#21 <<< prev





「はい。あ〜んして」
「あーん。モグモグ」
「美味しい?」
「不味い」

もぉ〜と言いながらぷぅと頬を膨らませる絵里。
そんな可愛い顔しても不味いものは不味いのだ。
病院食ってのはなんでこうもパサパサというか粉っぽいんだ?
薬でも混ぜてあるんじゃないだろうな。あ〜絵里の手料理が食べたい。
くそ不味い病院食と付き合い始めてから今日で3週間目。
まだ走れるまで回復はしていないものの絵里の献身的な看護のおかげでれいなの体は徐々に回復しつつあった。
先の診察によるとヤブ医者曰く、

『田中君は毎日ボンド飯でも食べているのかな。内臓を傷つける程の深い刺し傷ではなかったものの
 体に穴開けられた2週間後にフラフープ回せる人間なんて君とヒクソン・グレイシーしかいないんじゃないか』

だと。
そんなこと言われたら実は1週間後にはヒゲダンスを踊っていましたなんて言えない。
とまぁ、そういうわけで後はもう自宅療養でいいよとヤブ医者がサジを投げたというわけだ。
この場合のサジを投げるは本来の意味とはだいぶ異なるが。

「今日が最後の病院食なのになんで残すの〜?もっとたくさん食べないとさぁ。れいな、死ぬよ?」
「絵里の手料理が食べたい」
「退院したら食べさせてあげるから」

諦めて片付けを始める絵里のYシャツから覗く谷間を観察しつつ、

「・・・さゆのやつ最近来ないっちゃね」
「さゆはずーっとバイトだよ。休んでた分たくさん働かないと来月ヤバイんだって。
 れいなにお見舞いできなくてゴメンって言ってた」
「ふーん」

まぁいいけど。

「さゆといえばさぁ、なんかちょびっとだけ様子変じゃない?
 妙にソワソワしてるっていうかさ。れいなはなんか知ってる?」
「さぁ。寝る!」
「おやすみ〜」
「・・・ごめん絵里」
「え?」
「なんでもなか・・・」


*****


あっ

「という間に退院してきました」
「おかえり〜。病み上がりとか関係無しにコキ使いまくるからよろしく」

予約が入っているのか自分のマシンの手入れをしながらまだ完治していない病人相手に
さっそく慈悲もクソもない言葉を浴びせてきたのは吉澤さんで、

「田中さんおかえりなさ〜い!ゴキブリのようにしぶといっすねぇ〜!」

人を害虫扱いしてきたのがこの店のパシリ役の久住小春だ。
久しぶりに来るYHは以前となんら変わり映えなく、
いい加減で自由奔放で容赦のない上司とちゃらんぽらんでヘラヘラうざいバイトも相変わらず変人街道を爆進していて、
そんな2人のいつも通りの姿を見たらやっと日常に帰ってこれたと実感できた。
退院おめでとうとか言われて花束でも貰っていたらショックでまた入院生活に逆戻りしていたところだ。

「ふぅ」

ゴミ廃棄場から拾ってきたようなれいな専用のボロい椅子に腰掛け、
机に向かうと少々傷が痛むも段々とこの店の彫師としての感覚が蘇ってきた。
やる気になってコピー用紙を数枚用意し、新しいトライバルのデザインを練ろうと頭をウンウン言わせていると
小春が気を利かせて暖かいココアを持ってきてくれた。

「田中さん、退院してそのままここに来たんですかぁ?」
「ズズ・・・。そうっちゃけど。なによ?」
「じゃあ部屋にまだ帰ってないんですね。道重さんが世話になったっつって出てっちゃいましたよ」
「・・・あ、そう」
「寂しくなりますねぇ〜。田中さんと道重さんのコント好きだったのにな〜」

そうか。さゆのやつ自分の部屋に戻ったんだな。
寂しくないと言えば嘘になるがさゆがいると心休まらんしこれでよかった。ストーカー君は無事退治したしな。

「そういえばおまえがなんとかしたんやろ?あのストーカー男。ありがとな」
「なんとかっつっても小春はあの犯罪者を警察に連れてっただけですよ。あと、救急車呼んだりとか・・・。
 道重さんの方が厄介でしたね発狂していた分」
「さゆが発狂?・・・へ〜」
「あれ?驚かないんですね。普段の冷たい態度からは想像つかないと思うんですけど田中さんなら」
「うん、まぁ」
「・・・あら。もしかして。道重さんの気持ちにやっと気付いたとか?」
「!」
「図星ですかぁ」

いや、いやいやちょっと待て。

「なんでおまえ・・・さゆがれいなのこと好きだっての知っとーと?」

小春は空になったカップを盆に乗せてからハァと溜息をつき、呆れた顔を隠そうともせず、

「あんなわかりやすいの、気付かないって方がおかしいですよ〜。
 最初は怪しいなぁとは思いつつも確信は持ってなかったんですけどね。
 新垣さんが日本に来た最初の日のこと覚えてます?」

・・・なんとなくは。

「あのとき道重さん、新垣さんにめっちゃ妬いてたじゃないですか。あれであ〜やっぱりって。
 本人が隠そうと必死になってたから黙ってましたけどねぇ。あ、ちなみに吉澤さんも知ってると思いますよぉ」

吉澤さんの方に視線を向けるとれいなが質問するよりも先に、

「もちろん」
「・・・マジすか・・・」
「言っただろ?シゲさんを守れるのはおまえしかいないって。そこで気付けよ」

あの意味深な言葉はそういう意味だったのか。
というか吉澤さんはまだしも小春がさゆの気持ちを知っていたということに少なからずショックを受けているんだが。
これで小春>れいなが証明されてしまった。死のう。

「野暮なこと聞いていい?」
「・・・どうぞ」
「返事どうすんの?」
「そりゃもちろんフりますよ」

口をポカンと開けてフリーズしてしまう吉澤さん。なかなか間抜けな絵面だ。

「えっ。まさか即答されるとは思わなかったよさすがのよしざーも」
「小春もビックリ仰天ですよ〜。ちょっとは悩むかと思ったのに」
「ウジウジ悩むのは性に合わんけん。返事を先延ばしにするのもさゆが可哀相ですし。スパっとフります」
「へえ。・・・なんか思うことはないの?」
「ないです」
「ちょっとは悩んであげないと道重さん可哀相ですよぉ」
「好きじゃないけん仕方ないやろ。・・・仕事戻ります」

これ以上この話を広げられたくなかったので逃げるように2人に背を向け無理矢理終わらせた。
吉澤さんも小春もれいなの気持ちを察してくれたようで、
その後、仕事が終わるまでさゆの話題が2人の間で出ることは無かった。


 **********


「いらっしゃいませ。1名様でよろしいですか?」
「えと、先に連れが来てると思うんですけど、亀井っての」
「かしこまりました。こちらにご案内します」

店内は取り立てて説明するまでもない、よくある木造の喫茶店と同じように見えた。
俺は茶店リポーターではないので店の紹介は割愛しておく。
あえて特徴を言うなら窓が丸窓だったってくらい。あとの内装は各個人で想像してくれ。
ウェイトレスさんの後についていくと遠目からでもひときわ目を惹くルックスの女性が
頬袋いっぱいにパンケーキをつめこみながら幸せそうに食事をしていた。
その姿を見て緊張してカチカチに張っていた体が一気に脱力する。もう少し淑やかにできないのかあの人は。

「お待たせしました絵里さん。会議が長引いたもので。せっかくのお誘いでしたのに遅れてしまって申し訳ないです」

まぁ、そういうところが、彼女の魅力なんだが。

「いえいえ〜。絵里の方こそ先にバクバクご飯食べててすみません。ハラヘリコプタだったものですから」
「そうですか」
「ちょっと待っててくださいね、あと一切れなので食べちゃいます。あむあむあむあむあむあむ・・・」
「・・・」
「ごちそーさま。お待たです。おしゃべりしましょうか」
「あ、はい」

うーん・・・ペースに乗せられちまうなぁやっぱ。

「・・・」
「・・・」

それに、別にこれといって話題があるわけでもないのだ。
病院で会おうと約束はしたもののどうしようかと悩んでいるところに絵里さんからのお誘いメール。
それに呼ばれて俺は来ただけなので持ち合わせのネタがなかった。
絵里さんは淑やかではないがこういう話題を探しているときの気まずい空気に少しでも空間が染まると途端にダンマリになってしまう。
朗らかな方だが決しておしゃべりではないので話し始めの時はだいたい俺が先に口を開くのがパターンになっていたのだ。
付き合っていた頃は。
だが今日は珍しく、

「絵里は高橋さんみたいにお喋り上手なわけじゃないので、変な前置き無しでいきなり本題に入っちゃいますね」
「はい」
「有頂天LOVEホテルでのこと・・・本当にすみませんでした」
「・・・」

思い出したくもない、苦い思い出だ。
あの件を回想すると必ずあの憎たらしいクソ生意気なヤンキーの顔が頭に浮かんでくる。
俺もなかなか無茶をしたがあいつに比べればBB弾程度のものだ。
あの犯罪者は大きさでいうなら50口径マグナム弾といったところだろう。法治国にいるべきではない。

「いえ、もう時効ですよあれは。私も勝手に・・・ね、いろいろやっちゃったりして悪い部分もあるので。
 絵里さんが謝る必要はないです」

謝るのはあの不良の方である。

「そんなことないです。あのホテルのことだけじゃなく全てひっくるめて絵里は高橋さんに謝罪しないといけないんです。
 ・・・その気もなかったくせに今まで高橋さんを引っ張り回して本当にごめんなさい」
「ああ・・・、でもあれはお見合いしたわけですし、付き合うと提案したのも私からなので」
「断る選択肢もありました。親の勝手に嫌だと首を振ればあんな悲しい別れ方もしませんでした。だから全面的に絵里が悪いんです。
 絵里が高橋さんを振り回してしまった・・・無理をさせてしまった・・・・・・ごめんなさい」
「いや、そこまで必死に頭下げなくても」
「ごめんなさい・・・」
「・・・はぁ」

俺はふと窓の方に視線を向けた。

「・・・」

引っ切り無しに視界を通過していくたくさんの車を見てもなんの感慨も浮かばない。
感動も、驚きも、哀しみも。そこには草木一本も生えていない荒涼な砂漠が広がるだけの不毛地帯があった。
無感情ってこんなもんか。
そりゃあね、最初は、ちょっと怨んだりもしましたよ。
でももうそんな気持ちは全くないんだ。こんな気分になるくらいなら会いたくなかった。
絵里さんは頭を下げたまま全く顔を上げない、おそらく俺がなにか言葉を発さない限りそのままだろう。
なんて言えばこのどんよりした6月の天気のような空気を晴れさせることができるんだ。なんて言えば・・・

「・・・」
「・・・」
「絵里さん」
「はい」
「俺、好きな人ができたんだ」

絵里さんの視線が頬に当たっているのを感じるが目線が窓の外から離れることはない。

「相手は会社で働いてるバイトの子なんだけど」
「は、はい」
「いろいろあってその人の仕事の手伝いをすることになってさぁ。それがそいつすごい馬鹿で。
 最初はなんだこの果てしない馬鹿はって呆れてたんだけど、
 体裁ばっか気にする俺と違ってその人は俺にずっと素で接してくれてて。初めて会ったやつにだよ?
 すぐ好きになったよ。なんだこの気持ちの良い女はって」
「・・・」
「一緒にいて楽しいんだ」
「・・・」

そう言って絵里さんの方に向き直った。

「俺は絵里さんと付き合ってた時楽しかったから、別に謝んなくてもいい」
「・・・」
「絵里さんはケジメつけるために今俺に謝ってるんだろうけど、俺のこと引きずってるだけでしょ」
「それは・・・」
「もう忘れよう」
「え」
「過去のことは忘れて、今を生きなきゃ。絵里さんも」
「・・・そう、ですよね」
「俺みたいに新しい恋をするってのも楽しいもんだぜ?」

そこで話は終わりだと、俺は席から立ち上がった。絵里さんも釣られて立つ。

「お願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「前みたいな関係には戻れないけど、今度は笑って話しあえるような友達になりたい」
「! 絵里も・・・そうなりたい」
「じゃあ次会うときは友達だね」
「はい」

俺は自分の頬が赤くなっていくのを感じた。
絵里さんと付き合っていた頃はどんなにうすら寒い言葉も平気で言えるキザな男だったのに、
今ではすっかりガキさんに化けの皮剥がされてピュアボーイになってしまった。まるで童貞君だ。
赤くなった顔を見せたくなくて先導して会計を済まし、店を出ると春を感じさせる柔らかな風が俺の髪を撫でた。
俺と絵里さんは店の玄関口で向かい合い、数秒見つめあった後どちらからともなく手を出し合って握手をした。

「"さようなら"絵里さん」
「さようなら・・・」

そして、終わった。
長いようで短かった、俺達のごっこ遊びが今ようやく本当の終焉を迎えた。
だが繋がりが消えるわけじゃない。友達としてまた会おうって約束をした。気持ちのよい別れ方ができた、と思う。

「うしっ」

さーて仕事がまだたんまり残っている俺はこのまま会社にとんぼ帰りだー
と、小走りで車に戻ろうとすると、

「高橋さん!」
「? なんですか?」

絵里さんはなにかを決心したような凛々しい顔で、

「絵里も、新しい恋に生きます!」
「・・・。あはは」
「お互い、がんばりましょうねっ」
「はい」

そして振り返らずにそのまま別れた。
今までありがとう。絵里さん・・・
そして、また。


*****


真っ黒な空にたくさんの星たちが燦然と輝いている。
まるでサンゴの産卵風景を見ているようだ。
上手い言葉が出ない。ただ普通に綺麗だな、と思った。
見慣れているものもこうして注視して見ると真の美しさが見えてくる。

「・・・やっと来たっちゃね」

背後で控えめな扉の開く音がしたので夜空を見るのをやめて客を出迎えた。

「やっぴぃ・・・さゆ」
「ここに呼び出すなんてれいなにしてはわかってるじゃない」

"ここ"というのはマンションの屋上のことだ。
欲を言えばあの懐かしき学び舎の屋上に誘いたかったのだが、社会人となった今ではもう無理な話だろう。
大人になってしまった。

「遅れたけど、退院おめでとう。ごめんね、あんまりお見舞い行けなくて」
「気にしてなか」
「さゆみのせいなのに、」
「あーあーあー!!その話はナシ!気まずくなるけん謝るのはやめり。
 さゆのせいやないやろ?今度そんなこと言ったらデコピンやけんね」
「・・・うん」
「用件は、あの時の返事を今しようと思って」
「・・・」
「コホン」

1つワザとらしい咳きをしてかられいなはさゆに背を向けて、また夜空を眺めることにした。
理由?ただ星を見たかっただけだが。

「あんま期待させるのも可哀相だけん単刀直入に言う」
「・・・」
「れいなは絵里が好きっちゃん」
「・・・」
「だけんさゆのこと恋愛の対象として見れん」
「・・・」
「今までもこれからも」


 **********


そうしてキッパリハッキリさゆみはフられた。
8年間の想いがたったの二言で粉々に粉砕された。
ショックであると共にこれでやっと諦められるという妙な開放感があって、不思議と涙は出なかった。
まぁ、こんなもんだよねって思う。
れいなって絵里絵里絵里って年中絵里のことしか考えていない絵里バカだし、
そこにさゆみが入れるスペースなんかないってことはれいなと腐れ縁のさゆみが一番よく知ってる。
れいなのことは、なんでも知ってる。
こんなあっけなく終わるってことももちろん予想済みだった。

「そっかぁ・・・。返事ありがとう。なあなあにされるよりはハッキリ言われた方がありがたいよ。
 でもフられちゃったけど、れいなとは今までみたいに憎まれ口叩きあう友達でいたいな。いい?」
「・・・」
「れいな?」

さゆみに背中を向けたままのれいなはガタガタと体が震えていて・・・、まさか。
顔色を確認しようと慌ててれいなの側にかけよる。

「ちょっ、れいな!?どうしたの!?まさか傷が、」
「ううううううううううう〜〜〜〜〜〜〜」
「へ?」

ポロポロ

「ごべん゛ちゃ〜〜〜ごべんんんんん〜〜うううう〜・・・さゆぅ〜〜ごめんんんんんん〜〜〜」
「えっ・・・」
「うっうっうっ・・・う゛ああああああ〜〜〜今まで酷いこと言ってごめんちゃあ〜〜〜〜・・・
 さゆのこと好きになれんくてごめんちゃ〜〜〜〜〜〜〜うああああああああんうああああああああああああああん」
「・・・」
「ずっと気付かんくてごべんんんん〜〜〜〜ごべんんんんんんん」

れいなのギュッと閉じられた目蓋の隙間から決壊したダムのように止め処なく涙が溢れていた。
鼻水まで垂らして、大口開けてうえ〜〜〜んって。おまえ今年でいくつだよ?
情けないことこの上ない。

「ばっ、ばっかじゃないの・・・っ」

あれ

「ガキみたいにワンワン、な、泣いちゃって・・・さ、ほんとに、ううう、バカなんじゃないのぉ〜〜・・・ううううう〜〜」

さゆみもバカみたいに泣いてた。

「うあああああああんうあああああああああん」
「うう〜〜〜ヒック。うえ〜〜〜〜ん。れいなのばかあああああ」
「ごめんんんんんんうああああああああん」
「うええええええええええん」

働いてお金も稼いでる成人した大人がさ、
いつまでもガキみたいに大声で泣いていて・・・
これ以上恥ずかしいこと、死ぬまでないと思う。

「うあああああああああああああああああん」
「うるさいいいいいいいいうえええええええええええん」

こんなヤツだからさゆみは・・・。
れいなのこと好きになれて、よかった。


 **********


「れいな・・・さゆみのお願い聞いてくれる?」
「なん?」
「フられちゃったけどさ、1日だけ。さゆみの彼氏になってほしいの」
「えっ・・・」
「嫌?8年も約束忘れてたくせにまさか断るつもり?うぅっ・・・」
「い、嫌じゃなか嫌じゃなか!よかよ。1日だけな」
「うん・・・・・・ありがとう・・・」





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