#34 <<< prev





田中れいなさんが渡米してから2年という月日が経った。
小春もいつの間にか21歳になり、そろそろ将来のことを本気で考えなくてはいけないような年。
以前から吉澤さんに言われていた『おまえには彫りの才能がない』という言葉がこの頃しょっちゅう頭の中でリフレインする。
彫師のバイトとは逆にホストの仕事は小春の思惑とは逆に才能開花の一途を辿って今じゃ繁華街で一番稼ぐ頭となっていた。
今、小春は二つに分かれた道の前で大きな選択を迫られている。
導いてくれるはずだった田中れいなさんはもう、いない。
どうする、小春。
どうする。


*****


「いや〜いつもすみませんねえ!モグモグ」
「いい加減料理覚えなよ・・・」

は〜いども!久住小春です!今どこにいるかって?道重さゆみさんの部屋だよん!
小春が料理できないので毎日毎日道重さんがブツクサ文句言いながらもなんだかんだでご飯を作ってくれるのだ。
今日もいつものようにご相伴に預かっているところである。

「今日はこれからホストのバイト?」
「そうですよ〜。今日は○○社の女社長くるんでビシッと決めないと。久しぶりにポマードにしようかなぁ」
「すごいね。月にどれくらい稼いでるの?」
「100万くらいですかね〜モグモグ」
「さゆみの10倍稼いでるじゃん・・・もうそんな金あるなら毎日店屋物でいいでしょ」
「道重さんの作ったご飯がいいんですよぅ」

道重さんは顔以外の自分を過小評価するきらいがある。
これだけのものを作れる料理の腕があるんだから調理師免許とか取ってその道に進めばいいのに、
未だあのコンビニでバイトを続けているのだ。
この人は小春より3歳も年上で結婚も考えなくてはいけない年なのにこのままでいいんだろうか。

「道重さんは・・・いつまでフリーター続ける気なんですかぁ?」
「・・・さぁ。いつまでだろ」
「将来のこととか不安になりません?」
「そりゃなるけど・・・ぶっちゃけると君と違ってさゆみには土地とお金があるから。そんな悲観はしてないよ」
「ああ〜〜そっかぁ。羨ましい」

以前聞いた話だが、道重さんの先祖はなんか偉い人だったみたいでその人が残した遺産がたんまりあるという。
この年で未だ道重さんが熊のプー太郎さんをやっているのはこの財産に頼るところが大きいからだろう。
小春みたいな庶民の家に生まれた者にとっては眩しい存在だ。

「それにただお金だけならさゆみより絵里の方がだいぶ貯めこんでるでしょ」
「役員クラスですもんね」
「ま、さゆみの100倍苦労してるけど・・・」
「ここ最近の絵里さんは危ういくらい疲れてますよね〜。眉間に皺寄ってることも多いし、まともに休めてないのかなぁ」
「だろうね・・・。それでも"れいな"のためとはいえ忙しい中暇な時間無理やり作ってここに来るあたり絵里も偉いよ」
「ですね〜・・・」

なんて、雑談に花を咲かせている内にカラっと完食。
これから部屋に戻って身支度整えて出勤だ。

「ごちそうさまでした!じゃ行ってきま〜す!」
「はいはい行ってらっしゃい」


*****


繁華街を歩いていると目に入ってくる浮浪者の人々。
彼らは帰る家もなく、あてもなくこの街を彷徨っているのだ。
家があるというだけで彼らと同じような立場の人間はこの街に一体何人いるんだろう。
小春も人事じゃなくなる日がくるかもしれない。頼る親も金も土地も身分も、小春にはない。
今ホストの仕事にしがみついていなきゃ、こいつらと自分は同類なんだ。

「はよーございまーす」
「遅いぞ久住ー!20時からやっこさん来るでなー化粧整えとけー」
「ふぁ〜い」
「それと今日から新入り入ったからおまえ面倒見ろ」
「ふぁ〜、ふぁっ!?」

オーナーの唐突すぎる宣告に生欠伸が喉で詰まった。
見れば、楽屋内に見覚えのない顔が1人・・・

「今日からこの店で働くことになりました、工藤遥です。よろしくお願いします」

女にも見える可愛い顔した童顔野朗だ。ハスキーボイスが少年っぽさを一層強くしている。
これはとんでもない大物が入った。熟年女性はこういうのに弱いんだよなぁ。
小春も昔はあったんだけど今はあの時の輝きがだいぶくすんでしまったわい。
工藤少年は前で組んだ手をもじもじさせながら上目遣いで、

「は、初めてやる仕事なんで・・・優しく教えてくださると嬉しいです・・・」
「・・・」

ほんとにこれはとんでもない大物だ。
まさか処女ものAVの手法で先輩から陥落していこうというとは。
おそれいったぜ・・・。


*****


「ええ〜!?帰る家がない!?」

小春と工藤以外誰もいなくなった楽屋に響くは驚愕の悲鳴。
無事、仕事初日を終えたはいいもののなんとこの工藤少年、帰る家がないというのだ。どういうこっちゃい。

「俺、元は浮浪者なんですよ。いろいろあって橋の下生活してたんスけど、オーナーにホストにならねーかってスカウトされて」
「あんのハゲ・・・誰でもスカウトするなって言ったのにぃ〜・・・」
「なんで久住さんの家に住まわせてもらえませんか」
「な、なんと・・・!」

この展開は全く予想だにしていなかった。
1人でもあっぷあっぷしているというのにさらによく知りもしない男と住めだと!?
工藤はさっきまでの子犬みたいな従順な態度はどこへやら。今は狂犬みたいにオーラを尖らせ、腕を組んでふんぞり返っている。

「や、でももちろん生活費とかは払うんで」
「そんなの当たり前だっちゅーに!」
「俺結構使えますよ?リアルサバイバル生活してたんで無機物以外ならなんでも調理できます」
「・・・ほんと?」
「はい」
「じゃ、いいよ」
「いえ〜い」

いろいろ大事なことすっ飛ばした感はあるが料理って大事なことだし、
なにより本当のことを言うと少し寂しかったんだ。


*****


「ここが道重さゆみさんが住む部屋。なにか困ったことがあったらとりあえずここに来れば道重さんがなんとかしてくれるから」
「どらえもんみたいな人なんスね」
「このマンションの裏ボスみたいな人だよ。今いるかなぁ〜?」

インターホンの涼しい音色があたりに響く。
数秒後、眠りを妨げられた人特有の据わった目をした道重さんが出迎えてくれた。
全く気にしていなかったがそういえば今は日付変わって夜中の2時である。そりゃ不機嫌でこんな顔にもなるよね。

「こんな時間になによ・・・」
「いやぁ大した用じゃないんですけど〜、新しくこのマンションの住人になるやつがいまして・・・ほら、挨拶」
「・・・」
「工藤?」

工藤は顔を朱に染め、呆けたような顔をして道重さんをじっと見つめていた。
道重さんはというとまるでチンアナゴでも見るような目を工藤に向け、男?女?としきりに呟いている。
工藤がようやっと夢から醒め、足を前に一歩踏み出し、生意気にも道重さんの手をとって一言。

「美しい・・・」
「は?おいおい変な風邪こじらせてんじゃないよ」
「なんなのこの子・・・コントに付き合うほど余裕ないんだけどさゆみは・・・今日朝早いんだから勘弁してよ」
「道重さゆみさん・・・道重さん、今度僕と一緒にご飯でもどうですか」
「なに勝手に道重さん口説いてんだよこの野朗ぉ〜〜!小春でも我慢してるのにぃ!」
「あーもう!なんでもいいけど近所迷惑だから大声出さないでよっ!」

とか言ってる道重さんの声が一番大音量である・・・とはもちろん心の中だけで呟いておく。

「俺、道重さんと一緒に暮らしたいっス」
「おまっ、小春だって道重さんと一緒に暮らして毎日いい匂い嗅ぎたいよ!」
「ドア閉めていい?」
「あーダメダメダメですよぉ〜!」
「道重さん!俺をこの部屋に置いてください!ペットでもなんでもいいっスから!」

このナンパ野朗・・・!
いくら体をひっぺがそうとしても足の裏にアロンアルファでも塗ったみたいに微動だにしない。
こんなことになるなら連れてくるんじゃなかった。

「はぁ・・・で?よく状況がわかんないんだけど・・・君は誰なの?」

ため息交じりに道重さんが工藤に疑問を投げかける。

「工藤遥っス。久住さんと同じ職場で今日からホストやってます」
「ふーん。そう。で、そんな子がなんでここに?」
「今日から小春の部屋に住むからって、まぁとりあえずボス的存在の道重さんに挨拶に来たんですけどぉ・・・」

この有様である。
相変わらず工藤は小春のことはアウトオブ眼中で道重さんを眼力だけで落とそうと必死だ。

「てめー工藤!道重さんはなあ!田中さんていう今も健気に想ってる男性がいるんだぞ!おまえが出る幕なんてな」
「なに言ってんのよこのバカ!!それ以上言ったらぶん殴るからね!!アホ!
 もう!一日だけならさゆみの部屋泊まらせてあげるから!うるさいからさっさと中入ってよ!」
「やったー」
「えええええ!!?そ、そんな!」

羊の巣に狼が入っていくようなもんだぞ!?
工藤はジャーキーでも与えられた犬のように飛び跳ねながら道重さんの後について部屋の中へと入っていく。
1人残される小春。その背中には敗北という二文字が重くのしかかっている。

「なにしてんの。小春も早く入んなよ。あんたがいればこいつも変なことできないでしょ」
「へ?・・・あ・・・は、ハイ」

ドキドキとうるさい鼓動を落ち着かせ、遠慮がちに中に入る。
いつも飯をご馳走してもらう時にお邪魔しているのに泊まるとなるとやましい想像が頭の中で膨らんで別の部分も膨らみそうになる。
悲しきかなこれが男の性ってやつだ。

「言っとくけどほんとに泊めるだけだからね?面倒だから布団とか勝手に出しちゃっていいから。じゃ、さゆみは寝る」

スタスタとベッドに戻りさっさと眠りの森へと戻る道重さん。

「勝手に出していいって言うんだからいいんだよなぁ・・・?」
「いいんじゃないっスか?それにしても女の部屋ってこんなにいい匂いがするもんなんスねー」

ナンパ馬鹿は放置し、おそるおそる別室へと足を運ぶ。たぶん敷布団が置いてあるのはこの部屋──・・・

「・・・ん?」

フローリングの床の上に赤ちゃんのベッドのようなものが置いてある。
あまりに不釣合いなそれに疑問符が沸いた。
なぜ独り暮らしの道重さんの部屋にこんなものが?怖いもの見たさでついシーツをめくる。
そこには・・・


*****


「久住さんのせいで道重さんの部屋に泊まるせっかくのチャンスが台無しだ」
「もう。だからさっきからごめんって言ってるだろ〜」

道重さんの部屋からおいとまさせてもらい、当初の予定だった小春の部屋で二人、別々のソファーに寝る。

「なんなんスか。突然、『やっぱ小春の部屋で寝るぞ』って・・・あーあ、もったいない」

未だにブツブツと愚痴の耐えない工藤の声を耳からシャットアウトさせ、
先程道重さんの部屋で見た"とんでもないもの"を頭の中で整理する。
あれは間違いなく・・・赤ん坊だった。独り身であるはずの道重さんがどうして?

「しかもどことなく道重さんに似てたような・・・でもそんな・・・うそだろ〜・・・?」

小春が知らないだけで道重さんもやることはやってるのかもしれない。
あの人かなりモテるし、24にもなって処女はさすがにないだろう・・・。
案外ショックを受けている自分にビックリだけど、まぁ考えても仕方ない。
いつの間に生んだのかとか、相手とか、気になることは山ほどあるが女性相手にうざい詮索はしたくない。

「はぁ・・・寝るかぁ・・・明日も彫りのバイト昼からあるし・・・」
「彫り?」

ブツクサと文句を言っていた工藤が起き上がり、珍しいものでも見たかのように小春を凝視する。

「彫りって、タトゥーっスか?」
「そうだよ〜。このマンションのすぐ横の部屋で吉澤さんて人がタトゥースタジオ開いてるんだ。そこで弟子としてバイトしてる」
「吉澤!?吉澤ってあのカリスマ彫師のYっスか!?」
「世間じゃそう呼ばれてるみたいだけど」

工藤はしきりにへー!とかうわーうわー!なんて興奮気味に呟いている。
やけに詳しいが興味があるのだろうか?

「俺、実は彫師目指してるんスよ!」
「え!?」
「ホームレスしながら独学で今もやってて・・・あ、荷物店だ。道具もちゃっちいものですがちゃんと一通り全部揃ってるんスよ!」
「そうだったんだぁ・・・」
「やり始めたのは半年前からなんスけどね。アメリカンタトゥーって雑誌が偶然ゴミ箱に捨てられてて。
 それである人の作品に惚れて・・・えっと、あったこれだ」

工藤はスーツのポケットから四つ折に畳まれたボロボロの切り抜きを取り出し、広げて見せる。
載っていた写真は今欧米で軽い流行の兆しを見せつつあるジャパニーズトライバルだった。
作者の名前は・・・

「REINA。アメリカで超有名なジャパニーズトライバルを得意とした彫師っス!俺の憧れなんス!」
「・・・・・・」

まばたきと呼吸を忘れ、ただ一心にその作品を眺める。
細部にまで気を遣った繊細な針使いは見る者を驚嘆させるような美しいものだった。
こんな高みにまで登っていたのか・・・田中さんは。
最初は、小春も同じ位置にいたはずなのに・・・。

「・・・・・・」
「あれ。どうしたんスか久住さん。んな暗い顔して」
「なんでもないよ。おやすみ工藤・・・」
「はぁ」

小春って一体なんなんだろう・・・。


 **********


「いらっしゃい絵里。久しぶり」
「さゆ〜・・・はぁ・・・絵里はもうクタクタだよぉ」
「毎日仕事ご苦労様」

絵里が精魂尽き果てたような顔でソファーに身を投げ出す。
休みが1日しかない上、超ハードスケジュールでよく体保つなぁといつも関心する。
ひ弱なさゆみじゃ保って1週間がいいとこ。

「あ!赤ちゃん」

蘇生したかのように元気よく押入れの部屋へと移動していく絵里。
戻ってきた絵里の腕の中にはスヤスヤと眠る赤ん坊の姿があった。

「可愛い〜」
「相変わらずバカみたいに元気だよ」
「絵里に会えなくて寂しかっただろぉ〜?忙しくてあんまり来れなくてごめんなぁ〜」
「はいはい」
「ほんと、パパに似て間抜けな顔してるよね〜」

久々に見る絵里の笑った顔にさゆみも頬が揺るんだ。
ここ最近の絵里はなにか張り詰めていたから。
理由なんて一つしかない。

「絵里・・・れいなから連絡あった?」
「・・・・・・。ううん、なにも」
「毎日小まめに手紙よこしてたのに・・・おかしいね」
「うん・・・」

何やってんだろあの馬鹿は。また絵里にこんな顔させて。
帰ってきたらボディにフックにジャブにアッパーとどめにストレート喰らわしてやる。

「・・・。実はね、一時帰国するかもって連絡あったんだ」
「え!?いつ!?」
「明日・・・」
「ええ!?ちょ、それ早く言いなよね!」
「ごめん。乗る便がANAの○○便なんだけど・・・」

その時、つけっ放しにしていたテレビから21時のニュースが流れてきた。
しかめっ面のわりと美人なキャスターが深刻そうな顔で今しがた入ってきたニュースを口頭で伝える。

「アメリカ発、日本着の国際線ANA○○便が本日午後19時、太平洋上空にて火災発生、
 墜落は免れたもののメキシコ沖合いにて不時着陸したとのことです」
「・・・え」
「アメリカからの情報によりますとこの便に乗っていた日本人は52名で只今身元確認を急いでおります」

目の前が真っ暗になる。
絵里が嘘・・・と呟いてから糸の切れた人形のように倒れた。
腕の中の赤ん坊の泣き声が、これは現実だとでも言うように耳の中で何度も響いていた・・・。





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