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ice_cream313 2022年11月23日(水) 02:11:08履歴
七三分けにした少し長めのオリーブ色の髪に茶の瞳、右目にモノクルをかけている。
酷く生真面目だが、何を考えているのかは読めない。
常に不気味なほど微笑んでいる。
オーケストラ軍の中で最高齢。(見えない)
身長:176cm
年齢:24歳
酷く生真面目だが、何を考えているのかは読めない。
常に不気味なほど微笑んでいる。
オーケストラ軍の中で最高齢。(見えない)
身長:176cm
年齢:24歳
オーケストラ軍で参謀を務めている。かなりの切れ者。博識。
主として書類整理をしていたり、作戦計画表を作ったりする事務型の精霊。
図書館の司書も務める。
思想上はどこにも所属しておらず、ただオーケストラ軍で働いているだけである。
古今東西様々な譜面を書くことが出来る。
自分の采配一つで精霊が散るかもしれない、ということにあまり興味を抱いていない。
彼が関心を示すのはその楽器の歴史と戦術だけ。
「最高の譜面を作ること」を目的としているため、自分はその場で最善の譜を作るだけで、その先がどうなるかは全く無関心。
ある意味でとても冷酷。
謎多き精霊で、彼の趣味や好きなことなどは誰も知らない。
しかし時折、彼の素が見られることがある。いつも食べているパンの味が一緒だったり、珈琲には砂糖もミルクも入れることだったり、それを知る機会があるのは共に働く司令本部の精霊だけ。
時折「ゥヮーーー」と小声で呟いているのが見られる。何かショックなことでもあったんだろうか。
余談だが「ー」は三本。
ちなみに彼は軍管理棟図書館に納められている莫大な数量の歴史書の著者。
流れゆく歴史の中で彼は古今東西全ての楽器の歴史を見て記してきたのである。
主として書類整理をしていたり、作戦計画表を作ったりする事務型の精霊。
図書館の司書も務める。
思想上はどこにも所属しておらず、ただオーケストラ軍で働いているだけである。
古今東西様々な譜面を書くことが出来る。
自分の采配一つで精霊が散るかもしれない、ということにあまり興味を抱いていない。
彼が関心を示すのはその楽器の歴史と戦術だけ。
「最高の譜面を作ること」を目的としているため、自分はその場で最善の譜を作るだけで、その先がどうなるかは全く無関心。
ある意味でとても冷酷。
謎多き精霊で、彼の趣味や好きなことなどは誰も知らない。
しかし時折、彼の素が見られることがある。いつも食べているパンの味が一緒だったり、珈琲には砂糖もミルクも入れることだったり、それを知る機会があるのは共に働く司令本部の精霊だけ。
時折「ゥヮーーー」と小声で呟いているのが見られる。何かショックなことでもあったんだろうか。
余談だが「ー」は三本。
ちなみに彼は軍管理棟図書館に納められている莫大な数量の歴史書の著者。
流れゆく歴史の中で彼は古今東西全ての楽器の歴史を見て記してきたのである。
楽譜の歴史は長く、紀元前3世紀、メソポタミア文明の頃に、石版に“アポロンへの讃歌”が刻まれたのが最初である。
紀元後3世紀ごろには古典ギリシアの記譜法が書き残されている。
9世紀頃、合唱を指揮する際の手の合図を表す“ネウマ譜”による最古の聖歌集が現れた。
最初は左から右に曲線と直線のみで音の長さと高さを表していた。次に基準となる音程の位置を水平の線1本で標記する様になり、更にそれが4本、5本となり、現代の楽譜と同じ形式になった。
ちなみに現代のカトリック教会で使用されるネウマ譜は、音の高さを表す線が4本のものである。
1025年頃、4本の線の上に四角い音符を書くという、現在の楽譜の表記法の原型が考案された。
1473年、機械で印刷された楽譜が初めて登場した。この頃には楽譜を印刷するのに手間がかかった。
やがて1520年頃に楽譜の印刷が1度の印刷でできるようになり、1528年にこの技術が広まった。
楽譜の線が5本に落ち着いたのは、17世紀に入ってからである。それまで教会の聖歌隊は、音域が1オクターブなので4本。音域が広い鍵盤楽器は6本。時には7〜8本にもなっていた。音楽による楽譜の違いを統一し煩雑さを無くそうとする動きが出てから、5本に落ち着く。
19世紀には、音楽産業は楽譜印刷業界が担っていた。
20世紀に入ると蓄音機と録音した音楽に比重が移り、楽譜の出版は飽和を迎えた。
20世紀後半から21世紀にかけては、楽譜をコンピュータで読み書きできる形にする技術の開発が盛んに行われた。音楽データのデジタル転送規格であるMIDIを利用した記録方式である“Standard MIDI File”等も楽譜の系列である。
紀元後3世紀ごろには古典ギリシアの記譜法が書き残されている。
9世紀頃、合唱を指揮する際の手の合図を表す“ネウマ譜”による最古の聖歌集が現れた。
最初は左から右に曲線と直線のみで音の長さと高さを表していた。次に基準となる音程の位置を水平の線1本で標記する様になり、更にそれが4本、5本となり、現代の楽譜と同じ形式になった。
ちなみに現代のカトリック教会で使用されるネウマ譜は、音の高さを表す線が4本のものである。
1025年頃、4本の線の上に四角い音符を書くという、現在の楽譜の表記法の原型が考案された。
1473年、機械で印刷された楽譜が初めて登場した。この頃には楽譜を印刷するのに手間がかかった。
やがて1520年頃に楽譜の印刷が1度の印刷でできるようになり、1528年にこの技術が広まった。
楽譜の線が5本に落ち着いたのは、17世紀に入ってからである。それまで教会の聖歌隊は、音域が1オクターブなので4本。音域が広い鍵盤楽器は6本。時には7〜8本にもなっていた。音楽による楽譜の違いを統一し煩雑さを無くそうとする動きが出てから、5本に落ち着く。
19世紀には、音楽産業は楽譜印刷業界が担っていた。
20世紀に入ると蓄音機と録音した音楽に比重が移り、楽譜の出版は飽和を迎えた。
20世紀後半から21世紀にかけては、楽譜をコンピュータで読み書きできる形にする技術の開発が盛んに行われた。音楽データのデジタル転送規格であるMIDIを利用した記録方式である“Standard MIDI File”等も楽譜の系列である。
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