里保は喫茶店のテーブルに書類を広げ、コーヒーを飲みながらそれらに目を通していた。
……これは来週の予定、これは経理に回して、これはチーフマネージャーと相談……
「頑張ってるね、りほりほ」
里保の向かいの席には、さゆみが紅茶を前に、両手で頬杖をついて里保を眺めていた。
「……これが仕事ですから」
さゆみの微笑みながらの視線から逃れるように、コーヒーを飲み干した。
そこにちょうどウエイトレスが通りかかったので、おかわりを注文することにした。
「すみません、ブレンド一つ」
「はい、ただいま」
ウエイトレスは空になったカップを下げ、厨房へと入っていく。
「……もー、コーヒーばっかり飲んで」
さゆみが呆れたように言う。
「目が覚めるから良いんです」
 ̄ ̄ ̄ ̄今日は朝早くからの撮影があった。
さゆみのマネージャーである里保は当然さゆみより早く起きて送迎しなくてはいけないから、寝ることが至福の里保は、少し寝不足だった。
そこへさっきのウエイトレスがやって来て、里保の側にコーヒーの入ったカップを置いた。
砂糖もミルクも入れずにそれを啜る。
「で・マネージャーさん。午後からのお仕事は?」
さゆみの言葉にコーヒーを飲むのを止めて手帳をめくる。
「はい。週刊誌のインタビューがありますが、その前に、雑誌の撮影で『モデル同士のヘアアレンジ企画』です。
道重さんの相手をするのは……」
里保はさゆみの後輩であるモデルの名前を告げる。
告げられた名前に、さゆみは納得したように、
「あぁ、あの子ね。特技がヘアアレンジ、ってプロフィール欄に載ってたし」
と言った。
「何回か一緒にお仕事もされてますよね」
「うん。小柄だけれど、仕事の飲み込みは早いから、やりやすい子だよ。それに、さゆみのことすっごく好きみたいだからね」
その言葉に、里保の胸がチクリと痛んだ。
「……そうですね」
少し俯いて、再びコーヒーを啜る。
「でも、」
そこで言葉を区切って、さゆみは紅茶をスプーンでクルクル回す。
「さゆみが好きなのはりほりほだけだからね」
コーヒーを吹き出しそうになって、必死に堪える。テーブルには重要な書類を広げているのだから、汚したら大変だ。
なんとか飲み込んで、カップをソーサーに置く。
「……道重さん、急にそんなこと言うのは止めてください」
「なんか、言いたくなったからね」
恥ずかしさと嬉しさがごちゃ混ぜになった感情が里保の胸を支配する。
その感情を消すように、再びカップを取って、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
先ほどのウエイトレスが再びこちらにやって来たので、里保は呼び止める。
「すみませんブレンド……」
「じゃなくてカフェオレを一つお願いします」
里保の言葉を遮りさゆみが注文する。
「カフェオレを一つ、承りました」
ウエイトレスは伝票に書き付けて去って行く。
「道重さん?」
「ブラックばかり飲んでたら胃に悪いよ。ね?」
微笑まれながらそう諭され、里保は何も言えなかった。
カフェオレが運ばれてくる間、さゆみが手を伸ばし、
「ヘアアレンジの企画を見せて」
と言うので、書類を一枚渡す。
そこには、さゆみの相手をするモデルの写真も載っており、それを見ながら、
「あー、前より髪を切ったんだ、この子」
と呟いて、どんなヘアアレンジにしよっかなー、と楽しげに書類を見ている。
さゆみがあれこれ考えている間に注文された品が運ばれる。
里保はそれに口をつける。 ̄ ̄ ̄ ̄コーヒーの刺激とは違う、さゆみのように優しい味がした。
里保たち二人がスタジオの撮影場に入ると、後輩のモデルは既に来ていた。
後輩は目敏くさゆみを見つけ、駆け寄ってくる。それを笑いながら見つめるさゆみ。
「今日はよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします! 道重さんをすっごく可愛くしますから!」
興奮気味に言う後輩に、苦笑いで、
「お手柔らかにね」
と返す。
モデルの二人が喋っているのを、里保は無言で見守る。
そうこうしているうちに撮影の準備が出来たらしい、スタッフの「それでは始めまーす」の声が現場に響く。
先ずはさゆみから後輩をアレンジする。
「上手くできるかなぁ、失敗したらごめんね」
などと不安になりそうなことを言うが、椅子に座った後輩は笑顔で、
「道重さんがしてくれるなら、どんな髪型でも問題ないです!」
元気にそう返す。
コームで梳いてからカールアイロンを温めて、毛先から三分の二の辺りから先を少しずつ内側に巻いていく。
「後ろは全体的に内側にして、サイドはそのままで……」
笑顔ながらも真剣にアレンジしていくさゆみ、とそれを眩しいフラッシュで撮影するカメラマン。
「前髪もするから目をつぶってね」
はい! と元気よく素直に目を閉じるモデル。
前髪も内側に巻いて、さゆみは体を引いて全体をチェックする。
「うん、出来上がり」
後輩は目を開け、早速自分の髪型を鏡で見る。
「ちょっとレトロなアレンジだけれど似合ってると思うよ」
鏡を見ていたモデルは、感激したように、
「わあ! 自分がすごく可愛い!」
黄色い声を上げる。
その言葉にさゆみからもスタッフからも笑い声が上がった。
「なに言ってんの。もともと可愛いじゃない」
「道重さん、わたし今日はこの髪型のまま帰ります! すっごい嬉しいです!」
「そんなに気に入ってくれたの?」
「はい!」
後輩の即答に、さゆみも嬉しそうな笑顔を見せる。
続いて、後輩がさゆみのヘアアレンジをする番になった。
椅子に座るさゆみを、後輩は少し背伸びをしながらブラシで梳く。
「大丈夫?」
と声をかけると、
「全く問題無いです! うわー道重さんの髪をアレンジできるなんて夢みたいです」
嬉々とした声が返ってきた。
後輩が丁寧に髪を梳いていく様を見て、
(いいなぁ……)
と、いつしか羨望の目で見ていたことに里保は気付いた。
邪念を追い払うように頭を振ると、近くにいたスタッフが「どうかしましたか?」と心配げに聞いてきたので、
「いえ、なんでも……」と、お茶を濁した。
「スプレーで固めないで、チビゴムをいくつか使って……」
さゆみの頭部斜め上辺りを、髪の毛を傷めないようにしながら縛っていく。
「道重さんて髪も綺麗なんですねぇ」
後輩は手を休めないながらも、髪に夢中になったかのような声を出す。
「あはは、ありがと」
さゆみが笑って答えていると、チビゴムで縛った部分にピンクのカラーゴムで更に縛って髪を固定させた。
「これで完了?」
「いいえ、もう片方もです!」
そう言って反対側に回り、同じような動きを行う。その間にもカメラのフラッシュはたかれていく。
後輩は器用にさゆみの髪を固定させ、一度体を離してバランスを確認してから、満足そうに、
「出来ました!」
と答えた。
用意されていた、大きめの手鏡で自分の髪型を見るさゆみ。
「ねえ、これ、さゆみには可愛すぎない?」
「そんなことないですよ! むしろ道重さんだからこそお似合いです! 名付けて『ウサちゃんヘアー』です!」
嬉々と言う後輩に、
「ウサちゃん、て……こう?」
はにかみながら、両手でウサギの耳のようにピースしてみせた。
「きゃー! 今のすっごく可愛かったです! カメラマンさん撮ってくれましたか!?」
狂喜している後輩に、カメラマンも笑顔で「ばっちり撮ったよ」と答えた。
里保はというと。
さゆみの髪型にすっかり見惚れていた。
 ̄ ̄ ̄ ̄いわゆる『ウサちゃんヘアー』ではにかみながらピースした姿が網膜に貼り付いて離れない。
赤くなった顔を隠す為に、口元を手で覆い、空咳してみた。
その後も撮影は順調に行われ、モデル同士でくっついたり、小物を使ってみたりと、
色んなポーズを取り、そして無数のシャッターが押された。
スタッフの「お疲れ様でしたー!」という声が響いて、撮影は終了した。
後輩のモデルはさゆみの手を取って、笑顔で一緒に撮影できた御礼を述べていた。
控え室に戻るさゆみの後を、里保はついていく。
控え室に入り、ドアを閉めたところで、
「お疲れ様です」
里保は声をかけた。
「んー特に疲れていないよ。楽しかったし」
言いながらさゆみは鏡の前の椅子に座り、髪のゴムを外しにかかる。
「髪型、戻しちゃうんですか?」
つい、思ったことをそのまま口に出してしまう。
里保の疑問にさゆみは苦笑いで、
「やっぱりちょっと恥ずかしいし。この髪型で次のお仕事行くのも……ね」
可愛いのにもったいないですよ、そんな思いがあったが、今度は口から出ないように出来た。
そんな里保の胸中なぞ知らないさゆみは、するするとゴムを外していく。
「あー。やっぱり跡が残ってうねっちゃってるや」
鏡の自分を見て、呟くさゆみ。と。くるり、と里保の方を向いて。
「ね、りほりほ。髪を直してくれる?」
ガキン、と里保の体が強張った。
「直すって……どうやってですか?」
乾いた口から必死に言葉を紡ぐ。
「そこのウォータースプレーを使って髪を梳いてくれるだけでいいの」
自分不器用ですよ、とか、プロの方に直してもらった方が、とか、
ご自分で直せませんか、とか、色んな言い訳が頭の中を巡る。
が、里保の口から出た言葉は、
「……変になっても責任持てませんよ」
という、同意の言葉だった。
ぎこちない手つきでウォータースプレーを取ってさゆみの髪にプッシュしていく。
程よく湿ったところでコームを持ち、ゆっくりと梳き始める。
「りほりほ、上手じゃん」
「そんなこと、ないですよ……」
楽しそうなさゆみの声とは対比して、里保の声は緊張で硬くなっている。
丹念に梳いても、一度ももつれることのない、さゆみの髪。
さっきの後輩のモデルが言うように、確かにさゆみは髪の先まで美しかった。
突然。ふふ、と笑い出すさゆみ。
「どうかしましたか?」
「実はね、今りほりほに髪を触ってもらって、凄く嬉しいの」
「……」
「凄く、嬉しい」
 ̄ ̄ ̄ ̄里保は言葉が出なかった。
そんな嬉しいこと言わないでください、そのたった一言がどうしても言えなかった。
 ̄ ̄ ̄ ̄どうしてこの人に自分の心はこんなにも揺さぶられるのだろう。
里保は集中するふりをして、ただ髪を梳き続けた……。
…………。
そこで目が覚めた。
さゆみは、自分が目尻からこめかみにかけて涙を流していることに気がついた。
いつも、こうだ。 ̄ ̄ ̄ ̄あの子の夢を見るたびに自分は泣いている。
体を起こし時計を見ると午前4時を指している、起きるにはまだ早すぎる時間だったが、
あの子への想いが溢れていて、とてももう一度寝る気にはなれなかった。
「『彼は大切な物を奪っていきました。 ̄ ̄ ̄ ̄それは貴女の心です』……確かそんな感じだったよね」
有名なアニメ映画の科白をうろ覚えで呟いてみる。
そして、自分自身を笑うかのように顔を歪ませた。
彼女に心を奪われたままの自分。
 ̄ ̄ ̄ ̄姿が見たい。 ̄ ̄ ̄ ̄声が聞きたい。 ̄ ̄ ̄ ̄触れたい、触れてほしい。
どうしてあの頃は、あの時間がずっと続くと思っていたのだろう。
 ̄ ̄ ̄ ̄あの子の立場を考えたら、そんなこと、あるわけ無かったのに。
どこにいても、たとえ夢の中でも、あの子を想ってしまう。
奪われた心。
返してほしいなんて思っていない、むしろずっと奪われたままでいい。
だから。
一つワガママを言わせて。
「ねえ……さゆみに笑いかけて?」
瞼を閉じてみる。
 ̄ ̄ ̄ ̄そこにも彼女の笑顔は見つからなかった……。
光射す場所への設定で他人が書いてみたよ編3 了
……これは来週の予定、これは経理に回して、これはチーフマネージャーと相談……
「頑張ってるね、りほりほ」
里保の向かいの席には、さゆみが紅茶を前に、両手で頬杖をついて里保を眺めていた。
「……これが仕事ですから」
さゆみの微笑みながらの視線から逃れるように、コーヒーを飲み干した。
そこにちょうどウエイトレスが通りかかったので、おかわりを注文することにした。
「すみません、ブレンド一つ」
「はい、ただいま」
ウエイトレスは空になったカップを下げ、厨房へと入っていく。
「……もー、コーヒーばっかり飲んで」
さゆみが呆れたように言う。
「目が覚めるから良いんです」
 ̄ ̄ ̄ ̄今日は朝早くからの撮影があった。
さゆみのマネージャーである里保は当然さゆみより早く起きて送迎しなくてはいけないから、寝ることが至福の里保は、少し寝不足だった。
そこへさっきのウエイトレスがやって来て、里保の側にコーヒーの入ったカップを置いた。
砂糖もミルクも入れずにそれを啜る。
「で・マネージャーさん。午後からのお仕事は?」
さゆみの言葉にコーヒーを飲むのを止めて手帳をめくる。
「はい。週刊誌のインタビューがありますが、その前に、雑誌の撮影で『モデル同士のヘアアレンジ企画』です。
道重さんの相手をするのは……」
里保はさゆみの後輩であるモデルの名前を告げる。
告げられた名前に、さゆみは納得したように、
「あぁ、あの子ね。特技がヘアアレンジ、ってプロフィール欄に載ってたし」
と言った。
「何回か一緒にお仕事もされてますよね」
「うん。小柄だけれど、仕事の飲み込みは早いから、やりやすい子だよ。それに、さゆみのことすっごく好きみたいだからね」
その言葉に、里保の胸がチクリと痛んだ。
「……そうですね」
少し俯いて、再びコーヒーを啜る。
「でも、」
そこで言葉を区切って、さゆみは紅茶をスプーンでクルクル回す。
「さゆみが好きなのはりほりほだけだからね」
コーヒーを吹き出しそうになって、必死に堪える。テーブルには重要な書類を広げているのだから、汚したら大変だ。
なんとか飲み込んで、カップをソーサーに置く。
「……道重さん、急にそんなこと言うのは止めてください」
「なんか、言いたくなったからね」
恥ずかしさと嬉しさがごちゃ混ぜになった感情が里保の胸を支配する。
その感情を消すように、再びカップを取って、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
先ほどのウエイトレスが再びこちらにやって来たので、里保は呼び止める。
「すみませんブレンド……」
「じゃなくてカフェオレを一つお願いします」
里保の言葉を遮りさゆみが注文する。
「カフェオレを一つ、承りました」
ウエイトレスは伝票に書き付けて去って行く。
「道重さん?」
「ブラックばかり飲んでたら胃に悪いよ。ね?」
微笑まれながらそう諭され、里保は何も言えなかった。
カフェオレが運ばれてくる間、さゆみが手を伸ばし、
「ヘアアレンジの企画を見せて」
と言うので、書類を一枚渡す。
そこには、さゆみの相手をするモデルの写真も載っており、それを見ながら、
「あー、前より髪を切ったんだ、この子」
と呟いて、どんなヘアアレンジにしよっかなー、と楽しげに書類を見ている。
さゆみがあれこれ考えている間に注文された品が運ばれる。
里保はそれに口をつける。 ̄ ̄ ̄ ̄コーヒーの刺激とは違う、さゆみのように優しい味がした。
里保たち二人がスタジオの撮影場に入ると、後輩のモデルは既に来ていた。
後輩は目敏くさゆみを見つけ、駆け寄ってくる。それを笑いながら見つめるさゆみ。
「今日はよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします! 道重さんをすっごく可愛くしますから!」
興奮気味に言う後輩に、苦笑いで、
「お手柔らかにね」
と返す。
モデルの二人が喋っているのを、里保は無言で見守る。
そうこうしているうちに撮影の準備が出来たらしい、スタッフの「それでは始めまーす」の声が現場に響く。
先ずはさゆみから後輩をアレンジする。
「上手くできるかなぁ、失敗したらごめんね」
などと不安になりそうなことを言うが、椅子に座った後輩は笑顔で、
「道重さんがしてくれるなら、どんな髪型でも問題ないです!」
元気にそう返す。
コームで梳いてからカールアイロンを温めて、毛先から三分の二の辺りから先を少しずつ内側に巻いていく。
「後ろは全体的に内側にして、サイドはそのままで……」
笑顔ながらも真剣にアレンジしていくさゆみ、とそれを眩しいフラッシュで撮影するカメラマン。
「前髪もするから目をつぶってね」
はい! と元気よく素直に目を閉じるモデル。
前髪も内側に巻いて、さゆみは体を引いて全体をチェックする。
「うん、出来上がり」
後輩は目を開け、早速自分の髪型を鏡で見る。
「ちょっとレトロなアレンジだけれど似合ってると思うよ」
鏡を見ていたモデルは、感激したように、
「わあ! 自分がすごく可愛い!」
黄色い声を上げる。
その言葉にさゆみからもスタッフからも笑い声が上がった。
「なに言ってんの。もともと可愛いじゃない」
「道重さん、わたし今日はこの髪型のまま帰ります! すっごい嬉しいです!」
「そんなに気に入ってくれたの?」
「はい!」
後輩の即答に、さゆみも嬉しそうな笑顔を見せる。
続いて、後輩がさゆみのヘアアレンジをする番になった。
椅子に座るさゆみを、後輩は少し背伸びをしながらブラシで梳く。
「大丈夫?」
と声をかけると、
「全く問題無いです! うわー道重さんの髪をアレンジできるなんて夢みたいです」
嬉々とした声が返ってきた。
後輩が丁寧に髪を梳いていく様を見て、
(いいなぁ……)
と、いつしか羨望の目で見ていたことに里保は気付いた。
邪念を追い払うように頭を振ると、近くにいたスタッフが「どうかしましたか?」と心配げに聞いてきたので、
「いえ、なんでも……」と、お茶を濁した。
「スプレーで固めないで、チビゴムをいくつか使って……」
さゆみの頭部斜め上辺りを、髪の毛を傷めないようにしながら縛っていく。
「道重さんて髪も綺麗なんですねぇ」
後輩は手を休めないながらも、髪に夢中になったかのような声を出す。
「あはは、ありがと」
さゆみが笑って答えていると、チビゴムで縛った部分にピンクのカラーゴムで更に縛って髪を固定させた。
「これで完了?」
「いいえ、もう片方もです!」
そう言って反対側に回り、同じような動きを行う。その間にもカメラのフラッシュはたかれていく。
後輩は器用にさゆみの髪を固定させ、一度体を離してバランスを確認してから、満足そうに、
「出来ました!」
と答えた。
用意されていた、大きめの手鏡で自分の髪型を見るさゆみ。
「ねえ、これ、さゆみには可愛すぎない?」
「そんなことないですよ! むしろ道重さんだからこそお似合いです! 名付けて『ウサちゃんヘアー』です!」
嬉々と言う後輩に、
「ウサちゃん、て……こう?」
はにかみながら、両手でウサギの耳のようにピースしてみせた。
「きゃー! 今のすっごく可愛かったです! カメラマンさん撮ってくれましたか!?」
狂喜している後輩に、カメラマンも笑顔で「ばっちり撮ったよ」と答えた。
里保はというと。
さゆみの髪型にすっかり見惚れていた。
 ̄ ̄ ̄ ̄いわゆる『ウサちゃんヘアー』ではにかみながらピースした姿が網膜に貼り付いて離れない。
赤くなった顔を隠す為に、口元を手で覆い、空咳してみた。
その後も撮影は順調に行われ、モデル同士でくっついたり、小物を使ってみたりと、
色んなポーズを取り、そして無数のシャッターが押された。
スタッフの「お疲れ様でしたー!」という声が響いて、撮影は終了した。
後輩のモデルはさゆみの手を取って、笑顔で一緒に撮影できた御礼を述べていた。
控え室に戻るさゆみの後を、里保はついていく。
控え室に入り、ドアを閉めたところで、
「お疲れ様です」
里保は声をかけた。
「んー特に疲れていないよ。楽しかったし」
言いながらさゆみは鏡の前の椅子に座り、髪のゴムを外しにかかる。
「髪型、戻しちゃうんですか?」
つい、思ったことをそのまま口に出してしまう。
里保の疑問にさゆみは苦笑いで、
「やっぱりちょっと恥ずかしいし。この髪型で次のお仕事行くのも……ね」
可愛いのにもったいないですよ、そんな思いがあったが、今度は口から出ないように出来た。
そんな里保の胸中なぞ知らないさゆみは、するするとゴムを外していく。
「あー。やっぱり跡が残ってうねっちゃってるや」
鏡の自分を見て、呟くさゆみ。と。くるり、と里保の方を向いて。
「ね、りほりほ。髪を直してくれる?」
ガキン、と里保の体が強張った。
「直すって……どうやってですか?」
乾いた口から必死に言葉を紡ぐ。
「そこのウォータースプレーを使って髪を梳いてくれるだけでいいの」
自分不器用ですよ、とか、プロの方に直してもらった方が、とか、
ご自分で直せませんか、とか、色んな言い訳が頭の中を巡る。
が、里保の口から出た言葉は、
「……変になっても責任持てませんよ」
という、同意の言葉だった。
ぎこちない手つきでウォータースプレーを取ってさゆみの髪にプッシュしていく。
程よく湿ったところでコームを持ち、ゆっくりと梳き始める。
「りほりほ、上手じゃん」
「そんなこと、ないですよ……」
楽しそうなさゆみの声とは対比して、里保の声は緊張で硬くなっている。
丹念に梳いても、一度ももつれることのない、さゆみの髪。
さっきの後輩のモデルが言うように、確かにさゆみは髪の先まで美しかった。
突然。ふふ、と笑い出すさゆみ。
「どうかしましたか?」
「実はね、今りほりほに髪を触ってもらって、凄く嬉しいの」
「……」
「凄く、嬉しい」
 ̄ ̄ ̄ ̄里保は言葉が出なかった。
そんな嬉しいこと言わないでください、そのたった一言がどうしても言えなかった。
 ̄ ̄ ̄ ̄どうしてこの人に自分の心はこんなにも揺さぶられるのだろう。
里保は集中するふりをして、ただ髪を梳き続けた……。
…………。
そこで目が覚めた。
さゆみは、自分が目尻からこめかみにかけて涙を流していることに気がついた。
いつも、こうだ。 ̄ ̄ ̄ ̄あの子の夢を見るたびに自分は泣いている。
体を起こし時計を見ると午前4時を指している、起きるにはまだ早すぎる時間だったが、
あの子への想いが溢れていて、とてももう一度寝る気にはなれなかった。
「『彼は大切な物を奪っていきました。 ̄ ̄ ̄ ̄それは貴女の心です』……確かそんな感じだったよね」
有名なアニメ映画の科白をうろ覚えで呟いてみる。
そして、自分自身を笑うかのように顔を歪ませた。
彼女に心を奪われたままの自分。
 ̄ ̄ ̄ ̄姿が見たい。 ̄ ̄ ̄ ̄声が聞きたい。 ̄ ̄ ̄ ̄触れたい、触れてほしい。
どうしてあの頃は、あの時間がずっと続くと思っていたのだろう。
 ̄ ̄ ̄ ̄あの子の立場を考えたら、そんなこと、あるわけ無かったのに。
どこにいても、たとえ夢の中でも、あの子を想ってしまう。
奪われた心。
返してほしいなんて思っていない、むしろずっと奪われたままでいい。
だから。
一つワガママを言わせて。
「ねえ……さゆみに笑いかけて?」
瞼を閉じてみる。
 ̄ ̄ ̄ ̄そこにも彼女の笑顔は見つからなかった……。
光射す場所への設定で他人が書いてみたよ編3 了
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