#30 <<< prev





「ほんとに出てくの?」
「うん。今までありがとさゆ。ごめんねたくさん迷惑かけて」

床に置いてあったボストンバッグを肩にかつぐ。
生活必需品が無理に詰め込まれたそれは弾けそうなほど膨らんでいてしかも重い。

「・・・絵里が選んだ道なら、さゆみがどうこう言うことはないけどさ」
「うん・・・」
「・・・ほんとにそれでいいの?」

"れいなと別れる"
さゆにそれを伝えてから何度も言われた考え直せという言葉。
さすがに耳にタコだけど、さゆが本当に絵里たちのことを案じているのがわかって、聞くたびに良いやつだなと思い知らされる。
ありがたいけど・・・

「もう決めたから」
「・・・そう」
「しょうがないよ」
「しょうがない・・・のかな」

だってアメリカなんて、富士山の頂上からでもスカイツリーのてっぺんからでも見えない距離にあるんだよ?
広い太平洋の向こう側にある国に突然、5年ほど行ってきますんで。なんて言われてじゃあ待ってる、なんてできると思います?

「もう待つのはいやなんだよ・・・」
「・・・」
「絵里はそんなに強くないから・・・」

思い出す。4年前のあの時。大切な人が自分の元から離れていってしまう恐怖を絵里はなにも知らなかった。
そして身に染みてわかる辛さ、切なさや寂しさ、悲しさ・・・やるせなさ。
あの苦しみをもう一度体験するには絵里のメンタルでは少し・・・強度が足りなかったみたいだ。

「それじゃ、また今度近い内に遊びにくるから。アポなしで」
「24時間暇してるわけじゃないんでアポは入れてよ」
「じゃあね」
「うん」

冷たいノブをひねり、少しの間住まわせてもらった友人の部屋に別れを告げる。
ドアが閉まる直前まで肌を突き刺すようなさゆの視線が痛かった・・・気がした。


*****


雀荘、朝陰にて。
むっさい男共三人と生まれてくる性別と国を間違えた女が今日の晩飯を巡る命賭けの大勝負を繰り広げていた!

「田中さん最近元気ないですね。どうしたんですかぁ?」
「・・・絵里と・・・別れた・・・かも」
「マジっすかぁ?」
「はい立直」

タン!と小気味良い音を立てながら三筒を横に捨て、千点棒を場に放り投げる吉澤さん。まだ5回も回ってないのにこれかよ・・・。
小春がアホヅラを晒しながらわかってますとばかりに生牌を堂々と切る。よし、鉄砲玉の役割はこいつに託そう。

「おまえアメリカ行くんだろ」

一発だけは阻止と、堅実に安牌を捨てながられいなに問いかけたのは高橋愛。
なぜこいつがいるかというと会社が休みで暇だったから、らしい。誰が呼んだんだ誰が。
言うまでもないがYHはオーナーの個人的都合で今日も休日である。オーナーここで煙草ふかしてるけどね。

「なんでテメーが知っとーと」
「ガキさんから聞ーた。勝ち逃げかよ」
「なんなん勝ち逃げって・・・。そういえばガキさんもアメリカ行くとか言っとぅっちゃけどおまえ止めろよ・・・」
「言われなくともそうするつもりさ、っと・・・よし、立直」

ガキさんのこと好きなんじゃないのかよ。おまえの愛はその程度のものなのか?
さぁ、今すぐその点棒を収めガキさんのもとへと急ぐんだ。
じゃないとガキさんいよいよ買ったばかりのプラダのキャリーバッグ抱えながら本気でれいなの後ついてくるつもりだぞ。
この前、高島屋にいたってリークはさゆから聞いてんだ。今頃荷物をプラダに詰め込んでるところだろうさ。

「田中の方こそ、人のこととやかく言える立場じゃないだろ。絵里さんまた泣かせたんじゃないだろうな」
「・・・」
「ったく。絵里さんもガキさんも・・・ほんと男の趣味悪すぎんだろ」

山からツモった牌は・・・最後の九萬だった。考える間もなく即切りして溜息を吐く。目当ての牌がなかなか入らない。
一向聴で二人立直という、降りるに降りられないこういう場面が一番辛い。ついに運にまで見放されたかと自嘲の笑みが浮かんだ。
対して小春はあの捨て方でなぜ放銃しない?とイカサマ疑惑が浮上するほど幸運の女神から愛されている。
もしくはれいなから吸い取ってるのかもしれない。このヤロウ返せ。れいなと絵里のあの幸せだった日々を返しやがれ。

「でもれいなが選んだ道なんだろ?選択を変える気はないんだよな?」

吉澤さんの少し脅しがかったような口調の言葉に毅然とした態度で返す。

「それはないです。れいなは彫りには人生賭けてるんで」
「へえ」
「でも絵里のことも諦めたわけじゃないです」

ツモった牌を確認する。
来た、四索だ。すかさず千点棒を場に出し、持て余していた7萬を捨てる。

「恋愛も仕事も両立させてこそ、いっちょまえの男ってもんでしょう・・・立直っ!」
「あ、それロンだわ」「はいローン」

・・・。
もう一つ疑惑があった。
小春自体がれいなに取り憑く疫病神なのでは?という説。
まんざら否定もできないだろ?


*****


半荘三回もやればすっかり夜も更けるわけで。
財布の中身が一足先に冬を迎え、しばらくもやし生活かなとこれからの田中家の食卓の未来を憂いながらマンションに帰って来ると、

「れいな」
「ん?・・・あ、さゆ」

この闇夜の中でも目立つ、透き通るような肌をした仏頂面の幼馴染が街頭を背に立っていた。

「こんなとこ突っ立ってどうしたと?」
「れいな待ってたの」
「?なんか用?」

玄関前に設置されている普段から誰も使わないベンチに腰を落ち着けるとさゆもすぐ隣に並ぶように座る。
なんだか変な絵だ。肩を寄り添わせることも手を繋ぐこともしないのでハタから見たらカップルの逢引には到底見えないだろう。
ただの友人でもない、微妙な距離感。けどれいなはなぜかこいつといる時が一番楽なのだ。

「絵里がさゆみん家から出てっちゃった」
「・・・そっか」
「アパート帰るって」
「ふぅん・・・」

半ば予想していたことだ。実家じゃないだけまだマシかもしれない。

「連れ戻さないの?」
「・・・まぁ・・・しょうがないよ」
「・・・」

さゆの視線がれいなの目を射抜く。怒っているというよりその瞳は哀愁の色を帯びていた。
れいなと絵里がこんな状態になって本当にこいつには申し訳ないと思う。
昔から絵里と何かあると真っ先にさゆに相談していた。
あれだけ迷惑をかけておきながら当の本人たちはあっさり別れてはい終わり、なんて・・・
れいながさゆの立場だったらちゃぶ台をひっくり返すぐらいのことはしていたかもしれない。

「似た者夫婦というか・・・お互い言ってること全く同じ」
「?」
「なにがしょうがないんだか・・・そんな簡単な言葉で片付けるんじゃないっての」
「・・・だって、」
「だってもへちまもないし。あんたらこれで終わったらさゆみマジで呪うからね」

と言って瞳孔を開かせながら口の端を吊り上げる呪怨道重。
晩の、しかも街頭も人通りも少ないこんな場所で心臓に悪い冗談はやめてほしい。

「冗談じゃないから。だってこのまま終わったらさ、さゆみ可哀想すぎるじゃん」
「・・・んん?」
「あほ。さゆみはれいなが好きなんだよ?けどれいなが絵里のこと好きって言うから身を引いたんじゃん。
 このままれいなと絵里が終わったらさゆみのあの涙の決断はなんだったのって」
「あ、そゆことか」

れいなに対するさゆの態度が相変わらずクールなので時々忘れそうになる、れいなのことが好きだというさゆの気持ち。
意識すると顔がまともに見れなくなるんだよな。今もれいなの頬はりんごみたいに赤く染まっていることだろう。
自分から攻めるのは得意だが人から向けられる好意にはとことん弱い・・・とは昔絵里からよく指摘されていたことだ。

「れいなが絵里とこのままヨリを戻さないつもりなら・・・」
「なら?」
「さゆみと付き合ってもらうから」
「なんですと?」

噴出すのをこらえているのか、おたふくみたいに頬を膨らませ体を震わせるさゆ。
冗談?それともマジなのか?でもさゆはれいなのこと好きなんだよな・・・じゃあマジで言ってる?
れいながあのさゆと・・・付き合う?

「・・・・・・・・・・・・」

冗談なのか本気なのか、さゆの冷めた表情からなにかを読み取ろうと凝視している内に変な沈黙が流れ、
お互いに頬を紅潮させるというなんともこそばゆい空気になった。
さゆが耐え切れず顔を反らす。

「ば、バッカ。冗談に決まってるでしょ。真面目に受け取らないでよ」
「あ、なんだ・・・やっぱ冗談やったと?・・・そっか」
「何その反応〜〜〜〜っ!やめてよもぅっ」

ニヒヒと笑って立ち上がり、ケツ部分の埃を払う。
最終的にグダグダした会話で終わったがさゆの言いたいことは伝わった。
要はさゆはれいなと絵里に復縁してほしいんだろう。
大丈夫、

「れいなは絵里のこと信じとぅっちゃん」
「・・・」
「今はれいなが絵里のことを信じて待つ番やけん」

今まで喧嘩したり別れたりいろいろあったけど、いつの間にか元鞘に戻っているれいな達だから。
きっと大丈夫。

「・・・そう。いいね楽天的で。でもそういうのいいかも。熟年夫婦みたいで」
「ま、一応やっぱちょっと心配やけん明日絵里んとこ行ってみるつもりっちゃけど」
「なにそれカッコワル」

うるさか。


*****


明けて早朝7時。
前も言ったと思うが絵里の住むアパートはれいなが住んでいるマンションから結構遠いのだ。
なので必然タクシーを利用しなくてはいけなくなる。
そしてすでにわかっている通りれいなは先日の麻雀で見事にスッた。
何が言いたいのかというと、

「朝飯代無いけん金貸してほしいっちゃけど、」
「嫌」

プツッ ツーツーツー

「・・・」

通話時間6秒。
道重さゆみさんはれいなが餓死しようと知ったこっちゃないそうです。

「はぁ」

タクシーの窓から見えるコンクリートジャングルに灰色の溜息しか出てこない。
とりわけ景色に興味があるわけでもないので空腹を誤魔化すためにも惰眠を決め込むことにした。
ま、起きる頃には着いてるだろうさ。


────


はい、着きました。
で、これからどうしようかと数秒頭を悩ませる。
まだ絵里の出勤時間には余裕はあるから今会ってもおそらく迷惑にはならない・・・はず。
震える指を気力で鎮め、"亀井"と書かれたインターフォンを押す。
予想に反して絵里はすぐに出た。

「はい、亀井ですが」

インターフォン独特の、口に和紙を被せたようなおかしな絵里の声に会いたい気持ちが溢れ出た。
まだ別れてから数日とも経っていないのにもうすでに絵里シックになっている自分は思った以上に彼女に骨抜きにされていたみたいだ。
やっぱりこのままじゃ終われない。

「れいなっちゃけど」
「・・・」

ブチっと通話回線の切れる音がして束の間の会話は終わった。
口も聞いてくれないほど立腹してるらしい。けどこのくらいで引き下がれるほど諦めのいい男じゃないんだれいなは。

「絵里。そのままでいいけん聞いてくれ」

近所迷惑にならない程度の声で扉ごしに絵里に伝える。
会話はできなくともどうしても聞いてほしい言葉があった。

「もうほんとに出発まで日がないっちゃん」
「・・・」
「れいなは渡米をやめるつもりはない」
「・・・」
「けど絵里のことも諦めるつもりはないけん」

今生の別れでもないんだ。これで諦めるなら泣いてる君とキスをしたあの日に諦めてたよ。

「待っとぅよ。ずっと・・・」
「・・・」
「愛しとぅ」
「・・・」
「じゃ・・・」

聞いてくれていたのか、はたまたドアに話しかけていただけなのか。
結局れいなは絵里と顔を会わせることも話をすることもなくそのまま帰宅の途についた。


 **********


「・・・れいなのあほ」

15分で化粧を終わらせ、身支度を整えて外に出る。
朝ご飯は用意はしたんだけどもう今は舐める気も起こらないほど食欲が失せていた。
寝起きからあんなイベントがあったんじゃ胃が縮むのも仕方ないと思う。

「・・・あ」

駐車場に車がなかった。
そういえばと思い出す。昨日先輩の家に行って酒を飲んでしまったから置いてきたんだっけ。
タクシーは高いし、多少面倒ではあるがバスで行くしかないか。


────


バス停まであと200mといったところ。
ふと通り道にある寂れた公園が目に入った。
公園によくある上にピューって出る形の水道の蛇口が開いていて、派手に水滴を地面で弾ませながら水溜りを作っている。
独り暮らしを経験したことのある人なら共感できるはず。絵里はこういう"無駄"が大嫌いだった。
バスが来るまで数分の猶予もある。
小走りで公園に寄り、水道の蛇口を閉めた。

「・・・まったく。誰ですか」

別に誰かに話しかけたわけではない。ただの独り言である。
だが、

「うーん・・・すいません・・・」
「え?・・・ひゃぁっ!?」

水道の影になっていて見えなかったが、誰かが倒れていた。
ものすごい大きなリュックサックを背負って。

「ど、どうかしたんですか?なにか怪我をしているとか?」
「五体満足です・・・腹が減って動けないだけです・・・もう3日間、雑草以外なにも食ってないんです・・・」
「ええっと・・・」
「迷惑でなければ、おぜうさん。どうかこのひもじいワタクシめに食べ物を恵んでくださらんか・・・」
「え、でも、絵里、これから仕事、」
「どうかこの通りぃぃいいぃいいいいいいいいい」

なんのポーズもなしにうつ伏せのまま大声で懇願する謎の男性。
今朝の占いはそういえば山羊座は最下位だった。やけに厄のある日だと思ったら天に見放されていたなんて。
困ったなぁと指で頬をかく。なんだかんだ文句言いつつも答えは一つなんだけどね。

「絵里の家、ここからすぐ近くなんです。朝ご飯作ったまま手つけてないんでそれあげますよ」
「!! あ、ありがとうございます!」
「立てますか?手貸しましょうか?」
「大丈夫です!」

と言うが早いか地面に手をつけ、勢いよく起き上がる。さっきまで死んでたのが嘘みたいな軽快な動きだった。
必然、立ったら顔も合わせることになる。
男性はイケメンというより美青年のような顔立ちをしていた。しかも病気じゃないかと勘違いするくらい肌が青白い。
何よりも目を惹くのは顔に数箇所存在する痛々しい生傷の痕だった。

「じゃあ行きましょうか!」
「・・・は、はい」

見るからに非一般人の風貌をした彼を家に入れることに若干の抵抗を感じるけど目の前で倒れてちゃ放っておくこともできないし・・・
なんとなくバカっぽいから悪い人ではなさそう・・・かな?


────


「ごちそうさまでしたっ!」
「おそまつさまー・・・」

まさか冷蔵庫に放置されていた腐りかけの生ハムだけでこれだけの白米を消費するなんて・・・。
どんぶり4杯を30分でたいらげ、シメに歯についたゴミを爪楊枝でシーシーと取るおっさんみたいな青年。
服が迷彩柄だったから目立たなかったけどよく見るとところどころ破けていたり泥がついていたりと悲惨な格好をしている。
いい加減、この奇特すぎる青年の名前が知りたかった。

「名前はなんていうんです?」
「いk、・・・あー・・・・・・本名言えないんですよ。いろいろ複雑すぎる事情があって〜」
「複雑すぎる事情?」
「はい。自分、指名手配されてるんで〜」

あはははははとデンジャーなセリフのわりにはのん気にバカ笑いをする謎男。
・・・冗談?だよね。冗談に聞こえないけど・・・

「とりあえず自分のことはナマポンと呼んでください」
「はぁ。じゃあ、ナマポン」
「なんか用と〜?」
「あ、博多弁・・・」
「福岡出身なんです」

出身は言ってもいいんだ。福岡って・・・なんかあいつと被るなぁ。
体中にある傷といい格好といい言動といい、
なにやら少し危険な香りがするのは絵里が野生動物並の勘を備えているからという理由だけでもなさそうだ。

「さっき指名手配されてるって言ってたけど・・・冗談だよね?」
「あ、マジですよそれは。でも大丈夫です。えーと・・・絵里さん?に危害は加えさせませんから」
「危害って」
「今のところ追っ手がいるような気配はないですしこれ以上迷惑はかけられないのでね。そろそろドロンしますよ。
 あ、自分のせいでもし絵里さんに何か危険が迫ったらやらせる前に排除しますから〜」
「は、排除?」

ナマポンは足にかけてあった黒いポーチに手を伸ばし、ゴッツイものをテーブルにゴトリと置いた。
始めて生で見るそれに目玉が落ちそうになる。
おそらく平凡な生活を送っていればまず縁のない代物で、ドラマでしかその存在を認めることのできない"危険"を形にしたようなもの。

「ベレッタM9です。これで頭をパーンって」
「・・・」
「あ、でもこれ絵里さんにあげた方が危険はなくて済むか。じゃあこれあげますね。敵がきたらここのセーフティを上げて、」
「いやいやいやいやいや」

モヒカンがバイクをうんうん鳴らしながら汚物は消毒だ〜なんて言う世界じゃないんだよ?
あまりに違う絵里とナマポンの常識やら価値観の違いに自分がボケのアホキャラだったということを忘れ頭を抱えた。
天の声が聞こえる。この男を決して1人で行動させるなと。
このまま放置したら街が火の海に沈んでしまう・・・!

「絵里も一緒に行くから」
「? 自分についてくる気ですか?危険ですよ?」
「そんなの渡されるよりよっぽどマシだよ!」
「それもそうっちゃね!アハハハ!じゃあこの街の案内お願いしてもいいですかー?」

ナマポンが自分の体よりも大きなリュックサックから子供の落描きのような地図?を取り出す。
煤やら泥やらがついていて字が掠れていたがかろうじて読めるそれはどうやら繁華街を示した地図のようだった。

「ここに行きたいんです。お願いしてもいいですか?」
「・・・え、こんなところに行きたいの?ナマポンが?」
「はい」
「・・・」

こんなナリしててもやっぱりそういう欲は人並みにあるんだ。
意味があるのかわからないが一応顔を隠すために衣装棚に置いてあったキャップを目深にかぶり、出かける準備をする。
ナマポンが行きたいと言った場所は繁華街にある風俗店、"胸牛"という店だった。





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