里沙は隣にいる絵里と腕時計を交互に見る。
ちょうど近くには公園もあるし、好都合だと彼女に声をかけた。

「ちょっと、休憩しよっか」

里沙の言葉に絵里は頷き、ゆっくりと彼女に促されながら歩いていく。
器用に左手の盲人用ステッキを使い、目の前に小さなベンチがあることを確認し、右手でその存在を再び確かめた。
そっと椅子に座ると、絵里は深く息を吐いた。

「疲れた?」

里沙の柔らかい言葉に絵里は笑って首を振りたかったが、その上がった息は誤魔化せない。

「ちょっとだけ…」
「そりゃそうだよね。もうずいぶん歩いたし…」

里沙はそう言うと、脇に抱えていたバインダーを取り出し、なにかを書きこんでいく。
絵里が実際に街を歩き始めて、もう数週間が経つ。
最初は街の喧騒や人の多さに怯えながらも、里沙に連れられて歩くことで、絵里は徐々に街へと慣れてきた。
まだひとりで自由に歩くことは出来ないものの、里沙を隣に連れていれば、もう充分に生活することは可能だった。
本当に彼女は覚えが早いなと里沙は思いながら、カバンの中に入れていたペットボトルを取り出す。

「カメ、お茶だよ」

里沙の声を聞き、絵里はそっと手を伸ばす。
彼女の手にしているペットボトルを受け取り、こくんと喉を鳴らした。
運動のあとの水分補給がこんなにも美味しいとは思わなかった。
絵里はなんどか喉を鳴らし、お茶を体内へと入れていく。

―可愛いなぁ……

里沙はぼんやりと絵里を見ながらそう想った。
里沙の心に咲いた花は確かに色づいてきている。知りたくなかった感情に耳を塞ぎ、目を伏せることだってできた。
だけど、そうすることができないのはなぜだろう。
どうやったって、報われるはずのない恋なのに、振り返ってくれることなんてないはずなのに、里沙は純粋に、絵里を想う。
ただひたすらに、こんなにも絵里のことが「好き」だと―――。

「あ……」

絵里がふと発した言葉に里沙は顔を上げる。
いけない。思考の海を泳いで良いのは、1人で過ごしている時だけだと里沙は頭を振る。
いまは盲学校の職員として、絵里をサポートするという仕事中だと言い聞かせた。

「どうしたの?」
「…焼き鳥、ですよね?」

絵里の言葉の意味が一瞬、理解できなかったが、里沙は周囲を見渡して気付く。
それを視界に認めたとき、里沙の嗅覚も漸く働いてくれた。
公園の端の方に焼き鳥の屋台が出ている。赤い提灯をぶら下げ、
暖簾に大きく「やきとり」と書かれた屋台の周りには子どもたちが何人か並んでいた。
なるほど、遊び疲れた子どもたちにとっては良いおやつ代わりなのだろうなと里沙は納得する。

「焼き鳥かぁ……最近食べてないなぁ」
「ガキさん、焼き鳥好き?」
「ビールによく合うからねー。最近はあんまり行けてないけど」

そうして里沙が話すと絵里は少し声を大きくして聞き返した。

「ガキさんってお酒好きなの?」
「意外?」

そう返すと、絵里はしばらく考え込むように黙った。
絵里の中では、里沙とお酒というイメージが合致しないようだ。
目が見えない彼女の中で、里沙の想像図がどのように描かれているのかは分からない。
だが、声はさほど高い方ではないし、話し方もサバサバしているから、割とお酒のイメージは結びつきやすそうだが、と里沙は思う。

「でも、確かにガキさん、分かるかも」
「でしょ?」
「だってガキさん、オッサンぽいし」

そう言われて里沙はムッとする。
オッサンとはどういう事だ、オッサンとは。これでもあなたと同い年でしょーが。

「なにが好きなのー?」
「お酒だったら焼酎かなぁ…焼き鳥のぼんじりとよく合うし」
「しょーちゅーですか……絵里は飲めないなぁ」

そうして絵里は優しく笑った。
そういえば彼女は自分と同い年なのだから未成年ではない。
お酒を飲める年齢なのだが、あまり酒豪というイメージではない。
梅酒やカシスオレンジ、カルーアミルクといった甘いカクテルが好きなのだろうかと里沙は思った。

「じゃあさ…」

そのとき頭に浮かんだある単語に、里沙は素直に反応した。
叶わぬ恋だと、報われないはずだと分かっている。
それなのに、この気持ちに正直になっても良いのだろうか?

「今度連れてってあげようか、寮を出る前にさ。私、美味しい居酒屋、知ってるし」

里沙の提案を聞いた絵里は一瞬キョトンとするが、直後にぱあっと笑顔を輝かせた。
それがあまりにも眩しくて、里沙は少しだけ胸が痛む。

「うんっ、連れてって!」
「オッケー。じゃあ今日はもう少しがんばって歩こっか」

里沙がそういうと、絵里は「よーし」と張り切ったようにぐっと両腕を伸ばす。
その仕草のひとつひとつがまるで子どものようで、無性に愛しくなった。
里沙は自分も立ち上がると絵里の頭を優しく撫でてやる。


―――デートに誘えば良いじゃん


そう頭の中に浮かんだ単語に、里沙は素直に応えてしまった。
結果的に絵里はそれに応じたが、里沙の思惑なんて、たぶん、気付いていない。
絵里の心に優しい風を吹かせたのは、間違いなく田中れいなであることを里沙は知っている。
それでもなお、里沙は引かずに絵里に手を伸ばす。


―――「絵里のためです」

―――「あなたのためじゃなく?」


あの押し問答は、いまの自分のためにあるような言葉なんだなと理解する。
結局、この恋に溺れて、カメが好きだと叫びたくなってしまった点で言えば、私は田中っちと同じなのだなと里沙は思った。




「田中ぁー、今度は絶対来いよ、飲み会」
「やっぱ行かなきゃダメですか……」

この押し問答は今日で何度目だろうとれいなは思う。
だが、寺田は全く引くことなく、れいなに攻撃してくる。

「今回は絶対や!向こうさんの事務所と合同なんやからな!」

そう言われてしまってはぐうの音も出ない。
れいなは職場の飲み会や打ち上げには基本的に参加するタイプだったが、最近、特にここ数ヶ月は欠席していた。
それは、絵里の顔を見るためにさっさと仕事を終わらせて帰りたいというのが本音であった。
寺田もそれは重々理解していたが、今回ばかりはそうもいかない。

彼の言う「向こうさんの事務所」とは、道重さゆみの所属する大手芸能事務所だった。
れいなの事務所がコンスタントに仕事をこなせるのは、その事務所との関係が良好だからというのもある。
権力関係で言えば、こちらの方が下に位置するため、欠席するというのはあり得ない選択肢だった。

「1次会だけでええから頼むわ、なっ」

寺田の意見が分からないわけではない。むしろ彼の考えは正常であり、間違ってなどいない。
ただ、行きたくないのは単純に、絵里のことが心配だからというものだ。

もうすぐ絵里は盲学校の寮を出ることになる。
暫くはれいなの家から盲学校まで通うことになるが、飲み会で帰りが遅くなる日に、絵里をひとりで部屋に待たせておきたくなかった。
こんなの、ただの過保護な親だと苦笑する以外にないが、それだからこそ、れいなは寺田に素直に頷きたくない。
そうは言えど、飲み会に参加することも仕事だと分かっていたれいなは渋々、了承した。

「あー、もう助かるわー」

寺田はそうして両手を合わせてれいなに笑いかけた。
全くこの人は、立派な経営者だとれいなは納得し、カメラの片付けを始めた。


「あ、話は変わるんやけどな」

レンズを拭きながら寺田の声に耳を傾けていると、「これ、いつ撮ったんや?」と聞こえてきた。
ん?と顔を向けると、彼は、先日、この事務所で撮影した絵里の写真を手にしていた。
あまり思い出したくはない撮影の日だったが、れいなは正直に「この前ですけど」と答える。

「ふーん……」

寺田は数枚の写真をめくっていく。その様子は普段の経営者としての姿とは少し違う様相をしている気がした。
何枚か写真を見て、ふと顔を上げ、れいなに口を開く。

「良いよな、やっぱ。この子」
「………」
「その気があるんやったら、いまからでもモデルになれると思うで」

彼の言葉を聞き、れいなはカメラを仕舞う手を止める。

「まあ、いろいろ事情もあるやろうから深くは言わんけどな」

そうして寺田は寂しく、どこか諦めたように笑ったかと思うと、写真を置いて部屋を後にした。
れいなはひとり佇み、カメラを置いて、寺田の置いていった写真を見つめた。
あの日に撮影し、切り取られた絵里の姿。
何処か寂しそうに虚空を見つめ、切なさと痛みを携えた彼女の姿は、確かに画になる。

だが、れいなが撮りたかった彼女は此処にはいない。
いつか、奥多摩で見たような神秘さを携え、柔らかい表情を持った絵里を撮りたかった。
そんな絵里を撮れなかったのは紛れもなく自分のせいだなと苦笑する。

れいなはボンヤリと絵里の写真を見た。
「モデル」という言葉を思い返しながら、絵里はこれから、どういう道を歩むのだろうと考えた。
いつまでも自分と一緒にいてほしいというのは、あくまでも、れいなだけの願いだからなと自嘲気味に、れいなは笑った。




さゆみはひとり、部屋で自分の写真を見ていた。
これまで数え切れないほどの写真を撮り続けられてきたが、ひとつとして同じ写真はない。
それは、被写体であるさゆみの表情の変化があり、撮影者であるカメラマンの力量があるからだと思う。

だが、さゆみはある確信をしていた。
何人ものカメラマンと仕事をしてきたが、さゆみをいちばん綺麗に切り取るのは、れいなだということを。





どうしてこんなにも、彼女はさゆみの最大限の魅力を引き出すことができるのだろう。
単純な外見の美しさだけでなく、その内に秘めている切なさも喜びも、彼女の前では曝け出すことができる。
れいなの前で、すべてを見せたいと思ってしまう―――

さゆみは苦笑しながら写真を仕舞った。
ダメだ、こうして手にしてしまうと、どうしても思い出してしまう。
忘れようと過去という記憶の箱にしまい込んだあの日々のことを。
自分で別れようと言ったのに、こうしてふとした瞬間に彼女の笑顔が浮かぶのは、どうしてだろう?

そのとき、携帯電話が震えた。
着信音から推定するに、相手はマネージャーだろう。
この時間に来るということは、明日の現場入りの時間の確認メールだろうかと携帯を開く。
結果は案の定、明日は早いので遅刻しないようにと言う内容だった。
さゆみはいつものように指をスムーズに動かし、だいじょうぶですと返信を打ち、送信した。

ふぅと息を吐き、さゆみはベッドに横たわり携帯電話を操作する。
なんの気なしに画像フォルダを開くと、同じモデル友達の写真や、美味しい料理の写真、綺麗な青空の写真などが再生される。
たくさん撮ったなあと見ていると、操作する指がピタッと止まる。
そこに表示された1枚の写真は、いつだったか、ふざけてさゆみがれいなとともに撮ったものだった。





写真を撮るときとはまるで違う表情をしている彼女がそこにはいる。
いたずらっ子のネコのように笑うその姿は、さゆみと同い年であるのに、随分年下のようだ。
そう、本来の彼女は、もっと子どもっぽいのではないかとさゆみは思う。
早くからカメラマンの仕事をし、芸能界の裏方として動いているれいなは、その分、苦労していまの居場所を手に入れた。
知らない内にれいなは、「仕事のできる女性」としての顔を身につけていたが、その下には、歳相応の笑顔があるのではないかと。

なんて、自分はれいなの恋人でもないのに、とさゆみは苦笑する。
確かに彼女と恋人であった時期はあったが、その立場を捨てたのは、他ならぬさゆみ自身だった。
隣にいて優しく笑い、カメラのレンズ越しに熱い視線を向け、体を重ね合わせたあの日々。
どんな甘い言葉で愛を囁かれるよりも、れいなの隣にいるだけでシアワセだと感じたあの瞬間を、捨てたのは、自分だった。

それなのに。

それなのにいまもなお、さゆみの胸は高鳴り、痛みを携えて締め付けられる。


―――さゆっ!


れいなはいつもそうして、さゆみに笑いかける。
目を細め、「ニシシ」と得意げに八重歯を見せてこちらに手を振る姿が堪らなく愛しい。
れいなと歩んできたあの時間が、最良に幸福だった瞬間が、どうしようもなく、愛しい。


さゆみは携帯電話を枕元に置くと、その手をそっと胸元へ持っていく。
胸の柔らかい膨らみに手が触れると、体中に切ない痛みが走る。
ああ、もう、どうしようと思うが、止められるほどの理性は残っていなかった。
さゆみはシャツの中に手を滑り込ませ、自分の胸をそっと揉み始めた。
緩急をつけて揉むそのやり方は、何処となく、れいなのやり方に似ている気がした。

「んっ……ふぅ…」

空気が抜けるような音が部屋に浮かぶ。
甘い吐息が扉の鍵であったかのように、記憶が邂逅する。
れいなの優しくて子どもっぽい笑顔が浮かび、さゆみの耳元で囁いた。

―――きれーよ、さゆ……

なんども囁かれた彼女の言葉にさゆみはぞくぞくする。
確かな色を持ったれいなの愛しい声がさゆみを狂わせる。
彼女の前で、すべてを見せたいと思う。もっと、自分だけを見てほしいと思う。
そしていつしか、道重さゆみを、愛してほしいと、願っていた。

「んんっ!」

指先が胸の中心に触れた瞬間、いままでとは違う快感に襲われた。
既に硬く主張している突起を弾くと、全身が震える。
徐々に体の中心が熱く疼きだしてきたのが分かる。
さゆみがそう訴えても、れいなはなかなか焦らして触ってくれなかったっけと思い出した。
彼女は胸を舐めるのが好きだった。母親にねだる赤ん坊のように、れいなはさゆみの胸を吸い、突起を転がした。

「あっ…はぁ……ん」

さすがに自分で舐めることはできないけれど、さゆみはれいなのその姿を想像し、指を動かす。
突起を弾き、摘まみ、時折強く胸を揉む。れいなはいつも「やらしかー」なんて笑いながらさゆみをいじめていた。

―――さゆ、エロい

そうして呟いたかと思うと、れいなは空いた方の手でさゆみの頭を撫で、そのまま耳朶を弄る。
突然やって来た刺激にさゆみは素直に反応してしまう。
いま、この瞬間にれいなは居ないのに、まるですぐ傍にれいなが居るような錯覚に陥る。
瞳を閉じて映る瞼の裏側にはいつだって、田中れいなの笑顔があった。

「あっ!」

甘い声が室内に響く。
充分に硬くなったそれを指で弾き、空いた方の手で下着に手をかけた。
もうそこはぐっしょりと濡れていて、なんの役にも立っていない下着をするりと脱ぐ。
細くて長い指先で、体のラインに沿ってなぞっていき、下腹部へと到達させる。
茂みの向こうがわにそっと触れると、体中に電撃が走ったような感覚に陥る。

「んんっ!」

ほんの少し触れただけで、そこがどれほど濡れているのかが分かる。指先にどろりと熱い液体を感じ、さゆみの頬が紅潮する。
いつの間に、こんなにエッチな体になってしまったのだろうと苦笑した。
さゆみは指先で自分の下腹部の入口にそっと触れ、ゆっくりと中へ入っていく。

「っ……あ…」

くちゅりという音のあと、さゆみの細い指が中へと埋まっていく。細い指をさゆみのそこはぎゅうぎゅうと締め付けてくる。
さゆみはそのままゆっくりと指を抜き、再び中へと挿入した。

「ああっ!」

ゆっくりとした速度でさゆみは指を動かす。
その度に、ぐちゅっという粘着質のある音が響き、さゆみの指を濡らしていく。
そのまま2本目の指を挿入し、中を掻き回すと、強い快感がさゆみに襲いかかってくる。

「ふぁっ!……ん、あ…はぁ……あっ!」

頭の中に浮かんでは消えるれいなの笑顔。
彼女はいつだって優しく微笑み、さゆみに「綺麗っちゃよ」と囁いていた。
そう、ただのいちどだって、「好き」と呟いてくれたことは、なかったのだけれど。

「あぁっ……はっ…れいなぁっ!」

さゆみはれいなの名前を呼ぶ。
どうしようもないくらいに愛しくて、どうして良いか分からないほどに、れいなのことが好きだった。
付き合っていたあの日々の中で、さゆみはいちども、れいなに「好き」だと伝えたことはなかった。
その明確な理由はいまでも分からない。だけど、決してそれは、れいなが好きじゃなかったからとかそういう理由ではない。

「やっ…んん、あ…はぁ……あっ」

好きだった。
さゆみはれいなのことが好きだった。彼女の笑顔や、優しさや、その熱い眼差しが。
すべてを包み込んでくれるほどの、田中れいなという存在が。

それなのに、その温もりを手放したのは、道重さゆみ、自分自身。

いまでも覚えている、別れを告げた、あの日のことを。

「れいなぁ…れいなっ…んっ!」

その日のことを思い出したくないように、さゆみは指を加速させた。
空いた方の手で乱暴に胸に刺激を与えると、正直に突起が硬くなる。
突起を指で摘まんで快感を与えると、さゆみの体がビクッと反応する。

頭の中はれいなでいっぱいだった。
優しくキスをしてくれたことも、綺麗だと囁いてくれたことも、手を繋いで歩いたことも、なにもかも覚えている。
だからこそいまでも、さゆみはれいなが好きだった。

「はぁっ!あ、あぁ……れいな……れいなぁっ!」

さゆみの指が下腹部の奥を突いた瞬間、さゆみの体が震えた。
ビクビクと痙攣し、絶頂を迎えるその瞬間さえも、さゆみの中にはれいなの笑顔が浮かんでいた。

どうしようもないくらいに好きだと想ってしまった。
別れたあの日から、今日のいままで消えることなく浮かんでいたこの感情。
フタをしていたのにいつの間にか、その想いは弾けそうになっていた。

それは、れいなの大きな瞳が、絵里を映していると気づいたからだろうか?

「んっ……ふっ…」

ぐっしょりと濡れた指を引き抜くと、さゆみの体が震え、それと同時に、目頭が熱くなる。
絵里を優しく見つめて微笑むれいなの顔がぼんやりと浮かんだ。

「れいなぁ……」

涙を堪えるように、さゆみはれいなの名前を呼んだ。
それでもその声は微かに震え、シーツには確かに雫が零れ落ちていた。
明日も仕事だというのに、目が腫れてしまってはどうしようと、さゆみは少しだけ、後悔した。





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