

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