「―――今日はいっしょに学校行けないけど、放課後、教室で待ってて……なにこれ?」

朝、いつもの時間に起きた香音は、彼からのメールを眉を顰めて読んだ。
ほんの6時間ほど前、彼には「誕生日おめでとう」とメールを送ったばかりだが、そのときは特になにも言っていなかった。
今朝起きた途端に受信したメールに首を傾げるが、香音はボサボサの髪のままリビングへと向かった。


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いっしょに学校に行けない、という言葉には、ふたつの意味がある。
「遅刻するから先に行ってて」と「用事があるから先に行くよ」、である。
香音が教室に着いたとき、彼のカバンは既に机上にあったから、てっきり後者なのだと思ったが、朝のSHRになっても彼は姿を見せなかった。
それどころか、1時限目になっても現れない彼に、香音はいよいよ眉を顰めた。
カバンはあるし、今朝のメールを見る限り、欠席ではないだろう。
早めに学校に来てなんらかの用事を済ませたあと、体調不良にでもなって保健室で寝ているのだろうか。あの元気が取り柄の変態やんちゃ坊主が?
頭の中をいろいろな妄想、もとい想像が駆け巡るが、結局どれも良い答えには結びつかず、渋々教科書を開いた。

1時限目も、そして2時限目も姿を現さない彼をそろそろ心配しだした香音は、休み時間に保健室へと向かった。
「出張中」というプレートが掲げてある扉を開ける。もちろん、保健教諭はいない。
カーテンが閉められたベッドがひとつある。
やっぱり彼だろうかと、香音はその名を呼ぼうとしたとき、カーテンが開いた。

「おー、香音ちゃんお早う」
「あ、お早うございます……って、なにしてるんですか」

香音に挨拶した彼は、高等部のかめい君だった。
とてつもなく嫌な予感がするが、果たしてその予感は当たる。カーテンの向こうから、れいなも気まずそうにひょいっと顔を出した。

「だって保健のせんせーいなかったからさー。ついついお邪魔しちゃうよね」
「いらんこと言わんと!」

れいなが少しだけ怒りながらかめい君の頭を叩いた。
ああ、こんな場面、できることなら見たくなかったと思いながら、香音は「お邪魔しました」と足早に立ち去った。
肩を落としながら廊下を歩き、ため息をつく。
かめい君とれいながそういう関係であることは周知だし、そういう行為をしているのだろうということも、とっくに知っていた。
だが、実際、授業をさぼってまでそういう行為をすることが香音には理解できない。
そもそも学校だよ、ココ。

「分かんないなー……」

自分だったら、到底、そんなことできない。
妙に真面目であることが取り柄だし、そういう感情を持つ相手がまだ現れていないし。
逆に言えば、授業なんて放り出してまで、いっしょに居たいと想う相手が現れれば、私もあのふたりのようになるのだろうか。
いや、もしそうだとしても学校でキス以上のことはできないなー、たぶん。
え、ってことはキスはしちゃうわけ?しないしない!絶対しない!

そんなことをひとりで悶々と考えている彼女が、学校の校舎裏でキスをするのは、もっともっともっと先のこと……かもしれない。


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結局、彼は1日中顔を見せなかった。
昼休みにいつものように屋上で生田君や聖とお弁当を食べたときに、なにか聞いてる?って訊ねたけれど、ふたりとも首を振るだけだった。
1日丸々サボるってどういうことよと思いながら、香音は帰りのHRを受けていた。
担任からの連絡事項を聞きつつ、彼の席に目をやる。朝よりもずいぶんと賑やかになった机上に苦笑した。
彼が学校に来ていることは分かるものの、なかなか帰ってこないことを知った女子生徒たちは、彼の席にプレゼントを置いて行った。
それがひとつ・ふたつの話ではなく、10、20と増えていき、いまではもう机から溢れんばかりにプレゼントが置かれている。
さすが中等部を代表するイケメンだこと、と香音があくびを噛み殺すのと、学級委員の「起立」という号令がかかったのはほぼ同時だった。

挨拶のあと、教室は一気に騒がしくなる。
クラスメートたちは部活へ行ったり、そのまま帰ったり、果ては彼の机上のプレゼントを写メで撮ったりと、さまざまな行動をとる。
用事がないし、帰ろうと思った香音だったが、ふいに朝のメールを思い出した。
あのメールによると、どうやら自分は待っていなくてはいけないらしい。
面倒くさいことこの上ないが、そこで黙って帰れないあたりが、自分がお人好しと言われる所以かもしれない。
香音はまたため息をつき、カバンから今日配布された宿題のプリントを広げた。
どうせ数学は苦手だし、さっさと終わらせようとシャーペンを握った。


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放課後になっても、彼にプレゼントを渡しに来る生徒は絶えなかった。
高等部のたかーし君はバレンタインデーに631個のチョコレートを貰ったらしいが、彼も負けてはいないのではないかと思う。
「今日休み?」、「帰ってきた?」と聞かれるたびに「分からない」、「ごめん、知らないんだ」と香音は答えた。
いい加減にそれも飽きてきたころ、すっかり人はいなくなり、オレンジの夕陽が教室に射し込んできた。
もうすぐ18時を回ろうとする時計を睨みながら、カバンに入れていたケータイを取り出した。
相変わらず、メールも着信もなし。教室には香音と、大量のプレゼントしか残っていない。ひっきりなしにやって来たプレゼント軍団ももういない。
さすがに帰って良いかなと香音が立ち上がると、コンコンと音がした。
ん?と音のする方を見た瞬間、香音は「うわあああ!」と叫んだ。

「な、な、なななななな!?」

香音は震えながらも人差し指で窓を指す。
そこにいたのは、長い髪を垂らし、逆さ吊りになった鞘師君その人だった。
彼は飄々と笑いながら体を揺らしつつ、窓をコンコンと叩く。
声は聞こえにくいが、「開けて。鍵。開けて」と繰り返しているようだ。
なにがどうなっているのか理解しがたかったが、香音はとにかく鞘師君に指示されるまま、窓の鍵を開けた。

「っとと……相変わらず女の子らしく悲鳴じゃのぉ、香音ちゃんは」
「なっ!てかなにしてんの!バカじゃないの!」
「バカとはなんじゃ。曲芸と言ってくれ」

鞘師君は窓枠に手をかけると、そのまま体を強引に教室へと滑り込ませた。
腰に結んであったロープを解きながら、「意外とこれ頑丈じゃのぉ」と笑った。

「どっから降りてきたの?!」

この教室は2階。上からやって来たとなると、必然的に限られる解答だが、鞘師君はあっさりと「屋上」と答えた。

「今日はずっと学校中うろついとって、さっきは屋上にいたんじゃ。人がおらんくなるのを見計らって降りてきたんじゃが、カッコ良いじゃろ?」
「な、なんでロープ命綱にしてたのよ!普通に階段で降りろよ!てかなんでずっと屋上にいたの!」
「一個ずつ答えるから、そう興奮せんでほしいのぉ……」

鞘師君は大袈裟に耳を塞ぐと、自分の席に歩く。
積み重ねられたプレゼントに「あー……」と苦々しく声を出し、腰ベルトに挟んであった紙袋を広げた。

「階段で降りてきたら、見つかるかもしれんじゃろ?」
「え?」
「見つかりたくなかったんじゃ。今日1日、香音ちゃん以外、だれにも」

彼の言っている意味がイマイチ理解できなかった。
見つかりたくない?だれにも?今日は、今日は1年に1回だけの、彼の誕生日だというのに?

「このプレゼント、いちいち貰うのが鬱陶しかったんじゃ」
「はぁ?」
「たかーし先輩より少ないけど、バレンタインで懲りたからの。お返しだけで破産するし、かと言って断るのもなんじゃし……」
「だからずっと屋上にいたわけ?」
「直接受け取らんければ、お返しの必要はないけぇの」

その言い方に、香音は少しだけちくりと胸が痛んだ。
彼女の気配を敏感に感じ取ったのか、鞘師君はプレゼントを紙袋に入れる手を止めて「嫌な奴じゃと思った?」と笑いかけた。
切れ長の奥二重の目が、真っ直ぐに香音を捉える。その眼差しを向けられると、頷く力さえもなくなる。

「……じゃあなんで、私に待ってて、なんて言ったの?」
「香音ちゃんにだけは、分かってほしかったから。じゃ、ダメかの?」

そうして鞘師君は、また笑った。
少しだけ寂しそうな瞳に見つめられる。開け放した窓から初夏の風が吹く。
梅雨を連れてくる、じめっとした風が、それでも清々しく、鞘師君と香音の髪を揺らして通り過ぎていく。
ふたりの間に流れる一瞬の沈黙を先に破ったのは鞘師君だった。
彼はくるりと踵を向け、またプレゼントを入れ始めた。
それにしてもずいぶんな量があるものだ。何人が彼に「おめでとう」と言いたかったのだろうと香音は思う。

「ワシは、ひとりで充分じゃ」
「……え?」
「追い駆けるのは好きじゃけど、追い駆けられるのはひとりで充分なんじゃ」

それ、どういう意味?と香音が聞き返すより先に、彼はプレゼントをすべて、紙袋ふたつ分に詰め終えた。
「やっとカバンとご対面じゃー」とわざとらしく笑った彼は、紙袋とそれを両手に持った。
再び、初夏の風が吹く。後ろでひとつに結んだ香音の髪を撫でた風は、やっぱり爽やかだった。
香音はぎゅうと自分のカバンを握り締める。

「香音ちゃんはくれんのけ?」

鞘師君の言葉に対し、香音はハッとした。
思考に入りかけた自分を叱咤するように「その中に混ざってんじゃない?」と冷たく返すと、鞘師君は「それはない」と即座に否定した。


「香音ちゃんは、僕と違って、ひねくれてないけぇの」


彼の言葉は、時折とても重く感じる。
普段はだれにでも「可愛い」だの「好き」だのと薄っぺらい言葉を吐くくせに。
絆されたのか、溺れたのか、迷ったのか、分からない。
だけど香音は、そんな彼の姿に、嵌っていく。抜け出せない、複雑に絡んだ迷路のように、彼にのめり込んでいく。
ただの幼馴染で、元気が取り柄の変態やんちゃバカ。
それだけのはずなのに、放っておけないし、放っておかれたくない。

「帰るよ」

香音はすべての想いにフタをするように言葉を発した。
まだ、この感情の名前を彼女は知らない。知らないからこそ、フタをする。開けてしまって、戻れなくなることが、怖いのかもしれない。
鞘師君も素直に彼女に従い、「ハイハイ」と答え、紙袋を持ち直す。すると、香音はそのひとつを手にした。
「お?」と顔を上げたのも束の間、香音はいつものように、ポニーテールを揺らしながら鞘師君の前を歩く。

「待ってよ香音ちゃん」

そして彼もまた、いつものように楽しそうに彼女の名を呼んだ。
香音は困ったように、だけど何処か嬉しそうに眉を下げ、その三日月の目をこちらに向けて笑った。
ふたりは仲良く、廊下を歩く。階段を下りて、靴箱へ行き、そこにたまっていたプレゼントを回収した。

「モテモテっていうのも大変なんだね」
「嫉妬する?」
「……キミのバカさ加減に呆れてるんだろうね」

靴箱をあとにし、部活動生が片付けを始めている校庭を歩く。
影がぐーんと伸びて、ふたりがひとつに重なるような跡になっていた。
そんな痕跡にふたりは気付くことなく、校門まで歩いた。

「で、プレゼントは?」
「あげない」
「えー。それはないんじゃ、香音ちゃん」

鞘師君をからかうように、香音は笑う。連られて鞘師君も、また笑う。
夕陽に照らされ、影が伸びる。ふたりの想いがきちんと重なるのは、やっぱりもう少し先のこと……かもしれない。


そして、鞘師君が屋上で寝ている間にみちしげ君がその寝顔を大量に盗撮していたことに気付くのは、もっと先のこと……ではなく、気付かない。





鞘師君生誕記念 僕がキミを追い駆けるように、キミも僕を追い駆けて おわり
 

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