葉鍵キャラを政治家に見立て葉鍵国を統べる仮想政界「葉鍵政界」の派生wikiです。葉鍵板を参考に、99%のネタと1%の知性で盛り上げ楽しんでいきましょう。(元は葉鍵政期スレのまとめwiki的位置づけでしたが、現在は三次創作サイトの方向に突き進んでいます。)

 Kanon県三分問題とは、オカル党革命以降、Kanon県が事実上、三分された状態となっていた問題。
 現在は、川澄舞知事(国家社会主義葉鍵十字党)の元で再統一がされている。
 

Kanon県の政治背景

 Kanon県には、長岡内閣時代までは二大政党であったうぐぅ民主党眠主党の他、倉田佐祐理率いる国家社会主義葉鍵十字党2008年葉鍵政界総選挙で躍進した葉鍵新党、元Kanon県知事相沢祐一が結成した葉鍵創新党の本部があり、当然これらの政党が地域に根を張っている(但しこの3党は、いづれも2010年葉鍵政界総選挙では落選、若しくは候補者を立てていない)。
 この他、美坂香里美坂栞と立て続けに議員候補者が離党したもの2010年総選挙では泡沫候補でしか無かった沢渡真琴(本物)を当選に押し上げた杏さん党も強固な党組織を保持している。また、現知事である川澄舞は元々鍵社民党(現:葉鍵社民党)に所属していたこともあり、現在の県連代表である天野美汐の後援組織も併せて決して小さくは無い支持勢力を持っている。
 このように、Kanon県はいわゆる「既成政党」が強力な地盤を持っている地域である。
 
 一方で、公芽衣党はかつて沢渡真琴を詐欺まがいの手法で入党させたものの、その後満腹実現党に走られてしまい、また支持勢力拡大にも失敗した。オカル党に至っては党活動すらまともに出来ている状況では無く、住民からの支持は全く無いに等しいといって良い状況である。
 

県知事交代


 2010年2月に、長らく県知事を務めてきた相沢祐一が、主人公の党?(現在の葉鍵創新党)結党にあたり県知事を辞職。このとき行われた県知事選で、国家社会主義葉鍵十字党川澄舞が知事に当選する。

 ところが、新年度が目前に迫っている状況であり、新年度予算の通過が急がれる状況であったにもかかわらず、川澄舞知事が新たな予算を提出しようとしない状況が起こる。
 舞は、倉田佐祐理・国家社会主義葉鍵十字党統帥と連携し、県行政と倉田グループとの一体化を図っていたので、県議会側での新たな予算作成は不要であり、倉田グループの指示に基づいて行政執行を行う計画であった。そのために県の行政機構の掌握のための工作のほうに力を入れていたのである。
 しかし、舞による県の行政機構の掌握は激しい抵抗に遭い思ったように進まず、中央政府の出先機関に関しては言わずもがなという状況であった。

 こうした中、県議会側は、年度中の予算通過が不可欠と考えて祐一時代に提出された予算を修正し可決する。さらに、舞による県の行政機構の掌握を阻止するため、主要な人事や決裁事項にあたって県議会の承認を必要とするなど、新たな条例を制定する。

 こうして県議会と舞との対立が深まる中、県の行政機構は県議会(既存政党が主力であり、特に当時の(一ノ瀬政権の)与党が強かった)を支持するグループと川澄舞を支持するグループに分裂していく。
 西部では県議会を支持するグループが、東部では舞を支持するグループが優勢を占めるに至る。だが、中央政府の目もあり、舞を支持するグループも独断での行動は難しい状況であった。

2010年総選挙後の国家社会主義葉鍵十字党・オカル党の対立


 さらに、2010年葉鍵政界総選挙にて、国家社会主義葉鍵十字党率いる葉鍵独裁同盟が3議席を確保する快挙に至る。だが、その内訳は、当の国家社会主義葉鍵十字党は議席を確保できず、一方でオカル党が3議席を確保というものであった。ここでオカル党は葉鍵独裁同盟の乗っ取りを企てるが、国家社会主義葉鍵十字党側に阻止される。この結果、オカル党は同盟を離脱し、両党は対立関係に転じる。また、この間、倉田佐祐理統帥が何者かに襲撃される事件が発生している。

 その後、2011年5月11日、オカル党が葉鍵政界乗っ取りを宣言。これに対抗して国家社会主義葉鍵十字党も翌12日に葉鍵政界乗っ取りを宣言し、対決ムードが深まる。
 その一方、同日に、両党に加え、甘党公芽衣党が一方的に独立国家「葉鍵民主共和国」の建国を宣言する。これはミニ政党による同盟結成というよりも、既存政党、特に当時の(一ノ瀬政権の)与党への宣戦布告を意図したものである。

オカル党革命発生


 その後、5月13日未明、ToHeart2広域県黄色自治区でタマゴサンド工場が空爆される事態が発生する。国家社会主義葉鍵十字党は、オカル党を先述の倉田佐祐理襲撃事件の犯人と断定して報復攻撃を行ったと犯行声明を発表。これをうけ、西部側のKanon県警は佐祐理への出頭要請を行い、介入を開始する。
 オカル党は空爆を受け、国家社会主義葉鍵十字党への報復に取り掛かるが、既に当時の与党側が介入を開始している状況を見て、与党側の介入排除を優先し、国家社会主義葉鍵十字党本拠地の東部ではなく、与党側の橋頭堡である西部への襲撃に取り掛かる。

 この結果、Kanon県は中央政府でのオカル党革命に先立って混乱状態に陥る。

 こうした中、同日夜、オカル党革命が発生し、中央政府が混乱しはじめると、舞とその支持者たちは、独断での行動を開始、遂に県庁所在地Kanon市・および倉田グループ本社所在地倉田市周辺から既存政党(当時の与党のみならず、杏さん党・葉鍵社民党なども含む)側の勢力を排除することに成功する。一方、西部地域側では、逆に与党勢力の介入により国家社会主義葉鍵十字党・オカル党の勢力を排除してしまう。

 この後、北東部は国家社会主義葉鍵十字党主導の独裁政治を強化し、中央政府の指示に従わない独立地帯の様相を見せる。また、元より国家社会主義葉鍵十字党本部があり、バックボーンである倉田グループ本社もこの地区にあることから、国家社会主義葉鍵十字党の一大拠点となる。
 西部地域では与党勢力の介入により事実上川澄舞の実効統治が機能しない状況となり、この結果、東部を地盤にもつ政治家は西部に内国亡命して政治活動を続ける事態となった。県議会もほぼ全議員が西部に逃れたため、西部で審議を続ける事態となった。
 また、南東部では国家社会主義葉鍵十字党勢力が県の行政機構を掌握するが、中央政府の力も健在であり、さらに漁夫の利を狙うかのごとく、山間部を中心に公芽衣党・オカル党のアジトが点在する状況となった。

 こうしてKanon県は西部・北東部・南東部に政治的に三分され、三国志の様相を呈する状況となり、分断が深まった。

美坂栞による鎮圧作戦


 6月14日、「ホワイト革命」により美坂栞が首相に指名されると、Kanon県は美坂栞首相の地元ということもあり、美坂栞内閣は武力介入を以てこれに対抗することを決定する。

 だが、ここで非常に苦しい状態となったのが、職務執行内閣としての一ノ瀬内閣の存続を主張し後任の月島拓也防衛大臣への引継ぎも拒み続けていた来栖川綾香防衛大臣である。というのも、もとより国家社会主義葉鍵十字党による政治弾圧は看過しえるものではなく、ましてKanon県は盟友の美坂香里法務大臣の地盤(西部の旧与党側地域とはいえ)であり、国家社会主義葉鍵十字党の魔手からKanon県を解き放つのは当然と考えていた。しかし、元を正せば東部への警察力介入がミニ政党の反発を招きオカル党革命に至ったのであり、今武力介入を行えば、さらなる反発は必至であり、成功しても後に多大な遺恨を残し、万一失敗すれば政治的に再起不能に陥るのは避けられない。さりとて、美坂栞内閣による鎮圧命令を静観していれば、美坂栞内閣の追認とみなされかねない。これは単に追認を意味するのではなく、首班指名選挙時に自らが美坂栞に首班指名したことを有効と認めることを意味し、ひいては美坂栞内閣を支持し、これに連帯して責任を負うことを意味する。よって美坂栞内閣の追認とみなされかねない選択は到底とり得ない。ここに二律(三律?)背反があった。

 とはいえ、首班指名選挙が終了していない段階での職務執行内閣としての一ノ瀬内閣が鎮圧命令を出しても、それとは別に美坂栞内閣が鎮圧命令を出せば、自衛隊側は新任の美坂栞内閣の命令に従って防衛出動したことになる。そのように考え、綾香は一ノ瀬内閣を通じて出動命令を下すよう一ノ瀬ことみに進言するが、ことみ自身は既に美坂栞内閣を容認する方向に傾いており、閣議の開催自体を拒否される(一ノ瀬内閣の存続を主張し続けているのは旧与党の一部議員だけであり、一ノ瀬元首相自身や眠主党の大勢はそのような主張には与していなかった。なお、北川潤麻宮姫里は元々美坂栞内閣を支持していた)。
 そこで綾香は、閣議決定では無く国会決議に基づいて自衛隊を出動させることを決め、旧与党の一部議員のみで国会を開催して「出動決議」を出させ、それに基づいて出動命令を出した。
 なお、出動命令の国会承認に当たっては、美坂栞内閣側でも同時に国会を開催し、与党の賛成多数で承認させている。

 しかし、杏さん党と、白チーズ派を除いた葉鍵社民・食福連合の議員は傍観主義をとり、どちらの審議も欠席し、眠主党の殆どの議員も同調した。国会の第1党から第3党までが欠席するという異常な状態で開催されたこの国会は、さすがにどちらも開催自体が無効であるといわれている。少なくとも両「国会」とも定足数に足りていなかった。

 そこで、旧与党の一部議員は苦肉の策として、「美坂栞の首班指名の無効は撤回しないが、既成事実としての美坂栞内閣の存在のみ認める」と主張して一方的に伊吹風子議長の開催する議場に入り込み、定足数を満たした上で美坂栞内閣による防衛出動命令を通した。

 さらに、美坂栞政権は、与党である公芽衣党オカル党の独自私兵組織もCLANNAD県から動員してこれに対処することを決める。

 このようにして防衛出動作戦が行われるが、自衛隊側は上記のような出動の経緯から、実質的に異なる内容の二つの命令を受け取ることとなり、指揮系統は混乱した。とはいえ、職務執行内閣に過ぎない上に、最終的に美坂栞内閣側の出動命令を支持した一ノ瀬内閣側の命令にどれほどの効力があるのかは疑問視されるところではあった。しかし美坂栞内閣側も、作戦総指揮の実務に当たるべき月島防衛大臣は、一ノ瀬内閣が職務執行内閣としての存続を主張して官邸や省庁に居座っている状況の中、仮にもミニ政党同士戦争を行うことには否定的であり、真面目に防衛出動作戦を立案・実施する気が殆どない状況であった。結果、現場の指揮官が有能であるほど「傍観すべし」との判断を下す傾向となり、事実上介入行動は行われないに等しかった。一方、国家社会主義葉鍵十字党の武装組織は正規軍相手の戦闘革命のための訓練を経ており、自衛隊側の攻勢を押しとどめることができた。
 だが、正規軍相手の戦闘革命を前提に編成・訓練されていた国家社会主義葉鍵十字党の武装組織は、CLANNAD県から襲撃してきた想定外のゲリラ攻撃に不意を突かれる形になり、結果的に美坂栞政権はKanon県の一部を占領することに成功する。

再統合

 しかし、前述のようにKanon県では元来既成政党の強固な支持基盤があり、公芽衣党オカル党は住民からの支持基盤が全く無いのが現実である。
 この為、仮にも民主選挙で選ばれた川澄舞知事に対し武力で占領・支配を行った公芽衣党・オカル党に対する地域住民の反発は凄まじく、瞬く間にレジスタンスが組織され武装して両党の支配に抵抗する動きが広まった。
 国家社会主義葉鍵十字党は、元々武力による葉鍵国の独裁革命を目指していた政党であることから、十分な武力を準備しており、これらの武装を惜しみなくレジスタンスに供与した。また、川澄知事も県警に迅速な対応を指示し、自ら陣頭指揮に立って侵攻勢力の排除に乗り出した。
 この結果、県警・レジスタンスは1ヶ月と待たずに公芽衣党・オカル党勢力の駆逐に成功し、またレジスタンス各組織は国家社会主義葉鍵十字党の指導下に入ることとなった。結果、川澄県政は中央政府と公芽衣党・オカル党による「侵攻」から県を守ることができ、東部統一とレジスタンスの抱きこみにより支配権を大幅に強化することもできた。





 こうして、川澄県政は遂にKanon県全土の支配権を奪還し、さらに支配権を強化することに成功したのである。

その後の動き

 中央政府からの独立志向を鮮明にしている川澄県政であるが、現在は上記の通り(武力侵攻を行った公芽衣党オカル党を除いて)各政党の県内での活動は容認している。(但し、地域住民によって結成されたレジスタンスが国家社会主義葉鍵十字党傘下に入ったことで、他政党の支持基盤は大幅な弱体化を余儀なくされているのが実情であり、それを見越しての活動容認という側面もある。)
 また、この危機を乗り切ったことで川澄舞知事は自信を深め、倉田佐祐理総帥のいいなりから脱却して、県知事として公正な県政運営を優先するようになった。倉田総帥は、駆逐作戦の成功の余勢を駆って一挙にCLANNAD県への侵攻を計画するも、川澄知事の反対にあって中止を余儀なくされている。
 一方で川澄知事は、各政党、特に古巣である葉鍵社民党との和解を指向しているともいわれ、今後の動向が注目される。
 
 一方、オカル党側はKanon県の支配権を奪取すべく、川澄舞知事の拉致を計画し、代わりに此花ルチアを川澄知事の替え玉とすることで、Kanon県政を美坂栞政権側に取り戻すことを計画した。
 だが、計画が実行に移される前にパープル革命が発生し、美坂栞政権は弱体化してKanon県に関わるどころでは無くなってしまった。

 藤林杏内閣は、川澄県政が成立当初に比べて穏健化しており、また緊密な関係にあった倉田総帥との間にすきま風が吹き始めていることを見越して、敢えて静観することで「Kanon県庁」と「国家社会主義葉鍵十字党」が自然分断することを狙っているとされる。



           ∧_∧
         < `ш´>
       _φ___⊂)_   このページは未だに未完成である。
     /旦/三/ /|    有志諸君による有意義な文書の編集を望む。
      l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄l  |
      |超葉鍵政界|/
タグ

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

どなたでも編集できます