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- 摩多羅(またら)
- 摩多羅神(またらじん)から。(詳細はこのページにある「摩多羅神」の項を参照)
- 隠岐奈(おきな)
- 隠岐(おき)
- 令制国の名前で、現在で言う島根県の隠岐諸島に該当。
- 同じ島根県の出雲(八雲)。八雲紫と対比か。
- 隠岐の神話と言えば因幡の白兎の大国主。彼女はルーツをマハーカーラとして居る為、大黒天と同一のイメージか。同音である大国主とも習合されるようになったとか。
- ちなみに島根県隠岐の島には「妙見山」なる山があり、妙見神社や妙見堂もある
- 隠岐(おき)とは沖の意味でもあり、奥(おく)の転訛でもある
- 隠岐次郎左衛門広有。広有射怪鳥事 〜 Till When?
- 隠
- 本作のサブタイトル「Hidden Star in Four Season」よりHidden(隠された)。
- 「鬼(おに)」の語源である「隠(おん)」
- 隠れ里。理想郷、山岳信仰、常世の国の観念が合わさった仙郷。マヨヒガなどもその一種。
- 隠田集落、隠田百姓村。隠れ里の一種。中世、落武者や貧農などが山の奥に開いた当時の政治行政的体制から離脱した集落。白川郷などが有名。
- 山の隠れ里に住んだ山の民。天狗とも関連。
- 岐
- 岐の神(クナドノカミ、フナドノカミ)。
- 道祖神(宿神)や猿田彦(天狗の祖先)と習合されており、分岐点や境界において疫病や災害が集落に入るのを防ぐとされる神である。
- 数少ない摩多羅神の祭りである広隆寺の「牛祭り」でも、摩多羅(摩怛利)神は防疫神として悪鬼達を追い払う神とされている。
- 香霖堂第一話にて、幻想郷に数ある道祖神の神体のうちの一つとして「障の神」として登場している。
- 奈
- サンスクリット語や外国語の音訳に用いられる。
- 奈落。仏教における地獄。
- 奈落。上記に転じて、劇場における舞台の下や歌舞伎の花道の床下の空間の通称。由来には、華やかな舞台の裏の嫉妬という説も。*1
- 隠岐(おき)
- 翁(オキナ)
- 男性の老人。ZUNいわく「翁ですよ名前は。お爺ちゃんだ」*2。
- (翁についても、詳細はこのページにある「摩多羅神」の項を参照)
備考
- 「摩」「羅」の字
- マーラ(漢字:摩羅)
- 仏教における魔神、悪魔、魔王。
瞑想中の釈迦の前に現れ、様々な誘惑や恐怖を与えて悟りに至るのを妨害しようとした。(出典:『阿含経』)
ヒンドゥーでは愛の神カーマと呼ばれる。
煩悩の象徴とされたことから、日本では転じて男性のイチモツをさす隠語「魔羅(まら)」としても使われる。 - ちなみにゲーム『女神転生』シリーズに登場する「マーラ」は男性のイチモツをイメージした姿をしている。
これは日本独自の隠語の要素をマーラに足し合わせた結果と考えられる。
上記の元々のマーラには男性のイチモツの要素はない。 - 「魔」と言う字は元々はこのマーラの漢字「摩羅」の省略体。
仏教用語における「魔」は「仏道の修行や人が行う善事を妨害する」存在全般を指す。*3 - 摩多羅神は、障礙神(しょうぎしん)。障碍神(しょうがいしん)。
「摩羅」(魔)が「多」く、それが逆説となり「魔」を払う神(障礙神)であることを名で現していると考えられる。 - (関連)
STAGE5 童子は狂気を跳ね踊る Into Crazy Back Door
STAGE6 開けるなかれ、見るなかれ 後ろの扉に秘天あり Hidden Star in Four Seasons
- 仏教における魔神、悪魔、魔王。
- マーラ(漢字:摩羅)
ZUN マーラ自体が言ってしまえば「摩」であり「魔」なわけですよ。日本で言うところの「魔」ってだいたいそこから来てるんじゃないだろうかなって。
だいたいの使われ方が「魔が差す」みたいに「魔」の一文字で済ませることがほとんどだけど、その語源はわからない。
そこまでいくと「魔」の言葉は向こうから来たのかな。魔法とも繋がっていたのかな、なんて想像が膨らみますよね。基本的にアヤシイものなんですよ。
(東方外來韋編 肆より)
- あらゆるものの背中に扉を作る程度の能力
- 摩多羅神は後戸の神。
- 後戸以外に「背中の扉」モチーフとして挙げられるのは、各地の大仏など巨大仏の背中にある胎内巡りや納骨堂へ出入りする扉。それはこの世とは異なる悟りの領域「あの世」への入り口ともいえ、人の心に広がる内面宇宙を準えたものともいえる。「背中の扉」とはすなわち「境界」を表すと思われる。
- コンピュータプログラムにおけるバックドア。正規の手続きを踏まずに内部に入ることが可能な侵入口。
- 気づかないうちに生命力や精神力をコントロールする能力
幻想郷を外の世界から守り、その何処にでも移動出来て、気付かないうちに生命力も
精神力もコントロールしてしまう不思議な能力で、幻想郷のバランスを取る役目を
負っている。 (おまけテキスト)
- バックドア等を利用して相手のコンピュータに不正侵入し、内容を改竄および不正利用するクラッキング行為。
- コンピュータゲームにおいて、ゲームを実行中のメモリに細工してパラメータを書き換える等して、不正にゲームを優位に進められるように改竄するチート行為。
- 「玄旨灌頂私記」によると、爾子多が肉体そのものを顕す五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)に加えて意識を合わせた「六識」を、
丁禮多が寝ていて意識がない時も自己に執着し続ける潜在意識である「末那識」を、
摩多羅神が末那識と六識を生み出し、人が世界だと思っているものを生み出している、末那識よりさらに下の最深層にある通常意識される事の無い「阿頼耶識」を表しているとされ、
三体揃って一心三観を表していると解釈される。
- 服装
- 『輪王寺摩多羅神二童子図』における摩多羅神の服装を忠実に再現したもの。
- ただし、『輪王寺摩多羅神二童子図』とは異なりシンボルとしての茗荷の紋様は無い。
「星神」としてのポジションを強調するように北斗七星の紋様が垂れ下がる前掛け(衣服の中心?)に刺繍されている。
- 6ステージの椅子に座った姿
- 摩多羅神のモチーフとされる『新羅明神像』に酷似している。上記の『輪王寺摩多羅神二童子図』でも椅子に座っている。逗子にある摩多羅神の掛け軸も構図は輪王寺摩多羅神二童子図と細部は異なるが、ほとんど同じ絵面である。
- 摩多羅神の「障碍の神」というポジションから。
むしろそういう人(障碍者)たちのほうが強いぞ、くらいのところを見せたかったんです。(略)
当初ラスボスは車椅子に乗って出てくるというイメージだったんだけど、本当に難しくてね。その名残で今は椅子に座っています。
(東方外來韋編 肆 ZUNインタビューより)
備考
- 椅子に座った時のポーズ
- 鼓(つづみ)を持つ座す像は数少ない摩多羅神を模した図や像のほとんどを占めるが、基本的には腰掛に座し、背凭れがついた椅子にかけている坐像は見受けられない。
- 前述した新羅明神像は片腕を上げ、もう片方を肘掛けに密着させている像である。勧請のされ方や現れ方も酷似したものとなっている。
「翁が船に現れる」というストーリーは、御茶ノ水の太田姫稲荷神社の口伝などにも存在する。こちらは疱瘡を避くるべくして祀る事を願ったが。奇しくも疱瘡は朝鮮半島の新羅から伝わったとされている為、原型は新羅明神と符合した何らかの(ドルガーなどの全くの異邦の神か、牛頭天王などの習合した)厄神であると思われる。
また、「行疫神」としての摩多羅神は、摩陀羅神と名を変えて鰐淵寺に存在する摩陀羅神社常行堂などに祀られているが、渓嵐拾葉集における「マハーカーラをベースとしている」という記述から、文化的変容を遂げたか、あるいは全く原点の要素を遺している「全く同じ存在」であると見てよいだろう。
- 前述した新羅明神像は片腕を上げ、もう片方を肘掛けに密着させている像である。勧請のされ方や現れ方も酷似したものとなっている。
- 太田姫稲荷神社の縁起の具体的な内容とは、小野篁が承和六年はじめ伯耆国を出港しまもなく、海は大しけとなり、船の先頭に座り観音経を唱えて祈願したところ、翁が海上に出現し、「航海の危険から命を守りぬくこと」「その者が太田姫尊であること」「その偶像を祀れば疱瘡より守られること」を篁に伝え、姿を消したというもの。
篁はその後像を彫り、その翁に対する感謝のため、に現在の京都の南部に神社を築き上げたという。新羅明神と摩多羅神の場合は遣唐使の帰還中、太田姫尊の場合は伯耆国からの船旅の途中の光臨という共通点がある。
- 鼓(つづみ)を持つ座す像は数少ない摩多羅神を模した図や像のほとんどを占めるが、基本的には腰掛に座し、背凭れがついた椅子にかけている坐像は見受けられない。
- 金髪
- 秦河勝はネストリウス派キリスト教徒のユダヤ人であるという説が最初期の日ユ同祖論者から提唱されている。摩多羅神と同一視される秦河勝がユダヤ人であるとすれば、摩多羅神もユダヤ人であることになる。アシュケナージ系ユダヤ人は金髪である。
- しかしながら、当初のユダヤ教の中核を担ったとされる西アジアのセム人は毛髪は黒か茶である。
- EXTRAにおける(真)のポーズは、『女神転生』シリーズに登場する「秘神キンマモン」のポーズに似ている
- キンマモンも同じくして、琉球神道において常世の国より出ずる精霊の王(天帝)であり、摩多羅神同様、正体も真の姿も秘匿された絶対神であり、弁財天と習合された信教の融合神である。
- 度々描かれる「北斗七星」は妙見菩薩の化身としての影響を受けてか、摩多羅神自体のイメージ星座として度々描かれる。『輪王寺摩多羅神二童子図』や「広隆寺牛祭の頭巾」も参考されたし。
- 車椅子
- 女神転生シリーズには、車椅子に乗った科学者STEVEN(スティーヴンとも)が登場する。
STEVENは悪魔召喚プログラムを開発したプログラマーであり、物語全般に大きく関わってくる非常に重要な位置づけをされているキャラクター。- STEVENは、理論物理学者スティーブン・ホーキング博士が元ネタとされる。
- 女神転生シリーズには、車椅子に乗った科学者STEVEN(スティーヴンとも)が登場する。
- 摩多羅神(またらじん)
摩多羅神は仏教の神。天台宗の常行三昧堂に「秘仏」*4として祀られていることで知られる。
様々な存在への信仰が習合し、多様な要素を同時に持ち合わせている神とされる。- 天台宗の常行三昧堂の守護神であり、江戸時代に邪教として弾圧された玄旨帰命壇の本尊とされた。頭に唐制の幞頭(ぼくとう、はくとう)をかぶり、和様の狩衣を着、包みを打つ姿をしている。左右に笹葉・茗荷を持って舞う童子がいる。天台宗の僧侶「円仁」(えんにん)が唐への留学から帰国の際、摩多羅神が空中から呼びかけたとされる。円仁はこの体験から、比叡山に常行堂を建立したとする。また、天台宗の僧侶「源信」(げんしん)が摩多羅神を念仏の守護神として勧請(神仏の来臨を請うこと)した記録が京都の広隆寺に残る。広隆寺で行われる牛祭では、現在も摩多羅神が祀られる。*5
- 常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)
比叡山延暦寺にある阿弥陀如来を本尊として祀ったお堂。
「常行三昧の行」という「90日間阿弥陀如来の周囲を念じながら歩き続ける修行」を行うための仏堂。 - 広隆寺
京都の太秦にある真言宗の寺院。
広隆寺の開基は摩多羅神と同一視される「秦河勝」(参照:秦こころ)。同寺は秦氏の氏寺でもある。
広隆寺の霊宝殿には、秦河勝像と伝えられる「神像」(重要文化財)が安置されている。 - 牛祭の様子 参照:You Tube:京都 太秦牛祭り。
- 常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)
- 諸要素の簡単なまとめ
民俗学書『闇の摩多羅神』では、「踊る神」。人間の心身に宿る、「踊り狂う(狂わせる)神」。「翁」(おきな)、「宿神」(シュクジン)、「後戸の神」(うしろどのかみ)とも呼ばれる。摩多羅神はサンスクリット語の“mātṛ”(母)に由来し、鬼子母神(ハーリーティー)と「本質的に同一神と考えざるをえない」とされる*6。
- 天台宗の常行三昧堂の守護神であり、江戸時代に邪教として弾圧された玄旨帰命壇の本尊とされた。頭に唐制の幞頭(ぼくとう、はくとう)をかぶり、和様の狩衣を着、包みを打つ姿をしている。左右に笹葉・茗荷を持って舞う童子がいる。天台宗の僧侶「円仁」(えんにん)が唐への留学から帰国の際、摩多羅神が空中から呼びかけたとされる。円仁はこの体験から、比叡山に常行堂を建立したとする。また、天台宗の僧侶「源信」(げんしん)が摩多羅神を念仏の守護神として勧請(神仏の来臨を請うこと)した記録が京都の広隆寺に残る。広隆寺で行われる牛祭では、現在も摩多羅神が祀られる。*5
- 民俗学・文化人類学書『精霊の王』では、摩多羅神は摩訶迦羅天(マハーカーラ、大黒天)、吒枳尼天(タキニ天、ダキニ天)、人食いでもある(『渓嵐拾葉集』の記録)。こうした人食いは、ダキニ天のようなカンニバルであり、仏教的には障礙神・守護神、民俗学的には荒神、とされている*7。
- 現代の摩多羅神
上記の他にも様々な信仰や習合が複雑に入り交じっていたが、摩多羅神を本尊とする玄旨帰命壇(げんしきみょうだん)は、江戸時代に「淫祠邪教」として弾圧された。大日本帝国の成立前後(明治時代)には「神仏分離令」・「廃仏毀釈」が行われたこともあり、以降急速に信仰が廃れた。
現存している摩多羅神の伝承は常行三昧堂、延年舞、牛祭、古文書、古美術品、遺物などがあり、詳細については現在も研究途上である。『闇の摩多羅神』は、「摩多羅神的なもの」は滅んでいないとし、現代文化やオウム真理教への流れを挙げている(後述)。
- 概要
- 猿楽の芸能神で、「翁」の成立に関係する。(猿楽とは「能楽」の古い呼び名で、滑稽物まね・演芸・歌舞・職業芸能のこと。)*8
摩多羅神と同一視される「秦河勝」は能(猿楽)の祖ともいわれ、芸能の神として信仰される。これにより、後の時代の芸能者(観阿弥、世阿弥など)が河勝の子孫を名乗っている。
- 猿楽の芸能神で、「翁」の成立に関係する。(猿楽とは「能楽」の古い呼び名で、滑稽物まね・演芸・歌舞・職業芸能のこと。)*8
- 摩多羅神は守護神、護法神(仏法を守護する善神・鬼神)の一種*9。
読みは「マタラジン」「マタラシン」「マダラジン」「マダラシン」など。
伝承途中で音が変化しており、「マタラ神」「マタリ神」ともいう。
漢字表記は「摩多羅」「摩吒羅」「摩多利」「忙怛哩」「魔多羅」など。
- 「翁」と同じく「後戸の神(宿神)」であり、中世芸能「後戸の猿楽」の神*10。
- 宿神としての摩多羅神
宿神(シュクジン)である秦河勝の実体は摩多羅神であるという伝承(『明宿集』など)にあるように、摩多羅神と秦河勝は同一視された。宿神は「元来はシャグジ,シュグジなどと称された」*11とされる。またシャクジン(石神)など、別名が無数にある。祟符「ミシャグジさま」も参照。
- 後戸の神としての摩多羅神
「後戸」とは、仏堂の背後の入口で、本尊の背後にある。後戸には本尊の護法神や、より根源的な神仏が安置される。法会儀礼のなかで「後戸の神」をまつる呪法は芸能化し、中世芸能(後戸の猿楽)が誕生した。また修正会(正月の寺院の儀式)では古来、後戸から鬼が出現する*12。 - 『精霊の王』によると、シャグジや後戸の神は、現代哲学でいう「構成的権力」によく似ている。
通常の制度や体系を支える権力は、自分自身では活動力を持てない。そのままでは秩序の世界は、安住・停滞へと向かう。しかし「構成的権力」は、背後から秩序の世界を揺り動かし、変化と創造へ駆り立てていくことができる。同じように後戸の神も、秩序・体系の神の背後に潜んでいる。そこで後戸の神は自分自身を激しく振動・励起させ、世界を力動的なものへと作り変えていく。
後戸とは、地理的・歴史的には「アフリカ的段階」である。真理を語るのが哲学だとすれば、後戸は、真理そのものが生まれ出てくる「前哲学的な空間」と言える*13。(巨石記念物、ストーンサークルも参照。)
- 摩多羅神は荒ぶる神(荒神)、障礙神(人々に障りをなす神)、祟り神などの側面も持っている。
摩多羅神の宗教は、「踊る宗教」(「無我」の境地へ近づくための「神行」)の一種に分類される*14。
- 民俗学的・歴史学的ルーツ
- 大地神
- 『闇の摩多羅神』は、「摩多羅」とはサンスクリット語の「マター」“mātṛ”(母という意味)の複数形「マターラ」“mātaraḥ”の音写であり、これは「諸母天」(七母天または八母天)を意味したに違いない、としている。
宋の天息災が訳した『大方広菩薩蔵文殊師利根本儀軌経(Mañjuśrīmūlakalpa)』では、「摩多羅」は“mātaraḥ”の音写に使われている。それに近い「摩怛羅」も、不空が訳した『蕤呬耶経』にて“mātaraḥ”の音写である。『日本天台史』の別冊にある『摩怛利神記』という文書には、「天竺で母となった女性を摩怛利(まうちり)呼ぶ。これは七母天のことである」とある。ちなみに「七母天」とは、「焔摩七母天」とも呼ばれ「焔摩天」(やまてん)の眷属(従者)とされる。「母」とあるように皆女性の天部であり、密教経典の『大日経義釈』に記載がある。
『闇の摩多羅神』の著者の川村は「摩多羅神はもとは大地神に繋がる女神、母神ではなかったか」としている。また、「大地母神の「生」と「死」の両方をつかさどる両義」性から「鬼子母神を想起させずにはおれない」とし、「大地神としての摩多羅神」は鬼子母神「(ハーリーティー)と同一神と考えざるをえない」と主張している*15。
- 『闇の摩多羅神』は、「摩多羅」とはサンスクリット語の「マター」“mātṛ”(母という意味)の複数形「マターラ」“mātaraḥ”の音写であり、これは「諸母天」(七母天または八母天)を意味したに違いない、としている。
- 大地神
- マターラ神
- 古代ヴェーダ語で「マター」は「母親」のことで、その複数形「マターラ」は夫婦・両親を指す。(マターがマターラとなった時、既に性の転換が起きていたのかもしれないが)その原初の神格は、女神・母神だった。「マターラ神」はその語源からして、訶梨帝母・鬼子母神などの母神・女神として容易に「メタモルフォーゼ」した。または「訶梨帝母、鬼子母神こそが、「マターラ神」の本性だったともいえる」。著者の川村の主張では、世界の各地域・各宗教で「MA」の音を頭文字に持つ女神・母神は、すべてを生み出す「母胎」の力であると同時に、「死と破壊」の神でもある。これを信じる者には生と福を授け、信じない者にはあらゆる「障礙(しょうげ)」を与え、生きている人間を「喰う」ような「怖ろしく、おぞましい死の破壊の神」であると、川村は言う。
また、インドには数多くの神がいるが「マターラ」もしくはこれに類する名前の神は存在しない。つまり、「マターラ神」という独自の神がいるわけではなく、様々な女神・母神の集合的な名前、総称である、としている。*16。 - ギリシアから東西への大地母神
訶梨帝母・鬼子母神の像は、左手で胸に小児を抱き、右手に石榴(ざくろ)を持つ。古代ギリシアの母神は、やはり石榴を母性の象徴としており、さらにキリスト教の聖母マリア信仰へと繋がっていく。つまり、根源的な大地母神のシンボルは「ギリシア世界から東西へと流れていった」ものであり、その一つは中国から日本への流れの中で、摩多羅神として登場した*17。
- 古代ヴェーダ語で「マター」は「母親」のことで、その複数形「マターラ」は夫婦・両親を指す。(マターがマターラとなった時、既に性の転換が起きていたのかもしれないが)その原初の神格は、女神・母神だった。「マターラ神」はその語源からして、訶梨帝母・鬼子母神などの母神・女神として容易に「メタモルフォーゼ」した。または「訶梨帝母、鬼子母神こそが、「マターラ神」の本性だったともいえる」。著者の川村の主張では、世界の各地域・各宗教で「MA」の音を頭文字に持つ女神・母神は、すべてを生み出す「母胎」の力であると同時に、「死と破壊」の神でもある。これを信じる者には生と福を授け、信じない者にはあらゆる「障礙(しょうげ)」を与え、生きている人間を「喰う」ような「怖ろしく、おぞましい死の破壊の神」であると、川村は言う。
- ターラー神(多羅菩薩・救度菩薩・多羅観音)
- ターラーはインドでは、ヴェ―ダ以前の古い女神の中で「最高の崇敬を受けるもの」と呼ばれた。チベットでは最も人気のある慈悲観音(観音菩薩)と同一視されることがある。またターラーは救いと星の意味を被せ持った神であり、ターラーをサンスクリット語で語源的には川を横切る、運ぶ、超越する、また解放するなどの意味合いがある。このことから境界神とも言われ事実チベット地方では冥界との境界においてこの女神が救いの手を差し伸べてくれると伝えられておりこれらから救度菩薩、境界神とも言われている。
- その他のルーツ
- 平安初期の天台宗の僧円仁が唐から帰朝する際(847年)に、船中に現れた神とされる。記録に表れるのは11世紀。
- 岩手県毛越寺の常行堂や日光輪王寺の常行堂などに祀られている事が知られているが、「秘神」とされ、像が一般公開されているものは極めて少ない。
- 『輪王寺摩多羅神二童子図』の掛け軸に描かれた姿が有名である。唐風の幞頭(はくとう)に日本風の狩衣を纏い、笑みを浮かべて鼓を打つ老人の姿で描かれている。併せて足元には笹と茗荷を持って踊る丁禮多(ていれいた)と爾子多(にした)の二童子が、頭上の雲の中には北斗七星が描かれる。
- 掛け軸の系統は京都の妙法院由来のものもあり、そちらでは二童子が風折烏帽子を被っておらず、摩多羅神だけでなく丁禮多も鼓を持っている。
- 民間信仰において、下述した通り断罪を以てして救済と為す神たるマハーカーラや、神道の始原の神「天御中主神」、或いは妙見菩薩などと習合し、時には邪神、時には福をもたらす神とされる。
- 妙見菩薩は菩薩信仰かつ、神仏習合の一種。「北辰妙見」ともいう。
これは北辰(北極星・北斗七星)のような星宿信仰に、大陸の道教や日本古来の説話や神道が融合する事で発展した伝承であり、一定の形状をもたない。これも混合の神である摩多羅神と習合した切欠であろう。比較的名の知れた菩薩であるが、固定図が無い為かイメージにばらつきがある、変幻自在にいろんなものに姿を変える今作の史実上のキャラクターも、摩多羅神の境遇や、或いは妙見信仰を準えたものであると思われる。また、日本に於ける重要文化財の像は一つだけである。 - ダキニ天(荼枳尼天)を制御するもの、病気治療・延命の祈祷としての「能延六月法」と関連付けられることもあった。また一説には、広隆寺の牛祭の祭神は、源信僧都が念仏の守護神としてこの神を勧請して祀ったとされ、東寺の夜叉神もこの摩多羅神であるともいわれる。
- 天台宗に於いては生と死を司る神として描かれる。
- 江戸時代、天台教観を正そうとした天台僧である霊空が、自身が著した玄旨帰命壇を批判する「闢邪篇」を時の法親王である公弁法親王に上書した。
その結果、玄旨帰命壇は立川流の流れを汲む淫祠邪教であるとして弾圧され、秘神信仰は急速に失われていったとされている。
- 翁(おきな)
- 能などに使う老人の面、翁面。文芸研究者の水谷靖によれば「老人の笑顔」を写したと言われており、天下泰平・五穀豊穣などを祈る「神の面」として昔から神聖視されている(造形は大陸由来と推測される)*18。
- 翁面は「ナタラ神」とも呼ばれる(『享禄三年二月奥書能伝書』)。ナタラ神は、「摩多羅神」の訛った伝承(訛伝)、または誤記*19。
- 翁と老人(老人面)
- 「翁」は、古くから伝わる神事儀礼の舞曲も指す。五穀豊穣・延命長寿・子孫繁栄・天下泰平・国土安穏を寿ぐ(ことほぐ)。翁面を使う。「式三番」ともいい、中世の猿楽能・田楽能・人形浄瑠璃・歌舞伎・神楽・田遊び・延年でも演じられる*20。田楽老体の神(翁)があらわれて祝言・祝舞を行う。
文学・水産学者石井康夫によれば、そもそも神事雑芸能(猿楽能や田楽能)で、「豊穣や寿詞を述べるのは老人の役割であった」。摩多羅神などの神々として祀られる翁は、そうした老人に相当する。老人面(翁面や尉面など)は、時代に連れて土俗的な形相が少なくなっていく。より古い老人面ほど「野趣に富み」、「庶民の老人の顔の様相」を写している*21。
- 「翁」は、古くから伝わる神事儀礼の舞曲も指す。五穀豊穣・延命長寿・子孫繁栄・天下泰平・国土安穏を寿ぐ(ことほぐ)。翁面を使う。「式三番」ともいい、中世の猿楽能・田楽能・人形浄瑠璃・歌舞伎・神楽・田遊び・延年でも演じられる*20。田楽老体の神(翁)があらわれて祝言・祝舞を行う。
- 翁信仰と星宿・宇宙信仰
- 中世(室町時代)の猿楽師である金春禅竹は、秘伝書『明宿集』(1465年ごろ)において、翁とは宿神であり、宇宙創造の始まりから既に存在すると述べた。
- 『明宿集』の信仰では、翁式三番は大日如来・阿弥陀如来・釈迦如来の一得三身(三位一体)を表しており、しかも翁とは神々である。
これに関して『闇の摩多羅神』は、「信仰の中心に翁面=宿神という秘義があった」と論じている。 - また『明宿集』では、翁面に目鼻口耳の七つの穴があり、それは北斗七星を示していると語られている。
これは「翁=宿神信仰が、七星信仰=星宿信仰と重ね合わせられるもの」と見られる。
そうした信仰は、禅竹や世阿弥などの猿楽芸人たちが共有していた。その信仰では、宇宙や天体の支配者たる「マクロコスモス」の神(星宿神)と、「ミクロコスモス」の聖具(翁面)とが、一瞬で重ね合わされ結合されている。『闇の摩多羅神』によれば、彼らの神学的信仰において、自らの「業」のために用いる「面」が神であり、それは無限に姿や形を変える星宿神へ、つまり「絶対神」へ帰り着いていく*22。
隠岐奈: 後戸の神であり障碍の神であり能楽の神であり宿神であり星神でありこの幻想郷を創った賢者の一人でもある (『天空璋』6面 霊夢・文・魔理沙)
表の顔は、地母神、能楽の神、星の神、養蚕の神、障碍の神、被差別民の神、等多岐にわたる。 (おまけテキスト)
- 後戸の神
- 護法神、阿弥陀仏・念仏の守護神
- 後戸に入り込む悪鬼を追い払う神
- 仏堂の背後の空間や床下への畏怖そのもの
- 障碍の神
- 「障碍」(障礙)は、「ショウゲ」と読み、障害・妨げのこと。仏教では、悟りの障害となるもの。*30
我が名は摩多羅神 即ち障礙神なり
我を崇敬せざる者は浄土往生叶わざる者なり
仍って大師、常行堂にこの神、勧請せり
(渓嵐拾葉集より引用)
- 摩多羅神の側面の一つ
- 不敬をなす者にはあらゆる願望成就の妨げとなり、信じる者には大きな力となる障礙神
- 仏法の妨げとなる障礙である天狗を同じ障礙の力をもって調伏する、魔を妨げる神
- 習合されている秦河勝や荼枳尼天、遠くは根の国のスサノオ等に見られる荒神
- ZUN氏は「障碍者の神」という意味でも用いている(『東方外來韋編 肆』 ZUNインタビューより)
- 歌舞伎に「健忘といふは卽ち業病。もし何ぞの障碍ではあるまいか」という一節がある。
業病とは「前世の悪業(あくごう)の報いでかかるとされた、治りにくい病気。難病」*31。 - 石神(シャクジン・障碍神)は、「人間や作物等に障害を与えるもの」を防ぐ神とされている*32。
- 能楽の神
- 能の始祖とされる秦河勝との習合
- 猿楽能で神聖視される翁との習合
- 寺院に属していた猿楽師は、仏法守護の神を勧請し結界・除魔等密教的行法を行う呪師の役を代行するようになり、後戸の神を祀る呪法は芸能化し後戸の猿楽と呼ばれた
- 宿神
- 漂泊する芸能民の守護神の総称
- 世阿弥の娘婿である金春禅竹は、『明宿集』で、翁とは宿神であり、秦河勝の化現であるとした
- 芸能研究家服部幸雄の研究によれば、摩多羅神が芸能民の神の本体であり、外部から秘匿されていたとされる
- 宿神は星宿の神、各地の地域鎮護の神であるシュク・シャグジ、境界の神である道祖神など、様々な他の信仰と習合され、複雑なまつられ方をしている
- 星神(星の神)
- 北辰信仰・星辰信仰・妙見信仰
- 金春禅竹は『明宿集』で、宿神とは翁・星宿の神・後戸の神(摩多羅神)であるとした
- 『日本霊異記』に、秦氏の里で妙見菩薩が信仰されていた記述がある
- 地母神
- 摩多羅はサンスクリット語のmatr(母)の複数形matarahの音写であるとする説があり、「諸母天」を意味する
- 仏教の天部の摩怛哩天との混同。摩怛哩天の元となったインド神話の神サプタ・マートリカーは地母神
- 大地を神格化したバラモン教の女神、プリティヴィー。男神として描かれる事もある。宗教的変容を遂げ結果、仏教の神々の一柱へと移ろいだ。密教上では堅牢地神や地蔵菩薩とされており、地鎮の神として日本中に祀られている。
- また、京都国立博物館に収められている「十二天像 地天」は輪王寺摩多羅神二童子図のものと形象が全く共通しているもので、両側に二対の后を携えている。
- 地蔵菩薩との関連から矢田寺成美との関連も考えられる。
- 養蚕の神
- 養蚕技術(農桑)を大陸から伝えた渡来人である秦氏の祖神、あるいは常世の神(大生部多の奉った蚕の幼虫)を屠った伝説からだろう。
- 被差別民の神
- 摩多羅神は芸能民・職能民や、「夙(宿)の者」といわれた被差別民にも関連する神*33である。
- 歴代、掌墓、産所、 巫 も京都府では被差別民とされている。産所(サンジョ、地域によって漢字の表記ゆれがある)は夙と同じように人形芝居など芸能民・職能民の土地。
- 村境や辺境に坐す神は、シャグジ(ミシャグジ)・宿神・夙神などがある
- 中世の芸能民達は、夙(シュク)の者、傀儡子などとも呼ばれ、被差別民の一つだった
- 民俗学者柳田国男の『石神問答』によれば、サカ(坂・境)・サク(避・裂・避)・サケ(同左)・サキ(崎・尖・岬)・ソコ(底・塞)などはいずれも同根の語で、“隔絶”を意味し、
“ものごとを隔てる”・“遠ざける”などを意味し、換言すれば、此処と彼処とを隔てる“境”、即ち民俗学でいう“境界”と同意と考えられるとした。
シュク(宿)の元の音はおそらくスクで、都邑の境または端れを意味し、具体的には村はずれ・河辺・坂・峠などを指し、
そこは人の住むには適しない辺境で、神や精霊といった霊的なもの(宿神・夙神)が往来し居付く聖なる場所とされ、
そのような境・辺境に坐す神=宿神は、外からの邪神・悪霊・疫病神などの侵入を遮る神として崇められ、
また、一般社会から阻害・排斥された人々(不治の病、特に癩病を罹病した人・旅の芸能者・一般放浪者など)が集まり集落をつくり生活し、
集落は宿(シュク、後に夙の字を充てた)、住民は宿人・夙人(シュクウド)と呼ばれた、という。 - 朝鮮には、身体障害者、精神遅滞などの片輪者をまねた、「病身舞(ピョルシンジュム)」と呼ばれる伝統的な芸能がある。一説によると摩多羅神は朝鮮から伝来した芸能の神であること、芸能は専ら河原者の生業であった事を踏まえると、彼らの信奉する「職業の神」に古今東西の神々が融合したものとも考えられる。
ピョルシンジュムは朝鮮の新羅時代から続く歴史的な仮面舞踊・タルジュムと結び付けられて演じられる事もあり、タルジュムは狂言や本国の能学同様、申楽にベースがあると指摘されているが、現在のタルジュムと狂言とでは、演目や舞台設計、詞などの様に決定的な違いがある。- 類似した芸能には、「疱瘡踊」というものがある。摩多羅神同様に完全なる出自は失われてしまっているが、鹿児島県全土で類似した芸能が存在する。直接的な関係があるとすればこちらだと考えられる。
- 参考程度に、疱瘡も垂迹の方法や様相などの類似性の指摘される新羅明神同様、同時期に新羅より伝来し猛威を振るった疫病である。前述した太田姫稲荷神社もまた疱瘡に深い関係性がある。
- 摩多羅神は芸能民・職能民や、「夙(宿)の者」といわれた被差別民にも関連する神*33である。
- 東方天空璋6面
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- 秘儀「マターラスッカ」
- 秘儀「背面の邪炎」
- 後符「絶対秘神の後光」
- 秘儀「秘神の暗躍弾幕」
- 秘儀「神秘の玉繭」
- 「秘神結界」?(八雲紫との合同スペルカード)
- 「背後からの盗撮者調伏」?(夢の博麗霊夢との合同スペルカード)
- 「卑怯者マスタースパーク」?(夢の霧雨魔理沙との合同スペルカード)
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このページへのコメント
MAの項目にストレンジジャーニーのメムアレフも併記していいかも
年齢ってなんです?
天台宗の摩多羅神について阿弥陀如来が大黒天と一緒のものであるということは何故誰も言わないのだろうか?
阿弥陀如来=大黒天=摩多羅神(マハーカーラ)
更にさかのぼってシヴァ神
シヴァ神の形態の一つにバイラヴァという神がいるがこれも阿弥陀如来の教令輪身でもある大威徳明王の異名でもある
シヴァ神は死の克服を祈る神でもある
更にいえば不動明王とシヴァ神も同体ではあるし観音菩薩もシヴァ神が元となったものも多い
阿弥陀如来の背後に祀る意味合いとはそういったつながりかもしれない
後はまたり神など複数の神がごっちゃになっているね
ただ東方の摩多羅隠岐奈の扱い方からするとシヴァ神としてではなく摩多羅神その他の雑多な解釈の神であってシヴァ神である、とするべきではないのだろうね
一応こういう説があるとだけにしてほしい
調べた限りでは
あくまで「摩多羅神に大黒天や阿弥陀如来が習合されて信仰されたと解釈できるケースも存在した(という説もある)」くらいの話みたい。
天台宗や真言宗が教義として阿弥陀如来=大黒天=摩多羅神としているわけではない。
あと、習合を「一緒」とか「=(イコール)」で表現する厳密には異なるし、誤解を招きかねない。
大乗初期の仏典である無量寿経には阿弥陀仏の師匠としてシヴァが登場する。
阿弥陀仏はヴィシュヌのような力欲しいと願ったりしている
摩多羅神は人間の内臓を供物に願いを叶えてもらう
密教で取り入れられた大黒天も内臓などを供物に捧げ願いを叶えてもらう。
ダキニ天法なんかも一応死んだ後内臓を捧げる。
インド本土でダキニ天が暴れまわった時シヴァ神がやっつけたらしい。
これは仏教にも取り入れられてるかな。
密教においては土着呪術も多彩に取り入れており中には悪霊などや魔物を祀る事もある。
インドでのシヴァの一面はそれだけにはとどまらないが
阿弥陀仏と大日如来は同体異名でありその変化身が不動明王(シヴァ)や大威徳明王(バイラヴァ=シヴァ)であるのもまた事実
また世界の主として仏教ではシヴァやヴィシュヌに祈る事もある。
漢訳などでわからなくなってる事もある。
結局の所ゴータマ自身はバラモンの出身であり釈迦族の王子は後世において過去七仏の神話を勝手にゴータマとごちゃごちゃにしたみたいだしゴータマが仏教教団の開祖である。
同時代の別宗教にもゴータマ姓の聖者に関する言及がある。
どちらかと言えば初期仏教はバラモン教の分派(異端)みたいな感じ。
堤(つつみ)じゃなくて鼓(つづみ)な
訂正しました。
原作の台詞で星神って言ってたけど
車椅子に乗ってたのが元ネタ=スティーブン·ホーキングも関連してる?