創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

Who's Who

テキサス州前教育委員長Don McLeroyがいかにして創造論者となったか


テキサス州教育委員会の前委員長Don McLeroyは普通の創造論者とはかなり違った考え方と経歴を持っている:
テキサス州の理科教育の戦いの中心にいる男は、Bryan在住の63歳の歯科医であり、 教育や科学についてほとんどトレーニングされていない、熱烈な宗教保守主義者である。

おそらくご存知のように、McLeroyはテキサス州教育委員長である。彼は、聖書の創世記の記述どおりに、神が地球を6000年前に創造したという"若い地球の創造論"を信じていることを明言している。しかし、McLeroyはステレオタイプなビリーバーではない。彼は神学や進化生物学の本を広く読んでいる。彼は自らの見方にチャレンジされることを求めてさえいる。彼のお気に入りの進化生物学者は"The God Delusion"の著者である、原理主義的無神論者Richard Dawkinsである。

彼は今や、テキサス州必須知識及びスキル(TEKS)として知られる、州教育カリキュラムの改訂提案についての大騒ぎの中心人物である。争点は「進化論の強いところと弱いところ」を生徒たちに理解させることを義務付けるという点である。論争は、創造論者のDiscovery Instituteから、進化論の擁護者National Center for Science Educationまで、全米から擁護団体たちを引き寄せて、テキサスは学校における創造論をめぐる戦いの戦場となっている。

賭金は高い。教科書はテキサス州が採択すれば、全米が後に続く。テキサス州はカリフォルニア州やニューヨーク州とともに人口の多い州であり、テキサス州は全米の教科書市場に大きな影響を与えている。テキサス州教育委員会は、基準に合致しない教科書を「認証教科書」リストに載せない権限を持っており、リストにない教科書を学区教育委員会が使う場合には、州負担ではなく、自己負担になる。リストに載らないと、教科書会社の市場シェアに大きなダメージが加わる。したがって、もし進化論の「弱いところ」の書いた教科書がテキサス州市場で販売されれば、それは全米の教科書にも反映されることになる。

州教育委員長として、McLeroyは全米の理科教育の方向性に影響を与えるという、ユニークな立場にいる。論争の絶えない州教育委員会の会合を除けば、彼についてあまり多くが描かれていない。そう、彼はどんな男で、何を望んでいるのか?

McLeroyは創造論者として育ったわけでもなく、特に宗教的でもなかった。彼の一家はDallasのメインラインメソジスト教会に属していたが、礼拝にはあまり出かけていなかった。「何かを信じるとするなら、科学を信じる。」と彼は言う。

彼は、電気工学を学んだTexas A&Mで、宗教に関わらなった(religiously uninvolved)。そこから、彼は陸軍に入隊し、数年間にわたりドイツで任についた。その後、彼は何をすべきかわからずに、全米を落ち込んで彷徨った。Washington DCで、若き理想主義者として、彼はGeorge McGovernの選挙運動に参加しようとしてが、「もはやボランティアを受け入れていなかった。」

なので、彼はテキサス州にもどり、University of Texas Austinで夏季教育コースを受けた。彼は教員資格を取って、高校教師になろうという曖昧な思いを持っていた。数学教育法の授業は恐るべき(horrible)ものだった。彼にはあまりに簡単すぎるものだった。「これが教師が教えられている者だとしたら、子供たちに何が起こるのだろうか、と私は言った」

そこで、McLeroyは教師になるというプランを捨てて、University of Texas Houstonの歯学部に進学した。そこで、彼は、彼が夏季職務についていた同じ学部で、医学イラストレーターをしていたNan Flemingに出会った。彼は彼女を誘ったが、断られた。

「彼女は私がキリスト教徒ならデートしただろう。そして私はキリスト教徒ではなかった。しかし、私は彼女が私のことを好きだと思った。というのは彼女は私に、教会で聖書を学ぶなら、いっしょうに行きましょうと言ったからだ」

キリスト教徒ではなく、ジーザスフリークに警戒心を抱くMcLeroyが、何故、その誘いにのったのかは、はっきりしない。たぶん、それはチャレンジだったのだろう。教会に連れて行こうとする女性をデートしようと何故思ったのかを問いかけたが、彼が言ったことは「高校及び大学のころに、キリスト教徒たちと良い経験をしたことがあり、彼らが良い人々だと知っていて、彼らがどんな人々なのか興味を持っていた」だった。

McLeroyはFlemingsの聖書グループで勉強し始めた。最初、彼は懐疑的だった。彼のポケットには「キリストを受け入れない」何十もの理由があった。それがすべて解決したとき、キリスト教を信じようと自身に言った。そして、最後にはそうなった。はじめは、Flemingは彼を信じられなかった。彼女は、彼は信じていないが、彼女のために、そうしているのだと考えた。次第に彼は彼女に勝り、彼らは婚約した。

「私は創造論者である前にキリスト教徒だった。キリスト教徒たるには創造論者たらねばならないと人は言うが、私の人生はその逆であることを証明している。」と彼は言う。

これは重要な点だが、McLeroyが、進化論を支持する宗教的な人々が一貫性を欠いていると見ていることも事実である。彼が好むキリスト教の教義のひとつは、彼のすべての方針の基礎をなすものである、人間は神の似姿に創造されたという原則である。「進化論を選択すれば、論理的帰結として、この考え方は破壊される」と彼は言う。

「進化が、導きのない自然の過程[超自然の介入のない過程]で生命が発展してきたというものなら、どうやって神の似姿に我々は創造されたのか? 人間の意義は?」と彼は問う。

それは藁人形論法かもしれないが、McLeroyがそれを信じていないと考えるのは誤りだろう。彼は信じているのだ。彼の心は秩序だっており、黒白つけて、ポイントAからBからCへと動いている。進化論と宗教に対立点はないと論じる、カトリック教徒で、進化生物学の一般書の執筆者でもあるKen Millerのような科学者に、彼は敬意をいだいていない。

「私はMiller [Kenneth Miller]を真のキリスト教ではないとは決して言わない。私は、どちらかでなければならないとは考えていない。しかし、私は彼が一貫しているとは思わない。だからこそ、私はDawkinsが好きなのだ。彼は少なくとも進化論をとり、その導かれるところ、無神論に至っているからだ。」

彼らが婚約後すぐに、Nan Flemingは彼に創造論者の立場から地質学現象を説明した本を何冊か手渡した。McLeroyは最初は懐疑的だった。「なんてこったい、マジキチと婚約しちまった」と思ったが、彼はそれらの本を読み、彼女とともに創造論者のセミナーに出かけるようになった。彼らは、彼が考えられるものとは異なる世界を提示した。それは見知らぬものだったが、正しいと感じられた。McLeroyは、創造論の専門家たちに、若い地球論についての疑問をぶつけた。恐竜は? 放射性同位元素による年代測定は? それに対して、彼らはゆっくりと穏やかに答えたと、McLeroyは言う。
FlemingとMcLeroyは1976年に結婚し、McLeroyはBryanで歯科医院を開業した。彼はより良い教育制度を見たいという希望を忘れたことはない。彼は創造論について読み、学ぶにつれ、彼は進化論が聖書の理由で間違っているだけでなく、知的な理由でも間違っていると納得するようになった。彼は進化論を問われることなき正統が、独立な考えと衝突していると見ていた。

...

しかし、McLeroyは、10年後か50年後かに新たな科学革命がおきて、創造論者のマジキチな考えが実は正しかったことが明らかにされると信じている。量子力学や相対性理論が古典力学をひっくり返したように。科学的コンセンサスが、信じるものと一致する日が来るまでは、現在の科学的コンセンサスを教え続けることを厭わないと、McLeroyは言い切る。しかし、彼は進化論についての「論争を教えろ」を支持する。その論争は、ほぼすべての科学者が解決済みだとしているものだが。


[ Saul Elbein: "The Curious Faith of Don McLeroy" (2009/02/20) on Texas Observer]






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