鞘師里保がトイレから戻ってくると、派手なクラッカー音に出迎えられた。
なにが起きたのか一瞬把握できなかったが、カウンターに座っている彼女が「おめでと〜」と声を上げたことで漸く理解した。
そっか、今日だったんだと里保は肩を竦めた。

「もー。りほりほが教えてくれないからさゆみプレゼントなんにも買ってないじゃん!」
「だれから、聞いたんですか?」
「もちろん、フクちゃんと香音ちゃんだよ」

名を呼ばれたバーテンふたりは、道重さゆみのクラッカーを回収し、いたずらっ子のように笑った。
そりゃそうだ。いまこのバーにいる人の中で、私の誕生日を知っているのは、このふたりしかいない。

「なんで教えてくれなかったの?」

さゆみにそう訊ねられながら、里保は椅子に座る。
飲みかけのバドワイザーに口付けながら「深い意味はないですよ」と返した。
もちろん、そんな答えでさゆみが納得するわけもなく、「なーんーでーよー」と里保の体をゆすり始めた。
これがあの美人モデルの道重さゆみの真の姿だとは、一般読者は信じないだろうなと里保は思う。

「教えてくれないと、さゆみ3杯目頼んじゃうぞ」
「御自由にどうぞ。明日はお休みですし」

里保が軽くあしらうと、さゆみは不貞腐れたように頬を膨らませ、メニューを開いた。
カウンターの中に立った聖はクラッシュアイスのを入れたグラスにウィスキーを注ぎ、レモンを落とした。
そして「里保ちゃん」と名を呼び、「おめでと」と傾けた。里保も促されるままにグラスを持ち、傾ける。
くいっとお互いに酒を呷った。少しだけ温くなったバドワイザーは苦味が増して、あまり美味しくない。
さゆみの次のオーダーとともになにか頼もうと、里保は棚に並べられた酒瓶を見つめた。

「フクちゃんテキトーにつくってくれる?」
「うーん……さっぱり系と甘い系と、どっちが良いですか?」
「じゃあ、さっぱりしたの」

さゆみがメニューを閉じてそういうと、聖はひとつ頭を下げ、踵を返した。
思い出したように「里保ちゃんは?」と訊ねられたので、里保は「じゃあ、道重さんと同じの」と呟く。
あれ。ホントは同じものを頼むつもりなかったんだけどな、と思ったが、頼み直すのも億劫だったので、そのままにする。
どうしたのだろう、連日の勤務で思考するのも疲れているのだろうか。

「眠い?」

右隣のさゆみにそう聞かれ、里保は首を振った。
長い髪が揺れる。前髪が目にかかって、鬱陶しい。そろそろ切ろうか。

「最近忙しいもんね」
「……道重さんの方が、疲れてますよね?」
「そうでもないよ。忙しいってイイことだし、お仕事できるのは、りほりほたちのおかげだし」

さゆみと里保しかいない店内に、ふたりの声はよく響く。
いつの間にか、カウンターの中には香音もいて、バーテンがふたりでカクテルをつくっていた。
赤い制服を着た衛兵のボトルをひょいと持ち、ジガーに注ぐ。あのボトルは、何処かで見たことあるなぁと里保は思った。
聖と香音は同時にシェーカーを持ち、シェイクし始めた。

小気味良い音が響く中、ふと、記憶が邂逅する。
里保は助手席に座り、運転席の男を見ていた。男は軽くハンドルを切りながら、なにかを里保に話している。
男は、父親なのか、それとも義父なのか、里保にはよく分からない。
とにかく、窮屈な格好をしていることはなんとなく覚えている。たぶん、よそ行きの服だ。男もスーツを着ている。
ああ、そっか。これ、もう何年も前の誕生日の記憶だ。

「遠慮するんですよね、誕生日って」

意識しないうちに、里保はそう言葉を発していた。
隣のさゆみは、聖たちのつくるカクテルから目を離し、「うん?」と里保に問いかける。
別に、こんな話をするつもりもなかったが、もう口をついた言葉は戻らない。それどころか、勝手に滑り出て止まらない。
私、酔ってるのかな?まだ2杯しか飲んでないのに。

「お義父さんが、連れて行ってくれるんです、外に。少しだけ高そうなお店を予約してくれるんです」
「りほりほの、誕生日に?」
「でも、お義父さんも私も、少しだけ、遠慮するんです。誕生日だけは。どうしても」

義父に引き取られて、もうずいぶんと長い年月が過ぎた。
里保は義父のことを、本当の父親、またはそれ以上に慕っている。だが、「誕生日」だけは、どうしても、違和感を覚える。
自分とは血の繋がりがない義父にとって、今日は本当に祝祭の日なのだろうかと。「おめでとう」と笑顔で笑う日なのだろうかと。
その違和感は年々強くなり、里保は数年前から、自分の誕生日を家で過ごすことをしなくなった。
義父もそれを感じ取っているのか、「おめでとう」と直接顔を見て言うことはなくなった。
自分の誕生日を忘れたい、とまで思ったことはないが、どうしても、素直に祝えない自分がいる。

「お待たせしました」

ふと、里保とさゆみの前にカクテルが差し出された。
聖がさゆみに、香音が里保に、それぞれグラスを出す。

「ギムレットです。少しだけ、ライムの香りを強く出しています」

さゆみは「なにとなにで混ぜてるの?」と訊ねた。
香音はカウンターから、「ビーフィータージンです」と先ほどのボトルを取り出した。

「ジンとフレッシュライムジュースで、アルコール度数は高めですけど、柑橘系のさっぱりした風味が味わえます」

そうか、先ほど見た赤い制服の衛兵のボトルは、ビーフィーターかと思い当たる。
そんな里保の思考を遮るように、さゆみは「ほら、りほりほ」と促した。
里保も素直にグラスを持つ。

「で、キミはいくつになったの?」
「……21ですけど」
「そっか。じゃあ、あと80回くらいお祝いできそうだね」

その言葉に思わず「は?」と言い返した。
おおよそ、マネージャーがタレントに言う言葉ではないが、さゆみは構わずにつづけた。

「これから80回、さゆみがりほりほの誕生日をお祝いするの。毎年、毎年、すっごい楽しい思い出つくろっ」
「なに、を……」
「今年はこのバーでしょ。来年はさゆみの地元でお祝いする?そして再来年は…あ、海外とか行こっか」

この人は、なにを言っているのだろうと、里保は思った。
誕生日を毎年祝う?楽しい思い出をつくる?さゆみが、里保のために?どうして?

「過去は消せないけどさ。未来は明るく出来るじゃん」

さゆみは視線を落とし、ギムレットのグラスをくるくると回した。
中に入った半透明のカクテルが揺れる。それに合わせるようにライムの香りが鼻腔をくすぐった。
ああ、なんて、爽やかなんだろうと里保は思う。

「さゆみがりほりほの誕生日を、毎年、華やかに、楽しくお祝いしてあげるの」

彼女はそういうと、「おめでと、21歳」とグラスを傾けた。
里保はなにも返すことができず、ただ黙ってグラスを持ったまま、彼女の瞳を見つめた。
どうしてか、なぜなのか、里保はなにひとつ理解できなかった。
どうしてさゆみはいつも、里保の心を揺さぶる言葉を持っているのだろう。どうしていつも、欲しいと思っている想いをくれるのだろう。

「道重さん……」
「うん?」

さゆみはギムレットに口付けた。
ジンの苦みを纏ったライムが、すっと喉に入っていく。

「ありがとう、ございます」

里保はそれだけ言うと、ショートグラスを一気に呷った。
量が少ないとはいえ、一気飲みして良いアルコール度数の高さではないが、構わない。
焼けるような痛みはないものの、急にくらりと酔いが回る。頭が鈍く叩かれるような感覚が残った。

「おめでとう、りほりほ」

さゆみは目を細め、そんな里保を優しく見つめた。
半分以上残っているグラスを傾け、ゆっくりと喉を潤していく。
やっぱり爽やかな香りが里保を包み込んでいて、それでも苦みが確かに残っていて、なんだかどうして良いか分からなくなる。
絆されるように、がっくりと頭を落とし、聞こえるか聞こえないかの声で「好きです―――」と呟いた。
すると、即座に里保の頬がさゆみの両手に包まれる。
くいっと顔を上げさせられ、彼女と見つめ合った。

「ちゃんとさゆみの目を見て云ってくれなきゃイヤ」

その大きな黒い瞳に、里保は捉えられた。
彼女の指が頬や顎に当たり、ぞくぞくする。全てを云ってしまいたい欲求に駆られた。
だが、それでも里保は挑戦的に笑い、「二度と言いません」と目を伏せた。

「むぅ……ケチ」

さゆみはあっさりと里保を解放すると、残ったギムレットを飲み切った。
少しだけ不貞腐れながら席を立ち、トイレへと歩く。

「カッコつけ」
「うっさい」

彼女の姿がトイレへ消えるのと、香音からチェイサーを渡されたのはほぼ同時だった。
微かに滲んだ涙を拭い、ぐいっとそれを呷ると、聖は何処か嬉しそうに「おめでと、里保ちゃん」と微笑んだ。





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