街角で見かけた可愛い女の子特集というページは、何処にでもあるような簡単な内容ではあるのだが、好評を博していた。
れいなもある雑誌の担当になり、数人のスタッフを連れて、街に出歩き、可愛い女の子を見つけては声をかけた。
最初こそ、驚かれたり警戒心を出されたりするものの、雑誌名や企画名を説明すると、意外にも撮影させてくれる女性は多い。
特に、カメラマンであるれいなが自分たちと同世代の同性、ということも、彼女たちの警戒心を解く一因になっている。

れいなは20人ほど撮影を終えたところで車に乗り込んだ。早いところ事務所へ帰り、現像しようと車を走らせる。
撮影した彼女たちは実際、だれもが可愛いし、ファッションセンスやメイクの仕方も上手いと思う。
何人かはモデルのオーディションを受ければいいとさえ思う子もいた。

だが、れいなは常に彼女たちの着ている服を絵里に結び付けていた。
この服を絵里が着れば、どれほど似合っているだろう。
絵里が白いワンピースを着て街を歩けば、10人中10人の男は振り返るとれいなは勝手に分析しているときに携帯電話が鳴った。

れいなはゆっくりと車を路肩に止める。

「ああ、田中。仕事の方はどうだ」
「いま終わって事務所に帰るところですよ」

相手は事務所のスタッフだった。
基本的に気さくで良い人なのだが、安請け合いする傾向にあるので、突発的にれいなの仕事が増えることも多い。

「じゃあそのまま奥多摩に行ってくれるか?」
「奥多摩…ですか」

れいなは携帯電話を片手にカーナビを操作する。
幸いにも今日はさほど渋滞しておらず、此処から1時間程度で行けそうだった。

「道重さゆみの写真集の撮影があるんだが、担当のカメラマンが急病でムリだそうだ。向こうの予定もあるし、どうしてもと頼まれたんだが、お前、行けるか?」

嫌な予感は往々にして当たるものだとれいなはこの仕事を通して痛感する。
このスタッフからの電話だと良い話なんてひとつもないなと苦笑しながら、れいなは「1時間半で行きますと伝えて下さい」と答えた。
相手は果たして喜び勇み「詳しい場所はメールで送るから」と電話を切った。
れいなは盛大に溜息をつきながら、再び車を発進させた。
相手がさゆみだから良かったものの、これが知らないモデルであったなら絶対に断っただろうなとれいなはアクセルを踏み込んだ。



「だから機嫌が悪いわけなのねー」

休憩をしているさゆみの言葉にれいなは大袈裟に肩を竦めた。
どうして今日、自分のカメラマンがれいなであるかを質問したところ、一連の経緯を彼女から説明され、なるほどとさゆみは納得した。

「フリーカメラマンやないけん、仕方ないっちゃけんね」
「まあ、大人の事情ってそういうものなの」

れいながレンズを拭きながら答えると、さゆみも知ったような口で返した。
確かにモデルというものも、結局は事務所という大きなものを背負って仕事をしている。
彼女はれいなよりも早い段階でこの仕事を始めているのだから、そういった「事情」には慣れているのかもしれないなと思った。
れいなは鬱屈した気分を晴らそうと不意に立ち上がった。

「ちょっと歩いてくるわ」

れいなの言葉にさゆみは頷き、「行ってらっしゃいなの」と手を振った。
それに応えるようにれいなは片手を挙げて歩き始めた。


森を歩いてしばらくして振り返ると、もう彼女の姿は見えない。
昨日ふと思い出したさゆみとの過去。
高校時代に初めて出逢い、同じ時間を共有して、同じ景色を見ていた。
そう、あの瞬間、さゆみとれいなは同じ風景を、同じ場所から見ていたはずだった。
だから同じ道を歩いていこうと、れいなはさゆみを迎えに行ったのだ。

それなのに、最初に彼女と身体を重ねた瞬間でさえ、れいなはひとつの違和感を覚えていた。
「違和感」と呼ぶには大きすぎるが、言い知れようのない感情を胸に抱いた。
彼女と会うたび、彼女の姿を切り取るたびに、胸の奥が痺れるような熱情を覚え、彼女の、さゆみの全てを明らかにしたいと思った。
なんど肌を重ねても、その向こうがわにあるさゆみの素顔を見たいと思った。

だが、れいなはさゆみと肌を重ねるとき、常になにか心に黒い染みを浮かべていた。
その正体は、いまになっても、まだ、分からない。


れいなは頭を振って嫌な考えをかき消し、深く息を吐いた。
奥多摩という場所にれいなは初めてやって来た。
さゆみの撮影場所は奥多摩でもさらに山奥であり、「東京です」と言われても俄かには信じ難い場所であった。
綺麗な森と川の広がるこの場所は、都会の喧騒から離れ、自然と心を癒してくれる。
れいなは息を大きく吸い込みながら、カメラを構えた。

風の吹く音、川の流れる音、森の囁き、鳥の声、空の色、光の反射。
自然という大きな生命の前では、人間なんてちっぽけだなと、ガラにもなくれいなはそう思った。
風も川も、森も空も、光も空気も、すべてに輝くひとつの生命があり、その存在自体が奇蹟で美しい。
その美しさの1割も、絵里に伝えてやることが出来ない自分は、なんて臆病でどうしようもないのだろうと思う。

れいながカメラを改めて構えたその瞬間だった。
レンズの向こうに、絵里が見えた。

れいなはドキッとしてカメラを外すが、当然、自分の目線の先に絵里はいない。
確かに先ほどまで、街中で可愛い女の子ばかりを撮影しては絵里のことを考えてはいたものの、ここまで来ると病気だなと苦笑した。
だが苦笑したものの、結局、自分は絵里を求めているのだと気づいたれいなは深く息を吐いた。
呼吸を整え、目を閉じれば、そこには絵里がいる。
川の流れる静かな森の中で、真っ白い服を身に纏い、遠くを見つめる絵里がいた。





れいなは目を閉じたまま彼女を想った。
風景に溶け込む絵里が、ただ純粋に綺麗だと思ったんだ。

「絵里……」

どうしてこんなに胸が締め付けられるのだろう。
こんなこと、いままでにあっただろうか?
さゆみと付き合い、一緒に体を重ねてきたあの日々でさえ、こんなにも痛みを感じたことはなかったのに。

ただ最初は、可愛いとか、声が柔らかいとか、雰囲気が優しいとか、それだけだったのに。
いま、こんなにも、胸が痛む。
あの笑顔が見たくて、この青空を見せたくて、れいなの隣に居てほしいと願ってしまう。

気づいていたのに、気づかない振りをしたのかもしれない。
ただ、痛みに変わるだけの、この想いを。
封じ込めて、見ないようにして、ただ自分の中で完結させようとしていたのに、それが急に溢れだす。

どうしてだろう、この川と森がそうさせるのだろうか。
自然の前では人は平等であり、そこに存在する“いのち”というものを真っ直ぐに見つめる。

川は流れる。森は囁く。風が吹き抜ける。空は青い。

「好いとぉ…」

真っ直ぐに叫べば届く想いは、瞬間、れいなの中から弾け出した。
そこに絵里はいなくても、確かな想いは、れいなの中に存在していた。
言葉はふわりと放たれ、そこに付与した意味へと走り、風へと乗った。宙に舞ったそれはそのまま、森へと溶ける。


れいなが目を開くと、そこにはもう、だれもいなかった。
最初からいなかったことなど分かっていたのだけれど、れいなは思わず川の先を見た。
岩にぶつかり、水が溢れるその空間に、一輪の花が咲いていた。

―泡沫の夢、か

小さな水辺のその花が、何処となく絵里に重なってれいなは苦笑した。
どうしようもなく好きだというのなら、前に進むかしないんだなと覚悟した。
あの朝陽も、この川の色も、光の反射も、夜の闇も、全部絵里に伝えたいなら、ただ行くしかなかった。

れいなは水辺に咲いた一輪の花をカメラに収めた。
か弱く風に揺れるその花は、やっぱり絵里にそっくりだった。








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