#38 <<< prev





朝起きると隣に絵里はいなくなっていて、代わりに一通の置手紙が置いてあった。
内容は、仕事だから子供をよろしくと絵里からの伝言。
レム睡眠中の"れいな"と子育てド素人の自分だけがその場に取り残されたのであった。

「・・・・・・とりあえず、外に出よう」

手紙と一緒に抱っこ紐が置いてある。
まだ歩けない息子にこれを使えということなんだろうが生憎れいなには使い方がサッパリだった。
ので、自力で抱っこをしながら玄関を出る。
向かう先は子供の教育上よろしくない場所、おっぱいパブ"胸牛"だ。


*****


「おまえそのガキどこから拉致してきたんだよ」

来店早々ヤクザよろしく厄介なのに絡まれた。
高橋愛。二重にも三重にもねじり曲がった根性を愛想笑いの下に隠す金持ち性悪男。
れいなとはハブとマングースのような関係だ。
今回日本に帰ってきてあらかたの知り合いには挨拶しようと思い、わざわざガキ連れてこんな場所にまで来たのだが、
この野朗は数に入っていなかったというのにこの偶然。おかしなものに取り憑かれてるとしか思えない。

「おまえこそ平日の真昼間からこんなとこで何しとーと?仕事はどうした」
「バカンス中だよ。つかどうでもいいだろそんなこと。俺のことよりそのガキの方が重要だろ。それどこから持ってきたんだ」
「・・・・・・」

言うとピーチク騒ぎそうなので黙っていると奥からエプロン姿の聖が顔を見せる。
開店前に迷惑な客がたむろしているというのに嫌な顔一つせず、ハイビームより眩い笑顔を顔面に貼り付けながら。

「田中さんじゃないですか!随分久しぶりですね。アメリカに行ったと聞いてたんですけど」
「一時帰国したと。明日日本に帰るけんその前に知り合いみんなに挨拶しとこう思って」
「またすぐアメリカ行っちゃうんですか・・・寂しいですね・・・ってあれ?」

聖がれいなの腕の中でくつろいでいる子供の存在に気付き、顔を近づける。
『どこのお子さんですか?』と表情だけで尋ねてきた。

「えーと・・・そいつれいなの子供っちゃん。名前は同じ"れいな"って言うっちゃけど・・・
 ややこしいから"れーな"って呼んで」
「え〜〜〜〜〜〜!!田中さんの息子さん!?!れーなくんかぁ!可愛い〜〜〜」
「はぁ!?おまえマジか!絵里さんとの子か!?ふざけんなよテメー!」

ふざけるなと言われても仕方ないことをしてきたので文句は言えないがこの野朗に言われると血管がピクつくのはなぜだ。
聖はおいで〜とれーなを腕に抱えこみ、ギューっと抱きしめたり、キスをしたり。
わずか1歳で風俗嬢をたぶらかすとは我が息子ながら末恐ろしいわい。
というかれいなが抱っこするとグズるのになんで聖だと大人しいんだよ。

「普段は絵里さんが子守りしてるんですか?」
「いや、あいつも忙しい身だけん今はさゆが乳母役をしとぅよ」
「つーかおまえそれいつ作った子供だよ。見た感じ1歳くらいか?ひーふーみーの・・・渡米する直前にできた子供?」
「そう・・・らしい」
「ふざけた野朗だな。作るだけ作っておいて自分は外国に逃げてあとのことは女房任せとか」

ああ、ああ。まったくもっておまえの言う通りだよちきしょう。
責任逃れの甲斐性なしのサイテー野朗だってことは自分が一番よくわかってる。

「子供がいたことは全く知らんかった。2年ぶりに帰ってきていきなり自分が父親になっとって・・・れいな自身まだ実感が沸かん」
「なんだーそりゃぁ?言い訳かぁ?避妊もちゃんとできない野朗がナマ言ってんじゃねーって」
「まぁまぁ2人共。あんまり喧嘩しないでください」

聖が気を遣って仲裁してくれる。
だが心配しなくても高橋の喧嘩を買う気は毛頭ない。なぜなら奴は正しいから。

「おまえ自分に子供がいるって知ってもなおアメリカに戻るつもりなのかよ」
「・・・・・・」
「ま、俺はとやかく言えるような立場じゃないけど。そうだとしたらなかなかにクズですな!」

ハハハハと高らかに笑う高橋にすかさず聖がツッコミに入る。

「高橋さんだってニートで一日中こうして遊び呆けてるんですから同じようなクズですよ?」
「ハハ・・・ハ」
「え・・・おまえってそうなん?仕事辞めたと?」
「まだ辞めてねーよっ」

"まだ"って辞める気満々じゃないか。
れいながいない間にいったいこいつになにがあったんだよ。

「フン。聖ちゃんよ、俺だっていつまでもプー太郎を続けるつもりなんてないぜ?」
「と、言いますと?」

高橋がソファーにふんぞり返り強者の笑みを見せながら、

「起業するつもりだ」

なんて凡夫には到底夢見ることのできないスケールのでかいことを言い出した。

「退職金と貯金で資本金の用意はバッチリ。実は社員の勧誘ももう済ませてある」
「マジか・・・」
「ああ。この俺がいつまでもこんな社会の底辺ごっこなんぞすると思っていたか?
 今遊んでいるのは最後の長期休暇を満喫するためさ。本格的に始動する前のな」
「えー!・・・高橋さんすごい」
「フフン。実は起業するのは昔から俺の夢だったんだよ。誰かの下につくってのが性格的に合わないんだよな俺は。
 今のポジションに甘えるのも安定した生活を求めるならアリだが・・・退屈なのは嫌いなんだよ」

覇王の血でも流れてるのかこいつは。

「それでビッグになったらまた改めてガキさんに告白する」
「!? まーーーーーだ諦めてなかったと!?」
「うるせっ。スッポンのようにしつこい男なんだよ俺は」

あれれ昔しつこい男は嫌われるぞとかれいなに説教こいたの誰だっけ。

「フ・・・。夢を追ってなんぼだろ。男ってのは・・・」
「・・・」

夢。夢か・・・
れいなもいつまでも夢を追い続けていたい。
その気持ちはよくわかる。
だが・・・

「れいなそろそろ帰るわ」

聖の腕の中でうさぎのように大人しくしていた息子を抱える。

「じゃ。今度来るのは何年後になるかわからんけど、また」
「待ってますよ。どうかお元気で」
「あばよクズ男」

聖の別れの挨拶と高橋の悪口に見送られながら外に出た。

「・・・・・・」

夢を語っている時の高橋愛は・・・認めたかないがムカつくぐらいカッコよかった。
れいなもアメリカでたくさん彫りを学んで、もっともっと技術を高めたい。
そしていつか吉澤さんより有名な彫り師になって自分の店を持ちたい。絵里やこのガキに裕福な暮らしをさせてやりたい。
こんな途方もない夢・・・それでも絵里なら許してくれる。

「はぁ」

けど許す許されないの問題じゃないんだよな。
と、腕の中で気持ちよさそうに眠る息子を見て、そう思った。


*****


どうするのが正しい?
どの選択肢を選べば後悔せずに済む?

「うーん・・・うーん・・・」

あらかたの知り合いへの挨拶を終え、絵里の家へ帰宅。
ベッドに寝転がりながら今後の身の振り方を考える。
息子のれーなは隣でごまあざらしのようにコロコロ転がっていた。可愛い。

「・・・」

明日で日本を発つ。
絵里とれーなを日本に置いて。
いいのだろうか?本当に。

『だから、れいながまたアメリカに行っても大丈夫』

・・・きっと絵里は笑いながら見送ってくれる。
さゆも、しかめっつらはするだろうがなんだかんだ文句は言いながら許してくれる。
れいなの身近にいる人間は高橋以外おそらく誰も止めない。れいなの渡米を。
つまりれいなに、目に見えて邪魔な壁は存在しない。
だが、だからといって・・・どうする?どうしたい?

「そうか・・・」

これは、ポリネシアに行く決意をした時と同じなんだ。
4年間、絵里になんの連絡もせず放っておいてしまった時と同じ。
渡米する決意をした時と同じ。

"亀井絵里"という女性と"彫師"という夢を天秤にかけた究極の選択。

れいなは今まで絵里を捨て、夢を追うことを選んできた。
では今回もそうするのか?

「どうするのが正しいんだ・・・?」

ずっと考えていると瞼がだんだんと落ちてくる。
それに抗うこともできず、誘われるままに深い眠りへと落ちた。


*****


香ばしい匂いに誘われ、沈没していた脳が覚醒しようと浮上する。

「・・・んぁ?」

目を開けるとテーブルの上に雑多に並べてある溢れんばかりの料理の数々が目に入った。
子供用の椅子に腰掛けた小さい王様が早く餌を俺の胃袋に寄越しやがれとでも言うように忙しなく動いている。
キッチンには絵里がいて、そこから腹の虫の大合唱を誘うような芳しい匂いが漂っていた。
時計を見るともう20時だ。

「あ、やっと起きたー。おはよう寝ぼすけさん」
「・・・・・・おはよう・・・これ晩飯?」
「そだよ。みんなで食べようと思って絵里めっちゃ頑張ったんだから。さ、食べよ食べよー」

仕事帰りで疲れているだろうによくまぁこんな豪勢なもんせっせと作ったな。
寝起きだというのにしっかり腹は空いていたのでベッドから降り、大人しく食卓につく。
子供を間に挟み、3人一緒に『いただきます』とお礼をしてから飯にかぶりついた。息子はまだ言葉を喋れないがそこはご愛嬌。

「もぐもぐ・・・・バリ旨か」
「よかったー!れいなに手料理ごちそうするの久しぶりだったからちょっと不安だったんだ」
「うむ。この煮付けも味がよく染みとぅし麻婆豆腐もちょうどいい辛さで旨い」
「うへへへ。遠慮せずどんどん食べてね」

れいなは男にしてはかなり小食な方なのだが絵里の手料理だけは別だ。
何年も付き合ってきた仲なのでお互いに味の好き嫌いは把握している。
絵里が作るご飯はれいなの好みに見事にゲージがピタリと嵌っていて、胃が無理することなく食料を受け付けてくれるのだ。

「はい、れーなぁ。あーんしてぇ〜?」
「え?あ、あー・・・・・・って、なんだよ」

絵里が子供用に作ったご飯を息子に食べさせていた。
とんだ恥かいた・・・。息子のれいなを見る目がおもちゃを見るそれと同じような気がしてつい視線を逸らす。
ガキにまでバカにされる親父っていったい。

「れいなもご飯食べさせてみる?」
「へ?いや、れいなはいいっちゃよ」

嫌われてるし。

「まぁまぁそう言わず。お父さんでしょ?はい、この玉子フーフーして食べさせて」
「わ、わかったよ」

4、5回息を吹きかけ、熱を冷ましてからおそるおそる息子の口元に玉子焼きを持っていく。
息子はキョトンとした顔をして口を開けると、

ぶやぁぁああぁあぁあぁあああぁ。

「なんでだよ・・・」

親父のジャスミンでもなんでもない息で汚染された玉子焼きなぞ口に入れたくないってか?
失敬な。こちとら1日5回は歯を磨くリアルホワイトニングだぞ。清潔に関してはれいなの右に出る者はいない。

「あーよしよし、パパ怖かったね〜」
「・・・れいなのせいなん?」
「もぉ。もっとニコニコしながら食べさせないとれーなが怯えちゃうじゃない」
「気をつけます・・・」

その後も何回かトライするが結局息子は最後までれいなからの飯を口に入れなかった。
子育てってのは難儀なもんだな。いい教訓になったよほんと。


*****


家族3人での賑やかな晩飯も終え、風呂にも入り、明日の出立のために早く寝ようとみんなでベッドに寝転ぶ。
息子を挟んだ隣に絵里がいる。微かなシャンプーの香りに釣られ目を移動させると視線が交差した。
真っ暗闇でもカーテンの隙間から漏れ出る月明かりで絵里の顔が鮮明に映る。
とても、神秘的に見えた。

「れーなってね、寝つきいいの。ほらもう寝てるでしょ?」
「・・・ほんとだ」

寝る子はよく育つと聞くし、夜更かし大好き族になるとれいなみたいにロクに身長も伸びず女顔に成長するから、
そこはそのまま育ってくれるとありがたい。
しかしグースカ寝てるならちったぁれいなと絵里に2人きりになれる時間をくれてもいいとは思うのだが。

「・・・このガキ専用の赤ちゃんベッドみたいなのはないと?」
「さゆの家にならあるよ。絵里んちにはないよ〜」
「くそぅ・・・」
「・・・」

絵里のダイヤモンドのように深く輝く瞳から目を逸らせない。
一時だけ子供の存在を忘れ、2人で見つめ合った。うーんキスしたい。けど遠い。

「迷ってるんでしょ」
「え?」
「ここに残るか、アメリカに行くか」
「・・・・・・」
「そりゃそうだよねー。だってれいなパパになっちゃったんだもん。今までみたいに好き勝手なことできないよね」

その通り。
とんでもないもの作っておきながらなんの罪悪感もなく自分本意なことができるほどれいなも冷血人間じゃないさ。

「ふふ。気にしなくていいのに。って言っても気にするか。なんて言えばいいんだろうね?」
「・・・。絵里は・・・れいながおまえらを置いて好き勝手なことやっても許せると?」
「うん。だって好きだから。れいなを困らせたくないもん」
「・・・」
「それに夢を追い続けるひたむきなれいなも大好きだから」

絵里の瞳から涙がぽろりと軌跡を描いて落ちていく。

「ちゃんと絵里の元に帰って来てくれるって信じてるから・・・」
「・・・」
「だから、絵里のことは気にしなくて大丈夫だよ」
「・・・そっか」

瞼を閉じる。
迷いはなくなった。

「おやすみ・・・れいな」
「おやすみ・・・」

外は鈴虫もその音色を収め、耳には息子の気持ちよさそうに眠る寝息しか聞こえない。
れいなの認識できる世界には絵里と、れーなと、自分しかいなくなった。
この心地良い世界から出たくない気持ちと出たい気持ちが相反する。
しかしいつでも自分は夢を追うことを選び、絵里をないがしろにしてきた。
そしてまた自分は絵里を捨て、彫師を目指す道を選ぶ。
絵里の言葉で最後までわだかまっていた曇りはなんの残滓も残さず綺麗さっぱり無くなった。

行こう。アメリカに。


*****


恥ずかしいからあれほど見送りはいいって言ったのに、
朝っぱらから会社やバイトをサボ・・・休んで絵里とさゆが空港まで見送りに来てくれた。もちろん息子も連れて。

「は〜いれーな。あれがおまえのパパだよー。家族を置いて外国に行こうとする最低男でちゅよー」

さゆの腕の中であうあう言って落ち着きのない息子は結局最後までれいなに懐くことはなかった。
何度抱っこしても泣くわグズるわ。今朝も紙パンツを取り替えようとしたら暴れられるし。
自分の父親がクズな男ってことがわかってるんだろうなたぶん。

「忘れ物ない?ハンカチは?ティッシュは?あ、向こうで浮気したら絵里ちゃん怒って地球破壊しちゃうからね」
「せんっての」
「ビッグになるのもいいけど怪我だけは絶対しないようにね」
「うん」

さしずめ子煩悩な母親と世話のかかる息子ってところか。

「次帰国するのはいつになるのよ」

と、質問したのはさゆ。

「ん〜・・・まだわからんっちゃけど・・・れいなも忙しいけんまた2年後とか結構期間空くかも・・・」
「2年後ってれーなの入園式にも参加しないつもりなの?うわっサイテー」
「めんぼくない・・・」

そうか・・・2年後にはこのガキは3歳になってるのか。
幼稚園ね・・・。入園にかかる費用はどのくらいなんだ?
その頃には絵里に楽をさせてあげられるくらい稼いでいればいいが・・・ってこんな時にまで金のこと考えるなよって。

「絵里もよく愛想つかさないよね。ほんと偉いよね・・・ってか凄いよね」
「うへへへ」
「ほんと絵里には苦労かけます・・・スイマセン」
「絵里に捨てられないためにも早く帰ってきなよね」
「へい・・・」

時計を確認する。
ジャスト9時。そろそろいい時間だ。

「じゃ、れいな行くわ」

チェックインして搭乗手続きも済ませ、あとは手荷物検査だけ。
ここを過ぎれば、絵里たちとは離れることになる。

「お土産よろしく」
「絶対無事に帰ってきてね〜!手紙もちゃんとちょうだいね〜!」
「おーう」

2人に手を振ってから背を向ける。
手荷物検査の列に並ぼうと足を運んだ時だった。

「ちょっ、あっ!れーなっ!」
「?」

さゆの切羽詰った声に何事かと振り返ると、
トテ、トテ・・・なんてまるで生まれたての小鹿のように不器用な足取りで。
途中で転んでも泣きながら足を止めることなく。
れーなが足に引っ付いてきた。

「・・・・・・おまえ」

例えるならユーカリの木にしがみつくコアラ。
ぶやぁぁああああって相変わらずブッサイクな泣き声で、必死にれいなの足に絡みつく。
ただ自分の父親が離れていくのを見て、わけもわからないまま追いかけてきただけだろう。
こんな子供の気まぐれの行動に心揺さぶられることなんて、ない。

「・・・」

ではなぜ自分はここから微動だにしないのか。
列が前に進んだのにも構うことなく、れいなの足にタコのようにくっついて離れない息子をただただ一心に見つめていた。
早く行けよと注意されるのも完全スルーで、れいなを飛ばして列は進む。

「・・・・・・」

迷いはない。
れいなはアメリカに行く。
そしてビッグになって金をガッポリ稼いで日本に帰って自分の店を持って、
白い一戸建てを建てて犬を飼って庭でガキ共と一緒に遊ぶ。
そして隣にはいつも絵里がいて、笑いながられいな達を見ているんだ。
これが"夢"を選んだ田中れいなの描く輝かしい未来。
そこに若干の迷いも生じない。

・・・はずだった。



「・・・・・・・・・・・・やめた」


いつまでも泣き喚いている泣き虫な息子をひょいと抱えあげる。
そして列を逆走し、絵里とさゆの元へと歩を進めた。

「・・・れい・・・な?」

心をどこかに置き忘れたみたいにポカンと口を開けたまま呆気に取られる絵里に笑顔を返し、

「ニシシ。アメリカ行くのやめた」
「え?」
「やっぱおまえら放って行けんよ」
「・・・」
「彫師の夢より大事なもの見つけたけん」

それはこの両腕にかかる小さな重みと、
目の前にいるただ一人の女性。

「甲斐性なしのダメ男やし、たくさん苦労かけるかもしれんけど」
「・・・・・・」
「絵里の側で頑張るから」
「・・・・・・あぅぅ・・・」
「結婚しよう」

まるで産卵中の海亀のように絵里が大粒の涙を零す。
れーなを抱えたまま胸の中に絵里を抱いた。
今になってやっと、やっと自分に素直になれた気がする。
さゆも暖かい笑みを据えたままれいな達を見守っていた。

「おめでと・・・絵里・・・。これでさゆみもやっとれいなのこと・・・」

さゆだけじゃない。
空港内のざわめきも視線を投げてくる人々も、みんながれいなたちを祝福してくれているような気がした。

「うへへへへ・・・」

お決まりの微妙に気持ちの悪い笑い声に向日葵のような大輪の笑顔。
今まで苦労をかけた分たくさん泣かせてきたけど・・・

「ニシシ」

やっぱ絵里は、泣いてる顔より笑った時の顔の方がバリ可愛いっちゃよ。



END



 **********



・・・


「・・・あ、終わり?随分長かったっちゃね」

父はれーなの言葉に不満そうに眉間に皺を寄せた。
そして『おまえのためを思って』だの『やっぱポークビッツにはこの話の良さがわからんっちゃね〜』だの。
年寄りくさい文句を零す。

「ち、ちんちんのサイズは関係ないっちゃろ」

そう反論すると失笑で返された。

「・・・ちぇ」

父の昔話が始まったキッカケはれーなにある。
いつまでもいろんな女の子にフラフラしているれーなに父の堪忍袋の緒がついに切れたのが事の始まりだ。
話を聞く限り、父は様々な女性におモテになっていたようだ。
しかし始まりから終わりまで、父は一人の女性をずっと見つめ続けていた。
つまり、おまえみたいにフラフラせずに絵里一筋だった俺を見習えと、こう言いたかったんだろう。

「大きなお世話っちゃよ」

そうは言うも自分でも今のポジションにいつまでも甘んじているのはいかがなものかと思う。
本命はちゃんといるのだが好きの"す"の一言も言えないほど奥手なのが話をややこしくしているのだ。
その点、父はホイホイ告白できて・・・そこは素直に尊敬する。つまり顔は似ても性格は似なかったということだな。

「ってか、行かなくていいと?今日結婚記念日っちゃろ。16回目の。
 母ちゃん『今日は絶対遅刻しないぞ〜』ってだいぶ前に会場向かって爆走してったけど」

しまった、という顔をして父が水色のネクタイをしめる。
肩にかからない程度に伸ばされた髪を結い、ワックスで整えるとなかなか男前な見映えになった。
父があの特徴的な長い髪を切ってからもう何年になるだろう。切っても童顔は直らなかった。
今でもたまに女に間違えられることがあるらしい。

今日の結婚記念日パーティはというと、有名な大企業の社長さんがシティホテルの大ホールを貸しきってやるんだとか。
父の悪友で有名な高橋さん。どういう風の吹き回しだと父は今朝もずっと言っていた。
他にも高橋さんの妻である里沙さんや、毒舌芸人としてテレビに引っ張りだこの道重さん、
父の師匠でカリスマ彫師の吉澤さん、父の右腕の久住さん、工藤さん、自衛隊陸将の生田さんに妻の聖さん。
すごい人達が勢ぞろいだ。

バタバタと落ち着きのないまま行ってくる、と言い残し父が玄関を出ようとする。
それに待って!と声をかけた。
一つだけ、どうしても腑に落ちないことがあったからだ。

「父ちゃんはどうして最後に母ちゃんを選んだと?」

今でこそ安定した収入を得れる彫師になった父だが、その道のりは決して平坦なものではなかった。
父ちゃんが思い出話の最後、母ちゃんを選ばずにアメリカに行くことを決意していたならば
今よりもっともっと高名な彫師になって、父ちゃんの夢だった白い庭付き一戸建ての豪邸やら犬やらを簡単に手に入れていたはず。
そんな輝かしい未来を捨ててもなお、なぜ最後の最後で母ちゃんを選んだのか。
父は『なんだそんなことか。簡単な話っちゃよ』と切り出し、

「絵里と彫師の夢。天秤にかけたら夢の方に若干傾く。
 じゃあ絵里の方に"れーな"という名の分銅を置いてみよう。するとどうなる?」
「あ・・・」

父がれーなの顔を見た瞬間、いたずらが成功して喜ぶガキ大将のようにわんぱくな笑みを浮かべた。
そして、ちとクサかったかなと恥ずかしそうに鼻を掻く。
つまり父は母だけではなく母と自分を選んでくれたのだ。

「・・・・・・そういうことさ」

手をひらひらと振り、父が家を出る。
その背中に長髪だった若い頃の"田中れいな"が見えた気がした。







FIN
 

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