聖とイチャイチャするため!
それが生田君の行動原理だった。

ここしばらく、生田君は聖とイチャイチャしていなかった。
というかできなかった。
聖からの接触禁止令もあったし、それが解禁されたとも知らずにひとりで悶々としていたのもあったし。
で、良い雰囲気になったかと思いきや生田君が疲労のあまり寝てしまって不発に終わったこともあったし。

それ以外にも理由はある。
勝手に生田君が意識しているせいかもしれないが、最近の聖はやたら、生田君以外の奴らと仲が良い。
佐藤君との距離が近いのはまあ彼の性格上仕方ないけれど、工藤君ともベタベタするし、幼馴染だからって鞘師君ともいっしょにいるし。
可愛い可愛いと言って亜佑美ちゃんや香音ちゃんと手を繋いだり腕を組んだりと……キリがない。
こんなことで嫉妬する自分は情けなくて器が小さいとも理解しているけど、走り出した思考は止まらない。

というわけで、そんな現状を打破すべく、彼は自らを鍛え抜かんと夜な夜な走り込んでいた。
音楽を聴きながら短く息を吐き、道を刻んでいく。
白の吐息が夜の闇に消える。星がいくつも瞬き、冷たい夜風が心地良い。

そんな彼には最近ハマっている曲がある。
隣のクラスのチームが踊るダンス演目なのだが、ある女の子がケガをしたため、
一時的に亜佑美が代打することになったので、生田君もよく覚えていた。

 
―――言葉で言うんじゃなくて、もうちょっと近づいて


亜佑美が踊っている姿を、生田君も何度か見たことがあった。
学園祭で鞘師君たちと踊ることになっているフラメンコと並行してダンスを覚えることになって苦労していたが、
曲が始まると纏う色が変わり、真っ直ぐになにかを見据えてリズムを刻む姿は、女の子だけどカッコ良いと思った。


―――イジワルしないで、抱きしめてよ。情熱の女神


だからその延長でこの曲も好きになったのだけど、オレなら迷わず、抱きしめるっちゃけどな。といつも思う。
オレやったら、いじわるなんかせんで、聖のこと、すぐに―――

「ワンッワンッ!」

犬に吠えられた。
うっさい、オレは聖のために体を鍛えると。

「ん―――り――ぽーん」

ほら、聖の幻聴までするし。
曲聴きながら走っとーと。邪魔せんで。
オレは最終的に聖といろんなプレイをするために体を鍛え―――

「ギャワンッ!!」

直後、背中に衝撃を受けた。
スピードに乗っていた生田君は、後方からの新たな衝撃に耐えきれず、べちゃりと情けなく地面とお友達になった。

「いってぇ!!なんすっとか!こん、バカ犬!!」
「ぐるぅぅぅ〜!ワン!!」

背中に圧し掛かってきた犬を払いのける。
威嚇してくるこの犬。何処かで見覚えがあった。あれ、この犬って……と思考していると「クララ!」と彼女の声がした。

「ダメだよクララー」
「って聖ぃ?!」
「もー。えりぽんずーっと呼んでたのに、ちっとも気付かないんだもん」

聖は白っぽいジャージを羽織り、左手にリード、右手に小さなカバンとスコップを持っていた。
なぜ聖が此処に?と生田君は一瞬困惑したが、彼女の格好と自分の背中に乗ってきた犬がクララだと知り、散歩中だったのかと気付いた。
譜久村家の愛犬であるパピヨンの「クララ」は「ふぁ〜」と大あくびをかまし、聖の元へと戻った。
尻尾パタパタ。よちよち歩く姿は可愛いのだけれど、やっぱり憎たらしく思う。

「イテテ……相変わらずオレはクララに嫌われとーっちゃね…」
「ごめんね。えりぽん全然気付いてくれないから、クララに先回りしてもらおうと思ったんだけど…」

聖は申し訳なく言いながら、クララの首輪にリードを繋いだ。
自由を奪われたクララは、そんなことちっともお構いなしに聖の足元にすり寄った。
実に飼い主に従順な犬だと思う。だからこそ、オレのことが嫌いっちゃろーけどさ。
生田君はジャージに付いた埃を払いながら「聖さ」と訊ねた。

「聖、いっつもこんな時間に散歩しよーと?」

現在夜の20時過ぎ。犬の散歩は構わないが、特にいまは日の入りが早い冬の時期。女の子がひとりで出歩くにしては遅すぎる時間だ。
それを咎められるのが分かっていたのか、聖は曖昧に笑ってみせた。

「今日はたまたまだよ」
「たまたま?」
「いつもはにぃに……お兄ちゃんが散歩連れてくんだけど、風邪引いちゃったから、聖が代理」

聖はそれだけ言うと、生田君の視線から逃げるようにクララを連れて歩き出した。
生田君もそれ以上彼女にとやかく言いたくなくて、黙ってその横を歩いた。

「散歩コースって決まっとーと?」
「うん、一応はね」
「そっか」
「あ、えりぽん付き合ってくれるの?」
「女の子ひとりで、こんな夜遅く危ないやろ」
「ふふ。ありがと」

そんな会話を交わしたあと、なんとなく言葉が繋がらなくなった。
生田君は深く息を吐いて天を仰いだ。
いつも以上に星が瞬く夜だ。夜風が耳や頬を突き刺してチクチク痛む。
なんとなく、心までも痛むような気がした。
別にケンカしたわけでもないのだけれど、妙な空間が生まれる。
沈黙が気まずい関係なわけじゃない。そうじゃなくて。そうじゃなくて―――

「あ、えりぽん、公園寄るね」

唐突に耳に入った言葉に、生田君はなにも返せずに視線だけ送った。
クララは走り出し、聖もまた、早足で公園へと消えていく。彼女の少しだけ明るい茶髪が夜の闇に映えた。
冬風に靡いた髪に思わず手を伸ばすが、それはするりと指先を通り過ぎていった。
空を掴んだ手がひどく情けなくて、そっとポケットに仕舞い込む。そのまま生田君は、彼女を追い駆けた。

冬の公園はひどく寂しかった。
ブランコがきいきい揺れて、中央にある滑り台が妙な威圧感を持ってそびえ立っている。
子どもたちはあの滑り台をロケットと呼んでいる。実際この公園の名前は「ロケット公園」だから間違ってはいない。
ただ、夜にアレを見るとちょっと怖いなあと思ってしまう。
聖はそんなこと気にも留めずに園内に入り、だれもいないことを確認して、リードを外した。
また自由になれて嬉しいのか、クララは一目散に駆け出した。
吠えないところを見ると、ちゃんと躾されているのだと分かる。その上で生田君に吠えるあたり、相当嫌いやっちゃなと改めて理解する。
どうも負の方向に思考が走りがちで、生田君は短く息を吐いてベンチに座った。

「なんか、ごめんね」

生田君の隣に腰を下ろすなり、聖はそう言った。

「付き合わせちゃってるよね、聖。だいじょうぶ、もうすぐ帰るから」
「いや、オレは全然そんな気ないけん!」

慌てて取り繕ったものの、聖はまた曖昧に笑うだけだった。
聖のこの笑顔が、生田君は好きになれなかった。
嫌いではない。だけど、なにかを覆い隠したような、真実を見えなくしてしまうような、女の子特有の秘密の笑顔が、苦手だった。
そんな空気を察したのか、「えりぽんはさ」と彼女は話題を変えた。

「なんで、走ってるの?」
「えっ…あ、あー……うん、まあ…体力づくり?」
「ふふ、なにそれ」
「んー……いろいろ」

まさか聖とさまざまなプレイがしたいため、なんて下心丸出しの答えは言えないので誤魔化した。
ポケットに両手を突っ込んで星を眺めた。黒い空に消えそうな星が、ひとつ・ふたつ・みっつと浮かぶ。今夜は妙に雲が多い。
はぁと靄のかかった息を吐き、それが静かに馴染んで消えていった。ああ、冬だ。今夜は特に、冷える。
唐突に亜佑美の踊っていた姿が浮かぶ。リズムを正確に刻み、それでいて指先にまで神経を注いで柔らかく踊る、彼女の姿が。

「あの滑り台にね、この前、すっごい綺麗な人たちがいたの」

思考の海に入りかけた生田君を呼び戻した声に首を傾げた。
聖は公園の中央にある大きな滑り台に目をやる。過去を思い出すように目を細める姿が妙に大人びていた。
ひとり言のような、想いを紡ぐような声に、なんて返すべきか悩み、そして結局黙っていた。

「この前、って言ってももう3ヶ月くらい前なんだけどね。花火大会があった日。
 すっごい切なそうな感じで。ちょっと黙って見とれちゃった」
「……カップル?」
「分かんない。ふたりとも女の人っぽかったけど。髪長かったし。あんまり長く観とくのもあれだしと思って、帰っちゃったけど」

そのあとも、聖はなにかを話していた。
「ふたりの空気が切なくて優しかった」なんて何処の小説の一節だと思うけど、生田君はその話を聞く気にはなれなかった。
また女の子の話か、とツッコミを入れるのは野暮だとは分かっている。分かっているけど、今日は妙に心がざわつく。
聖が自分以外の人の話をすることさえ、許せなくなる。ああ、小っちゃい。心が狭い。ナローだ、narrow。あれ、綴りあっとーっけ?

「でね、その人っ―――!」

気付いたとき、生田君は彼女を押し倒していた。
そのまま強引に唇を奪う。
冬の空気にさらされていたのに、聖の唇は潤っていた。その潤いをさらに満たすように、生田君はべろんと舌を這わせる。

「んっ…!ん、んっ……」

唇を舐め回すと同時に、彼女の胸に手を這わせた。
突然の刺激に聖はビクッと体を強張らせるが、生田君は気にも留めずにジャージの上から手に余るほどの乳房を揉みし抱く。

「んっ…ん、あっ……やっ…えりぽん…」

口の端から漏れる声すら逃さぬように、キスにキスを重ねた。
苛立ちと焦燥と、とてつもない嫉妬が全身を包み込む。
これまで触れられなかった聖に、自分以外にだれかが触れることが許せない。
いまの生田君にとって、この冬の空気ですら、嫉妬の対象だった。空気の分際で聖の真白い肌に、頬に、唇に、触れるな。

「あっ!や…ん……えりぽっ……こ、ここでっ?」
「………ダメ?」
「だ、ダメっていうか……あっ!」
「聖がおっきい声出さんかったらだいじょうぶやって」

なにがだいじょうぶなのか、自分でもよく分かっていない。だが生田君はもう自分を止められない。
嫉妬が身を焦がす前に、彼女を抱きしめたかった。
もしここで出来ないのならば、この炎を消してほしい。焼き尽くしてしまうほどの、嫉妬の炎を。


―――ジョロジョロ〜


生田君が聖のジャージの中に手を滑り込ませたときだった。
なんとも情けない音とともに、生田君の脚が生温かくなっていく。

「ぬぅああああああああ!?」

結果、生田君の脚、脹脛から足首にかけてクララの小便がかけられていた。

「オレの脚は電柱じゃないと!!!」
「こっ…こら、クララ!!」

数秒前の「聖がおっきい声出さんかったらだいじょうぶやって」なんてセリフは何処へやら、
堪忍袋の緒が切れたのか、犬相手に思い切り怒鳴りつけた。
クララはマーキングを終えてすっきりしたのか、「うぁぁ〜」と大あくびをかまし、彼の怒りなど気にも留めない。
飼い主である聖もさすがに叱りつけるが、それにさえ動じない。
威厳を見せる必要がある聖は、クララの両脚を持ち上げ、「ダメでしょ!」と目を真っ直ぐに見て叱りつけた。
それはいままでに見たこともない剣幕で、さすがにクララもひくっと反応した。

「あーーちくしょー!!」

聖の飼い主としての説教を尻目に、生田君はベンチから水飲み場まで駆け出した。
冬の風が全身を突き刺すのもお構いなしに蛇口を捻り、膝下を冷水で洗い流した。

「つべてえええ!!」

自分でもやかましいと思っちゃいるが、叫ばずにはいられない。
もう最悪だ。聖とイチャイチャしようと思ったら嫉妬の炎が立ち込めて、
焦って先走った結果が犬にマーキングされ、良いことはひとつもない。
ガクガクと冷気が全身を包み込んだところで蛇口を閉じた。
ああ、くそ。嫉妬の炎の消し方、全然違うやろと、生田君はジャージの裾を絞った。お気に入りのランニングシューズもびしょ濡れだ。
聖はといえば、クララを散々しかりつけたあと、眉を下げてこちらを見ていた。
目が「だいじょうぶ?」と語っていたけれど、それに笑って返事をするほどの力は残されていなかった。
生田君は深く深くため息を零し、「帰ろっか」と言葉を吐いた。


 -------


月が照らす道を、聖の家までほぼ無言でふたりは歩いた。
なにかを話すべきだったのだろうけど、気の利いた言葉はたったのひとつも出てこなかった。
門扉の前で生田君は立ち止まり、「じゃ、オレ帰るけん」と呟いた。
漸く出てきた言葉がお別れの挨拶なんて、情けないことこの上ない。

「うん……えりぽん、ホントにごめんね。ねぇ、やっぱりうちでシャワー浴びて…」
「いい。もう、帰るけん」

聖の誘いを、生田君は断った。
些細な積み重ねだ。怒りとか哀しみとか嫉妬とか。
こういうときに限って佐藤君や工藤君と談笑している聖の姿ばかりが浮かんでしまう。
なんだかもう、今日は一刻も早く帰りたかった。聖の顔をこれ以上見ているのが、ツラい。

「じゃ、聖。また、明日」

生田君はそれだけ言うと踵を返した。
聖の返事は喉にへばり付いて出てこず、代わりにその腕へと左手を伸ばした。
が、指先がジャージを掠めただけで、彼の腕を掴むことはなかったし、彼もまた、彼女の指先に気付くことはなかった。
行き場を失くした左手が情けなく宙に浮かんでいたが、聖はそれをポケットにしまおうとはしなかった。
そのまま彼が曲がり角に消えていくまで、ずっとその背を見つめ、左手を宙浮かばせていた。

生田君の姿が消え、右手に持ったリードがひょいと動いた。
ふと我に返ると、リードの先のクララが心配そうにご主人を見つめている。
真ん丸な瞳には、不安と、少しの罪悪感が浮かんでいる気がして、聖は困ったように笑い、抱きかかえてやった。

「……自分だって、亜佑美ちゃんやさくらちゃんと仲良いくせにね」

ちょっとだけ意地悪に、ちょっとだけ切なく呟いた想いは冬の風とともに消えていった。

星がひとつ・ふたつとその輝きを増し、冬の夜は寒波の中で静かに静かに佇む。
何処までも広がる暗い雲が、鎮座していた月を静かに隠していった。





イジワルしないで抱きしめてよ おわり



(63-393)イジワルしないで抱きしめてよの続き
 

ノノ*^ー^) 検索

メンバーのみ編集できます