付き合いでの飲み会というのはどうも苦手だった。
れいなは愛想笑いを振りまきながらビールをついで回る。
多少のセクハラも今日は許そう。向こうさんのご機嫌を損ねてしまっては元も子もない。

「じゃー、もういっちょ」
「かんぱーい!!」

れいなは慌ててグラスを取ってくいっと煽った。
随分と温くなったビールが喉を通って行く。不味さに拍車がかかりたまったものではない。
れいなはそれでもにこっと笑って自分の席へと戻る。

「れいな」

ふいに降ってきた言葉に顔を上げると、そこには鮮やかな水色のスカートを身にまとい、白いシャツを羽織ったさゆみがいた。
思わず立ち上がろうとしたが、その前に彼女が膝を折ってれいなに近づく。

「紹介が遅れたけど、この子、この前私のマネージャーになったの」
「初めまして、田中さん」

れいなはさゆみの後ろからひょいと顔を出したその女性に目をやる。
長い髪をひとつにまとめ、深く頭を下げた彼女は自分の名を名乗った。

「このたび、道重さんのマネージャーになりました、佐藤と申します」
「あ、どうも、カメラマンの田中です」

慌てて自分のポケットに入れていた名刺を交換した。
印刷された「佐藤恵美」という名前を見るが、れいなは酔いが回っているせいか、自分がかつて使った偽名だということに気付かなかった。

「じゃあ、またあとで」

そうして去ろうとするふたりにれいなは声をかけて呼び止めた。

「あのっ、さゆ…」
「ごめん、あとでね」

さゆみはれいなの言葉をさえぎって別の席へと向かった。
挨拶回りが終わらないのだろうか、それともれいなと話したくないのだろうかと頭をかく。
そのうち寺田がやってきて挨拶に行かせようとしたので、れいなも渋々立ち上がった。



道重さゆみの所属する事務所との合同飲み会。そういえば聞こえは良いが、実際は田中れいなの事務所の接待だった。
ひたすら愛想を振りまくのはやはり疲れる。慣れないビールを飲まされて頭をだんだんとぼんやりしてくる。

「田中さん水飲みます?」
「うー……ありがと、愛佳」

れいなは隣に座った愛佳から水を受け取って一口飲んだ。
もともと下戸なれいなにとって、知らない人との飲み会ほど苦痛なものはない。
これが社会人の付き合いというものかと苦笑するが、それにしたって頭が痛い。

「そういえば、この前言ってた子どうなった?」
「この前?」
「ほら、寺田さんと話しよったやん。愛佳が撮った子、スカウトするとかどうとか」
「あ、聞いてはったんですか?」

愛佳はそうして日本酒を注いだお猪口を煽る。彼女は意外と、飲めるタイプのようだった。

「スカウトしに行ったんやろ、昨日」
「ええ。たまたま公園に居たんで声かけましたよ。まあ、保護者みたいな人に嫌われましたけど」

愛佳は昨日の出来事を思い出しながら喉をくつくつと震わせた。
保護者?ということは未成年だろうかと思いながられいなは水を飲む。

「その人、可愛いっちゃろ?」
「そりゃもう自信持って言えますけど、でも、それだけやないんですよ」

彼女は可愛いだけではないと否定した後、愛佳は続ける。

「なんて言うんですか。儚い感じなんですよ、全体的に」
「……幸薄いと?」
「あはっ。まぁそんな感じです。守ってあげたくなるし、何処か影落として憂い帯びてて……内側の闇とか背負ってる感じが凄く良いんです。」

話を聞いている中で、ますますれいなは、その女性の存在が絵里と重なる。
だが、そんな偶然あるのだろうかと思いながら問いただそうとはしなかった。
愛佳の目は確かにカメラマンの目そのものだが、それ以上に、その女性への想いを写している気がしたからだ。

少なくとも里沙は、絵里のことを真っ直ぐに想っている。
れいなだってもちろんそうだ。
此処に愛佳まで入ってこられてはややこしいことこの上ない。
こういった現実から目を背けることが、あまり良くないんだろうなと思いながら、れいなは水を呑み込んだ。
ちらりと左に目を向けると、さゆみが立ち上がり、外へ出て行った。
トイレだろうかと思ったが、昨日のことを謝りたいと、れいなも同じく立ち上がり、彼女の後を追った。
フラフラと視界が揺れる。ああ、飲みすぎだと苦笑しながらトイレのドアを開けると、さゆみが洗面台で化粧を直していた。

「変わらないね、そういうところ」

さゆみはこちらを認めるとくすっと笑った。
その表情は相変わらず綺麗で、思わずカメラを構えたくなる。何処までも、彼女は美しい。

「さゆに、ちゃんと謝りたかったと」
「なにを?」
「昨日のこととか……その、思い出せんこととか」
「……でも、覚えてないんでしょ?」

そう言われてしまうとれいなは返す術がない。
ただ教師に叱られた生徒のように頭を垂れて、許しを請うしかない。
さゆみは呆れたようにため息をつくと、れいなに一歩近づいた。
叩かれると反射的に覚悟したが、飛び込んできたのは、さゆみの柔らかい香りだった。

「さゆ……?」

抱きしめられていると気付いたのはそのときだった。
れいなはさゆみの腕の中にすっぽりと収まり、彼女の心音を黙って聞いていた。
さゆみから溢れた優しさや切なさに胸が痛む。ぐわんぐわんと耳元で世界で鳴っていてうるさい。それでも心臓が、早鐘を打つ。

「れいな、私のことどう想ってるの?」

さゆみは突き放すようにそう問うた。
それは、絵里を拾った次の日に交わされた質問と全く同じだった。
れいながそれにどう答えるか悩んでいる間に、彼女はれいなを解放した。

「ごめん、困らせて」

さゆみはそう言うとれいなから離れ、トイレから出て行こうとする。
温もりのなくなった体が冷たくなる。どうしようもなく寂しいと思うのは、れいなのわがままだろうか。

「っ……さゆのこと好きやった!」

れいなは彼女に大して無意識のうちに叫んだ。
さゆみは思わず振り返る。その瞳は、驚きと、確かな哀愁を帯びていた。

「さゆンこと、好きやった。本気で、真剣に、大好きやったっちゃん!」

酔っていることは自覚していた。
場の空気に呑まれ、愛想を振りまいているうちに思った以上に酔いが回ったことは分かっていた。
だが、この唐突な告白は、単に酔っていたからというものだけではない。
なぜだか急に、れいなは伝えたくなった。あのときなにも言えなかったくせに、なにも言えなかったからこそ、さゆみに伝えたくなった。
純粋に、どうしようもなく、あなたが好きだったと―――

「……なんで、いまさら言うの?」

さゆみは眉をへの字に曲げてそう訴えた。
彼女の心をかき乱したのは、れいなの伝えたかった想いだった。
不意に溢れ出した感情は、さゆみの心を掴み、切り裂き、そして優しく抱きしめる。

「付き合ってたときはなにも言わなかったのに、どうしていまさら言うのよ!」

さゆみはれいなに詰め寄った。
だが、れいなはなにも言えない。彼女自身、なぜ伝えたくなったのかが分からなかったから。
困ったように目を伏せ、れいなはなにも話さずに黙っている。

「れいな……私……」

さゆみはまた、昨日のように両手で顔を覆った。
涙を流しているのか、堪えているのかは判別できない。その間にも、れいなの頭はガンガンと鳴っている。
うるさくて、叩かれているように痛くて、どうしようもなく、切ない。

瞬間、だった。
さゆみは再びれいなの胸に飛び込んできた。
驚くのも束の間、さゆみは両目を閉じ、顔を傾けた。

キスしているのだと気付いたのは、直後だった。

「んっ……」

甘い唇が降ってきて、酔いが覚めるような思いだった。
久し振りに触れた彼女の唇は、2年前となにも変わらない柔らかさと甘さ、そして痛みと切なさを携えていた。
さゆみはなんどか角度を変えて啄むようなキスをしたあと、舌で入口をノックしてきた。
酒に呑まれながらも、必死に理性でその口を開けることはしないれいな。
しかし、さゆみは強引にこじ開けようとする。

「っ……んっ!」

さゆみはれいなの肩を押し、洗面台の壁に背中を押しつけた。ジャリっと鈍い音が聞こえた気がする。
それでも彼女はキスをやめようとはせず、甘い音を立てて舌で歯列をなぞった。
れいなが酸素を求めて一瞬だけ口を開いたとき、さゆみはするりと中へ入ってきた。

「さ……さゆっ……んっ」
「はぁ…れいな……れいなぁ……」

逃げようとしてもさゆみの舌はれいなを絡め取って離さない。
たったひとつ、微かに残った理性でれいなは必死に逃げ、彼女に応えようとはしなかった。
だが、さゆみの舌は縦横無尽に口内で動き回り、れいなを犯していく。甘くて危険な彼女の香りが、れいなの脳に直接刺激を与え、狂わせていく。
あのころとなにも変わらない彼女の温もりに、れいなは翻弄される。徐々に絆され、理性を失わせ、ただ欲望に従えと脳が訴える。
頭の片隅に、確かに絵里の笑顔が浮かんでいたのに―――

「れ……っ!」

されるがままだったれいなが、その両腕をさゆみの背中に回した。
ぎゅうと抱きしめたあと、さゆみの後頭部の髪をぐしゃりと掴み、その温もりを確かめるように唇を貪った。

「んっ、れい……ふっ…ん…」
「はぁ……さゆ……ちゅっ…さゆ…!」

足りないものを埋めるように、渇いていた心を潤すように、ただひたすらにキスを重ねる。
背徳の想いも、少しの寂しさも存在したのに、それらをかき消すように、互いを求め、唇を奪い合う。
唾液と舌が行き来し、だらりとだらしなく口の端から零れ落ちる。
だれかが入ってくるかもしれないという不安さえも、なかった。

「ふぅっ…んっ…あっ……はぁ…」

どちらかが手を伸ばし、体に触れれば、おそらくその一線は超えただろう。
ふたりして個室に入り、互いの服を脱がしあい、膨らんだ胸や鎖骨にキスを落とし、濡れるその中に入り込んだだろう。
だが、互いにそうすることはせず、名残惜しいように唇を離した。
太く繋がった透明の糸が垂れる。ずっとキスをしていた証が妙に綺麗に思えた。
荒く息を零しながら、ふたりは見つめあう。互いの瞳が揺れ、なにかを映し出していた。

「………ばか……」

さゆみは肩で息を整えながらそう呟くと、れいなに背を向けてトイレから出て行った。
ひとり残されたれいなは、唇に人差し指を当て、先ほどまでそこにあった温もりを噛みしめる。
遠く去りゆく彼女の背中をまぶたの裏に写し、目を閉じた。

「ごめん……」

だれへの謝罪か、なにへの謝罪か、れいな自身、分かることはなかった。
口内に甘い甘いキスの味が残っている。それが果たして、さゆみの唇なのか、それとも、彼女が飲んでいたカクテルなのかも、分からなかった。
ため息をつくと、急に酔いが回ってきた。視界がぐらりと揺れ、立っていることもままならなくなる。
れいなは壁に手をやり、脚をふらつかせながらも宴会場へと戻った。そこにはもう、さゆみも、そして彼女のマネージャーもいなかった。
深く深く、ため息をつき、手近にあったビールを注いだ。今日はとことん、飲みたい気分だった。


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アルコールを口にしなかった里保は、さゆみを送るため、車を走らせていた。
トイレから帰ってきた彼女は、泣きそうな顔をして前髪をおさえていた。
追いかけたのがれいなだと知っていた里保は、その場でなにが起きたかをなんとなく悟り、そっと彼女を促して席を立った。
あとで事務所スタッフになにか言われるかもしれないが、体調不良とでも言っておけば良い。

「ごめんね…めぐめぐ」
「いえ、良いんですよ。私もそろそろ帰りたかったので」

里保は慎重に言葉を選んだ。
変に気を遣わせてはいけないと、ハンドルさばきに集中する。

「……ねぇ」
「はい」
「飲み直そっか」

その言葉に里保は思わず「え?」とバックミラーでさゆみの顔を見る。
彼女はいたずらっ子のように笑うと「明日休みだし、ね?」と話しかけた。

さゆみがなにを求めているのか、里保にだってなんとなく分かる。
それに応えることが、果たして吉なのか凶なのかは分からない。だが、里保は気付いたときには「はい」と頷いていた。
行先なんて、ひとつしかなかった。





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