基本情報


略歴

ロードレア国の将軍。アルヴァドスの父親でもある。
レイディックの父から2代にわたってロードレア国に将軍として仕えていた。目立った軍功を上げていたわけではない(盗賊討伐に複数回従軍した程度)が、ロードレア城や国境周辺に位置する砦の改修を指揮するなど、城塞技術者としては評価を得ていた。
また、バルディゴス討伐連合軍(684)結成時にはレイディックの命で本国に留まり、国内の治安維持や対リューグゾリメック国境の警備活動に従事していた。
686年に将軍を引退。

ヴォレンには子供が5人いたが、次男は夭折。また長女はロードレア城に住む商人と結婚して民間人となっており、ロードレア国に将軍として仕えたのは長男のアルヴァドスと三男・四男の3人であった。このうち、ヴォレンはサイファス家の家督をアルヴァドスではなく三男に相続するつもりであったのだが、691年に三男・四男が相次いで戦死。この時、亡くなった2人が所属していたのがアルヴァドスの部隊であったため、ヴォレンは「2人の死に対する責任を負え」とアルヴァドスを激しく非難し、親子間に修復不可能なほどの深い対立を残すこととなる。このことはアルヴァドスの心にも深い傷を残し、シャリアル遠征(698)における反乱劇の遠因となった。

698年にアルヴァドスレイディックに対して反乱を起こした際、ヴォレンは隠居中の身であったこととザリスローラ家への忠義立てを理由に局外中立の姿勢を取り、長男であるアルヴァドスからの書状も黙殺した。
ルースの戦い(698)でアルヴァドスが敗死したとの報を聞いた翌日、ロードレア城近郊の自宅で自害。

人物

  • ヴォレンがアルヴァドスに家督相続を行わなかった理由は当初不明とされていたが、ヴォレンから長女(とその夫)に宛てた書状が子孫の自宅から見つかったことにより判明した。その中で、ヴォレンはアルヴァドスの将軍としての才能を高く評価していたが、その一方で「猪突猛進の傾向が強く思い込みが激しい」という性格面での難点を指摘。知勇のバランスが取れていた三男こそが自分の跡取りに相応しいと述べていた。
  • ヴォレン本人が城塞建設や本国での留守居役など防衛戦を専門とした将軍だったことが、この見解に影響を与えているのではないかという歴史家の声もあるが、これだけではアルヴァドスとヴォレンの確執を説明するには不十分との声も根強く、更なる資料の発見が待たれる。
  • 後の研究によって、ミルフィーロードレア国に仕官した直後、最初に配属されたのがヴォレンの部隊であったことが判明している。ヴォレンは政務に明るいことを理由にミルフィーを重用しており、最終的には副官にまで昇格させていた。

関連項目

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