#15 <<< prev





「高橋ぶちょお〜」

ヌケサクのような気の抜ける声で呼ばれガクっと脱力した。

「・・・なんですか」
「大ニュースっすよ!」

やたらテンションの高いこの部下はまだ入社して一年目の一流大卒の新卒エリート。
同じ企画営業部所属でなぜか俺の後ろをついてまわってくる弟というか子分みたいなやつなんだが、その子分がいつになく興奮している。

「明日、購買に新しく人入ってくるの知ってます?それも若い女の子っすよ」
「へえ。バイト新しく雇ったんですね。まぁあのおばちゃんも足悪くしちゃったからなあ。後任が必要だったんでしょう」
「いやそれがもうね聞いてくださいよ!」
「なんですか」

部下は俺の耳に顔を近づけ(気色悪いな)、かすれるような小声で、

「若い女の子な上に・・・なかなかマビーらしいんすよ。その子」
「へえ」

この部下が恥ずかしげもなくもう死んだ言葉を使ったことは些細な問題だ。
可愛い、だと。そりゃあ俺もまだ二十代の性欲盛んなお年頃の健康男児。
可愛い女の子、と聞いて興味がそそられないはずもない。

「で、ですね。明日の昼、購買行ってみません?」
「いいですよ。ちょっと気になりますし」

最近じゃ景気の悪化による新入社員の男の比率が高いせいで社内に可愛い且つ会社の色に染められていない無知でヤングな女社員が少ない。
人事部にゃホモしかいないのかとの噂がかすかに立つほどギャルを採用してくれないのだ。
毎年春から初夏までの間にしか味わえない、女性新卒のあの初々しい姿を見るという男性社員の密かな楽しみまで奪い去った人事部部長の秘密、
『趣味は銭湯でノンケのち○こ観察』と酔った勢いの失言をしっかり録音したこの携帯のデータをさて、いつ広報部に提供しようかと
画策していた矢先の部下からの朗報。
明日が楽しみだ。

・・・・・・なんて、
この時は、思っていた。


*****


深い深い夢の中。
曇ったガラスごしに見えるは霞んで消えそうな遠い昔の記憶。
誰かが、れいなに話しかけている。
夢という名の映写機に映すには、だいぶフィルムが古すぎた。おそらくは10年近く前の話だ。
そのせいで前後の会話や周りの風景などが曖昧で、随分ぼやけている。
今話しているのは・・・誰だ?

『男に見られるのなんて慣れてるから。可愛いんだもん仕方ないよ』
『可愛い?誰が?』

『絵里。顔には結構自信あるよ。可愛い方でしょ?よく言われるの』
『・・・別に、フツウっちゃよ』

はあ、昔のれいなは今よりも随分意地っ張りだったんだな、あの絵里を普通なんてこきやがる。
・・・でも、なんだ。
この脳にこびりついて取れない、苔のような微細な違和感は・・・


*****


「ごめーん今日は休み!明日梨華ちゃん来るもんでさあ今日は部屋の片づけしないとさ、やべえんだよね」
「・・・で、明日も石川さんが来るから休みってことですか」
「よくわかってんじゃん。さすが私の一番弟子。まぁ2連休を存分に楽しんでくれたまえよ。じゃね」

バンッ
おまえの意見は聞かないよとばかりに勢いよくドアが閉まった。
以前のれいなならここでグチグチ文句を言っているところだが慣れというものは本当に恐ろしいもので、
今では吉澤さんのドタキャンがれいなの中で日常茶飯事とカテゴライズされているため然程頭にこなくなった。
しかし一応ツッこんでおく。労働基準法とは何かね。

「はぁ」

昼にはまだ少し早い。気分転換にさゆビニにでも寄って立ち読みでもしようか。さゆがいればまぁさゆを冷やかしに。
今日も1日頑張ろう!という気力が一切無いようなだらけた歩みでさゆビニへ向かった。

「いらっしゃいませー」

果たしてそこにさゆはいた。といってもレジではなく、商品を棚に陳列していたのだが、やはり先日ここで見た通りどこか様子がおかしい。
元々、キビキビと動けるような人間ではないしむしろトロい方なのだが今はそれよりさらにトロくなっている。
リクガメの方がまだマシに動けるんじゃないかと思うぐらいその動作には精気がなかった。

「やっぴぃさゆ・・・大丈夫?」
「・・・・・・」
「おーい兎ちゃんや。返事をしてくれないか」
「・・・あ、れいな・・・いらっしゃい」

こちらを向いたさゆの顔は病人のように青白く、隈は以前見たときよりも酷くなっていて、目も虚ろで焦点が定まっていない。
所作も危うく、返事はしてくれたものの本当にれいなのことを認識できているのかさえ怪しかった。

「・・・なぁ。ちょっとさぁ、休んだ方がいいっちゃない?」
「はぁ?・・・バイトしてんだから・・・無理に決まってんでしょ」
「でもおまえ相当ヤバいっちゃよ。自分でフラフラしとぅの気付いとーと?まともに立つこともできてないやん。何があったか知らないけどさ」
「・・・」
「彼氏にもあんま心配かけてやるなよ。そんなんじゃデートの1つもまともにできないっちゃろ」
「・・・・・・は?」
「すっとぼけんなよー。見たっちゃよ〜?街中で2人仲良く歩いてたっちゃろ。さっそく男の手綱引いて、さすが道重さゆみさんは
 そんじょそこらの女とは一味違いようね気の強さが! で?どこまで済ませたん?Aか?Bか?それともC?
 いやあ初彼氏と処女卒業おめでとう!今夜は赤飯っちゃね!」
「・・・・・・」

ちょっとは怒ってツっこんでくるのかと思いきや、やけに大人しい。
変だなと思って見るとさゆの顔がみるみる青くなって、瞳も瞳孔が開いている。
暑くもないのに額から汗が一筋流れて・・・床に落ちた。

「・・・なぃ」
「あ?なんか言ったと?」
「・・・彼氏なんて・・・できてない」
「・・・え?そんなはず、」
「れいな」

さゆは今にも死にそうな顔でれいなの腕に縋りながら、

「助けて」

糸の切れた人形のようにその場に倒れた。


*****


11階3号室、吉澤さん宅にれいな、吉澤さん、小春が集まってベッドで眠るさゆを囲っている。

「睡眠不足と栄養不足とストレスとあとなんかいろいろ。別に病気とかじゃないっぽいから安心していいんじゃない?」

吉澤さんの言葉を聞いて初めて安堵の溜息が漏れた。実は看護士資格を持っているそうで。ほんとこの人はなんでもアリだな。

「はぁ・・・。心配かけよって・・・」
「突然、シゲさん抱えて『さゆが死んだ!助けて吉澤しゃん!』なんて半泣きでれいなが来た時は何事かと思ったよ」
「にしてもどうしたんすかね〜?こんなにやつれちゃって。美人が台無しですよぉ〜」
「・・・結構前からちょっとおかしかったと。急に痩せたり隈が酷かったり、呼んでも返事せんし」

『・・・彼氏なんて・・・できてない』
『助けて』

・・・。彼氏じゃないなら・・・じゃあ街で見た、さゆのすぐ後ろを歩いていたあの男はなんだ?
身内でもない、親しい友人でもないとすると・・・・・・まさか?

「ストーカー・・・?」
「ええー!マジっすか!?」
「へえ。厄介なもんに狙われてんだねえシゲさんも」
「・・・」

十分有り得る話だった。さゆのこの外見に魅了される男は数多くいることだろう。
事実、まぁ昔の話なんだが・・・中学時代、さゆはストーカーによく追われていた。
ストーカーというよりは男のファンに近いもので今回のようにさゆに実害をもたらすなんてことはなかったのだが・・・

「ま、仮にシゲさんがストーカーに狙われてるとして、だ。・・・ちょっとれいな、小春。こっち集合」

そう言って吉澤さんがまねき猫のように手でこっち来いと命令してきた。
なぜかコソコソと部屋の隅っこに移動して3人でサークルを作る。吉澤さんは小声で、

「れいな達の部屋で匿うべきでしょ」

なんて、土台無理な話を提案してきた。

「ちょっと待ってください。なんでれいな達の部屋なんですか。匿うなら普通、女所帯の吉澤さんとこの方がいいっちゃないですか」
「それは無理」
「なんで」
「よしざーが死んじゃう」

・・・どういうことだよ。
吉澤さんのその言葉に反応した小春が顔に影を落として、

「石川さん・・・ですね」
「そういうこと」
「石川さん?、って吉澤さんの恋人の?なんか問題あるとですか?」

既に1匹ガキさん置いてるんだし別に問題ないのでは。

「ガキさんはねえ。あのロリっぽい外見が功を奏したね。生き別れの妹って言ったらまんまと信じてくれたよ。梨華ちゃんバカだから。
 でもねえ。シゲさんはあれじゃない。セクシーじゃない。よしざーの身内ってのも通じるかどうか」
「いくらちょっとバカな石川さんでも同じ手が二度も通用するとは思えませんよー。絶対バレちゃいますってぇ」
「ちょっと待ち。小春おまえどっちの味方なん。れいな達の部屋で匿いとぅないやろ?男しかいない部屋に女入れるっちゃよ?」
「・・・吉澤さんの命の方が大切ですから」

小春のこんな真剣な顔始めて見た。どうやら切実な問題らしい。石川さんを一目見てみたいわ・・・。
しかし2対1で劣勢だからと言ってここで引き下がるわけにはいかない。さゆなぞ泊めたら安眠できる日がなくなってしまう。
とにかく、道徳的な問題でこれだけは絶対にNOなのだ。

「いやそりゃ吉澤さんの命は大事っちゃけど・・・やっぱり男部屋に女匿うってちょっと・・・」
「嫌なら別にいいんだけど。こっちだってれいなと一緒に住むなんてお断りだし」
「「「!」」」

いつの間に起きて聞いていたのか、
ベッドから上半身だけを起こしたさゆが見た者全てを凍りつかすことができそうなブリザード・アイでれいなを正視していた。
あまりに冷めた目をこちらに向けてくるので少し狼狽する。

「えっと、嫌ってわけじゃなかよ?ただ男女1つ屋根の下で暮らすのはやっぱりいろいろ問題があるかと・・・」
「へえ、嫌じゃないんだ。さゆみは嫌だけどね」
「なっ・・・!れ、れいなだって嫌やけんね!さっき嫌じゃないって言いよったんは嘘!ホントはマジで嫌っちゃん!
 誰がおまえみたいな可愛くない女泊めるかってんだバーカ!!」
「小学生かおまえは・・・」

吉澤さんの呆れた声もこの時ばかりは全く気にも留めなかった。
助けてって言ったくせにそういうこと言うか。ああそうかいさゆがそういう態度ならいいさ。謝っても知らないからな!

「吉澤さんには悪いっちゃけどれいなは絶対泊めませんよ!もうさゆなんか知らんけん」
「おいおい〜・・・困るよシゲさん、あんまれいな怒らせんなよー」
「吉澤さんも、気遣っていただいて感謝してますがさゆみは大丈夫です。自分の部屋に戻りますんで」
「バッカ。どこが大丈夫なんだよ。それだけはいけませーん。さっき私達がしてた会話どうせほとんど聞いてたんだろ?
 今自分はストーカー被害にあっていて部屋でもロクに休めない。これ間違ってないよね?」
「・・・・・・」
「沈黙は肯定と受け取るよ」

さゆが目を伏せて微かに苦い顔をする。それを見た吉澤さんが胸ポケットに入っていたショートピースを取り出し火をつけた。
室内に苦い煙が漂う。病人の前で煙草を吸うのはどうなんですかとちょっと言いたかったが
注意しても素直に聞きそうにない人だってことはここ数ヶ月間一緒に働いて十分わかっていたのでそんな無駄なことはいちいちしない。
しばらく黙って逡巡していたさゆが顔をあげた。

「・・・・・・相談しても、いいですか」
「ふぅー。どぞー」

腕を組んで聞く体勢に入る吉澤さんを見てさゆが重い口を開いた。

「最初は・・・非通知着信でした。1日に3回、朝、昼、夜。携帯の非通知着信ってだいたい無視しますよね?さゆみもそうしていたんです。
 でも、一向にそのサイクルが止まる気配がなくて・・・2週間、したあたりでしょうか。出たんです、勇気を出して、
 一体誰ですかあなたはって。返って来た言葉は・・・沈黙でした。呼吸音だけがずっと大きく聞こえるんです。ハァーハァーって。
 怖くなってすぐに切って・・・。着信拒否しても電話番号が割れているという事実が怖かったので携帯を変えたんです。
 どこからも漏れないように新しい番号は誰にも教えないで。それで着信は来なくなりました」

それで終わりだったらここまでの事態にはなってなかったんだろうな。
れいなの予想通り、さゆはでも・・・と言葉を繋ぎ、

「ある日バイトから返ってポストを確認したら、差出人も宛名も、切手も貼っていない手紙が入っていて。
 中を確認したら、・・・・・・うっ・・・ふぅ・・・、は、入ってたん、です。・・・写真が。部屋で、着替える、さゆみの・・・。
 部屋、バレてるってことじゃないですか。もうそれ知ったらまともに寝られなくて、ご飯も、食べられなくなって・・・はぁ。
 窓も、部屋の中覗かれないようにって、カーテン閉めたままなんですけど、それでも、写真が・・・送られてくるんです。
 ありえないのに。隠しカメラでもついてるんじゃないかって部屋中探したんですけどそれでも写真が」
「もういいよ」

吉澤さんが冷静な声でさゆを止めた。正しい判断だ。あのまま話させていたら、さゆは発狂してたかもしれない。
自分で気付いてないのだろうか?さゆは話していた間中ずっと、まばたきをしていなかった。
さゆが落ち着いた頃合を見て吉澤さんが口を開く。

「そこまで本格的なストーカーだと厄介だね。絶対放置にはできない。んで、警察には言ったの?」
「・・・一応相談はしましたけど、現状じゃ動けないって・・・」
「被害出てからじゃ遅いってのに・・・やっぱり犬は使えんね。さーて、どうしようねえ?」

と言ってれいな達の方を見る吉澤さんは先程のどちらがさゆを匿うかという議論に戻ろうかと誘導していた。
いや、そうは言ってもな。別にさっきのさゆにムカついたから嫌ってわけじゃないぞ。
もうそれはどうでもいい。水に流しまくって今頃は下水の中だ。
そりゃれいなだって今の話聞いたらどんだけヤバイのかは十分わかったしできるならさゆを匿いたい。
でもそこにはやっぱり男女の隔たりっていうものがあるんだよ。モラルとかれいなが口にはしたくないんだけどな?
こればかりはどうしようもない。本来なら議論にもならない。

「れいな、シゲさん泊めるの嫌?」
「嫌というか、無理です。狼の巣に子羊入れるようなもんですよ。男ってほんと、制御きかない時ありますけん」
「上司命令でも?」
「今は仕事中じゃないけんそのカードは使えませんね〜。泊めなきゃクビにするってんなら、まぁ・・・聞きますよ」

吉澤さんはでこに指を置いて静かに黙考を始めた。自分の命を取るか、さゆを取るかで迷っているらしい。
石川さんが悪の総大将みたいな位置づけになっているが誰もそれに違和感を持っていないのは不思議だ。
吉澤さんが指を離し、顔をあげた。

「・・・・・・しかたない、か・・・。シゲさん、よしざーんとこ来なよ」
「・・・でも、」
「しょうがねーじゃん。れいな無理って言ってるしさぁ、自分の部屋に返すわけにもいかんし・・・」
「・・・すいません・・・。よろしくお願いします」

さゆが申し訳なさそうに頭を下げる。
・・・あ、吉澤さんのとこに泊まるのは別に嫌じゃないんだ、ガキさんもいるのに。れいなだけ嫌ってことね了解。
やっぱり水に流せないなこれは。なんでれいなだけ嫌なんだよ納得いかねー。
心の中だけでブチブチ文句を言っていると小春が後ろで吉澤さんに向かって手を合わせているのに気付いた。なにしてんの?

「・・・・・・合掌」

縁起でもない。


*****


翌日。
天災というものは突然やってくるものであるが人災もそれに類する。
ピンポンピンポンと朝っぱらから迷惑極まりないインターホンの音がけたたましく響く室内。
最悪の起こされ方をされ、れいなの気分はソーバッド。
扉の向こうのまだ見ぬ客人に殺意に限りなく近い、憎さ100%幽鬼の心を持ったまま渋々ドアを開けると、

「・・・おはよ。・・・部屋、しばらく泊めて」
「・・・」

人に物を頼む態度では決してないような面構えでさゆが大荷物を抱えて立っていた。

「・・・いや、無理だって。つか、れいなと一緒の部屋は嫌なんやろ」
「もちろん嫌だけどそれがそうも言ってられない事情ができたの。吉澤さんの部屋にいたら突然綺麗な女の人が来てさ。
 さゆみのこと見た後、吉澤さんをまさかりみたいに担ぎ上げてからジャイアント・スイングしだして・・・
 あそこにさゆみいたら吉澤さん死んじゃうからここに来た。寝る場所ないから泊めて」

長身の吉澤さんをジャイアント・スイング?どこの筋肉だるまだよ?
そういえば今日彼女がくるとか吉澤さん言ってたな。じゃあそのレスラーが石川梨華さんか。筋トレが趣味なのかな・・・。
まずい。れいなの勝手な想像で石川さんの外見がビス○ット・オリバになってきつつある。払拭させたいから早く一目会わせてくれ。

「なに騒いでんですかぁ〜?」

れいなとさゆが問答を繰り広げていると小春も先程のインターホンに起こされたのか、のたのたと目をこすりながら起きて来た。

「おはよう小春。寝たばっかだろうに起こして悪い。この通り、さゆが泊めてって押しかけてきたっちゃけど、」
「もういいじゃないっすかぁ泊めちゃえば〜。田中さんも古い人間というか結構堅い考え持ってるんですねぇ〜」
「別に堅くないっちゃろ!常識やん!男2人いるんよ!?そんな部屋にさゆを泊めるなんて」
「なに?れいなってさゆみ見ていちいち欲情する変態なの?」

さゆがゴミを見るような視線をれいなに向け、自分の体を守るように半歩下がった。その姿にカチンとくる。

「誰が欲情なんてするかアホッ!!裸のさゆ見ても興奮しんし!!」
「はいはいそういうのいいから。さゆみと一緒だと我慢できる自信がないから泊めたくないんでしょ。
 わかったもういいよ。やっぱりさゆみ帰るね。こんな危険なムッツリーニと一緒の部屋にいると犯されちゃう」
「だ、れ、が・・・っ!ちょっと待ちい!!誰が犯すって!?あぁん!?いいよそこまで言うなら泊まればよか!!
 さゆんこと女だと認識してないけん余裕やし何も問題ないっちゃけど!?さっさとあがり!!」
「ありがと。遠慮なくあがらせてもらうね。・・・やっぱれいなチョロいわ」
「〜〜〜〜〜〜!!」

まんまとのせられたことにようやく気付いて壁に頭を打ち付けたい衝動に駆られた。
くそっ!バカかれいなは!誰かタイムマシン持ってきてくれ!数分前の自分ちょっと殴ってくる!
怒髪天のまま、いかにして今の状況をなかったことにできるか現実逃避をしているれいなの肩にトントンとノックの感触。

「なん!?」
「田中さん・・・・・・・・・情けねえっす」
「うるさい」

こうしてさゆがれいなと小春の部屋に転がりこむことになった。
・・・引っ越したい。


****


購買は社員食堂の中にある。
この会社の食堂は混むことがまずない。理由は単純なもので、わざわざ行く必要がないからだ。
そこら中に設置してある食品専用の自動販売機は和洋中と種類が豊富で汁物もちゃんと器で出てくるというスグレモノ。
何十階もの高いところからわざわざ一階に降りてまで別にそこまで旨くもない飯を並んで買うよりかは
みんな自販機で早く楽に買えちゃう方を選ぶ、という効率的な方を優先した合理的な理由がある。
ので、若くて可愛いバイトの子が購買に入ったからといって別にこれといって食堂が混む、というわけでもない。
いつもの通り食堂は今日もガラガラであった。

「あっいたいたいましたよ!あれです部長あの子。ちょっと茶髪で背が低い、って見りゃわかりますよね。いるのあの子だけですし。
 どうですか?なかなかマブくないですか?」
「ああ・・・ですね。なかなか・・・。ところでそのマブいってのもう誰も使ってる人いないのであまり多用しない方がいいですよ」

購買に足を運ぶ。部下は怖気づいたのかなぜか付いて来ず見ただけでそのまま帰ろうとしていた。
まぁ、うるさいのがいないのはちょうどいい。
言い訳くさいのだが別にこのバイトの子が目当てという理由だけで購買で買い物するというわけではない念のため。
たまに無償にどうしても食べたくなるパンがある。人気がないため入荷する数は一日にたった一つだけなのだが、
購買に行くということでちょうどいいから久しぶりに食べようかと思っていたのだ。
俺はレジで何かモソモソやっているバイトの子に向かって少し大きめの声で、

「豆パンくださーい」

と言った。
バイトの子がそれに反応して顔をあげる。さっきより至近距離で見る顔は小動物を連想させるような愛くるしい顔だった。
しかし、

「は〜い。モグモグ・・・ちょっと待って〜。今、用意しますね〜モグ」
「・・・」

いくら昼休みだからといって仕事中に飯食うか普通?
可愛いけどちょっとおかしな子だなと印象を持った時、
バイトの子が、あ〜!なんてあまり切羽詰った風には聞こえない声色で俺に向かって困り顔を披露しながら、

「豆パンないですねえ」
「えっ!売れたんですか?あんな糞マズ、いえ。あまり万人には受け入れ難い味をしたマイナー向けのパンが?」

俺以外にあのパンを愛していた者がいたとは・・・ツラを拝んでみたいもんだ。

「はい。まぁ食べたの私なんですけどねえ。モグモグ」
「・・・」

おまえかよおおおお

「・・・売り場にあるものは、まずお客に売るのが普通なんじゃないですかね・・・?」
「あら、ちゃんとお金は払ったわよ。店員だからってそんなコスいことしたりしないからね」
「そんなことは当たり前です・・・」

俺が言いたいのはそういうことではなく、と続けようと口のチャックを開くとずいっと差し出されるモノ。

「しょうがないわねえ。はい。食べていいよ」
「食べかけなんていらないですよ」
「ちょっと失礼ねえ。毎日朝と夜、歯も磨いてるし清潔よ?食べたところで死んだりしないから大丈夫。
 あ、もしかして間接キスとか気にしちゃうのかな?やーねー」
「そうじゃねーよっ!!バカかっ!!・・・っ!、」

しまった。俺ともあろう者が外で素を出してしまった。あまりにもこの女がアホなこと言うもんだからつい。
コホン、と先程の失態を誤魔化すように咳払いをしてから今度は違うものを注文する。

「じゃあコーヒーパンでいいです。それお願いします」
「はいは〜い。・・・あ!」
「・・・今度はなんですか。またあなたが食べていたとかそういうのはナシでお願いしますよ」
「ちょっとー。そこまで食いしん坊じゃないから私。コーヒーパンはないけどコービー・ブライア○トパンならあるわ。
 発注間違えたみたいね。名前がちょっと紛らわしいから。買う?」
「いらねえええええええよっっ!!」

素が出てる?知るかボケ。もう面倒くさいわ。
なんなんだよこの女は。頭のネジ五万本ぐらい外れてなきゃこうはならないだろ。
俺はレジに身を乗り出して、

「ちょっと店員さん、あんたじゃ話にならないんでね。ここの責任者呼んできてほしいんやって」
「責任者は私よ?」
「なに!?もう引退したのかあのおばちゃん!マジかよくそっ・・・これからここの購買はこの女が受け持つのか!?
 おいおい大丈夫かよ!俺以外に被害者出してないだろうな・・・」
「クレームならもう来てるけど。まぁ初日だからねえ。こんなもんでしょうね。その内、板につくわ」

案の定、早速クレームが来ていた模様で。しかもそれに全く懲りていない御様子。
俺は頭を抱えた。引継ぎが全く出来ていないじゃないか・・・大丈夫なのか?ここの購買は。
こいつ、閉めの精算とかできるのか?発注もあんな凡ミスして、在庫の管理は?そもそもこいつの名前はなんだ?

「あんた・・・名前は?」
「私?」

女はとぼけた顔をしながら自分の顔を指し、それからニンマリと笑って、

「新垣里沙!」

と、元気な声で自分の名前を明かした。





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