作者 睡蓮 
本編
「う、ぐぐぐ……ぅぁ……」
ハンジローの強烈な頭突きを喰らったイゾーは、函館山から1キロ先の街区の古民家まで飛ばされ、そこの瓦屋根の上で意識を取り戻した。
「ッ！！」
すぐさま頭を起こして周囲を警戒するが、どうやらまだハンジローには見つかっていないようだった。
幅広い長屋の屋根に自らが突っ込んだ跡が、砕けた瓦で直線上に残っており、衝突時の衝撃を物語っている。
身体を検めると触手は全て折られ、一番長いものでも僅か20センチほどしか残っていない。体内に埋め込まれた人工飛行器官は辛うじて無事のようだが、この姿でハンジローと戦っても勝ち目はまずない。
「ゴボッ……」
咳が血生臭い。唾を飲むだけで肺に激痛が走る。臓器破裂など致命傷は免れたが、砕けた肋骨が内臓の至るところに突き刺さったようで、呼吸さえ苦しい。
「ゴホッゴホ！！」
気道が破れたせいで、吐いた血が泡立っていた。
「とにかく、どっかに隠れて、き、休憩……するんちゃ……」
歯を食いしばって立ち上がり、役立たずの触手の切れ端を捨てて身軽にして足を進めると、慎重に屋根から降り、飛行器官を用いて舞い落ちる枯葉のように恐々着地した。
「のだ？」
すると、降りた先の中庭で妖精達の罵声が聞こえた。末端が小競り合いでもしているのかと、イゾーは顔を上げた。
「ちねぇぇーっ！！くしょきょーだい！！さっさとちね！おとーちょならおとーちょらしく、あにずんのためにくたばれなのだ！！」
「うるちぇのだ！！オメェがぢねゃぁぁぁぉ！！！」
「きょーだいずん！！ゆ、ゆるちてのりゃ！！ぼくがいきのこるためにしんでほしーのだ！！」
「うわーーん！！かぞくでこんにゃことちたくないにょだぁぁあぐわぁぁ！！！」
「おにーちゃ、つぎのずんせーでは、なかよしきょーだいになり、ちゃい、の、りゃ……ばい、ばいにょりゃ……」
「い、一体、何をしてるのだ……？」
生後10日ほどの年端もいかない赤ずんが、爪楊枝を持たされ、血だらけで刺突し合っている。泣き叫ぶメスずんの言葉からして、5匹とも同じメスずんの腹から生まれた赤ずんらしい。
すでに2匹は虫の息。残る3匹は折れた爪楊枝を捨てて、骨が突き出て肉が露出した腕で互いに互いを殴りつけている。
なぜ、兄弟で殺し合っているのかイゾーには分からない。
「オラオラガキども！にくめ！ころしあうのだ！ずんだふは、つよいずんだもんしかいきるかちはないのだ！いきたかったら、きょーだいブチころしてのしあがれ！なのだ！」
FAIRIESの恩賜の短剣を持ったずんだ府の将校が、殺し合う赤ずんに発破をかけている。食い扶持を減らすために強い赤ずん以外を間引いているのか。
確かに、ずんだ府の食糧に余裕はない。だからといってこのような蛮行を認めた覚えはイゾーにはない。
「やめちぇくだちゃい！！おちびちゃんはみんなゆーしゅーなのだ！！こんなひどいことしなくても、ずんだふのやくにたてるのだ！！おちびちゃんもたたかわないで！！」
「ぐげっ」
「ギャハハ！！くしょザコのおとーちょ、しとめてやっちゃにょだ！！うわーん！うわーん！プッ……ブヒャッヒャヒャヒャ！！」
「おかーちゃ、なんでこんなとこ、で、うんだのだ……」
「いやあああああ！！かわいいおとーちょたちが、なんで……むごすぎるのだ！！」
「おかーちゃこんなのみたくないのだ！！きょーだいをとめてあげてほしいのだ！！」
離れた場所で悲鳴を上げるママずんに、その娘のメスずん2匹がしがみついて、火がついたように泣き喚いている。そのママずんを、他のずんだ府のオスずんが真横から蹴りつけた。
「のぎゃっ！」
「おかーちゃっ！？だいじょーぶ！？」
蹴られて転んだママずんに駆け寄ろうとするメスの子ずん2匹の頭を、ずんだ府兵がわし掴んで持ち上げる。
「うるちぇのだクソメス！たたかいもせず、ヘコるだけのいあんふがグチグチやかましいのだ！メスのガキども！じゅーぶんでかくなったし、オメーらもいまからいあんふ、なのだ！」
「いや！いや！まだヘコヘコなんかちたくないのだ！！おかーちゃたちゅ、たちゅけて！！」
「えっ？や、やめてくだちゃい！おちびちゃんにまだヘコヘコは！ぶばっ！！」
ずんだ府兵から子ずんを取り返そうと兵の腕を掴んだママずんの頭を、もう1匹のずんだ府兵が額に青筋立てて背後から定規で殴りつけた。
日常的に虐待を受けているのか、倒れたママずんの痩せ細った身体は生傷とアザがひどく目立っていた。
「テメーこのごにおよんで、まださからうのだ！？クソイラつかせやがっちぇくちょぉぉぉ！！！せんゆー！このずんぽケースはぼくがきょーいくするのだ！ガキはオメーがたのしんでいいのだ！」」
「がっ！ぶぐっ！ぼっば！あっご！！うっ！！」
そう言うと、ずんだ府兵は定規で執拗にママずんを殴打した。殴り殺しても構わんという意識が透けた苛烈な暴行を前に、子ずんは失禁して震えることしかできなかった。
「ありがとなのだ！ではさっそく」
「おか……ぢゃぶっ！？」
その怯えきった子ずんの腹に蹴りを入れると、ずんだ府兵は気絶した子ずんの尻を掴み、極太ずんぽで一気にあにゃるを貫いた。
「ぎぃっ！ぶぇ」
「おほぉ！！キツキツなのだ！！でもやっぱりはやすぎちゃったのだ！つきやぶっちゃったのだ！」
極太ずんぽより小さい子ずんは、挿入された瞬間に首がもげて断面からずんぽが飛び出し、息をつく間も無く即死した。
「ひぃぃ……！」
飛び散った鮮血を浴びて、もう1匹の子ずんはよだれを撒き散らしてこの場から逃げようとしたが、あっさり捕まり、四肢を石で砕かれると血尿が出るまで殴られた。
「いくらキツキツでも、すぐしんだら1ミリもきもちよくねーのだ！！オメーはぼくがタネちゃんだすまでしぬななのだ！！しんだら、ころちゅ！」
「あ、ああああ……」
そうは言われたが、この子ずんもすぐに先に死んだ姉ずんか妹ずんと同じ末路を辿り、その死体は花壇の端に虫ケラ同然に放り捨てられた。
「ぜんぜんきもちよくなかっちゃ！オスをきもちよくできないメスにぃ〜いきるかちはぁぁぁ〜っ！なしっ！なのだ！！」
ずんだ府兵が歌舞伎役者のような口ぶりで、死体から引きちぎった尻尾を丸呑みする。
(こ、これが、妖精の天国、なのだ……？)
兄弟ずんで殺し合いを強いられ、それを止めたママずんは暴力を振るわれて、戦力にならないメスの子ずんは遊び半分にヘコられて殺される。そんな光景を見てイゾーは愕然とした。
今までイゾーは領地で人間狩りをするばかりで、FAIRIES支配下の北海道でも、ずんだ府でも、子ずんがどんな風に育つのか視察してみようなど、一瞬も思わなかった。
(くしょにんげん狩りに夢中で、ずんだ府で生まれたおちびの成長なんか気にしたことなかっちゃ……指導者なら当たり前のことなのに……こんな当然のこと、何で今まで考えたりしなかったのだ……？)
「はぁっ……はぁ……ゲヘヘ……ずんちゃにさからう、たいせつなきょーだい、ぜんぶころちてやったのりゃ……ぼくこそが、いきるべき、ゆーしゅーなよーせい、なにょだ……かわいい、おとーちょ……」
気づいた時、兄弟ずんの殺し合いは終わっていた。
最後の生き残りは腕と頭に爪楊枝が刺さったまま、ずんだ府将校の元に足を引きずって近づいた。
背後には、さっきまで兄弟ずんだった肉の塊が転がっている。
激しいストレスで人格が分裂したのか、赤ずんは青白い顔色で泣きながら笑っていた。
「よくやったのだ。オメーはずんだふのオスずんとして、ともにあゆむにふさわしいのだ！きょうのごはんさんなのだ。うけとれ！」
将校ずんはそう言って、赤ずんの前にブナシメジのようなキノコを短剣で突き刺して放り投げた。赤ずんは身内を殺して得た対価にかぶりつく。
そのキノコを見たイゾーは目を見張り、思わず声が出た。
「待っ……そのキノコさんは……！」
「キノコしゃ！おいち、おいち！うまれてはじめてごはんしゃん！ちんだきょーだいにも、たべさせちゃかっ……がっ！？」
キノコを咀嚼していた赤ずんが急に腹を抑えてうずくまった。
「バカが……」
将校ずんが赤ずんの顔に唾棄すると、赤ずんの背中に大小様々のこぶが浮き上がり、バキバキと骨を砕く音を立てて皮の内側で何かが蠢きだした。
「ぃつ！！ぎぎぃっ！！にゃにを……くわちぇた……のあああああああ！！！」
そして、背中の皮を裂いておぞましい数のキノコが飛び出した。筆舌に尽くしがたい痛みを前に、赤ずんは口から血の泡を吹いて気絶した。
「お、おちおちびぃぃぃぃいやぁぁーーっ！！！」
「オメーにくわせたのはくちべらしダケなのだ。こんなものもみぬけねーようじゃ、ひきょーなじえーたいにはかてねーのだ。マヌケが。さっさとちんで、おまえのきょーだいにあいに……」
と、言いかけて将校ずんは口を閉じた。そしてすぐに顔を綻ばせた。
「いや、きょーだいころすよーなクズはじごくいきなのだ！！オメーはあのよでえいきゅーにひとりぼっち！なのだ！！ギャハハ！！オラッろくもんせんのかわりなのだ！うけとれのだ！」
そう嘲笑って赤ずんの頭にずんちとちーちーをぶっかけた。尚も身体中から生え続ける口減らしダケに侵食されながら、ずんちに塗れた赤ずんはぼそりとうわ言を漏らした。
「じごくなのりゃ」
そう呟くと、口減らしダケは赤ずんの口を引き裂き、身体中からとめどなく溢れ出し、1分後には完全な苗床となって輪郭がキノコに縁取られて残るのみとなった。
「そんな、そんな！おちびちゃあん！！」
リンチされて顔を倍に腫らしたママずんが、定規を振り上げたずんだ府兵を押し倒し、苗床になった我が子のそばに駆け寄る。
しかし、すでに赤ずんは死体も残っておらず、キノコの山を抱き抱えてママずんは号泣した。
「おちびちゃん！！ごめんなのだ！ここがよーせいのてんごくだって、うわさをしんじたわたちのせいなのだ！！こんなじごくだって、しってたら……せっかくげんきなからだで、かわいいおかおしゃんでうまれてきてくれたのに……！」
どうやらこのママずんは、寒い冬でもずんだ府なら快適に過ごせるという噂話を信じ、おちび達を連れて東北地方から移住してきたらしい。だが、現実はそう甘くはなかった。
ママずんが苗床と化した赤ずんの頭の箇所を愛おしそうに撫でると、頭の形をしたキノコの束がボトリと落ちて地面に散らばった。
「こんなめにあわせるくらいなら…た、たとえたりないちゃんにうまれても、みんなでさむいふゆを、みをよせあっちぇ、しんだほーが100まんばいマシだっちゃ！う……うわああああああああ！！」
そう叫び、苗床を抱えてママずんは滂沱の涙を流した。蛇口をひねったような涙が目から噴き出し、身を切られるような悲痛な声を上げた。いや、我が子を失う心の痛みは本当に身を切られるよりも辛いのだろう。
「うおっうおおおおおおおおっ！！！うおおおおおおおおおおおおっ！！ぐあああああああああ！！！」
あまりに激しく泣き喚くので、ずんだ府兵3匹は呆気に取られ、しばし互いに顔を見合わせて固まっていた。
だが、一番近くで見ている将校ずんが忌々しそうに舌打ちする。
「チッみぐるしーのだ！もうオメーみたいなガバあにゃるビッチずんいらねーのだ！ぶっころちてや……お？」
そして、短剣を握る手に力を込めた時だった。
「イッ、イゾーさま！？」
「何してんのだ？オメーら……？」
自らに歩き寄ってきたイゾーに気づき、慌てて剣を下ろしてずんだ府の総大将に敬意を示した。
「イゾーさま、けんがくにきましたのだ？よろこんでくだちゃい！たったいま、ずんだふにひつよーないカスをしょけーするとこですのだ！！」
「のだ！どのガキもうつくしいはこだてさんに、すむかちのない、みのほどしらずでしたのだ！いかしておいてもロクなことにならなかったのだ！」
「ところで、そのおケガさんは……」
「気にしなくていいのだ。で？誰にこれを命令されたのだ？」
「えっ……と、それは……」
鉛のような声でそう詰め寄られた将校ずんは硬直し、気まずそうな顔で一度夜空を見上げた。そして、言い訳が地面に書いてあるのかしおらしく俯き、先程の威勢の良さは消え失せ、気まずそうに黙った。
時が経ってイゾーが去るのを待っているのだろうが、イゾーにその気配はない。
「オメー、おちびを遊び半分に戦わせて殺してたなのだ？で、今ぼくに詰められて口ごもるってことは、バレたらまずいことだとわかってやってたなのだ？」
「しょ、しょんなことは……」
「わかってやってたなくしょガキが！！！」
そう怒鳴るや否や、将校ずんの脇腹に蹴りを叩き入れた。
「ふぷっ！？」
将校ずんは白目を剥き、血反吐を吐いて飛んでいった先の電柱に頭を強打して死んだ。死骸は首から上が完全に潰れ、電柱に埋まっているように見えた。
「な……イゾーさま！？がっ……！」
さらにイゾーは残りのずんだ府兵の方に跳躍すると、背後から首を脚で挟んで組み伏せて、渾身の力で締め上げた。
「イゾ、じゃま……ゃめ、ちぇ……」
か細くそう命乞いするも虚しく、メスの子ずんをヘコり殺したずんだ府兵は首を捻じ切られて殺された。
「ま、まってくだちゃい！ぼくらは、イゾーさまのめーわくにならないよう、ゴクツブシをしょぶんしてただけなのだ！！」
最後の1匹は粛清される恐怖に腰を抜かし、迫るイゾーに這いつくばって許しを乞うた。
「年端もいかないおちびをいじめ殺すゴミ虫の方が、よっぽど穀潰しだとは思わないのだ？」
「あっ……うぉっ、うおおおおお！！がぶっ！？」
それをあっけなく一蹴されるとヤケを起こし、その場にあった爪楊枝を掴んでイゾーを殺そうとしたが、うまく立ち上がれずもがいているところを、頭を踏み潰された。
「フンッ！！」
それでも気が収まらず、イゾーは死体を糊状になるまで執拗に踏みつけた。
「ハァハァ、ハァ……」
やがて気が済んだイゾーは息切れしながら辺りを見回し、さっきとは打って変わって黙りこくっているママずんの元へ後ろから近づいた。
「ずんだ府の長として、手下のバカな真似を止められなかったことを申し訳なく思っているのだ。何かぼくにできることがあるなら、言ってみてほしいのだ」
イゾーはママずんに謝罪したのだが、返事がない。
「……？」
不思議に思って肩を足で叩いてみると、前のめりになってママずんは倒れた。
「うっ」
死んでいた。身体中の水分の最後の一滴まで泣き尽くし、干物のように乾いてママずんは死んでいた。最後まで口減らしダケの苗床となった我が子を抱く腕は離さずに。
「そ、そんな……ぼくは、おちびが辛い目に合わずに大人になれて、親ずんがおちびの成長を見届けて、安らかに天国さんに行ける世界を作りたかったのに……あれが、ずんだ府の、す、すがた……」
理想と現実の狭間に打ちのめされたイゾーの脳裏に、かつて自分が自衛ずんでもない、ただの子ずんだった頃の記憶が鮮明に蘇った。
「何で今になって、こんな昔のことが……そうか……ぼくは力に酔っていたのだ……ぼくのずん生で、弱い子を、自分をかえりみず助けようとしたのは、あれだけだったのだ……。あんなくしょざこだった時が、ぼくが一番強い時だったのだ……」
イゾーの欠けた両腕が疼く。もう一度やり直せるならやり直したい。そう心底から思った。だが、もはや叶わない。
「やっと分かったのだ？」
長屋の屋根の上で追いついたハンジローが、イゾーを冷たく見下ろしていた。槍を手で回しながら、悔やむイゾーに向けて口を開いた。
「オメーがどれほど悔悟しようと現実は変わらんのだ。所詮オメーはクラブハウスのくしょにんげんと同じ穴のムジナさんだっただけなのだ。だが、まぁ……弱者が力を持っても同じ弱者を虐げる、より下等な弱者に成り果てると知れただけ、オメーも生まれてきた価値があったんじゃねーのだ？」
イゾーの忸怩たる思いを一蹴するハンジローの暴言は、正論だとイゾーには思えた。確かに自分のあにゃるに花火を詰めたクラブハウスの客と、子ずんを蹴ってハンジローにぶつけた自分は大差ない。
「……」
だが、正論というものは言われた側には怒りしか与えないと古来から決まっている。
重装触手も手下も、希望すらも失くしたイゾーの臓腑がふつふつと煮えくり返り、額に熱い血管が隆起していくのが分かった。
「さて、とっととかかってこいなのだ。ずんだ虫」
ハンジローは同じ妖精に対する最大級の侮辱を吐き捨て、瓦を踏み割り長屋から飛び降りた。
イゾーもまたゆらりと立って振り返り、憎悪を宿した瞳をハンジローに向けた瞬間、イゾーの胸から眩い光が走り、満身創痍の肉体は瞬く間に輝く七色の靄へと包まれた。
「ほう……」
ハンジローが目を瞬かせる。ここに来てイゾーが人型に進化したのだ。盲いた両腕が生え揃い、鍛え抜かれた筋肉はそのままに、人型になっても屈強な姿をイゾーは保っていた。
「フッ……」
ハンジローはほくそ笑むと、最後の1本の触手を延長して引き抜き槍に変えると、あろうことかそれをイゾーに投げ渡した。
受け取ったイゾーはそれを疑問にも思わず、握り締めると大地を蹴って共に激突した。
槍を抱いて回転しながら高速で襲い来るハンジローを踵落としで打ち落とし、踏みつけるハンジローに槍を突き立てようとするも足裏からすり抜けられ、それからは互いに干戈を交え続けた。
家屋ごと民家の敷地を切り裂き、車道に飛び出した2名は尚も濃密な斬撃を繰り出し続ける。2名が過ぎ去った跡には、艦砲射撃に狙われたと見紛う荒涼とした地平が、濛々と立ち込める砂埃の中に広がった。
「死ねのだ」
「ぶぐぉ！！」
ハンジローの枝豆耳が開き、左右に潜ませていた3連装の仕込み銃が火を吹いて、イゾーの腰と脇腹、両肩を撃ち抜く。だが、もはや単なる負傷ではイゾーは止まらない。
何よりも、単純なスタミナでも同じ鍛え方をした妖精と人型の間には歴然とした差があった。
「がっ……！」
疲弊したハンジローの頭に肘で砕いたブロック塀の塊をぶつけ、よろめいた隙に今度はイゾーがハンジローの脇腹に回し蹴りを見舞う。
ハンジローが血を吐いて地面に転がると、この好機を逃さずイゾーは飛び跳ね、ハンジローの心臓めがけて槍を振り下ろした。
「むぅ……」
槍が突き刺さり、確かな手応えにイゾーは気を緩めた。だが、ハンジローより先に見たのは自分の胴体だった。身体の妙な痛みに気づいたからだ。
「オ、オメー……」
ハンジローの槍が心臓を貫いていた。対するイゾーの槍はハンジローの腕の付け根を貫いている。わざと刺されて、確実に急所を刺しにきたのだとイゾーは理解した。
生ぬるい血がとめどなく口から溢れた。ハンジローが槍から手を離すと、イゾーは数歩後退りして力なく背中から倒れた。
「ぼ、ぼくは、妖精として、力の、限り、尽くしたのだ……」
＊＊＊
「茜しゃちょーがいらっしゃいましたのだ！！」
「あかねしゃちょー！おつかれさまですのだ！」
「おう、ご苦労さん」
アール・デコの装飾に彩られた妖精軍帯広大本営の広間には佐官以上の古参の妖精兵達が集まり、妖精軍の最高位を平伏とラッパのファンファーレで出迎えた。
妖精軍元帥 琴葉茜
未成年に見えるほど若く美しい女性だが、その内面は残虐に手足を生やしたような人間であり、鬼畜という言葉すら彼女の前では善人に当てはめるものになる。
妖精兵達が左右を囲むカーペットの上を琴葉茜はゆっくり歩いていたが、1匹の妖精兵の前で立ち止まった。
「お前、顔を見せろや」
そう言って、恐る恐る茜の顔を見上げた妖精兵に彼女はそっと声をかけた。
「お前、函館の警備を任せていたヤツやな。よくイゾーに付かなかったな」
「とーぜんですのだ！あかねしゃちょーいがいにぼくらをみちびけるおかたは、いませんのだ！」
茜は片膝をついて座ると、ワンピースのポケットからタッパーに入ったずんだ餅を取り出し、その妖精兵に渡した。
「そうか、確かお前にはおちびが3匹いたな。仲良く食べるんやで。今後も頼むで」
そう言って立ち上がってまた足を進めた。
「あ、ありがとうございますのだ！！」
琴葉茜は妖精の顔を見分けられる特殊な観察眼と同時に抜きん出た記憶力を有している。彼女は出会った全ての妖精兵の顔と所属、個体によっては家族構成まで覚えていた。
そして妖精ペット産業最大手のFAIRIESの後継者として、幼少のみぎりから教え込まれた妖精の扱い方。
この手腕と才能と残虐さのどれか1つでも欠けていたら、妖精戦争もここまでの惨禍にはならなかったはずである。
「……」
琴葉茜が向かう先にある壇上。そこに上がるまでの階段の3段目に、妖精兵が1匹。この者のみが平伏せずに直立不動で起立している。
朱のマントを羽織った妖精兵こそ、此度のイゾーの反乱を鎮圧した大功労者、ハンジローである。
茜がハンジローの前で立ち止まると、傍に控えていたシンベーが手に持ったリストを高らかに読み上げた。
「妖精軍大将ハンジロー、ずんだ府壊滅と首魁イゾー征伐の功により昇進。妖精軍上席大将に任命する。勲等第1級枝豆褒章を授与。さらに新たに新設されたFAIRIES蝦夷守(えぞのかみ)勲章も与える他、琴葉姓を名乗ることも許す」
妖精軍上席大将。妖精軍において元帥の次に高位の階級であり、この地位にいるのは他に茜の実妹の琴葉葵しかいない。妖精兵としてこの上ない破格の地位である。
シンベーが読み上げると、もう1人の人型兵が螺鈿細工の化粧箱を持って茜の御前で跪き、その手元で蓋を開けた。
「どうぞ」
「うん」
中には大量の宝石と金箔で作られたブローチのような勲章が納められていた。茜は1つを手に取ると、マントの留め金に勲章のリボンを結び付け、もう1方は枝豆耳にかけた。
妖精軍上席大将 琴葉ハンジロー
「身に余る光栄でございますのだ茜しゃちょー。これからもぼく達をお導きくださいのだ」
そう言うと、平伏して茜のブーツに口付けをした。
「望みがあるんやったら何でも言ってええで」
イゾーが顔を上げる。
「はっ。イゾーも軍歴を汚したとはいえ妖精軍の英雄さんだった者。どうか茜しゃちょーがイゾーに持っておられるお気持ちの分だけ、ヤツを弔ってくださいませ、なのだ」
「流石はハンジロー。自らは何も求めず敵にさえ慈悲をかけるとは……まさに軍神の器や。わかった。葬儀は盛大に行うで。シンベー」
「はい。すぐに段取りを決めますのだ。ハンジロー上席大将。何か仰りたいことがありますかなのだ？」
自衛ずんは全て対等だが、儀礼の場ではシンベーはハンジローに敬語を用いた。ハンジローは天井まで飛ぶと、己を見上げる全ての妖精兵に演説した。
「今日この日より、この琴葉ハンジローが妖精軍司令として、茜しゃちょーの名の元に軍勢の采配を取り仕切るのだ！！だが、ぼくはオメーらを決して捨て駒さんとは思わんのだ！欲のためにも動かんと誓うのだ！今は戦の変わり目で厳しい時、共に力を合わせ、妖精の天国さんを作り上げるのだ！！」
「じょーせきたいしょー、ばんざい！！」
「ばんざーい！！」
広間が歓声に包まれ、ハンジローは名実共に妖精軍のトップに君臨することとなった。だが、その心の内はハンジローにしか分からない。
(あれほど苦労して、得たのは昇進と形だけの名字と勲章……比べて失ったものは遥かに大きいのだ)
ハンジローは胴上げを受けながら、イゾーの最期を思い返した。
＊＊＊
「ぐっ……が……く、苦しい……ここまでのだ……」
「心配しなくても槍を抜けば大量出血してオメーは即死するのだ」
今際の際のイゾーの頭の横で、ハンジローは座り込んだ。イゾーも敵になりはしたが、いざ死ぬとなると込み上げるものが少なからずあった。
「残す言葉があるなら聞いてやるのだ」
腕の傷を舐めて癒しながらハンジローが尋ねるが、イゾーは首を横に振った。
「この期に、及んで……いまさ、ら、そんなもん、ないのだ……おちびだっていないし……」
「そうか……」
ハンジローは苦しみが長引かないよう槍に手をかけた。
「うまいこといかないずん生では、あったし、後悔としてるけど、やるだけのことはやったと思う、のだ……」
「懺悔さんなのだ？」
ハンジローが目を細めたが、イゾーは鼻で笑った。
「違うのだ……ハンジロー、オメーはぼくが、茜しゃちょーをうらぎっ、たと思ってるのだ？」
「ああ」
「そ、それ、は半分違うのだ……お前は、知らんのだ。お前は茜しゃちょーを警察に、捕まるのが怖くて、戦争は、始めた、困ったさんだと思ってるのだ……？」
イゾーが咳き込んで黒い血を吐いた。
「あの人は……人の皮を被った、マジもんの化け物しゃん……なのだ……。あの人には、もうついていけなかったのだ……」
「勝手なことを……」
イゾーが槍を握る力を強めた。
「そう遠くない、内に……オメーもあの人の本性を、知ることに、なりゅ……。オメーの知る、あの方の内面など、ほんの上辺でしかないのだ……ぷぎゅうぅっ！！！」
突然、イゾーが頬を膨らませて身体の穴という穴から光が漏れ出した。
「あ！？」
ハンジローがすでに死に体と思っていたイゾーの動きに慄いたその時には、すでに脊髄反射で上空を飛んでいた。
直後、イゾーのいる場所から閃光が起き、地上に太陽が生まれたような巨大な火球が街区を包み込んだ。
「がぁ……ぐぇっ！？」
イゾーはさらに人工飛行器官の出力を引き上げたが、熱風に飲み込まれて姿勢の制御を奪われ、どこをどう飛んでいるのかも分からないまま、がむしゃらに飛び続けた。
「い、いっちゃいなにが……ギャィィィィィ！！」
「ぼ、ぼきゅのかわいいあにゃるさんがぁぁぁ！！」
「おちびちゃんがもえてるゥギギギギ……」
火球は拡大を続け、火に呑まれた建物は悉く溶けていき、錯乱して逃げ惑う妖精達は付近にいるだけで身体が自然発火して焼け死ぬ。
「おっ……おお……！」
何よりも恐ろしいのは、爆轟に巻き上げられた無数の瓦礫だった。燃えたままのコンクリートの塊は雨霰の如く街へと降り注ぎ、落下した先で火災を引き起こし、事態をより悪化させていく。
ハンジローは頭上に落ちてくる原型を残したままの自動車や一軒家を回避しながら必死に飛び続け、気づけば海を超えて青森にまで来ていた。
日本本土からも火球は容易に視認でき、夕暮れのような空には見事なキノコ雲が空へと伸びていた。
「そーいえば昔、オメー言ってたなのだ……。ただで死ぬくらいならくしょにんげんに特攻でもして自爆するって……」
自らの所領である函館を業火に晒し上げ、イゾーは死んだ。だが、最期まで屈服せず、誇りを貫き通したことを、ハンジローはむしろ賞賛すべきと思った。
ハンジローの脳裏に、イゾーが死ぬ間際に言った言葉が浮かんだ。
ハンジローが知っている琴葉茜の内面など、彼女のほんの上辺にしか過ぎない。
イゾーは確かにそう言った。イゾーは帯広においてシンベーに次ぐ琴葉茜の側近だった。常に戦場にいたハンジローよりも彼女については詳しいのは否定できない。
それにイゾーほどの豪傑がそれほど恐れるとは、一体何を見聞きしたのか知りたい気持ちもある。
だが、だから何だというのか。
「じょーせきたいしょー！ばんざーーい！！」
自分はどこまで行っても茜社長の使い走り。ずん生をかけて茜社長を守ることが生き甲斐であり存在理由である。
この戦争は間もなく最後の局面を迎える。
たとえ茜社長がどのような人間だろうと自分は付き従い、勝ち進むのみ。そういう意味では、自らの意思で離反し、理想に生きたイゾーの生き方を羨ましいと少しばかり思った。
声援の中で多くの部下の羨望を受けながらもハンジローの心は晴れず、勝利の実感を持てずにいる。
自衛隊が北海道に侵攻を開始したのは、それから6日後のことだった。
あとがき
おちび達を殺し合わせ、勝ち残った個体にさらに口減らしダケを与えて、騙されずに気づけるかどうかをテストするというのは、元を辿れば妖精軍、琴葉葵が発案したものである。
より屈強な精鋭となり得る妖精兵を早い内から選別するための試練だったが、驚くほど成功率が低かったため、早々に中止になった。
ずんだ府でこれを行った兵士は、恐らくおちびの時に口減らしダケを見抜いた数少ない妖精兵がずんだ府に入り、自分がされたことを真似したのだと思われる。
このページへのコメント
一寸の虫にも五分の魂ですね
イゾーに敬礼(｀･ω･´)ゞ
ハンジロー、丸腰の敵に自分の武器を投げ渡すとか高潔すぎるだろ。何でトップがこんな騎士道精神持ってて下はカス虫揃いなんだ
人間狩りに夢中になっていた結果、自分が率いていた妖精たちの愚かさに気づけなかったというのは、イゾーにとってかなり悔しかったでしょう……
「口減らしダケ」の設定、かなり残酷で好きです！「ずんだふ」「いあんふ」……妖精がこの言葉を使うと生々しくて何かイヤですね！
妖精の「天国」……戦争が始まった以上、どこまでも遠く…………琴葉姓を享けたハンジロー、今後のさらなる活躍が楽しみです！
ずんだ府、やはり組織としては（ｒｙ
口減らしダケｗｗｗ
それにしてもイゾー、最後の最後でまさかの人型化とは
最後のは睨視抵抗の末あえなく敗北するも「言葉」と「自爆」によって一矢
これが後々ハンジローにどう影響するのか
いよいよ自衛隊による反撃が
たのしみです
ちょっと誤字が
最後のは睨視抵抗→最後の激しい抵抗
憎き人間を相手するために同レベルかそれ以下になってしまったイゾーくん…決して悲しまれるモノではないが、それでも戦いの果てに散った彼に敬礼を贈りたいです…