基本情報


略歴

ラグライナ帝国の文官、キリカの元で長く補佐を務めた。
帝国将軍であるアリサの姉であり、共に騎馬民族の出身であるため身体能力も高く、文官でありながら武官顔負けの馬術を持ち、スポーツも好んでいた。
腕っぷしも強かったことが伺え、城内では大量の書類を抱えて移動する姿が見られた。
士官へ書類の提出がされていないことを注意した際に、相手が女性の文官と侮った男に胸ぐらをつかまれたが、逆に投げ飛ばしたというエピソードもある。

キリカガルデス共和国戦線へ移動してからは、前線と帝都との連絡役を担い、補給部隊に同行して前線に赴くことも多かった。
補給部隊を共和国工作部隊に襲撃され、かろうじて脱出した苦い経験があるが、それ以降は自ら補給路の視察を行い、襲撃に対抗する策を考案して補給路の安全に尽力した。
襲撃部隊を返り討ちにする手腕も見せたが、硫黄を使用した毒ガスの計を使った際には、さすがにやりすぎだとキリカに窘められたという。

1256年キリグアイ事件の際は、猜疑をかけられたキリカの無実を証明するべく共に調査に協力した。

その後、当時ラグライナ帝国の制圧下におかれていたシュツットガルド国に内政の監査員として派遣されていたが、そのタイミングで帝国内乱戦争が勃発し、混乱に便乗してシュツットガルドは独立を宣言。
その際、帝国から派遣された役人たちは虐殺されたので、彼女もそれに巻き込まれて殺害されたと思われていた。
しかし、後にルディの説得により、シュツットガルドが和睦を考えると、帝国への心証をよくするため牢内にいた捕虜を返還、その中に奇跡的に生き延びていた彼女もいた。
以後は、アリサと再会を喜び、再びキリカの副官として働く。

後にラグライナ帝国は、アレシア連邦の結成を巡って、武力蜂起した旧帝国貴族との戦いを繰り広げる。
この戦火により故郷を失うが、それでも軍を後方から支え続けた。
1273年にキリカより独立してラ・コリスティーへ赴任し、内政を取り仕切りったという。

人物

  • キリカの副官であったことから、本来なら帝国内乱戦争ではセリーナ派閥に属することになるが、前述の通り内乱の間シュツットガルドに幽閉されていたため、どちらの派閥にも組していない扱いとされている。
  • 元からの帝国人ではないため、中には南方の蛮族と心無いことを言う者もいた。出自を冷やかされた時は激昂することもあったという。
  • 連絡のため前線に赴くことは多かったが、公私混同になると、妹アリサと会おうとしなかった。それでも必ず手紙だけは託していたという。

関連項目

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