盲学校での1日の講義を終えた亀井絵里は、ひとり、寮の部屋で音楽を聴いていた。
父の好きだった洋楽を流すが、英語が苦手である絵里には、歌詞の意味を理解することは出来ない。
それでも、自然と耳に残る優しいメロディが心を惹きつけて離さない。
絵里は自然と笑顔になりながら机を指で叩く。
絵里はしばらく音楽を聴いていたが、ふと、いま何時だろうと左手首につけた時計を触った。
表面を覆っていたガラスを外し、直接文字盤と長針、短針を触り、いまが16時過ぎだということに気付いた。
この時計は、1ヶ月前の絵里の誕生日に、職員である里沙が絵里にくれたものだった。
「こうやって指で触ると、何時か分かるでしょ?」
そうして里沙は絵里の頭を撫で、絵里は自然と笑顔になった。
光りを失い、時間という感覚までも失いかけていた絵里にとって、この「触れる時計」の存在は心強かった。
自分がいたあの世界に少しでも戻れるような気がして、絵里はなんども左手首の時計を触った。
同時にふと、今朝のれいなの言葉が頭をよぎった。
今日は仕事が早めに終わるから、14時くらいには此処に来ると言ったのに、もうだいぶ時間が経っている。
れいなはほぼ毎日、欠かさずに絵里に逢いに来ては頭を撫でてくれる。
あの優しさが、あの小さな手が、あの柔らかい声が、絵里に安心感を与え、れいなに早く逢いたいと絵里は思う。
だが、それは迷惑かもしれないとも同時に思う。
れいなの仕事が忙しいことは絵里にも分かっているし、時間を割いて盲学校に面会に来てくれることも分かっている。
わざわざ絵里のためにしてくれる行為が、嬉しいのだけれど、どうしてだろうと思うときもある。
―れーなぁ……
絵里は机に顔を伏せる。
いろいろと考えても、心に浮かぶことは、れいなに逢いたいということだけだった。
どうしてこんなにも、彼女に惹かれていくのか、絵里には分からない。
心に小さく咲いたこの気持ちの名前にすら、彼女は気付いていないのだから。
絵里はふと、優しい温もりに包まれている感覚に気付いた。
意識がゆっくりと覚醒していく途中で、自分がいつの間にか眠っていたことに気付いた。
「あ、起こした?」
その声に絵里はピクッと反応した。
体全体で感じた温もりと優しい水色、それは絵里がずっと心に描いていたその人のものだった。
「れーな…」
「ニシシ。お早うっちゃ、絵里」
れいなはいつものように笑い、絵里の頭を優しく撫でてやった。
ちょっとだけ寝癖のついた髪を直してやると、絵里は恥ずかしそうに顔を背け、れいなは少しだけ寂しくなった。
「私…寝てたの?」
「うん。れなさっき来たっちゃけん、そのときには」
れいなの言葉に絵里はそっと左手首をさする。
長針と短針から、17時を回ったところだと気づくが、れいなはいつからいたのだろう。
まさか30分以上も彼女を待たせていたのではないかと絵里は不安になるが、
れいなはそんな彼女の声を聞いたのか、柔らかく笑い、髪を梳いてやる。
「2時過ぎには来れるって言ったのに、遅れてごめん」
無性に降り注がれるれいなの優しさに絵里は途端に胸が締め付けられる。
どうしてこんなにも、胸が痛み、急に泣き出しそうになるのか絵里には分からない。
哀しいわけじゃないのに。
「あのさ……」
れいなはひとしきり絵里を撫でてやったあと、一呼吸置いて口を開く。
彼女の言葉に耳を澄ませるように、絵里がれいなの方へ顔を向けると、彼女は照れたように頬をかき、顔を背ける。
絵里はそんな彼女の様子に気付かず、きょとんとしているが、そんな仕草も可愛く、れいなは余計に恥ずかしくなる。
こんなところでもヘタレなままでいたくないのになと苦笑しながら、れいなはそっと絵里の前に小さな箱を差し出す。
「これ、今日、バレンタインやけん……れなから、絵里に」
そのれいなの言葉に絵里は「え?」と言葉を発した。
絵里がそっと手を伸ばすと、れいなの手首に触れる。
そこから少しずつ手を移動させていくが、それがくすぐったくてれいなは軽く笑う。
絵里の手がれいなの指先に達したとき、れいなの持つ小さな箱に気付いた。
「一応、手作りやけん…味は保証できんけど……」
そうしてれいなは顔を真っ赤にして頭をかく。
絵里は小さな箱を大切に大切に手に取った。
手作りということは、そのために今日、此処に来るのが遅れたのだろうか?
まさか、そんなことって……?
「……絵里?」
絵里がなんの反応も示さないことにれいなが不安げに顔を覗きこむと、絵里はその視線に気づいたように切なそうに笑った。
ああ、どうして……
ひとつひとつの、れーなの些細な行動に心が動き、こんなにも切なく、こんなにも嬉しくなるのだろう。
れーなが笑うと嬉しい。れーなに頭を撫でてもらえると心が落ち着く。
れーなが傍にいてくれるだけで、こんなにもシアワセを感じる。
ねえ、れーな、どうしてなの?
「うへへ…ありがと、れーな」
確かな切なさと、だけども精一杯の柔らかい笑顔にれいなも漸く安心し、だけどやっぱり照れくさくて視線を外した。
れーなは、不思議。
ほんの一瞬の空気が、切なくも、哀しくも、そして愛しくもさせる。
ねえ、れーな。どうしてなのか、れーなには、分かるのかな?
絵里は大切にその箱を胸に抱える。
いまはまだ知らない恋の花が、徐々に、色をつけ始める。
ノノ*´ー`) <今度は絵里がつくってあげたいな
从*´ ヮ`) <絵里ってお菓子作り得意やと?
ノノ*´ー`) <失礼なっ、チーズケーキだけは得意ですよ!
从*´ ヮ`) <…チョコやないやん
バレンタインとあなたの気持ち おわり
第11話へ...
父の好きだった洋楽を流すが、英語が苦手である絵里には、歌詞の意味を理解することは出来ない。
それでも、自然と耳に残る優しいメロディが心を惹きつけて離さない。
絵里は自然と笑顔になりながら机を指で叩く。
絵里はしばらく音楽を聴いていたが、ふと、いま何時だろうと左手首につけた時計を触った。
表面を覆っていたガラスを外し、直接文字盤と長針、短針を触り、いまが16時過ぎだということに気付いた。
この時計は、1ヶ月前の絵里の誕生日に、職員である里沙が絵里にくれたものだった。
「こうやって指で触ると、何時か分かるでしょ?」
そうして里沙は絵里の頭を撫で、絵里は自然と笑顔になった。
光りを失い、時間という感覚までも失いかけていた絵里にとって、この「触れる時計」の存在は心強かった。
自分がいたあの世界に少しでも戻れるような気がして、絵里はなんども左手首の時計を触った。
同時にふと、今朝のれいなの言葉が頭をよぎった。
今日は仕事が早めに終わるから、14時くらいには此処に来ると言ったのに、もうだいぶ時間が経っている。
れいなはほぼ毎日、欠かさずに絵里に逢いに来ては頭を撫でてくれる。
あの優しさが、あの小さな手が、あの柔らかい声が、絵里に安心感を与え、れいなに早く逢いたいと絵里は思う。
だが、それは迷惑かもしれないとも同時に思う。
れいなの仕事が忙しいことは絵里にも分かっているし、時間を割いて盲学校に面会に来てくれることも分かっている。
わざわざ絵里のためにしてくれる行為が、嬉しいのだけれど、どうしてだろうと思うときもある。
―れーなぁ……
絵里は机に顔を伏せる。
いろいろと考えても、心に浮かぶことは、れいなに逢いたいということだけだった。
どうしてこんなにも、彼女に惹かれていくのか、絵里には分からない。
心に小さく咲いたこの気持ちの名前にすら、彼女は気付いていないのだから。
絵里はふと、優しい温もりに包まれている感覚に気付いた。
意識がゆっくりと覚醒していく途中で、自分がいつの間にか眠っていたことに気付いた。
「あ、起こした?」
その声に絵里はピクッと反応した。
体全体で感じた温もりと優しい水色、それは絵里がずっと心に描いていたその人のものだった。
「れーな…」
「ニシシ。お早うっちゃ、絵里」
れいなはいつものように笑い、絵里の頭を優しく撫でてやった。
ちょっとだけ寝癖のついた髪を直してやると、絵里は恥ずかしそうに顔を背け、れいなは少しだけ寂しくなった。
「私…寝てたの?」
「うん。れなさっき来たっちゃけん、そのときには」
れいなの言葉に絵里はそっと左手首をさする。
長針と短針から、17時を回ったところだと気づくが、れいなはいつからいたのだろう。
まさか30分以上も彼女を待たせていたのではないかと絵里は不安になるが、
れいなはそんな彼女の声を聞いたのか、柔らかく笑い、髪を梳いてやる。
「2時過ぎには来れるって言ったのに、遅れてごめん」
無性に降り注がれるれいなの優しさに絵里は途端に胸が締め付けられる。
どうしてこんなにも、胸が痛み、急に泣き出しそうになるのか絵里には分からない。
哀しいわけじゃないのに。
「あのさ……」
れいなはひとしきり絵里を撫でてやったあと、一呼吸置いて口を開く。
彼女の言葉に耳を澄ませるように、絵里がれいなの方へ顔を向けると、彼女は照れたように頬をかき、顔を背ける。
絵里はそんな彼女の様子に気付かず、きょとんとしているが、そんな仕草も可愛く、れいなは余計に恥ずかしくなる。
こんなところでもヘタレなままでいたくないのになと苦笑しながら、れいなはそっと絵里の前に小さな箱を差し出す。
「これ、今日、バレンタインやけん……れなから、絵里に」
そのれいなの言葉に絵里は「え?」と言葉を発した。
絵里がそっと手を伸ばすと、れいなの手首に触れる。
そこから少しずつ手を移動させていくが、それがくすぐったくてれいなは軽く笑う。
絵里の手がれいなの指先に達したとき、れいなの持つ小さな箱に気付いた。
「一応、手作りやけん…味は保証できんけど……」
そうしてれいなは顔を真っ赤にして頭をかく。
絵里は小さな箱を大切に大切に手に取った。
手作りということは、そのために今日、此処に来るのが遅れたのだろうか?
まさか、そんなことって……?
「……絵里?」
絵里がなんの反応も示さないことにれいなが不安げに顔を覗きこむと、絵里はその視線に気づいたように切なそうに笑った。
ああ、どうして……
ひとつひとつの、れーなの些細な行動に心が動き、こんなにも切なく、こんなにも嬉しくなるのだろう。
れーなが笑うと嬉しい。れーなに頭を撫でてもらえると心が落ち着く。
れーなが傍にいてくれるだけで、こんなにもシアワセを感じる。
ねえ、れーな、どうしてなの?
「うへへ…ありがと、れーな」
確かな切なさと、だけども精一杯の柔らかい笑顔にれいなも漸く安心し、だけどやっぱり照れくさくて視線を外した。
れーなは、不思議。
ほんの一瞬の空気が、切なくも、哀しくも、そして愛しくもさせる。
ねえ、れーな。どうしてなのか、れーなには、分かるのかな?
絵里は大切にその箱を胸に抱える。
いまはまだ知らない恋の花が、徐々に、色をつけ始める。
ノノ*´ー`) <今度は絵里がつくってあげたいな
从*´ ヮ`) <絵里ってお菓子作り得意やと?
ノノ*´ー`) <失礼なっ、チーズケーキだけは得意ですよ!
从*´ ヮ`) <…チョコやないやん
バレンタインとあなたの気持ち おわり
第11話へ...
タグ