#29 <<< prev






本日も皮膚を焦がしそうなくらい朝もはよからお天道様が血気盛んである。
・・・なんて、まるで早起きしたような物言いだがチャボが目を覚ます時間帯などではなくもう昼前だ。
"道重"と書かれた札を確認してからすぐ横のインターホンを祈る思いで押す。
清涼なシンセサイザーに似た音が耳の中で木霊した。もう何度目かわからないいつもと同じセリフをインコのように繰り返す。

「さゆー・・・れいなやけど、絵里おる?」

硬い扉の向こうからこもった寝起き特有の粘ついた声が聞こえた。
夜勤続きで今まで爆寝していたであろうさゆの低いトーンが扉ごしに小さく響く。

「いないよ・・・・・・って本人が言ってる」
「・・・今日もNOですか」
「れいなも毎日頑張るね。どっちかが死ぬまでさゆみに伝言係やらせる気?」
「いやこっちだって早々に決着つけたかよ。何度も言うっちゃけどれいなはホントに無実やし・・・」

渡米の話からさらにややこしくなって今日で2週間が過ぎていた。
原因不明の絵里の家出。
道重検察官の起訴状朗読によると、


・・・


『あんた新垣さんとキスしたんでしょ。それも濃厚な』
『・・・は?』

わけがわからないまま絵里にブッ飛ばされてから死に体で三千里の道を越えてきたれいなの首に突きつけられたのは冤罪という名の鎌だった。
もちろん身に覚えがないので反論する。

『んなことしとらんよなんじゃそりゃ。それで誤解して絵里が怒って家出たん?』
『誤解もなにも。絵里がハッキリ見たって』
『え?・・・・・・・・・・・・・・・いややっぱしとらんよ!4年前まで記憶遡らせたっちゃけどガキさんとそんなんしたことなか!』
『・・・ほんとかよ』

さゆの声がいつもより低音気味なのはれいなの気のせいか?

『別れるとか言ってたけど』
『は!?』
『顔も見たくない、だってさ。ずっと絵里置いとくわけにもいかないし早く仲直りしてよ』
『な、な、な』


・・・


というわけなのである。
今の気持ちを簡潔に表す言葉がある。どうしてこうなった。

「はぁ・・・。まだ渡米のこと話しとらんのに・・・」
「さゆみもフォローしといてあげるから早めに引き取りにきてね」
「さんきゅ・・・」

別れの挨拶を簡単に済ましてから重い足取りで自宅へと戻った。


 **********


「顔ぐらい見せてあげればいいのに」
「絶対やだーーー」

下着姿で人のベッドの上でくつろぎながら、これまた人のクッションを胸に抱えてイヤイヤとダダをこねる子供。
ただでさえポンコツクーラーがぬるい風ばっか送ってきて暑いというのに、
そのうえ人口密度まで増えたせいでさゆみの眉毛は早くも薄くなりつつあった。

「でも毎日昼夜にさゆみの家わざわざ来てさ・・・ま、同じマンションだけど、でもこれって愛の成せるワザじゃない。
 それにあいつが絵里の前で堂々と浮気できる度胸持ち合わせてると思う?鳥みたいな心臓してるあいつが」
「でも見たもん」
「・・・。見たっていうけどほんとに一部始終全部見たの?れいなから新垣さんにキスしてた?ほんとに?」
「・・・」
「どうせ寝てるれいなに新垣さんがキスしてた、とかそんなオチでしょ」
「でもそれだけじゃないもん!その前に知らない女のおっぱいに顔埋めてたもん!」

クッションをベッドに叩きつけた絵里が半分涙目の赤い顔でピーピーと小鳥のように囀る。
その喚き声を半分素通りさせつつ静かに聞いてあげた。
やっぱり冷静になって絵里の証言を整理させてみるとただのれいなのドジ行為を曲解させただけなように思えてくる。

「でも自分でも誤解だったって薄々気付いてるんでしょ?もういいじゃん許しても」
「そ、そんなことないよ!てかなんでさゆはれいなの味方するの?親友なのにしどいよー」

そりゃれいなとあんたが仲直りしないことにゃさゆみは元の平穏を取り戻せないからだよっ。

「絵里のことは親友だとは思ってるけどさ・・・プライベート全部さらけ出せるかっていうと別の話だから・・・。
 さすがに自分の家では一人でくつろぎたいんだよ」
「絵里がいるとさゆは心休まらないってこと?」
「キツいこと言うけどそういうこと。だから早く仲直りしてれいなのとこ戻ってよね」
「・・・・・・フンだ」

ベッドにうつ伏せに寝転がりさゆみに背中を見せる絵里。
こちらからでは伺えないが、どうせ絵里が悪者なんですよとか、さゆはいっつもれいなの味方するんだもんなーなど、微かにぼやく声が聞こえる。
おそらく絵里はもう、ほぼれいなのことを許している。
が、啖呵切って家出した手前、今更ノコノコ帰れないんだろう。
絵里にもノミ並のプライドはあったってことだ。
ただこの意地の張り合いをこれ以上続けるとなると、バカップルのいつもの痴話喧嘩などという単純な話では済まなくなってくる。

「・・・絵里・・・」

蚊の鳴く声よりも小さい、囁くような声量で丸まって不貞寝するあんぽんたんに呟いた。
・・・もう、時間がないんだよ?

「れいな、アメリカ行っちゃうんだよ・・・?」

それは絵里に届くはずもなく。
クーラーのぬるい風に運ばれ、空気中で霧散した。


 **********


この頃ガキさんの様子がおかしい。明らかに。

「フッフフフ〜〜〜ン♪」
「・・・」

今もボレロなんて口ずさんでるし。
いつもより仕事も能率良くこなしている。
不可解だ。

「ガキさん。最近なんかいいことでもあったの?」
「ん〜?そうねえ〜〜〜ふふ〜ん♪言えな〜〜い」
「・・・」

なんか知らんがムカつくな。
新しく入荷した新商品のダンボールを開けながら尻をフリフリ。目のやり場に困る。
・・・ワザと考えないようにしていたのだが、俺の経験上ガキさんがこうわかりやすく機嫌が良いときは必ずヤツのことでなにかあった時だ。
かまをかけてみるか。

「田中と今度デートするんだって?」
「違うわよ〜。田中っちとアメリカで暮らすのよ」
「は!!!??!??!!??」

ガキさんが一瞬キョトンとした顔を見せてから「あ、ヤバッ」と大きく開いた口を手で塞ぐ。
暮らす?暮らすってなんだよ同棲か?というかなんでアメリカ?いやチリでもペルーでもブラジルでもなんでもいいがとにかく同棲は許さん。

「どこからツッコんでいいのかわからんけど・・・アメリカってなんの話?」
「んん・・・しょうがないなあ。・・・実はね、田中っちしばらくアメリカで暮らすらしいのよ仕事の関係でね」
「へえ」

それは僥倖だ。しばらくツラを拝まなくていいなんて、今夜は眠らせてたワインでも空けて一杯洒落込もうかな。

「で、それに私も付いて行くってわけよ。ポリネシアで二人でルームシェアしてた頃のこと思い出すわ〜」
「・・・え?どういうことだよ。なんでガキさんがヤツに付いて行くことになるんだよわけがわからんぞ」
「田中っち一人じゃご飯もロクに作れないし洗濯機も動かせないし寂しがりやだからね。私がいないとダメダメなんだから」
「それ田中が頼んだのか?」
「違うけど、でも田中っちにはやっぱり私がついてないと」

いつもより1オクターブ程高い声で弾むように言うガキさんは確かに機嫌が良く、幸せそうに見えるのだが・・・なぜか違和感があった。
田中っちには私が必要私が必要と、まるで自分に言い聞かせるようにそれを繰り返すガキさん。その表情は見えない。
・・・腹の奥が煮えるように熱くなった。

「何言ってんだよそんなのおかしいだろ。田中に付いて来いって言われたわけじゃないのになんで一緒に暮らすとか決めてんだよ。
 ・・・そんなの俺が許さんっつの」
「愛ちゃんに許すとか許さないの権利はないでしょ」
「ガキさんだって!田中の恋人でもないくせに一緒に暮らす権利ないだろ!」

しまった。
叫んでから後悔する。
ガキさんのヤツへの想いはムカつくぐらい理解してるつもりだ。
川原に浮かぶ夕陽で染まったあの日のガキさんの顔は未だ俺の網膜に焼き付いている。
好きな男と暮らしたいって気持ちはわかる。俺もガキさんと同棲してあんなことやそんなことしたい。
でもだからって・・・たかが男一人のために自分の人生投げ出して追いかけるなんて・・・おかしいだろ?普通じゃないだろ?

「ガキさんは・・・おかしいよ」
「私のどこがおかしいのよ。変な愛ちゃん」
「ガキさんは田中れいなのことを愛しすぎている」
「ちょ、ちょっとー!こんなとこで恥ずかしいこと言わないでよ〜〜!」

手を扇いで顔を冷ますガキさんに近づく。

「行くなよ」
「・・・え?」
「行くなよ、じゃない。行かせない。ガキさんは田中れいなといるとおかしくなる。
 報われるわけないのに必死になって追いかけて何になるんだ?ただ自分の時間を無駄にしているだけじゃないか」
「・・・」
「縁を切れとは言わないけど・・・一度離れて熱を冷ましたほうがいいよ」
「・・・いやよ」
「・・・」
「愛ちゃんのバーカ」

靴の鳴る音が響く。
自分の仕事をほっぽりだし姿を消したガキさんにかける言葉はいくつもあったはずなのに口からは何も出なかった。
去り際に一瞬だけ見せた顔も前髪に隠れていて何も・・・見えなかった。


*****


「絵里ーーー」
「絵里はいないよ・・・・・・って本人が言ってる」
「はぁ・・・」

絵里が家出してから二週間経った。
しかし状況が好転することはなく、一向に顔を見せてくれる気配がない。
これじゃたださゆに迷惑かけているだけだ。
携帯は繋がらないし会って話す以外に仲直りする方法はないのだが・・・これでは手も足も出ない。

「さゆみも絵里を説得してはいるんだけどあの子ただ意地張ってるだけだよ。ヤダヤダ言って取り付く島もないし」
「迷惑かけてごめんさゆ。にしても、参ったっちゃねえ・・・」
「・・・出発予定日いつだっけ」
「あと1ヶ月ないくらい・・・かな」

刻々とタイムリミットが迫っている今、のんびり痴話喧嘩してる暇はないのだ。
未だ絵里には渡米することを伝えられていない。
ギラギラと燃える太陽が体から水分を奪ってゆく。額から汗が一滴流れ、地面に落ちて弾けた。
暑さからくるものか、焦りからくるものなのか。

「・・・仕方ない、よね」
「へ?」

さゆが諦観の表情を浮かべながら、

「今日のところはこれで諦めて帰って。今から夕食の支度するし」
「あ・・・うん。ごめん。じゃ、明日も来るから」
「うん」

暑さに弱いさゆをいつまでも熱気溢れる外に出しとくわけにもいかない。
未だその場に踏みとどまっていたいとごねる足に無理矢理言うことを聞かせ、その場は大人しく退散した。


 **********


・・・れいな、ごめんね。
けどこのままじゃ埒が明かないから。

「絵里、話があるんだけど」
「なんだよー。さゆが説得しても絵里は絶対許してやんないもん」

ゴロゴロとゴマアザラシのようにベッドの上で寝転がる絵里に蹴りを加える。
あいたっ!と大袈裟に頭を押さえて起き上がるアホを正面に立たせた。

「なにすんのさゆ酷っ!脳みそなくなったらどうすんのさ」
「元々空だから安心して。・・・大切な話だから」
「・・・なに?」

逃げる絵里の瞳を捉える。
・・・ほんとごめんれいな。さゆみの勝手を許してね。

「れいながアメリカに行くことになったから」
「・・・?」
「最長で五年間。アメリカに駐在することになったの」
「・・・え?」
「出発は・・・今月」
「・・・」

静寂が熱帯部屋を包んだ。絵里の瞳が困惑する気持ちを代弁するかのようにわかりやすく揺れている。
中途半端に開いた口からは呼吸音すら聞こえない。驚きすぎて生命活動が一時停止しているのかな。

「・・・うそ」
「嘘じゃないよ・・・れいなが毎日ああやって必死に絵里と仲直りしようと必死だったのはそれを言いたいって理由もあったからだよ。
 なのに絵里はイヤイヤって意地張っていつまでもれいなに顔見せないで・・・ほんとバカ」
「・・・な、なんで?」
「なんでって知らないよ。仕事の関係で行くんじゃないの。さゆみも詳しいことはよく知らないし・・・」
「・・・っ」
「あっ絵里!」

忙しなく走る足音と風を切ったようなドアの開く音だけが室内に残った。


*****


虫の報せか。
れいなは第六感もサイコな能力もないただの人間のはずなのだが、どうしてか全身がさざめくような悪寒がして仕方ない。
導かれるように玄関へと足を運ぶ。
そして・・・扉を開いた。

「・・・絵里」
「・・・」

なぜだろう。久しぶりに顔を見せてくれて嬉しいはずなのに、全くそんな気持ちが沸かないのは。
絵里は顔の筋肉が壊死してしまったかのように不気味なほど無表情で、れいなを映す瞳だけが生気を伴っていた。
直感する。
知ってしまったんだな、と。

「・・・え、」
「絵里のことはどうでもいいんだ」
「・・・」
「また絵里を置いて仕事を選ぶんだ」
「・・・」

ここで言い返さなければ肯定したも同然なのに、言葉が何も出てこない。
それは過去の過ちを今でも悔やんでいるからだ。どんな言葉で取り繕ったってあの時失った信用が元に戻るはずもない。
こうして愛する女性から懐疑の目を向けられるのも全て自分が犯した過ちのせい・・・

「絵里を置いて、今度はずっと帰ってこないつもりなんでしょ・・・?」

痛みを我慢するように歪んだ絵里の瞳から涙の真珠が溢れて、零れた。
絵里の泣き顔なんて、もう二度と見たくなかったのに。
・・・また、れいなが泣かせてしまった。
涙の粒を指で掬おうと手を伸ばす。

「やめてよっ」

叩くように振り払われる。

「裏切り者」

その言葉は腰をナイフで刺されるよりも鋭い痛みを伴っていた。
気持ちを落ち着かせようと力強く握った拳から血の気が引く気持ち悪さを感じる。
震える唇から搾るように声を出した。

「ごめん・・・」

れいなの言葉は走り去る絵里の靴音に被さるようにかき消えた。
絵里はいない。それでも虚空に懺悔するように自分の口は黙ってはくれなかった。

「ごめん・・・泣かせてごめん・・・絵里・・・」


*****


部屋で大人しくすることもできず、一人で虫がブンブン五月蝿い屋上なぞに来ている。
考えるのはそりゃあ絵里のこと。
つい数日前までは今日のエッチのメニューはどうしようかな、とかプロポーズの指輪はどこで買おうかな、とか
くだらないけど幸せなことで悩んでいたのに。
温度差激しすぎて風邪ひきそうだわ。

「・・・はぁ」

"裏切り者"

「あはは」

もう笑って誤魔化しとけ。
笑顔は幸せを呼ぶんだ。

「はは」

しかし絵里とこんな形で別れたまま一人で寂しくアメリカに行くのか。
帰って来る頃には絵里は別の男と結婚して子供たくさん産んで幸せな家庭を築いていたりしてな。
モテるし、相手もそれ相応の高橋みたいなハイスペックの優男に違いない。
そう思うと、れいななんてケーキにたかるハエみたいなもんだ。
ありそう。そんな未来。

「あははー・・・はは・・・」

れいなじゃあいつを幸せにはできないみたいだ。
笑っているはずなのに、
情けないほど涙が零れた。





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