「ここまでやな…」

冬季オリンピックが終わって、1か月ぐらいたったころ、尾形クンは大病院の診察室である有名なスポーツドクターの前に座り、
詳しい説明を聞きながら検査結果の画面を真剣な視線で見ていたが小さな声でつぶやいた。
その後ろでは野中ちゃんが泣きそうな表情で尾形クンの横に立っている。
 
診察後、二人は無言のまま病院を後にし、マンションまで帰ってきた。

「まあ、いつかはこういう日が来ることはわかっていたことやし、春水はオリンピックの前から覚悟はしていたけど、現実になるとやっぱりさみしいもんやな…」
「春水ちゃん…」
「お、おい!野中氏!!」

意外と冷静な尾形クンに対し、野中ちゃんは今にも泣きそうな表情である。

「尾形YO!野中を泣かせるんじゃないYO!」
「吉澤さん!」

今ままで我慢してきたのだろう…酒瓶を担いだまま急に現れた吉澤にいきなり抱き着いて泣き出してしまった。



その日の夜。急に男子・女子LINEに吉澤さんからの連絡が同時に流れ、田中家のれいなクンとさゆみさんは慌ててスマホを手にする。

「吉澤さんからの絶対命令ちゃよ!これから吉澤さんの部屋に集合なんて無理!」

と、ぶつぶつ文句を言いながら玄関を出ると、若さで一番乗りをした加賀クンが吉澤さんの玄関の前に立っていた。

「吉澤さん!加賀楓ただいま参りました。」
「加賀YO!お前尾形を抱けYO!」
「んぁ!」

その場にいたれいなクンやさゆみさんはもとより、急いで駆け付けた男性陣が見事に固まってしまった。
 




数か月後の6月に入ってから、吉澤さんのとんでもない人脈と尾形クンのスケートの人脈で、
オリンピックメダリストやトップ選手によるファンへの感謝祭という格好でアイスショーが実現した。

・・・・・・

アナウンサー
「次は尾形選手ですね。ファンの方々を楽しませるために何やら色々と計画をしているようですか…
 あれ?出てきたのはポニーテールでスカートの恰好ですよね。女子選手のようですが、誰でしょうか?……」
 
氷上に現れた選手はポニーテールをし、薄水色のふわっとした衣装を身に着けて、スカートをはいている。
誰だろうと、観客席はざわついていたが、それを無視して選手はスタンバイを始める。

「愛・を・く・だ・さ・い…」

ハンドフリーのマイクを付けた選手は顔を上げ、音楽もなく歌い始める。その声で今氷上にいる人が尾形選手だと観客席も分かったようだ。

「わぉ!」

それと同時に赤い服を着た加賀クンがいつの間にか敷かれていた赤いカーペットを走ってくる。
それと同時に野中氏による生ピアノによる『Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜』が会場に流れ出すと尾形選手もスケーティングを始めた。

・・・・・・

その少し前のこと…

「これでいいんじゃないでしょうか?氷上という舞台なので、宝塚の娘役をイメージしてみたのですが…」
「尾形って、色白だから意外と似合っているの…」

控室ではマンションの女性陣が寄って集って尾形クンに化粧を施していたが、小田さんが最後の仕上げした後、みんなが集まってきて、しげしげと尾形クンの顔を見つめていた。
尾形クンは不安そうな表情だったか、鏡を手渡されて出来上がった顔をじっと見つめていた。その横から野中さんものぞき込む。
 
「これがうち?意外とべっぴんさんやん!」
「春水ちゃんにちょっぴり…No!かなりjealousyです!」

この日のために作ってもらった初めて着る女子選手用の衣装を着て、しっかり胸まで再現し丁寧に形を整えると、マンション住人に立ち上がってお披露目をする。
そして、ある人の方に相対した。

「ほら飯窪さん。春水の方がありますよ…胸!」

その最後の言葉と同時に尾形クンは飯窪さんに硬質のコルセットで思いっきりどつかれた。

「私、先にstandbyしてきますね。」

飯窪さんに思いっきりどつかれて、地面に倒れている尾形クンを冷たい目で見ながら、野中氏は控室を出て行ってしまった。

「いったい、この人は…」

野中さんを見送りながら、加賀クンは自分の準備が終わったところで、ここまでのことを思い出していた。

・・・・・・

吉澤さんに急遽呼び出されて、尾形クンを抱くように言われたとき、呆然としたが、その玄関では尾形クンが床に頭を打ち付けそうなぐらい土下座をしていた。
中に入ってから事情を聞いたとき、加賀クンは自分に務まるかと不安だったが、『約4分だけなら…』ということで引き受けたのだった。

二人で練習を始めた時、加賀クンは初めて自分の考えが甘かったことを痛感した。
それは練習場でもあるスケート場自体がなかなか取れず、いつも夜中に尾形クンの先輩や後輩でもあるトップスケート選手たちと合同の練習でのことだった。

尾形クンは加賀クンに『かえでぃーは音に合わせて軽く動いたり、飛び込んでくる春水のことを受け止めたり、投げてくれればいいから…』なんて言っていたけど、
加賀クンだって本格的なミュージカルまではいかなくても、舞台で歌ったり踊ったりしたことはあったので自信はあったし、少し前の舞台で身体を鍛え上げて、
さらに現在もそれを保っていたので、ほっそりしている尾形クンを受け止めるのも問題ないと思っていた。
ところが細かい打合せの後の初練習でそのハードさに加賀クンはへたばってしまったのだ。

「かえでぃー大丈夫か?」

リンクに特別に敷いてもらったカーペットの上でひっくり返ってしまった加賀クンに上からのぞき込む汗一つかいていない尾形クン。

「すみません。」
「ちょっと無理させ過ぎたかもしれんな…構成を少し変えようか。」

尾形クンは少し厳しい表情で考え始める。
それを申し訳なく思っていた加賀クンがじっと尾形クンを見つめていると、尾形クンその視線に気が付いて厳しい表情からいつもの目を細めて、ふにゃっとした笑顔を加賀クンに向けた。

「あの…尾形さん。僕が相手役というのはものすごく光栄なのですが、スケートに関してなら僕ではなくて他のどなたかの方がいいのではないでしょうか?」

これを聞いた尾形クンはいきなり氷の上で土下座をした。

「すまない!でもこんなことを頼めるのはかえでぃーしかおらんのや。
 そのスタイル、演技力、舞台度胸!かえでぃーならできると信じている。この春水の一生に一度のお願いを聞いてくれへんか?」

加賀クンは尾形クンのその誠実さ、金メダルを取るような一流アスリートが自分のような無名の舞台俳優に二回も土下座をするほど、ここまで買ってくれることに感激した。

・・・・・・

野中氏の演奏している曲もいよいよ山場に入る。加賀クンの周りを滑っていた尾形クンが加賀クンのそばに接近してくる。
こちらの演技も山場だ。自分のハンドフリーのマイクにこっそりスイッチを入れてから尾形クンの右手をとった。ここからは自分の専門だ。

『OH!心が痛むというのかい?』

セリフを言いながら尾形クン…いえ、春水ちゃんをくるくるっと数回回転させる。次はセリフを続けながら両手をつないで加賀クンの周りをまわる。
カーペットの部分は春水ちゃんが軽くジャンプすることで対応している。それを終えると春水ちゃんは両手を離して、少し離れた。
最大の山場のため、勢いが必要だったからだ。

『さあもう大丈夫、僕はここにいるよ…おいで、踊ろう!』

加賀クンのセリフで、ちょっと離れた春水ちゃんが全速力で滑ってくると、加賀クンはあくまでさりげなく手を伸ばすと、右手をがっちりとつかみ、素早く両腕で腰をささえた。
セリフの最後で、その勢いのまま全力で春水ちゃんを投げると、春水ちゃんは空中でほぼ5回転をして綺麗に着氷した。

そのあとの二人のステップは氷上とカーペットの上という違いはあれど、ぴったりとあっている。
加賀クンはこのステップは春水ちゃんが合わせてくれていることを十分に承知していた。
息を切らしていることがばれないように春水ちゃんを投げた後、素早くマイクのスイッチを切り演技に集中する。
観客も音楽に合わせて手拍子をしてくれていた。あともう少し!

最後、春水ちゃんはちょっと加賀クンから離れたかと思うと、またぐっと近づいてくる。
そして、春水ちゃんの腕をとり、優しくお姫様だっこをして、加賀クンの方からキスをするように見せかけた瞬間、あたりから黄色い悲鳴が聞こえてくる。


演奏の終了とともに、二人はお姫様抱っこをしたままポーズを決めた。
あたりは悲鳴に近い歓声と拍手が響き渡る。
加賀クンもやり切ったという表情で回りを見渡したが、一応…笑顔を見せている尾形クンの身体が異常に熱いことに気が付く。

『尾形さん、大丈夫ですか?』」
『うちは大丈夫。これであれができる…かえでぃーありがとう。』」

お互い小声でつぶやいたが、加賀クンはただ事ではないことに気が付いて、急いで引っ込むためわざと観客に見せつけるかのように再度キスをしたように見せかけた。

「「ありがとうございました!」」

そういって、加賀クンは春水ちゃんをお姫様抱っこしたまま、ファンの悲鳴のような黄色い声を背にして退場した。

 
「ねえ、楓!あれどういうこと?」
「すみません!尾形さんが!」

二人が裏に戻って来たところで演技を見ていた横山ちゃんが加賀クンに嫉妬して迫っていたが、加賀クンはそれを全く無視しそばにあった長椅子に尾形クンを寝かせた。
入ってきたときにおおよそのことは気が付いていたのだろう…香音さんが生田クンに命じて大きめのクーラーボックスを尾形クンのそばまで運んでもらった。

「なんですか?」
「ん?これ氷嚢。里保ちゃんのアイシング用の物。野中ちゃん、ごめんね。」

不思議そうな表情で見ている周りに対し、香音さんは手際よくクーラーボックスを開けると、中には大量の氷と氷が詰まっている数個の氷嚢がぎっちりはいっていた。
まず、額に手を当てて、発熱があることを確認すると、衣装を脱がしてアンダーウエアー姿にしてしまった。
その次は鞘師クンの経験から的確に処置をしていく。

「本当はもう休ませてあげたいんだけどね。アスリートってそろいもそろって頑固だからさ、尾形クンもまた出るんでしょ?ならばこちらもできることを補佐するしかできないじゃない?」
「すみません…」

そこに尾形クンのコーチとよくお世話になっている医師がそばに近づいてきた。

「尾形!まだやれるか?…なら痛み止めの注射を使おう。」

大会の時にいつもお世話になっている医師が尾形クンのそばに座ると、尾形クンは仰向けからなんとかうつ伏せの状態に動いた。それを野中ちゃんはサポートする。

注射が終わると、尾形クンは再び仰向けになり、息を整えるように深呼吸をしていた。
野中ちゃんも心配そうにしていたが、尾形クンがそばにいてほしそうな目をするので、少しでもリラックスできるように頭をなぜていると少しほっとした表情になった。

薬が効いてきたのか、尾形クンはようやく身体を起こし、今回特注した衣装に着替える。
それは尾形クンの好きなシーブルーを基本とし、それに深い紫色がアクセントになっていて、両袖は薄ピンクと薄オレンジがグラディーションのように入っていた。
それから、濡れタオルで顔を拭くと、表情が先ほどとは異なり雰囲気も『氷上の貴公子』と変わっていく。
それを見ていた周りのマンションの仲間たちもいつもの尾形クンとは異なる気配を感じた…これが『オリンピック王者』としての尾形選手であることを実感した。

「では行ってきます。」

尾形選手は笑顔でそうみんなに言い残して、氷上へと出て行った。

・・・・・・
 
アナウンサー
『次は尾形選手です。先ほどは見事な女装(笑)を見せてくれました。今回はエキシビションでよく使用している曲ですが、衣装や構成はこの日のために特別だそうです。
 実は我々も構成リストは目の前にあるのですが、ジャンプの回転数が記載されておりません。』
 
放送でのコールと同時に尾形選手が氷上に片手をあげながら登場した。
そして、リンクの中心で下を向いて停止したところでピアノ伴奏の『Be Alive』が静かに始まった。
これは野中氏の生演奏ではなく録音だが、尾形選手はその音に合わせ、ゆっくりと見上げながら右腕をそっと上げていくと、静かに滑り始めた。
 
そして、始めのジャンプでいきなり4回転ルッツ・4回転ループをのコンビネーションジャンプを決めると、観客から大きな拍手が会場を包み込んだ。
そののちも綺麗なスピンやステップでその場にいる全員を魅了していった。

尾形選手は表面上、いつもの冷静な表情で次々と難しいといわれるスピンやステップ、そしてジャンプを決めていく。
そして、演技の構成上、野中ちゃんのそばを通過するときに尾形選手がちらりと視線を向けたところ、野中ちゃんは両手を胸の上で組んで祈っていた。

『そんな表情するなよ…美希』

これから最初の山場に向かって細かく華麗にステップを踏みながら、さらに加速していく。

『あそこに立ってもらえるようにお願いした理由は…これからの演技につながる目印のためなんだけど…』
 
ちょうど先ほどの場所から逆の端まで大回りし、スピードを落とさないように大きく滑走して進行方向を確認すると、対岸に野中ちゃんの姿が視界に入る。
その祈りの姿勢は続いていた。

『かえでぃーのおかげで実演への自信はついた。たとえ結果がどうなっても悔いはない…と、勝手に思っていたけど…』

野中ちゃんの対岸までたどり着く。

『これをやると決めたのは、唯一の正面で踏み切れるジャンプだから…』

スピードは落とさず、野中ちゃんに向かってさらに加速する。

『栄光はとりあえず手にすることができた。プライドなんてもういらん…美希がいればそれだけでいい。』

音楽も一番の山場に向かっているのを知っている観客は手拍子をしていた。

『美希!あ・い・し・て・る』

尾形選手は最後の『る』のタイミングで正面…野中ちゃんを見つめながら踏み切り、ジャンプする。
そのジャンプは4回転半回るとちょっと危なかったが無事に着氷した。それと同時に会場から割れんばかりの歓声が響き渡る。


アナウンサー
『決めました!尾形選手!世界初のクアドアクセルジャンプ!4回転アクセル成功です!
 練習では成功させている選手はいるそうですが、公式戦ではないといえ、公での成功は初になります!』

無事に着氷した尾形選手は小さくガッツポーズをとると、リンクそばに見守っている野中ちゃんのすぐそばを滑走していく。
その時にちらりと野中ちゃんを目くばせをすると、小声で『ありがとう』とつぶやいて、その場を離れていく。
そのわずかな声に反応し、その目から涙が一筋流れた。

その後も、細かなステップを刻みながら、要所・要所で飛ぶジャンプは今まで飛んだコンビネーションも含めて4回転というとんでもない構成で演技は続いていく。
観客も手拍子で尾形選手の背中を押していく。
二番の山場には4回転ルッツ・4回転ループ・4回トウループと3回連続ジャンプを決め、エンディングに向け、リンクの中央で華麗に数種類のスピンをすると、
いつものポーズで終わらそうとしたが、何か思いついたかのようにゆっくりと回転して、全方向にお辞儀をするようなしぐさをし、最後に野中氏の方を向いて右腕を伸ばすようにして停止した。
と同時に音楽が鳴りやむ。


アナウンサー
『尾形選手やりました!すべてのジャンプが4回転というとんでもない演技!これぞ『オリンピック王者!』。
 こんな演技を目の前で見られたことは何という幸運!尾形春水選手、最高の演技を見せてくれました!
 リンクには尾形選手が大好きと公言している「たこ焼き丸」のぬいぐるみがたくさん投げ込まれています。』

尾形クンは目を閉じたまま上を見上げると、ゆっくりと顔をあたりに向け、笑顔を見せる。
それを見ていた野中ちゃんもボロボロと涙をこぼしていた。

ふっと我に返ったその瞬間に足元がふらついた。慌てた尾形クンが立ち直ろうとしたところ、左右同時に身体を支えられた。
驚いた尾形クンがきょろきょろと左右を見ると、スケートの先輩や後輩が笑顔で転びそうだった尾形クンを支えている。

『尾形さん!』
『おおきに…』

その3人に続き、ライバルであり、戦友であり、仲間である男女のトップスケーターが次々とつながり、1つの鎖のように長く連なって、観客に笑顔で綺麗なラインを描いて滑っている。

そうやってしばらく滑っていたが、やがて…全員が氷の中央に整列し、四方に向かい、深々とお辞儀をする。
観客も拍手で答える。そして、選手代表として尾形選手がマイクを握った。

「私たちは皆様の声援に後押しされ、このシーズンを精一杯の演技で終了することができました。
 大変感謝しています。選手を代表してお礼を言わせてください。ありがとうございます。」

尾形選手がそういうと、今回のアイスショーに参加した選手一同が深々と頭を下げた。
観客は立ち上がり、拍手で選手たちに感謝の意をしめした。
 
それから拍手が一段落したところを見計らって、再び尾形選手がマイクを口元に近づける。

「そして…ここからは私個人として皆様にご報告があります。」

この言葉に観客たちは何かを期待して、尾形選手と少し離れて見ている野中氏を交互に見ていた。
野中氏はじっと尾形選手をただ見つめている。

「私、尾形春水は本日6月20日をもちまして現役を引退します。今までの応援、ありがとうございました!」

その言葉でシーンとなってしまう会場。固まる空気。そこに野中氏が拍手をすると、尾形選手のそばにいたスケート仲間が拍手する。
そこでようやく会場が拍手の嵐に包まれた。
ずっと頭を下げていた尾形選手はすっきりした表情で回りを見回して、何度も何度も頭を下げて感謝の意を表していた。

その後、選手たちは再び1列につながって、ゆっくりとリンクを一周していく。観客は声援と拍手で迎えた。
そののち、選手たちはバラバラになると尾形選手を除いてリンクを去った。
残された尾形選手はさらにゆっくりとリンクを1周し、笑顔で感謝の念を表現する。
最後に大きく頭を下げると、リンクを去った。

・・・・・・

「すぐに記者会見の準備をする!それまで少しでも身体を休めておけ!」

裏に入ってきたと同時に尾形クンが崩れ落ちそうになるところを待ち構えていた生田クンと加賀クンに支えられたため、倒れずにすんだ。
その横で尾形クンのコーチが指示をすると、尾形クンは無言でうなづく。
ちなみにこれから行われる記者会見は尾形クンの強い希望によりアイスショー会場にも同時生公開される手はずになっていた。

「もっと休んでからの方がいいんじゃないの?」
「いいや、これは俺なりのけじめやさかい…最後までやらせてや。」

全身の痛みや熱をこらえながら、その眼だけは強固で頑固な意思を貫いていた。
そんな尾形クンを見ながら野中ちゃんは『春水ちゃんのバカ…』とつぶやいていた。
その横ではコーチやスケート仲間に頼まれて、記者会見に参加することになった加賀クンがどこまで話すべきか打合せをしていた。

・・・・・・

急な記者会見にも関わらず、会場は各メディアが集結しており、人であふれかえっている。
ジャンルはスポーツ系はもちろん、ワイドショーや週刊誌まで多彩であった。
指定された時間になると、尾形選手をはじめとしたこのアイスショーに参加したスケーターと尾形選手の相手役をした加賀クンとピアノ演奏を務めたピアニストの野中氏が姿を現す。

『尾形選手、突然の引退宣言ですが、どういった理由でしょうか?』

最初の記者からの質問に尾形選手は少し困った表情のままマイクをとった。

「引退の理由ですか?Drストップや…普通の生活はできる。スケートも現時点なら楽しむ程度なら可能。
 やけど、アスリートとしてのスケートはこれ以上続けると、近い将来、車いすの生活になってしまうそうや…。」

この言葉に記者たちはどよめいた。それからの質問はすべて尾形選手に集中する。
その失礼に近い質問にも尾形選手は凛として、隠し事もせず、誠実に答えていた。

『ペアーの演技は初めてだと思いましたが、女装までして演技した理由と、その相手役にスケーターではなく、俳優の加賀さんを指名した理由を教えてもらえませんか?』

「まず、かえでぃー…いえ、加賀さんにお願いした理由ですが、加賀さんとはプライベートでも大変仲良くさせていただいております。
 まず、今まで応援していただいた皆様に感謝したいという想いから、ソロのイメージは演技できるかどうかは別として、早めに固まりました。
 それだけではなく、皆様の前でできる最後の演技ということもありまして、最後まで楽しんでいただこうと思い、悩んでいました。
 一番の問題は4回転アクセル…4回転半ジャンプですね。どうしても4回転半を成功させたかったのですが、自分でも回転不足でなかなかできませんでした。」

ここまで話して、ふと加賀クンに視線を向けた。

「勢いが足りないことはわかっていましたし、空中バランスがどうしてもつかめなかったのです。
 そんな時に、私と野中氏、そして加賀さんとも共通の大変お世話になっている方から、
 『そんなの加賀と二人でカップルとして踊ったらどうだYO。尾形は加賀に投げてもらい、ジャンプのイメージをつかめる。演技としても面白いじゃないKA。』
 と半強制的なアドバイスをいただきました。」

尾形選手と加賀クンはお互い目を合わせ、少し苦笑いをした。

「私も『加賀さんなら俳優さんですから舞台度胸もばっちりですし、体力も大丈夫だろう』と確信し、信頼しておりましたので、私からお願いしました。」

加賀クンもマイクを持つ。

「始め、私がお話を聞いたとき大変驚きました。私は舞台を中心に活動している役者なので演技はなれておりますが、氷の上は専門外です。
 でも、尾形さんとは公私含めて大変お世話になっておりますので、少しでも恩返しができればとお受けしました。
 それからの尾形さんの姿にジャンルは違いますが、表現者の端くれとして大変尊敬しております。」
 
尾形選手は加賀クンの言葉に『いやいや』とちょっと照れた様子で手を振る。
そののちも質問は野中氏との結婚についてなど、尾形選手に集中したが、それにもしっかりと答えていた。
それを横目で見ながら野中氏は小声で『春水ちゃんのバカ…』とずっとつぶやいている。それに気が付いた加賀クンはそっと野中氏に気を遣うようにしていた。
ただ、尾形選手の体力が限界なのか、座っていてもちょっとふらつくのに仲間たちが気が付いて、こっそりと司会者に合図を送った。
司会者は『お時間が迫ってきましたので、これで記者会見を終了します。』と告げたが、記者たちが同意せず、続けるよう騒ぎになったので、尾形選手は記者会見を続けるようにアピールする。
周りのトップスケーターたちと加賀クンはなるべく尾形選手に無理をさせないように尾形選手の両端にいるメンバーは机の下から見えないようにそっと身体を支えていた。

それでも、尾形選手の限界は刻々と迫り、座っているのも困難に近かったが、精神力だけで対応している。
そして、ついに記者会見に参加しているメンバー全員がこれ以上は続けることができないと、終了の合図を司会者に出す。
尾形選手はそれでも記者会見を続けようとしたが、加賀クンも含めた全員がそれを止めた。

司会者
『これで記者会見を終了します。』

その言葉に尾形選手は反論しようとしたが、周りに説得され、仕方なく立ち上がる。
それでも笑顔で手を振りながらゆっくりと退場した。

全員が姿を消した途端、大きな音と野中氏と加賀クンの尾形クンを大声で呼ぶ声があたりに響き渡った。

・・・・・・

控室に戻って来たメンバーは意識も少し朦朧としており、身体を完全に両脇から支えられている尾形クンを急遽用意したベットに横にさせる。
尾形クンは荒い息を繰り返し、言葉も出ない。

「尾形!救急車を呼ぼうか?」
「だ、大丈夫やで…少し休めばなんとかなる。」

すぐに医者がそばにより、診察し、即座に処置をしていた。アイシングや注射などで徐々に呼吸は落ち着いていく。
野中ちゃんは心配そうに尾形クンに寄り添った。

ifマンションの仲間たちも心配そうに見守っていたが、その中でさゆみさんが耐えられなくなったのだろう…田中クンに支えられ、子供たちと外に出て行った。
それをきっかけに他のメンバーも部屋を出ていく。アスリートの女房でもある聖さんと香音さんは野中ちゃんに一言声をかけて最後に部屋を出て行った。

「少し休めば大丈夫だと思うが、何かあった声をかけてくれ。」

そう言い残してコーチや医師も控室を出て行った。


控室に尾形クンと野中ちゃんが二人だけ残された。野中ちゃんは心配そうに尾形クンを見つめている。
本当は思いっきり泣きたかったが、必死になって泣きたいのをこらえていた。

「野中氏、膝枕をしてくれへんか?」
「春水ちゃんのバカ…」

そういいながらもベットに座り、尾形クンの頭をそっと自分の膝に乗せた。
すると先ほどの『氷上の貴公子』の表情とオーラは消え、心の底からほっとしたのか、目を細めてリラックスしている表情に変わった。

「春水ちゃん…身体はどうですか?」
「正直言うと、全身ズタボロや。でも二本の足で立てるし、歩くこともできる。大丈夫や…」
「そう…」

野中ちゃんは心配そうに尾形クンを見ていた。尾形クンもそう言いながら、ちょっと表情を変えて、野中ちゃんに真剣な視線を向ける。

「なあ美希…春水の正直な思い、何も言わんで聞いてくれへんか?」

いつもの尾形クンとは違う呼びかけと声のトーンに野中ちゃんは無言でうなづいた。

「正直、今回の演技…特に4回転半ジャンプは成功するかとかいう前に、身体がもつかという話もあった。もちろん、コーチからも反対された。
 でも、最後と決めていたからどうしても飛びたかった…金メダルだけではなく、もう一つ『世界初』の称号が欲しかったんや。」

尾形クンの話に無言のまま野中ちゃんは耳を傾けている。
 
「春水としては、たとえこれが失敗して二度と立つことができなくなっても悔いはない。
 が…もし、現実にそうなってしまったら、みんなの前から姿を消すつもりだった。
 美希に重い負担はかけたくないねん…十字架を背負うのは自業自得の春水だけで充分や。」

尾形クンの顔に涙が1つ2つ落ちていく。
 
「そう思いながら最後のリンクに向かおうとしたら、何も言わんでも子供たちは敏感やな…片方ずつの足に真莉愛ちゃんと朱音ちんがしがみついて離れないし、
 優樹ちゃんも春水の腰に張り付いて『アンポンタン』呼ばわりやし、なかなか大変やったな…遥クンとちーちゃんも泣きそうだったし。」

もう野中ちゃんの涙は止まらず、尾形クンの顔を濡らしていく。
 
「でも、4回転アクセルの直前で美希の姿を見た時、春水の気持ちは180度変わった。」
 
尾形クンはジャージのポケットから小さい入れ物をとりだす。その中からは指輪が出てきた。

「美希、プロポーズはもう終わったけど、式を挙げて、入籍しよう。春水が『野中姓』になってもかまわへん。
 ただ、スポンサー様にはこの前挨拶に行ってきたから、明日からはプーや。
 お金がないさかい、式は誰もいない二人っきりで、教会でも神社でも構わないから…生田さんたちもそうしたという話だし。」

「春水ちゃんのバカ!私が春水ちゃんの分まで稼ぎますし、パスポートの名前が変わっても、『野中美希』で演奏はできます!」

野中ちゃんは泣きながらぽかぽかと尾形クンを殴る。尾形クンも痛みに耐えながら、その告白の答えがyesであることを理解していた。

「これからは大学に戻って、大学院に行って、コーチをするために色々と学ぼうと思っている。貯金は多少あるけど、これからはますます必要になる。
 もうプライドは捨てた。今あるのは過去の栄光だけだから、それでバラエティーなどに出て何とか稼ぐ。だから…春水と一緒にいてください。」

「もちろん『yes!』に決まっています。永遠にずっと一緒です。!」

尾形クンはそっと身体を起こすと、野中ちゃんはすっと尾形クンの顔に自分の顔を近づけてキスをする。
それは誰もいない中、ただ…尾形クンの相棒というべきスケート靴だけが二人を見守っていた。





尾形クンと野中ちゃんの『Be ALIVE』 終





おまけ

ノd*■ 。.■)「急いで尾形と加賀のスケジュールを押さえるの。そうしたらイメージ写真集とBlu-rayを尾形の2パターン撮影して。
       以前のお好み焼き対決のDVDも増刷して一気に売るの!あ!野中の演奏権も確保する必要があるの。」

( ■_■) 「承知しました。」

ノd*■ 。.■)「写真集とBlu-ray売り上げでとりあえずの尾形の生活費と学費は十分確保できるはず!
       足りなければ全国をまわって写真メインの『尾形春水展』をやる!
       あと結婚式は二人だけの地味婚なんて絶対にやらせないの!系列の最高級のホテルを押さえて、超ド派手婚をさせるの!
       それで有名人からのご祝儀と結婚式の放映権を元手にして、スケート施設を作って、そこに尾形をコーチとする
       スケート教室や未来のオリンピック選手育成コースなどを作れば尾形のセカンドキャリアも安心なの!」

( ■_■) 「さすがは若!。」

ということで、尾形クンは野中氏のヒモにならずに済みそうです。
これでサイン会や握手会を行ったらどこぞのアイドルみたい(笑)





あとがき

この話は尾形春水ちゃんの卒業記念の話になります。
きっかけは、あの尾形クンの足にまーちゃんがしがみついて離れない話です。
あの若さで引退…ということはどうしても身体的に演技ができない…しか考えられず、それから連想したのは、リアル愛佳(8期の光井愛佳さん)の卒業でした。

スケートのジャンプは回転数が多くなるほど、それだけ勢いと高さが求められるので、着氷衝撃は重力も加わり、それこそ『トン』クラスになると予想できます。
ジャンプの関係で体重もセーブしなければならない世界なので、厳密には違っても、同じような理由は十分に考えられました。
シャレにならないと、お怒りの方はいらっしゃると思いますが、自分の本音としては『すべての娘。メンバーには幸せになってほしい』のです。

それで本人の大学進学という話から、尾形クンにも大学(院という選択ですが)への道を選択してもらいました。
で、リアルはーちんがかえでぃーに惚れている(笑)という関係でああいうシーンもw

曲はこれしか考えられませんでした。
>リアルコンで見たかった…男役のかえでぃーと相手役のはーちん(涙)
ちなみに衣装はそのシーンを書いているときには見てなかったのですが、はーちんの卒業DVDで一気に吹きました
(イメージ的に同じようなものを考えていたので…)

最後のソロは…曲はあれしか考えられなかったし、演技の構成を考えるため何度も聞き直したし、改めて歌詞を確認していたら、思わす泣きそうになってしまったのはここだけの話です。
ソロの卒業曲は何だろうと考えながら決めたのですが、まさか『涙が止まらない放課後』だったとは…まったく想像外でした。
自分的には、『大阪 恋の歌』か『ENDLESS SKY』が可能性高いかな?なんて考えていたのですが、
前日にいきなり『卒業旅行〜モーニング娘。旅立つ人に贈る唄〜』だったから、かなり古い曲、例えば『Never Forget』もまさかと考えながら候補に挙げていました。

卒業公演を珍しくかなりいい席で見ることができたので、この話にもかなりネタとして組み込んでいますが、わかる方いらっしゃいますよねw

ちなみにフィギュアスケートはやるのはもちろん、見るのもド素人ですが、
(だから尾形クンの構成がとんでもないものになっていることは目をつぶってください)
どなたかフィギュアスケートをやっている方で『Be ALIVE』もしくは『五線譜のたすき』『ENDLESS SKY』などで演技してくれる猛者はいないでしょうか?(インストでいいから)
バナナ(テレビ東京マスコット)が『LOVE マシーン(updated)』で滑っていたのは見たことがあります。

卒コンを見て、リーダーじゃないけど…思っていた以上に尾形春水さんが好きだったことに改めて気が付きました。
優しすぎるんですよね>はーちん

あとがきが長くてすみません。

薬者
 


(82-904)尾形クンのAre you Happy?
 

ノノ*^ー^) 検索

メンバーのみ編集できます