バーゼル (Basel Bâle Basilea)
基本情報
スイス連邦
バーゼル=シュタット準州
面積23.91 km2
総人口175,617人
人口密度7,300人/km2
詳しくはスイスの行政を参照

概要


バーゼルは、スイスの都市。バーゼル=シュタット準州の州都。スイス北西部、ドイツとフランスとスイスの3国の国境が接する地点(三国国境)に位置し、市街地はライン川をまたぐ形で広がっている。チューリッヒ、ジュネーヴに次ぎスイス第3の都市。大型船舶が通航できるライン川最上流の港を持つ最終遡行地点である。ドイツ語圏に属するがフランス語使用者も多い。

地理


標高260m。近隣の都市としては、約75キロ東にチューリヒ、50キロ北にドイツのフライブルク・イム・ブライスガウ、30キロ北西にフランスのミュルーズ、65キロ南にベルンが位置している。市の北端のライン川の中央にスイス・ドイツ・フランスの三国国境があり、それに近いバーゼル川の陸地にドライレンダーエックというモニュメントが立っている。

市街地はライン川をはさんで展開しており、産業地帯である北岸(右岸)を「小バーゼル」(Kleinbasel)、行政や商業の中心である南岸(左岸)を「大バーゼル」(Grossbasel)と呼ぶ。

歴史

バーゼルという名称は、374年にバジリア(BasiliaまたはBasilea)としてはじめて史料上に現れたが、現在のバーゼル大聖堂付近には、古代ローマによるライン川流域支配が確立した1世紀以前からケルト人の集落が存在した。740年頃に近隣のアウグスタ・ラウリカ(ラテン語: Augusta Rauricorum)から移転して司教座となった後、1032年には帝国直属(ReichsfreiheitまたはReichsunmittelbarkeit)の司教領となった。1100年に石の市壁で全周を囲んだ[2]。 13世紀にはライン都市同盟に参加。1356年のバーゼル地震で街は壊滅的被害を受けた。1501年にスイスの原初同盟(Alte EidgenossenschaftまたはOld Swiss Confederacy)に加盟し、1528年には宗教改革の流れの中で司教を追放し、プロテスタント勢力の一員となった。1833年、3年間の内戦を経て周辺の農村地域がバーゼル=ラント準州として独立し、現在に至る。

バーゼルはいくつかの歴史上の出来事の舞台となった。バーゼル公会議(1431年〜1449年)は、コンスタンツ公会議(1414年〜1418年)で積み残されたカトリック教会の改革を討議したものの、公会議と教皇の関係に対する考え方の違いなどを背景に分裂し(1438年)、バーゼルに残留した一派は目立った成果を残せなかった。1499年のバーゼル条約は、スイスの事実上の独立を認めた。時代を下って1897年には世界シオニスト会議が第1回の大会をバーゼルで開催している。

スイスの一州として神聖ローマ帝国の影響を離れ、宗教的にも急進的なプロテスタントではなかったことを背景に、15世紀後半に誕生した印刷・出版業が栄え、近世の多くの重要な著作の初版が出版されたことでも知られている。たとえば、ジャン・カルヴァンの『キリスト教綱要』(Christianae Religionis Institutio、1536年)、アンドレアス・ヴェサリウスの『人体の構造』(De humani corporis fabrica、1543年)などである。

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