その日の東京は、本当に綺麗に晴れていた。
カーテンを勢いよく開けると、数時間前に撮影した朝陽が部屋へと射し込んできた。
れいなは目を細めてぐっと伸びをしたあと、ベランダに置いてあるカンパニュラを見た。
昨日は綺麗に咲いていたが、今日は何処かしおらしくしている。
あまり水を上げない方が良いと本には書いてあったが、それにしては少なすぎただろうかと花びらに触れた。

「んー、おはよぉーれーな」

ふとベッドの上の彼女が上体を起こした。
れいなは振り返って笑いかけ、絵里の頭を撫でてやった。髪があらぬ方向に撥ねている。相変わらず寝癖がひどい。

「お早う、絵里。今日は晴れとーよ」
「ホント?じゃあ、絶好のデート日和だね!」

絵里は嬉しそうに笑い、ベッドから降りた。
毛布がばさりと床に落ちて、下から彼女の裸体がのぞく。もう見慣れたはずなのに、顔が紅潮してさっと視線を外した。
所々に赤黒い痕が残っていて、れいなは頭を掻いた。絵里のせっかくの白い肌になんてことをしているのだろうと苦笑する。

「絵里、シャワー浴びるやろ?」
「うん。れーなも入ろ?」

彼女の言葉に思わず「はい?」と返した。
絵里は笑ったままこちらを向くと、手を伸ばし、強引にれいなの腕を引っ張った。容赦なんてしない。

「いっしょにシャワーしてー、そのままデートっ!」
「いやいやいやいや、ひとりで入りぃよ」
「やーだー。いっしょがいーのー」

れいなは絵里の誘いをやんわりと断るが、絵里はそんなこと聞かない。
気付けば脱衣場まで連れてこられ、手慣れた仕草でれいなのボタンを外し始めた。本当に目が見えないのだろうかと疑うほどだ。
彼女の行動にれいなは観念し、絵里のするがまま、ただボーっと突っ立っていた。
絵里はするすると手を下げ、最後のボタンを外す。れいなもそれに合わせてシャツを脱いだ。
改めて、絵里の胸と自分のを比較する。やっぱり、自分の方が絵里より小さい。どう頑張っても変わらない。ムカつく。いや別に良いんだけど。

「れーなぁ」

絵里はそう言うと、ぱくっとれいなの肩口に噛みついた。
歯を立てずに、甘噛み。はむはむとなんどか噛んだあと、ちゅーっと吸う。
至近距離になって彼女の胸が当たる。柔らかくて、心地良い。絵里の手が背中から腰に降りる。ぞくぞくと震える。
ああ、もう、可愛い。絵里が可愛すぎて、困る。どうしよう。ダメ?

「んっ……えっひぃ…」

肩に噛みついていた絵里がひょいと顔を上げてそう言った。
艶っぽい声の理由は、たぶん、れいなが絵里の胸元を触って、撫でて、揉んでいるから。
絵里は壁に背中を預け、腰に回した腕を引き寄せた。求められるままにキスをする。甘くて、すぐに溶けてしまう。

「んっ…ふっ……」

少しだけ強めに、彼女の体を押しつける。背中が壁に当たって痛いのか、体を捩る。
舌を交わしながらも、右手を動かすことはやめない。朝っぱらからなにをしているのだろうと思う。昨日もあれだけシたくせに。
そうは思っても止まらない。理性を破壊させるほどの魅力を持つ絵里が悪い。ということにしておく。
そもそも誘ったのは絵里の方だ。やっぱりれいなは悪くない。と、また言い訳を付け足しておく。

「ふぁっ…れ、れーなぁ……デートはぁ…?」
「まだ朝やし、時間あるから」
「で、でもっ…ん!」

すぐ傍にいるのに、欲しくなる。独占欲が体中を締め付けて離さない。
ずっと渇いているようだから、どうか、潤して。絵里のその、すべてで―――


 -------


「ふぁっ!あ、あっあ、、っ!」

体が冷えてしまわないように、40度程度のシャワーを流しながら、絵里を壁際に立たせて攻め立てた。
割とひどいことをしている気もするけれど、もう止められないし、止める気もない。
狭い浴室に絵里の嬌声が響く。とろとろに蕩けた絵里の中を掻き回すと、絵里はれいなの肩に爪を立てて、激しく髪を振った。
がくがくと膝が震え、立っていることもままならない。

「れーなぁっ!あ、んっ!あぁっ、ん、あっ!」

硬くなっている胸の突起に噛みつき、転がし、舐め上げる。お湯と汗と、れいなの唾液で体中が濡れる。
絵里はれいなの頭を抱え込み、後頭部を掴む。もっともっとと催促されている気がした。
右手は既に絵里の愛液でびしょびしょに濡れていたが、構わずに最奥を突く。親指で外側の蕾を押すと、絵里は大きく体を反らす。

「はぁっ!ん、んっ!れーなっ!れーなぁっ!」

そういえば、絵里と出逢ったその日に、れいなは此処で、自らを慰めたっけと思い起こした。
あの日は、まさか彼女とこんな関係になるなんて思わなかった。彼女とふたりでいっしょにいられるだけで、奇蹟なんだと気付いた。

「絵里…絵里、好き…絵里」

切なげに、彼女の名を呼んだ。
絵里がそこにいることを確かめるように、なんどもなんども、奥を突いて、掻き出して、狂わせる。
どれだけ求めても、近くにいても、足りない。想いが胸に溢れて、自分の制御が利かなくなる。

「んっ、あっ!絵里も、好きっ…あ、あぁっ!れーなぁっ!」

濡れそぼったそこはれいなの指を強く締めつけた。
ぐっぐっと押し付け、指を曲げて引っ掻く。絵里の襞が指に絡みつき、彼女は「あああぁっ!」と天井を仰いで達した。
震えながら彼女はぐったりと体をれいなに任せてくる。
れいなは絵里を抱きかかえ、ぺたりとタイルに腰を下ろした。お湯で濡れた髪を撫でてやる。艶めかしくて、ぞくぞくする。

「はぁっ…っ……ばかぁ」
「気持ち、良かったやろ?」
「そうだけどぉ」

絵里は呼吸を整えることをやめ、れいなの口元に噛みついた。
すぐに唇を探り当て、貪る。ああ、そんなことすると、また消えかかった焔が滾りそうで困る。
れいなは絵里のキスに応えながら、ゆっくりと左手を腰に回した。


 -------


噴水が真ん中にあり、周囲に数本の木があるだけの殺風景な公園は、れいなのお気に入りの場所だった。
以前此処に来たときは、高校生らしきふたり組の女の子が噴水で遊んでいたけれど、今日はだれもいない。
文字通り貸切で、れいなは嬉しくなる。

「ひゃっくしょん!」

瞬間、隣に立っていた彼女がくしゃみをした。
くしゃみにしては「ひゃっくしょん」なんて、言葉を発したようにも聞こえた。
なにを言ってるのだろうと思わず笑うと、絵里は鼻を啜りながら「むぅ」とこれ見よがしに頬を膨らませた。

「寒かったの!笑うなぁ!」
「もう春やのに…花粉症やっちゃないと?」
「れーながずーっと絵里を裸にしておいたせいだぁ……」

絵里の言い分を聞かずにれいなはくすくすと小馬鹿にするように笑う。
彼女の頭を撫でながら空を仰いだ。はらはらと桜が舞っている。もうすぐ4月になる。世間は入学式シーズンだ。
出逢いと別れ。春はそういう季節だ。
絵里と最初に出逢ったのは、雨の降る初夏の日だった。
あれからもうすぐ1年が経とうとしていることに気付く。
1年前は、彼女とこんな関係になっているなんて、思わなかった。
初めて出逢ったあの夜、れいなは絵里に恋をした。その想いは、当初、彼女を傷つけるだけになってしまったけれど。
それでもいっしょに居たかった。ふたりで、この空の下を、ずっと歩いて行きたいと思った。この広い、光の射す、世界を。

「いい香りがするー」

思考の海に入りかけたとき、絵里の声に顔を上げた。
彼女は両手を広げて胸いっぱいに空気を吸い込んだ。春の風が優しく髪を撫でる。
透明感のある彼女は、まるでそのまま世界に溶けていきそうで、それが切なくて、美しい。
思わず手を伸ばして、絵里を引き留めようとする。消えるなと言いたい指先が震えた。

「れーな」

絵里の声に、れいなは掴もうとした腕を下ろした。
「うん?」と優しく返すと、彼女はこう言った。

「…いいよ、写真、撮っても」

絵里が不意に口にした言葉に、れいなは逆に、言葉を失くした。
彼女はくるりと振り返って笑いかけた。髪がふわりと舞って、春風によく似合う。
視線は相変わらず絡まない。それでも絵里は間違いなく、れいなを捉えている。

「れーなに、撮ってほしいの」

真っ直ぐな瞳が、れいなを射抜く。
過去の蓋を開けてしまったあの日のことが、頭をよぎる。
背負ってきた過去が重くて、目の前にあるはずの見えない未来が怖い。
それでもれいなは、愛佳と約束した。彼女が撮影した、公園での絵里の写真。日を浴びて柔らかく笑う彼女は、やっぱり綺麗だった。
だからこそ、絵里と同じ未来を歩くために、一歩踏み出そうと決めたのだ。


―――「好きな人くらい、ちゃんと護れ」


ただ、護っていきたいと思った。
過去も、未来も、そしていま、目の前にいる絵里を。

「ちょっとだけ、メイク、直そっか」

れいなは絵里の頬に手をかけるとそう囁いた。
伝わってきた淡い水色に思わず絵里は嬉しそうに頷く。れいなは鞄の中から自分のポーチを取り出した。


 -------


カメラを真っ直ぐに構える。
ファインダーの向こうに絵里が背を向けて立っている。
シャッターを押す指が震える。まだ力が入らない。

「じゃ、絵里、いくよ?」

自分に言い聞かせるように呟く。
絵里もまたゆっくりと頷いた。
ファインダーを覗きこむ。小さな世界に彼女が入り込む。
いつだったか、奥多摩の森の中で出逢った彼女を思い出す。あの日の彼女はとても、とても綺麗だった。
震える指先でシャッターを押した。
切り取られた風景。ぴくっと震えた彼女の肩。風が流れ、髪が靡く。
れいなは絵里に手を伸ばしながら、つづけてシャッターを切る。
小気味良い音と同時に、世界が呼吸を止める。

「緊張、しとる?」

ファインダーから目を外し、絵里に問いかける。
彼女はくるりと振り返ると申し訳なさそうに笑った。

「ちょびっと……」

指先で隙間をつくってそう話す絵里に、れいなは肩を竦めて笑った。
絵里に近づいて頭を撫でてやる。先日染め直したばかりの淡い栗色の髪が綺麗だった。

「自然体でいいっちゃよ。だれもおらんし、気にせんで」
「うん…がんばる」
「がんばらんでよか」

そうだ、別に仕事じゃないのだし、普通で良いんだ。絵里が絵里であることが分かれば、それ以上のものはない。
れいなは鼻歌交じりに再びファインダーを覗きこんだ。
モデルの魅力を引きだすには、まずカメラマンの自分が「己」を曝け出す必要がある。
れいなはワイシャツのボタンを上からふたつまで外した。太陽に照らされてネックレスが光る。

風が流れた直後、シャッターを切った。
絵里は一瞬顔をこわばらせたが、流れる風に身を任せるように目を閉じた。
春の吐息を感じながら両手を広げる。胸いっぱいに空気を吸い込んだ彼女は、漸く、笑った。

―かわいかー……

初めて彼女を撮影した日のことが浮かんだ。
いつものスタジオに立った絵里は、憂いや哀しみを纏い、ひとりの女性になっていった。
でも、今日の彼女は、あの日の彼女とは違う。彼女は、ひとりの女性であり、普通の女の子であり、亀井絵里であった。

そうだ。これが彼女なんだ。
衣装で着飾ったり、派手なメイクをする必要はない。
すべての重荷を下ろし、自分の好きな服を風にはためかせた彼女が、亀井絵里なんだ。

「れーな」

ふと、ファインダーの向こうで彼女が名前を呼んだ。
シャッターを切る手をふと止めて、カメラから目を離す。
真っ直ぐに、彼女と正対すると、彼女はニコッと笑ってこちらに手を伸ばした。

「れーな」

もういちど、名前が呼ばれた。
彼女がなにを求めていたのか、れいなは最後まで分からなかった。
けれど、れいなは花に誘われた蝶のように、真っ直ぐに絵里に左手を伸ばし返した。
カメラを持つ右手が、震える。
れいなはしっかりと絵里の右手を握りしめた。絡められた指先が、温かい。絵里は此処に居るのだと、しっかり、認識する。

「絵里」

天から射し込んできた光に照らされ、大地を流れる風に揺られ、絵里はこの場所で、笑っている。
彼女は―――絵里は、とても、とても綺麗だった。
れいなはカメラから手を離し、絵里の手を取る。そして走りだした。心地良い春の風を頬に当てながら、高鳴った鼓動を誤魔化すように、走る。
彼女は驚いたような声を上げたが、すぐにれいなに合わせるように脚を動かした。

「れーなぁ!速いよぉー」
「これでもクラスで遅い方やったっちゃけどね!」

春は、不思議だ。
出逢いと、別れと、たくさんの想いを抱えて、なにかが始まりそうな予感を携えている。
だかられいなは、春が好きだ。

れいなと絵里はくるくる回りながら、笑う。
公園に溢れ返る、鮮やかな水色。
そして、微かに感じる、あの日、海で見た、夕陽のオレンジ色。
ふたつが淡く重なって、ひとつの世界を形成する。
水色とオレンジ色。それは紛れもなく、何処までも遠くに広がった空の色だった。

ただ静かで、穏やかで、陽射しが眩しい、優しい春の午後が舞い降りる。

ああ、この瞬間がずっとずっと、ずっとつづけば良いって、そう、願った。



だから、れいなも、絵里も、この日のデートを、ずっとずっと、忘れることはなかった。





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