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かかともつま先もこれ以上は無理ですと危険信号を発していた。
地に足をつけるたびに中足がヤスリで削られて、ナイロン紐で血が死ぬまで縛り上げられたような痛みが走る。
1段上るたびにそれが顕著になってくるんだからもうふざけんなって次の瞬間にはヒールを脱ぎ捨てていた。
帰るときのことなんてもちろん全く考えていなかった。

「はぁっはぁっ、絵里・・・っ、ふぅ!」

今何階だ?

「8っ、階、ですっ」

ノンストップでずっと走ってきて今まさに10階もの階段を上っていて、体力のないれいなは喋ることもままならなかった。
小春はれいなの視線だけで意図を察したらしい。鋭いな意外に。

「はぁはぁっ」

絵里。おまえが過去、高橋とヤったかどうかは知らんし1年も付き合ってりゃそりゃそういうことあっても不思議じゃないと思うが、
れいなの見える範囲内では、しないでくれ。
れいな以外の男を知らない、処女でいてくれ。
自分勝手だとは思うがやっぱりムカつくんだよ。
好きだからな。


 *******


1号室の扉を開くと視界いっぱいに100万ドルの夜景が広がった。
最上階は外壁一面がガラス張りになっていて、眼下にこの街が一望できる。
悪の秘密結社の社長がバスローブ姿でホテルの最上階からワイン片手に薄ら笑いで夜の街を見下ろす、
なんてシーンが映画でよくあるが、自分もその人と同じ場所に立ってみると街を掌握したような気分になって心地がいい。
この眺めの例えが100万ドルじゃ安いな・・・そう思わせるほどの圧巻としたダイヤモンドの煌き。
天からの眺めはやはり壮大であった。

「なのに、暗い顔してますね。絵里さん」
「そんなこと・・・ないですよ」
「私と寝るのが嫌ですか?」
「そんな・・・嫌なんて、そんな、」

嫌だって顔に書いてある。
それに気付いていてもわざと気付かないフリをする自分は本当に・・・悪いやつだ。
むしろ絵里さんがもっとも嫌がること、例えば田中君が見ている前で絵里さんを抱く、なんてシチュエーションを夢みているほど。
よく、"恋は人を狂わせる"とは聞くけど本当にその通り。
この世に私と絵里さんの2人しか人間がいなかったのなら・・・私は悪に染まらず、もっと冷静で、安心していられたのに。

「・・・・・・高橋さん、さっきの、結婚してくださいってのは・・・」
「本気ですよ。1年もかかってしまいましたが、もうそろそろいいのではないかと」
「でも、私達はまだ本当の恋人には・・・」
「今からなります」
「・・・」
「今からあなたを抱きます」
「・・・」
「こちらに来てください」
「・・・」

だめか・・・。
私の方から絵里さんの方に近づき、その手を取った。

「とても細いですね。乱暴にしたら壊れてしまいそうです」
「・・・」
「大丈夫、優しくします。絵里さんも、初めてというわけではないでしょうし勝手がわかると思いますが」
「・・・」
「・・・、顔をあげてください。黙っていられると・・・罪の意識に押しつぶされそうになってしまいます」
「あ、」

絵里さんがやっと顔を上げてくれた。
私も辛いという事実に今更ながら気付いて申し訳ないというような、そんな微妙な表情で。

「ごめんなさい・・・ちゃんと、します。高橋さんの気も知らずに自分勝手でした・・・」
「いえ。こんな儀式は、ゆっくりでいいんです。一人だけ突っ走っても仕方ない。お互いのペースでいきましょう。いくらでも私は待ちます」
「大丈夫、です。もう、大丈夫ですから・・・」
「・・・では、服を脱がせてもいいですか?」
「・・・・・・はい」

室内の明かりを反射させ、キラキラと輝くスパンコールの赤いパーティードレスを鎖骨からへその部分まで指でなぞっていく。
肩紐を焦らすようにゆっくりと外し、背中のチャックを限界まで降ろした。
ここまで来て、臆病風に吹かれた自分の手が止まる。本当にいいのか。

「・・・脱がしますね」
「・・・」

無言なままコクリと頷く絵里さんを見て、私の手がぜんまいを巻かれた人形のようにゆっくりと動き出し、
双丘に引っかかっていただけのドレスを床に落とした。

「・・・・・・」
「・・・綺麗です。とても」

カップのついているドレスだったため下着はパンティ1枚しか身に着けていなかった。
陰部以外全てが丸見えで、見ているだけで暴発してしまいそうだ。無論、自分の股間はさっきから膨張しっ放しである。

「田中君はこの光景をいつでも目にしていたのですね」
「・・・」
「嫉妬します」
「あっ」

もう、止まらなかった。


*****


「はぁはぁ、ぜえぜえ・・・おぇ」

果てしなく続くと思われた階段を抜け、VIPしか宿泊することができない最上階に辿り着いたのも束の間、
れいな達は1号室に向け最後のダッシュをかけた。

「はぁ、はぁ、はぁっ・・・1号室ってなんで一番端にあると!?」
「50mはっ、ありますねーっ、遠っ!」

体力ギリギリの中、スライディングで1号室に到着後すぐさまポケットから"便利なもの"を取り出し鍵穴に鎖しこむ。

「ピッキング、ですか」
「そう。独学で習得したっちゃん。ちょちょいの・・・ちょい!」

ガチャっという音が小春にも聞こえただろう、開錠成功の音だ。
小春と2人、目線を合わせて頷く。突入の準備はできたか?なんて会話は無駄だ、お互いとっくに準備は整っている。
さぁいくぞ、1、2の、

「さんっ!!!」

と言ってドアを開けたれいな達の目に飛び込んできたものは・・・

「あら。美味しそうな美青年とスケが迷いこんできたわよ」
「ノックも無しにいきなり開けるだなんて乱暴ね、あたしたちになにかご用かしらホテル員さん」

・・・・・・。

バンッ
とは、ドアを閉めた音である。
端的に言おう、部 屋 を 間 違 え た。

「おい小春」

とりあえず諸悪の根源であるノッポを締め上げる。

「ぐえっ。おっかねえっす田中さん。殺人光線が出そうな目で睨まないで〜!誰にだってミスはありますよヘヘ」
「おまえってやつはちょっと見直したと思ったらこんな大事な所でポカかましよって〜・・・!
 し、しかも、今の、おっおしりっ、穴にっ、てっ手首までっ」
「生で見るゲイのフィ○トはキッツイですねー。間違いなくトラウマで1週間は夢に見ますね。うふふ」
「うふふじゃねえええ!!うえー!」

今も目蓋を閉じれば、手首までズッポリハマっているというのに平然と喋り合う二人のゲイカップルの姿が、

「違う違う違う違う違う!!!そんなことより部屋!本当の部屋はどこよ!?」
「1号室じゃなくて7号室ですねたぶん。ほら、1と7って似てますでしょ?それで間違えちゃったんですよ小春」
「・・・・・・・・・・・・」
「ほんとですって信じてくださいよ〜!」

もうどうにでもなれだ。
7号室が乱交現場だったとしても動じない、そうなったら当たりが出るまで全ての部屋を確認するまでのこと。

「ああくそっ7号室ってまた一番端まで行かないかんと!?小春のあほおおお」
「すいませーーーんっ」

Uターンで猛ダッシュ、スライディング、ゴール。
この時ばかりはいくら足の遅いれいなでも50m9秒を切ったんじゃないか。
ヒールじゃなかったらもっと上の7秒台だったに違いない。
誰かタイム計ってない?

「ちょちょいのちょいっ!開いたっちゃん!行くぞ小春!」
「今度こそ当たりであってくださいよ〜」

ノブをひねるのももどかしいぐらい勢いよく1号室の扉を開けた。

「絵里っっ!!!」
「!」

そこにいたのは・・・
なぜ部屋に入れたのかと驚きの顔をこちらに向けるYシャツ姿の高橋と、ほぼ裸のままベッドに座って顔を隠しながら泣きじゃくる絵里の姿が・・・、

「・・・、」

認識してからおそらく5秒も経ってない。
気がつけばれいなは右拳で高橋の顔面をおもいっきりブン殴っていた。
メリケンサックもセスタスもしていない生身の指が、殴った衝撃で切れて血が滴り落ちる。
ぴゅーんと宙を舞った高橋を見て、本気出せばれいなもモハメド・アリーの足元あたりには及ぶかもしれないな、
なんてすっきりした頭でそんな感想を持った。

「・・・ぐっ、」
「・・・・・・」
「あわわあわわ田中さん落ち着いてくださーい!」
「・・・つつ」

起き上がった高橋が手の甲で唇の血を拭いながら、肩を竦める。
小馬鹿にされた気がしてまた一つ青筋が立ったのでもう一度殴ろうとしたら小春に後ろから羽交い絞めにされた。

「田中さん、どうどう。ピッキングに傷害事件まで起こして、通報されたらマジで牢の中で臭い飯食べるハメになりますって」
「・・・・・・」

別にいい。

「ちょっと、ダメですって!落ち着いてくださいよ!えーと、高橋?さん?逃げた方がいいですよ。この人あなたのこと下手すりゃ殺しちゃうかも」
「・・・、今日は厄日ですね」
「・・・・・・」
「れ、いな・・・?」

絵里の声がしたので目をそちらに向ける。今初めてれいなたちの存在に気付いたのか。
涙の跡と赤く腫れた目が痛々しい。
何されたのか知らんがちゃんと喋れることにとりあえずは安堵して、つい近付いて抱きしめてしまった。
こそばゆいのか、固まってうさぎのようにピクピク反応していた絵里だったが、
れいなが大丈夫と耳元で囁くと力を抜いて体重を預けてきてくれた。安心したんだろう、と勝手に解釈する。

「・・・、ふふっ。なんだか、ピエロですね私は。完全に。お二方をこれ以上見ているのは辛いだけなので、
 フられ野朗はさっさと退散することにします」

椅子にかけてあった背広を羽織って高橋がさっさと部屋から出たのを見てれいなも追いかけた。絵里は小春に預けて。

「おい、ちょっと待ちーよ。なにズラかろうとしとーと」
「追いかけてくると思ってましたよ。2人になりたかっただけです。聞きたいこと、あるでしょうし」
「絵里になにした?」
「特になにも」

ふざけてんのかこいつ。

「パンツしか履いてない女がベッドの上で泣いてた。これで何もしとらんって話を信じろって無理あるっちゃない?」
「別に信じろとは言いませんが・・・、まぁ理由は簡単に言えば・・・萎えました」
「なんだとこの贅沢者。あんな可愛い子前にして萎えたとはどういう了見よ!?ただのインポっちゃろそれ!」
「違いますよ。・・・、あなたの名前をね、呼んだんですよ」
「あ?」

高橋は腕を組んで、床に恋でもしたかのようにじっと1点を凝視しながらぽつぽつと語っていった。
好きな女の子の裸を目の前にして萎えた理由なんて一つしかない、と前置きを置いて、

「肌に触れようとしたら小さな声で『れいな』って、呟いたんですよ。聞いた瞬間打ちのめされましたね。
 絵里さんの目には初めから私なんて映ってはいなかったんだって」
「・・・」
「そう思ったら、今までの自分の行動が全てピエロのワンマンショーのように思えてきてですね・・・もう、無理でした。
 しかも私がやめましょうと言ったら彼女、『なぜですか?絵里になにか問題でもありましたか?』なんて言うんですよ。
 気付いてなかったんですよね、意識せずにふいに出ちゃったんですよ。君の名前が」
「ふーん・・・」
「その後なぜかポロポロ泣いちゃって・・・ちょうどその時なんですよ。君たちが現れたのは。なので私は殴られ損です。
 なにもしてないのにまさかフっ飛ばされるとは。口の中切れてるし、歯も折れてるんですよこれ」
「あそう」
「・・・ふふ」

話は終わったと言いたげに高橋がさっさとれいなに背中を向けたものの途中で忘れ物に気付いたのか首だけをこちらに向けてきた。

「そうそう、絵里さんに伝えておいてください。お見合いの方は私の方から破談にしておきますと。
 それから・・・"ごっこ遊びはもう終わりにしましょう。今まで本当に楽しかったです。さようなら"と」
「覚えてたら伝えとく」
「どうも。ああ、まだあった。これは田中君への私からのメッセージです」
「なん?」

ポケットに手をつっこんだキザな出で立ちで一言、

「勝った気になってんじゃねーぞガキ」

と、雑魚がいかにも好みそうな捨て台詞を吐いて手をヒラヒラさせて去っていった。
最後の最後で最高にカッコ悪い退場の仕方で、なんか抜けてるというか、どこか二流な感じが拭えないやつだなという印象を残した野朗であった。


 *******


もう、綺麗な自分を装う必要もないのか。

「はー・・・たるいな」

最悪の結末。ある程度は予想していたものとはいえあそこまで自分の想いを一刀両断された後、バズーカで粉微塵にされ、
あげくの果てには核爆弾を落とされ無に帰されたともなればもう一度チャレンジしようという気がノミの毛ほども起こらない。
つまらんな、だるいな、あーあー、やっちまった、福井に帰るか。
ワックスで固めた頭を手櫛でかきながらホテルの明るい雰囲気に合わない独白をぽつりぽつり。
エレベーターという密室で、さらには一人ともなると出したくなくても愚痴が出てしまう。
一回吐くとまた吐きたくなって、落語家のごとく口から出るわ出るわ鬱な言葉の数々。
吐いてる内に自分で自分の言葉に耐えられなくなって片手で顔を覆ってしまう始末。

「高級レストランさんざん連れてって、ブランド物を貢いで、仕事に空き時間作ってまで会いに行って、できた好青年を演じて・・・
 そこまでさせといてそりゃないぜ・・・悪い女だなぁ・・・」

本物の悪女だよ。始めからその気なんてなかったくせに俺と付き合って、期待させといて、あれだよ。
それに全く気付かずに彼氏ヅラしてた自分。黒歴史だな。高橋愛の人生年表があったとしたらそこの部分だけ油性マジックで塗りつぶしたい。
ほんと、酷い女だったぜ。

「でもなあ・・・好きやったんよお・・・あああ悔しいよお・・・なんで俺じゃダメやったんかなあ・・・」

熱いものがこみあげてきたのを、我慢はしない。もう綺麗で完璧な高橋愛はいないのだ。
今ここにいるのは元の、情けなくてすぐ泣く、田舎者のカッコ悪い高橋愛だけ。
頭の端で、貯金崩してまで買った指輪のことを思い出して、さらに男泣きした。

さようなら、絵里さん・・・


*****


「吉澤さんがハイヤー飛ばして迎えに来てくれるですって。絵里さんも送ってやると」
「そか」
「・・・、小春あきらかに邪魔なんで外で吉澤さん待ってますね。来たら田中さんに電話入れまぁす」
「うん」

ベッドで抱き合ってる男女前にしちゃ、いくらあの小春でも気まずくていつまでも同じ空間に居れんだろうな、とドアが閉まる音を聞いて思った。
絵里の心音が身体ごしに伝わってきて、その音が時計の秒針の音を想像させる。
もちろん止まることがないのでこうしてから今だいたいどのくらいの時間が経ったのか把握できたりするので便利・・・ではない。
そんなもん数える余裕などない、即物的だが絵里が高橋を選ばなくてよかったという事実で頭がいっぱいなのだ。
だからといってれいなの元に帰って来ると決まったわけではないが。

「れいな・・・」
「ん?」
「なんで、ウェイトレスの格好なんてしてるの・・・」
「・・・ちょっと、警察にマークされたけん。こんな格好でもせんとここに来れんかった」
「いつも無茶しすぎだよ・・・」
「それは、」

絵里のことだからじゃん。

「・・・でも、れいなの姿見たら、安心したよ。ありがとう。大丈夫、もう落ち着いたから」

と言って離れて見つめ合う。
キスできる雰囲気だなあと思ったところで視線が外れた。

「なんか手、血が出てるけどどうしたの?」
「・・・。皿の洗いすぎであかぎれした」
「痛そう」
「平き、」

出た言葉は最後まで言うことなく一時停止した。
なぜか。絵里がれいなの怪我している部分を、ソフトクリームを与えてもらった子供のようにペロペロ舐め始めたからだ。

「ん・・・」
「え、絵里、ばばば、ばっちぃ、っちゃん、」
「・・・」

ピチャ ピチャ チュ ジュル

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」

ここはホテルだ。そしてれいな達はベッドの上にいて、
しかも絵里はほぼ全裸姿に掛け布団で身体を隠しているだけという、簡単に例えるならば裸Yシャツのような格好。
再確認するまでもないがれいなは絵里が好きだ。
つまり、

「もう無理!いただきますっ!」
「あっ!」

ちょっとれいな!なんて声が聞こえた気がしないでもないがもちろんそんなの無視でおっぱい揉み揉み。

「ぅ、っん、ちょ、ちょっと待、」
「絵里が誘ってきたんやろーが!絵里のおっぱい久しぶりっちゃん気持ちよか〜」
「はぁぅぅ・・・」

あんまり嫌がってるように見えないのだがこのまま勢いでできちゃうのだろうか。
これこそが本場のラッキースケベというやつなんだなと納得したところで、さてパンツ剥ぎ取るかと手を伸ばすと、

「ばかああああああああああああああああああああ!」
「ぶっ!!」

脳天に絵里チョップをしたたかにくらって1RいきなりのKOでれいなは沈むのだった。

痛いオチではあるが、
まぁ、絵里が元気そうでよかった・・・





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