「なんか里保がカッコ良くてムカつく」
「はぁ?」
「お姫様助けて自分が怪我するとか超カッコいいじゃん!」
「王子様だったら怪我なんてしないで助けると思うけど」
「その謙虚な姿勢もムカつく!」

意味が分からないなぁと思いながら里保はマティーニを飲んだ。
頼んだことのないカクテルだが、さほど得意ではなかったのか、一瞬だけ眉を顰めた。

「だいたい名字からしてカッコ良い!なんね鞘師って!鞘の師匠ってなんね!」
「酔っ払ってるのえりぽん?」
「酔っとらん!」

そうして彼女は飲んでいたカクテルを空けた。
確かジントニックはこれで2杯目。確かに九州出身の彼女が早々に酔うわけはないかと考えていると、「ジンバックで」と声が聞こえた。

「好きだね、ジン」
「違う、それしか分からん」

そういうところも彼女らしいなと里保、鞘師里保は思った。
鞘師という名字が珍しいというのは里保を施設で引き取ってくれたいまの父親、すなわち探偵から聞いた。
どうも日本で数世帯しかいない名字らしい。先祖はまさに刀の鞘をつくっていた名工だと知ったのは最近のことだ。
別にだからと言ってどうということでもないが。

「生田だって珍しくない?」
「そうでもないやろ。だいたい生田ってカッコ良くない」

ジンバックを受け取ると、彼女―――生田衣梨奈は不服そうに唇を突き出した。
同じ探偵事務所に所属する彼女とは、年齢がひとつ違いであるために、仲が良い。
ともに同じ仕事を任されることもあれば、こうしてバーに行くこともしょっちゅうある。

「でも鞘師衣梨奈って似合わん」
「いい加減にその話題から離れてもらって良いかな?つかなんだよ、鞘師衣梨奈って」
「じゃあ、なんの話題?」
「いまのいままでの人の話聞いてた?」

里保が呆れてそう言うと、衣梨奈はクイッとジンバックを煽った。
先ほどの里保同様に微妙に気に入らなかったのか、少しだけ不満そうな顔をする。

「ねー、今日は新垣さんの写真は撮っとらんと?」
「だから私の話どこいったよ?」

衣梨奈が言う新垣さんとは、盲学校の職員である新垣里沙のことだった。
田中れいなと亀井絵里の調査を始めて、彼女が絵里に好意を抱いていることを知った。
里沙の写真をたまたま事務所に来ていた衣梨奈に見せると、ものの見事に心を奪われたらしい。
れいなと絵里の調査に里保が行くたびに、新垣さんの写真が欲しいと言ってくる。

「聞いとるよ。でも、意外やなって思ったと」
「なにが?」
「里保でもそういうことで悩むんやなぁって」

彼女はそう言うと再びジンバックを口にした。
アルコールを飲んでも顔が赤くならないのが彼女の体質らしい。そのせいで、酔っているのか酔っていないのかよく分からなくなる。
真面目な話をしているのか、ふざけているのかもよく分からない。そういうところは、嫌いじゃない。

「衣梨奈には依頼人の気持ちが分からん」
「分からんって……」
「いちど田中れいなに脅されとぉのにそれでも亀井絵里を手に入れようとするあの姿勢はなんやと?
そこまで亀井絵里に執着する理由が衣梨奈には分からん。そりゃこの人可愛いけんさ」

そうして衣梨奈は胸ポケットに入っていた亀井絵里の写真を取り出した。
衣梨奈が入手したその写真は、恐らく彼女の高校時代のものだった。いまより髪は長く、何処となく幸が薄そうである。
恐らく、彼女が光を失った直後も、こうして哀しみを背負った表情をしていたのだろう。

しかしいまの絵里は、少なくとも世界のすべての不幸を一身に纏った空気は持っていない。絵里は確かに、れいなに逢って変わったのだ。
確かに叔父に穢されたことで自分の中の世界を終わらせようとしたが、絵里はまだ、なにかを諦めていない。
それは里保にも、そして衣梨奈にも分かる。

「人がなにに夢中になるかはそれぞれじゃん」
「保険金とか?」
「それもあるね。亀井さんが手にした遺産は6000万だし、それをみすみす手放すのは惜しい。でも、それ以上に依頼人は亀井さんに執着してる」

里保はマティーニを飲み干し、次のカクテルを考えた。そろそろ甘いものは卒業してウィスキーにでも手を伸ばそうか。
本来なら、衣梨奈がよく頼む焼酎でも挑戦したいのだが、バーに置いてある焼酎はオススメしないと衣梨奈はよく言う。
確かにバーはカクテルが主流なため、焼酎といえばオーソドックな物しか置いていない。
「どうせなら良いお店で衣梨奈がセレクトしちゃるけん!」と話す彼女のオススメは麦焼酎らしい。

「好きって気持ちでそこまで夢中になれるとかいな」

衣梨奈はそう言うと同じくジンバックを空けてしまった。
相変わらず彼女のペースは速いなと思う。
そんなことを言うのなら、調査人の周囲にいる人間の里沙に恋をした君は何なんだと言いたくなるが、
「それはそれ、これはこれ!」と衣梨奈が返すのは目に見えているので里保はやめにしておくことにした。

「聖ぃー、この前言っとった焼酎いれてくれた?」

衣梨奈に「聖」と呼ばれた彼女―――このバーの現在のマスターでもある譜久村聖は氷を崩す手を止める。
そのまま振り返って後ろの棚を開けた。

「たぶんえりぽんしか飲まないよ、こんな焼酎」

そうして聖が緑色の瓶を衣梨奈に見せると、衣梨奈は「さっすがー!」と笑う。
どうもこれが彼女のオススメの焼酎らしいが、銘柄を見ても里保にはピンとこない。
焼酎で知っている名前なんて、「黒霧島」か「いいちこ」くらいしかないのだが。

「じゃ水割りで!里保も飲んでみる?」
「え。あ、ああ、じゃあ水割りで」

聖はいちどボトルを下げ、グラスをふたつ取り出した。先ほど砕いていた氷をいくつか入れ、ボトルを開ける。
微かに香る焼酎独特の匂いが鼻をくすぐった。決して臭みがあるわけではない。

「ぎん……てき?」
「そう、銀滴。宮崎の麦焼酎で香りがすっごい良いっちゃ!
麦焼酎といえば大分の「いいちこ」が有名やけん、宮崎も負けんと「くろうま」とかを出しよって、この銀滴は大手門酒造さんで芋焼酎も……」

此処から数分間にわたって衣梨奈の焼酎熱弁が始まったが、里保は例によって無視することとした。
彼女に焼酎を語らせると長い。結論は「だから美味しい」というものにいたるので、聞いていなくても損はしない。
相当焼酎が好きなんだろうなと里保は思う。
そう言えば彼女は田中れいなと同じく九州出身なのだが、れいなの方はほぼ下戸らしい。
飲めないことはないが、酔っ払うのが早いらしく、果たして今度の合同飲み会ではどうなるのか、里保自身興味があった。

「失礼します、麦銀滴水割りです。里保ちゃんには一応こっちも…」

そうして聖から焼酎水割りと、里保にだけチェイサーとしてグラス1杯の水を受け取った。
確かに焼酎を飲むのはほとんど初めてなので、水があるとありがたい。
衣梨奈は熱弁をいちど引っ込めてグラスを持つと「ほら」と里保に顎でしゃくった。
里保がそれに従ってグラスを持つと「かんぱ〜い」と楽しそうにグラスを鳴らせた。

「おおっ!むぎっ、ぎんっ・てきぃっ!!」

なにか乗り移ったかのように嬉しそうにはしゃぐ衣梨奈はほとんど「私立探偵」という職に就いた人間には見えない。
これで実績がちゃんと積み重なっているのだから世の中分からないものだ。

里保ははしゃぐ衣梨奈を尻目に銀滴に口付けた。仄かに麦の香りが鼻をくすぐり、一瞬、焼酎ではないような感覚に襲われる。
焼酎といえば臭くてまずいと言うイメージを持っていた里保にとってはある意味でショックであった。
舌先に感じた焼酎は、甘かった。実にフルーティーで爽やか、癖のない飲み口に衝撃を受けていると、衣梨奈がニヤニヤして肩を組んできた。

「うまかろー?麦焼酎なめたらダメやとよ」
「自分の手柄みたいに言うのやめなよ」
「里保はいっつも衣梨奈に冷たいー!」

実際、衣梨奈の頼んだ「銀滴」は美味しかった。こんなに美味しい酒、飲んだことあったっけと里保は思う。
里保の本来の出身地である広島は特に焼酎も日本酒も名産地ではないために、酒とは縁遠い。
しかし、里保を施設で引き取った義父に東京に連れてこられ、「探偵」という職を覚えて以降、里保は自然と酒を飲むようになった。

もともと自分は、探偵と言う荒探しには向いていなかったのかもしれない。
だから、ひとつの仕事を終えるたびに、里保はこのバーにやって来ては酒を煽った。
別に飲みたいカクテルも、美味しいウィスキーも知らずに、ただ目の前にある酒とともにすべてを呑み込んだ。
依頼人の仕事は時に調査者の不幸を招く。浮気調査なんてその代名詞だった。
誰かのシアワセはだれかの不幸の上に成り立っているなんて知っていたはずなのに、それを暴く手助けをすることが、里保には気に食わなかった。

「初めて、かも……」

だから里保は、この焼酎を飲んで感動した。酒にもこうして美味しい飲み方がある。
自分のやっていることを無理やりに呑み込んで納得せずとも良いのだと知った気がした。
こういう何気ない衣梨奈の優しさが、里保は好きだった。たぶん衣梨奈自身は、そういう気概はないのだろうけど。

「なんが?」
「……なんもないけぇ」
「あー、その広島弁好きー!!もっかい言って!!」
「……うっせぇ」

そうして里保は銀滴を再び飲む。爽やかな甘みを含んだ麦焼酎が喉を潤した。
水を一口飲んだところで携帯が鳴り、里保は立ち上がった。トイレへとそのまま入っていき、彼女はしばらく帰ってこなかった。

「あれって、好きやってことやろぉ、香音ちゃん」
「ってあたしぃ?!」

急に話しかけられたのは、厨房に入った聖と入れ替わりでやって来た鈴木香音だった。
このバーはもともと、聖の父親がマスターとして経営していたものだった。
いまでは聖と、彼女の高校時代の同級生である香音がふたりで店を回している。
女性ふたりの経営するバーなどで、キャバクラやガールズバーなどと勘違いされやすいが、此処は至って静かに酒を楽しむ場所であった。
確かにカウンターに立つふたりから香る色気は高いが、いわゆる「お触り」などは一切やっていない。

「香音ちゃんがいちばん分かっとぉやろ?」
「なんの話?」
「知っとぉくせにぃ〜」

酔っ払ってるんだろうねと思いながらも香音はチェイサーをつくり、衣梨奈の前に出した。
香音はグラスを拭きながら困ったように笑うと、カウンターから衣梨奈に話しかけた。

「えりぽんは里保ちゃんが心配なの?」
「んー、心配っつーか……真面目やけんね、里保は。自分の気持ちに正直になるべきやと!」

そうして衣梨奈は胸ポケットから写真を取り出した。
そこに写っていた人物を指さして「好きやったら好きって言えば良いと!衣梨奈は行くけんね!」と声を大にした。
久しぶりに好きな焼酎を飲んで気持ちよく酔っ払っているのだろうかと心配しながら香音は写真を見る。
そこにはモデルとして有名な「道重さゆみ」が微笑みかけている。まさか里保は彼女が好きなのだろうかと思うが、香音はなにも言わない。

「衣梨奈が好きやとは新垣さんやけどね〜」
「別に聞いてないんだろうね……」

香音が苦笑していると、トイレから里保が出てきた。
その表情がひどく沈んでいて香音は一瞬心配になったが、それは衣梨奈の方が強かったらしく「仕事?」と聞いた。
彼女の声は先ほどのようにふざけた色は一切なかったので、香音は思わずドキッとした。

「例の件、実行しろってさ」
「それって……」
「うん、田中さんに対しての、脅迫、だね」

里保はそれだけ言うと、指でピストルの形をつくって衣梨奈に向けた。
「ぱーん」と口に出して引き金を引いたあと椅子に座り、焼酎を煽った。
さっきまではあんなに美味しかった銀滴が、全くの無味無臭になってしまい、里保は思わず泣き出してしまいそうになった。


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絵里が盲学校の寮を出る日がやってきた。寮を出るとは言え、まだ盲学校に通う日は続く。
それでも寮生活を終えるということは大きな進歩であり、れいなは意気揚々と絵里を迎えに行った。

「……じゃあ、あとはよろしくね」

職員である里沙からすべての免責事項の説明を受け、必要書類と荷物を受け取ると、れいなは「ありがとうございます」と笑った。
どんな理由にせよ、れいなは絵里とこれからいっしょに生活していくことになる。
それが堪らなく嬉しくて、れいなは頬が緩むのを堪えられなかった。

「いこっか、絵里」
「うんっ!じゃあ、また明日ね、ガキさん」

絵里はニコッと笑って里沙に手を振ると、彼女も「はいはい」と笑って頭を撫でた。
れいなは絵里を車に乗せると、里沙に対して一礼し、自分も車に乗り込もうとした。

「……田中さん」

が、里沙に呼び止められ、れいなは振り返る。
里沙はひどく苦しげな目をしたまま、れいなをじっと見つめた。

「どうしたと?」
「いや……カメを、よろしくね」
「うん、ガキさんも、ありがとね、いままで。まぁ、これからも、やけど」

そうしてれいなはニッと笑ったあと、車に乗り込んだ。
エンジンが唸り声を上げ、ゆっくりと発進していく。
里沙はそれを黙って見つめたあと、角を曲がる直前に「ごめんね…」と呟いた。


あの日、里沙は絵里にキスをした。
だが結局、キスをしただけでそれ以上はなにもできなかった。
ブラジャーを脱がせることも、シャツをはぎ取り、絵里の中に侵入することもできなかった。

里沙がキスをしたあとも絵里は眠り続けた。
甘くて柔らかい唇に里沙は紅潮し、心拍数は一気に上がっていった。
自分が最低のことをしているという自覚はあったし、このままシてしまえという悪魔の声が聞こえたことも分かっていた。

だが、里沙はそれをできなかった。


―――がーきさんっ!


そうやって、彼女が笑う声が聞こえた気がした。
絵里は里沙に笑いかけ、手を伸ばし、優しく名を呼んでいる気がした。


―――ガキさん、ありがとねっ


いつだったか、絵里は里沙にそう言った。
支えてくれてありがとうと。いつも絵里の面倒を見てくれてありがとうと、心配してくれてありがとうと絵里は言う。
だけど、そうじゃないんだと里沙は思った。
この心の中には絵里を慕う以上の気持ちが存在していて、絵里を穢してしまうような感情が浮いているんだと里沙は知っている。


違う違う、そうじゃない!
自分のやりたいことは、大切なことは、護りたいものはこうじゃない!!

里沙はいつの間にか泣いていた。
護りたいもの、大切なもの、心の中に浮かんで消えずに残っていたものは、こんな薄汚い性欲じゃなかった。
自己本位で身勝手で、優しさとか職員とかそういう蓑を被ったものじゃないと里沙は気付く。

「……好きだよ、カメ」

里沙はそう言うと絵里のはねた前髪を撫でた。
今度は決してキスをしようともその胸に触ろうとも思えなかった。

ああそうだと気付いた。
こんなにも自分は絵里が好きだったんだ。
心の中にずっと浮かんでいて、消えることなく痛みすらも覚える感情であったけれども、それでも私はカメが好きだった。
なぜと聞かれても答えられないくらいに、切ないほどの優しさと痛みと、それでも温かい感情を里沙は持っていた。

「好き…好き……大好きだよ、カメ」

分かってほしいとは言わない。
だけど、だけど、どうか届いてほしかった。
報われなくても良い。答えてくれなくて良いから。
こんな卑怯で薄汚くて身勝手だけど、それでも私はあなたが好きだった。
此処に浮かんだ感情は偽物じゃなく本物だから。
それだけはどうか知ってほしい。

たとえあなたのその心が、別の人に向いていても、構わないから―――

里沙は絵里の髪を撫で終えると、そのままベッドから離れキッチンへと向かった。
どうしても今日は飲みたくなって、棚の下から焼酎のボトルを取り出した。
特に好きな焼酎もないのだが、いつも飲んでいる芋焼酎の「元老院」を開けると、氷を入れたグラスになみなみと注いだ。
くっと煽ると芋焼酎独特の香りが鼻をついた。



「新垣さん、お電話ですよ」

里沙は同じ職員の声に我に返ると、「うん」と発して盲学校へ戻った。

ああまったく、恋とは思い通りにならないのだなと里沙は苦笑した。





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