#37 <<< prev
───れーな。
「・・・」
────れーなっ!
「んぁ・・・?」
閉じそうな瞼を擦る。
いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。
だってその話があまりにも。あまりにも長かったから。つい眠気が訪れてしまったんだ。
「ごめん父ちゃん。ちょっとウトウトってしてしまったと。ちゃんと聞くけん続き話して」
父は腕組みをし、しょうがないなと嘆息する。
実はこの話の結末を自分はわかっている。
じゃあなんで聞いているのかって?
なんでだろう。暇だったし、父が勝手に話し始めたことだし、それに今日は特別な日だったから。
大人しく聞いてやろうと思ったんだ。
「ふぁ・・・」
息子の大欠伸にも気付かず、父はまた話し始める。
やべ。また途中で寝ちゃいそ・・・
・・・
*****
絵里と再会して次の日、PM14:00
2年ぶりに踏む日本の大地はやっぱり固くて冷たかった。
「2年じゃそんな変わらんか・・・」
とはいってもしばらくアメリカにいたせいか日本に帰ってくると狭くて小さい土地や建物に違和感を感じ得ないのは仕方ない。
1104と書かれたドアの前でふぅ、と呼吸を落ち着かせる。
やつら元気にしてるかな。なんの連絡もなしに突然帰ってきてビックリするだろうな。
インターフォンを押す。
数秒も立たない内にドタドタうるさい足音と『は〜い』というマヌケで懐かしい声が聞こえた。
「田中さんおかえりなさいっ!!」
純度100%の笑顔でれいなを迎えたのはパーティーグッズが似合いそうな万年アホの久住小春だった。
久しぶりに見る小春は多少凛々しくなったようが気がしただけでやっぱりアホヅラだわ。
「ただいまー・・・って、ん?"おかえり"?・・・なんでれいなが帰ってくること知っとーとおまえ」
「絵里さんから聞きました!言いふらしまくってますよ彼女」
「・・・」
ま、いいけどな。驚かせるつもりもなかったし。
小春と軽い会話をしていると『ふわぁ』なんて女性らしさのカケラもない欠伸が聞こえてきた。
誰かな?なんて考えるまでもなく吉澤さんだ。咥え煙草なんて行儀の悪い格好でれいなを出迎える。
「よっすー。久しぶり」
「お久しぶりです」
こちらも2年ぶりだというのにかなり軽い挨拶。
まぁ生き別れの母と子の再会シーンのようなリアクションは求めちゃいないが・・・もうちょっとなんかないのか?
これじゃ夏休みに実家に帰省する大学生とその家族みたいなノリじゃん。
「中入る?一応営業中だけど特別に茶出すよ。あんたみたいなのもう一人いるしね」
「もう一人?」
靴を脱いで玄関から上がると、
「田中っちいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!」
「なっ、」
テンションMAXなガキさんがいた。
*****
「で?どーだったのさアメリカは」
れいなの土産のtwizzlersを一口食べた0.1秒後にゴミ箱にスラムダンクした吉澤さんがなんともないように質問する。
いや、買ってきた人の目の前でいきなり吐くなよな・・・クソ不味いのは知ってたけど。
「凄いですよ。技術力は日本とはダンチです。スカリフィケーションもアメリカで少しかじりましたよ。
こっちもアングラでかなり流行してます」
「へえ。じゃあできるんだ」
「カッティングとブランディングくらいしかまだできませんけど」
「そこまでできりゃ大したもんだよ」
それがそうでもないんだな。アメリカじゃタトゥーを生業にしてる人はスカリフィケーションもできて当たり前なのだ。
れいなはその点まだまだ半人前だ。吉澤さんあたりできそうなもんなんだけどどうなんだろう?
けどわざわざ聞くことでもないしな、とtwizzlersを咀嚼する。クソ不味い。
「にしてもガキさんまで日本出てたとは知らんかったと」
「何言ってんの田中っち。私は田中っちのために日本に来たんだからあなたがいなくなったら日本は用無しに決まってるじゃない。
だから故郷に帰ったの。それだけ」
ここがあんたの故郷なんだけどね。
しかしガキさんのやつ・・・この2年で随分綺麗になった気がする。
吉澤さんや小春は2年前とたいして変わってないのだが、ガキさんは猿が人間に進化したかのような変わりっぷりだ。
ちなみに昔のガキさんが猿と言っているわけでは断じてないので注意。
「ん?どうしたのよ人の顔じろじろ見て」
「・・・いや」
「変な田中っちねえ〜」
・・・。れいなが凝視しても以前のように取り乱した様子がない。
誰かいい人でも見つけたのだろうか。
よかったと思う気持ちと同時に少し寂しい感情が泡のように涌いた。
「そうそう!田中さんがいない間いろいろあったんですよぉ。つい最近小春の部屋に生意気な若造が、」
「こんちはーっス」
小春の言葉と被さる聞いたこともない新たな客人の声。
少しハスキーっぽい低い声は少年のようなイメージを抱かせた。
リビングのドアが開き、客人が姿を見せる。
想像通り、そいつは少年だった。
「ちはー・・・って、あ、客がいたんですか。ども」
「どうも」
「いや自己紹介しなよあんたら」
吉澤さんの叱責する声に少年が億劫そうに自己紹介を始める。
「工藤遥っス」
首を掻きながら。
態度悪いなこいつ。昔の誰かさんにそっくりだ。自分だけど。
「田中れいな」
こちらもぶっきらぼうに自分の名前を言った。
すると工藤と名乗った少年はただでさえビードロのように丸くてでかい目をさらに丸くさせながられいなを直視する。
蚊の鳴くような小さな声で『うそ』だの『本物?』だの『そういえば雑誌で見たのと同じ外見・・・』
「田中れいな・・・REINA!?ほ、本物っスかぁぁあああ!?!」
「うおっ。なん!?」
「マジかよーー!本物だ!お、俺REINAさんのファンなんですよっ!雑誌でREINAさんのトライバル見て一目惚れしたんス!」
「あ、ありがと・・・」
「マジかあああああああああすげえええええええええええ俺ラッキイイイイイイイイイイイイイイ」
池田ああああああと叫ぶ工藤少年のノリに全くついていけない。
工藤はひとしきり叫んだ後マシンが収納されている棚からジュラルミンケースを取り出し、一枚のスキンシートをテーブルに広げた。
そこには駆け出しだった頃の自分を思い出させる少し荒っぽい線のトライバルが彫られてあった。
「・・・これは?」
「俺が彫った作品です。田中さんのデザイン画を借りてそれを参考に彫りました」
「・・・上手いっちゃね・・・」
「お、俺田中さんの弟子になりたくてずっと独学でタトゥーを学んでたんス!
技術はまだまだっスけど・・・でもいつか田中さんの右腕になれたらなって!それで・・・」
「へぇ・・・独学でここまで・・・」
「お、俺を・・・弟子にしてもらえませんでしょうか・・・?」
お願いします、と頭を下げる工藤。
それに横目を向けつつ、意識は小春の方へと向いていた。
なぜか。小春が工藤とれいなからあからさまに目を逸らし俯いていたからだ。
そういや小春のやつはまだ彫り師を目指して吉澤さんを師事しているんだろうか。
この様子じゃ進歩はしていないんだろうな。才能ないからこいつ・・・。
「ごめん。今は弟子取れんのよ。れいな自身が修行中の身だけんね」
「・・・そうっスか・・・」
「・・・。将来の話っちゃけど、れいながアメリカから帰って来て自分の店持ったら・・・おまえを雇ってやってもいいとよ?」
「え!」
工藤が少女漫画のヒロインのように目を爛々と輝かせる。
「工藤も将来は自分の店を持ちたいって野心持っとぅのやろ?それまでの繋ぎでよければ。
れいなから技術を盗めるだけ盗んでいけばいい」
「田中さん・・・」
「才能ある若手を育てるのも彫り師の仕事だけんね」
「は・・・はいっ!」
こんな金の卵、みすみす逃すには惜しい人材だからな。
だが話はここで終わりではない。
暗い顔をしているタレ目へと照準を変える。問題はこいつなんだ。
「小春、おまえまだ彫り師目指してると?」
「え?・・・・・・あ、はい・・・」
2年経ってもたいして成長もしていない。
技術も才能もない。おまけにバカでヘラヘラうざい。それでも。
「おまえもれいなんとこ来い」
「・・・え?」
「れいなが店持ったらおまえ雇ってやるけん来い」
「田中さん・・・」
「コキ使ってやるついでにタトゥーも教えてやるけん」
小春の垂れ下がった目から朝露のように涙が一滴、また一滴と落ちる。
親切心などでは断じてない。心配だったから、とかでも断じてない。
「た、たなきゃしゃぁぁぁあぁあぁん・・・・・・グスッ」
「泣くなうざい」
「あっはっは!よかったな小春。就職先が見つかって。これでよしざーも安心できるよ」
「あぅぅぅ・・・ヒック・・・うっうっ」
れいながいないとこいつは駄目だから。ま、仕方なくだよ。
*****
YHを出る頃には空はすっかり赤くそのキャンパスを染めていた。
「田中っちはいつまで日本にいられるの?」
「今日と明日は日本にいて・・・明後日の朝には日本出らないかんと」
そうなの・・・と項垂れるガキさんの頭をポンポンと叩く。
「永遠に向こうにいるわけじゃないけん。修行終わってこっちに帰ったらガキさんにも連絡するよ」
「うん」
「じゃ、れいなさゆんとこ挨拶行くけん、じゃあな」
「うん・・・ばいばい田中っち・・・」
ガキさんと別れ、さゆビニへと足を向ける。
この時間、やつはおそらくバイトだ。まだコンビニを辞めてなかったら、の話だが。
「ま、辞めてないっちゃろ・・・」
一階へ降りロビーを出てすぐ隣、コンビニエンスストアとは名ばかりの道重さゆみの城へと辿り着く。
予想通り、やつはいた。遠目からでもわかるあのロングの黒髪はやつ以外いない。
バイト中でも縛らないあのふてぶてしさは道重さゆみの性格そのものを表している。
「やっぴぃ」
軽いノリで挨拶をすると白目剥き出し、瞳孔ガン開きのホラー顔で返された。
「れっ・・・れいな!?」
「・・・・・・・・・・・・」
が、さゆよりもさらに目玉ひん剥いて驚いたのがれいなだ。なぜならさゆの背中には・・・
「あんたどうやって帰ってきたのよ!?さゆみほんと心配して、」
「お、おまえそれ・・・ど、どうしたと・・・?」
白くて小さい、なんの汚れもない純真無垢な天使。
赤ん坊なるものが存在していたからだ。
「あ・・・これ・・・」
「な、な、なんでさゆが赤子なんて・・・いつの間に・・・おまえ・・・」
「・・・・・・あーもう」
ガシっと手首を掴まれ、有無を言わせぬ迫力を持って裏へと連行される。
背中から漂うさゆのオーラは今まで感じたことのないシベリアの極寒のごとく冷たい空気を伴っていた。
*****
いつの間に男できてたんだよ、とか旦那の顔見せろよ、とかついに処女卒業かおめでとうとか。
からかいたい気持ちはあったが、
そんなこと言いようものなら俺の右拳が火を噴くぜと言わんばかりの禍々しい霊気がさゆを中心に転回していた。
「とりあえず空いてるとこ座って」
空いてるって・・・どこ?
Gがそこらでショッピングでもしてそうなくらい雑多な物置部屋のどこに空いてるスペースなんてあるのか教えてほしいもんだ。
とりあえず商品が入ってるダンボールの上に腰を降ろした。店長より権限がある道重閣下が許してるんだから問題はない。
「あんたどうやってあの事故から生きて日本に帰ってきたのよ」
「・・・あの事故?・・・・・・・・・、ああ」
絵里と再会した時に2年ぶりだからといってあそこまで泣くかなと不思議に思ったんだがそういうことか。
「いや、単純な話。れいな寝坊してあの便に乗れんかったっちゃん。結局帰る日をずらしたのよ」
さゆがパチクリと2、3回まばたきをしてからはぁー、と盛大な溜息。
いきなりモーション無しの神速の拳骨を脳天にぶちかましてきた。
「普通なにか連絡寄越すでしょー!?さゆみも絵里もめっちゃ心配したんだからね!!ふざけんなよバカが!!」
「しゅ、しゅみましぇん・・・」
「ほんとれいなってどうしようもないバカだよね!生まれ変わってその鈍感直せよ!」
つまり死ねと?
自分は無事だと連絡する余裕はないわけでもなかった。
確かに片手間でできることをなぜしなかったのか。さゆの言うように気遣いが足りなかったんだろうな。ごめん。
「まぁ、この件はいいわ。許してあげる」
「お、おう」
「それ以上に許せないことがあるからね」
「・・・へ?」
さっきから気になってちらちらと視界に入れていた例の赤子をさゆが腕に抱えなおす。
母親然としたその行動は全く違和感なく、さゆが本当にどこかの馬の骨とこさえたガキなんだなと思うと微かに嫉妬心を覚えた。
フったくせに今更女々しいなと鼻で笑って赤子をマジマジと見る。
「生意気そうなツラしてるっちゃね〜。この顔はロクな大人にならんねこいつ」
「そりゃそうでしょ。親が親だから」
「・・・。自分で言うかそれ」
「自分?・・・フッ。あんた勘違いしてるでしょ絶対」
「あ?」
さゆが赤ん坊の脇腹を持ち上げれいなの眼前に持ってくる。
そいつは泣くこともグズることもなく、半開きの口から涎を垂らしながられいなにジッとガンをくれていた。
「この子の名前・・・知ってる?」
「はぁ?そんなんれいなが知るわけないっちゃろーが」
「・・・"れいな"」
「なん?」
「だから、"れいな"」
「いやだからなによ?」
「違う!そうじゃなくて!・・・この子の名前が、"れいな"だっつってんの!!」
「へ・・・へ!?」
れいなの驚愕の声に、うず高く積まれていた書類の山が地崩れする。
同級生だった男の名前をつけるとはさゆも思い切ったことしやがるな・・・。
だが話はそこで終わらない。さらにさゆが追い討ちをかけてきた。
「この子の名前がなんで"れいな"なのか説明してあげる。『父親のように立派な大人に成長してほしいから』だってさ」
「・・・・・・・・・・・・え?」
「鈍感なれいなでもいい加減わかったでしょ?この子の父親が誰か」
「・・・・・・・・・・・・へ?誰?」
「このギャラクシーバカ!!父親はあんた!この子は正真正銘、田中れいなの息子だよ!」
雷ピシャーン!なエフェクトを付け、さゆが激昂する。その時たしかに世界は止まった。
れいなはというと、驚きすぎてなにも言えねえ。
れいなが父親?じゃあ、じゃあ母親は・・・
「もうわかってるだろうけど、母親は絵里だよ」
「・・・・・・・・・」
「れいなが渡米してから何ヶ月かして絵里がしばらく体調不良を訴えてね。
心配してさゆみが看に行ったらあの子さゆみの目の前で吐いたの」
「・・・・・・」
さゆが言うには。
妊娠したと自覚し、悪阻で苦しみながらも絵里は仕事を休むことなく、弱音を零すこともなく、ただ一人で耐えてきた。
しかし一人で耐えればなんとかなる妊娠期と違い、産んでからは必然的に別の問題が発生する。
赤ん坊には四六時中世話をする人が必要になる。だが日々仕事に追われる絵里にはそれは到底無理なことだった。
そこで任されたのがフリーターで自由な時間のとれる道重さゆみ。
さゆは絵里から"れいな"を預かり、バイトのある日はこうして背中におぶさりながら仕事を続けていた。
ちなみに絵里がれいなになにも言わなかったのは・・・れいなの邪魔をしたくなかったから、だそうだ。
「・・・・・・」
「れいなの知らないとこで絵里はずっと苦労してたんだよ」
「・・・そうだったんか・・・」
「この計画性無し男。なんにも考えずに置き土産だけ寄越すなよ!バカアホサイテー!」
「・・・ごめん・・・」
「・・・さゆみが絵里の立場だったら50発は殴ってたよ」
「う・・・」
「さゆみはれいなを叱れる立場じゃないから・・・もう言わないけどさ・・・」
そんなことはないだろう。今までの話を聞く限りさゆは"れいな"の乳母だ。
ふざけんなよ!って言って50発殴られ、とどめに北斗真拳究極秘奥義蒼龍天羅をぶちかまされたとしても・・・恨み言は言えない。
「絵里の家行きなよ。行って土下座してこい」
「はい・・・」
「もちろん"れいな"も連れてね。パパなんだから当たり前でしょ?」
と言って赤子を渡される。なにも言えず受け取る自分。
口が半開きでマヌケヅラ全開のこの赤ん坊は本当に我が息子なのか、
あまりに突然の急展開ぶりに父になったという自覚はノミの毛の油ほど沸いてこなかった。
ただ今は計画性のない自分に心底呆れ果てているのみだ。
「で?一時帰国って聞いたけど本当にこのまま帰るつもりなの?なにもかもほっぽって」
さゆが腕を組み、北極熊も寒さで死ぬほどの冷度を持った眼光を浴びせながら質問する。
「え?・・・あー・・・・・・えっと、」
「・・・はぁ。もういい。とっとと行けバカ」
「ご、ごめん」
浮気がバレた夫のように罪悪感と情けなさを背中に背負い、裏の出入口の戸を開ける。
さゆにまともに顔向けできないまま『じゃ・・・』と言い残し出ようとすると、
「無事に帰ってきてくれてよかった」
「・・・さゆ」
「ちょっとだけだけど・・・死んだんじゃないかって思ってたから」
「・・・」
「もう心配かけないでよ」
そっぽを向きながらそう言ってくれたさゆにサンキュと返し、扉を閉めた。
*****
早く行ってまた何時間も絵里を待つのも体力の無駄なので、ファミレスで時間を潰してから絵里の家へ向かった。
着く頃にはすっかり日も暮れ、空も夜の帳が降りている。
絵里の部屋の前で座って待っていると抱えていたガキが突然グズり始めた。
「な、なんだなんだ。おっぱいか?れいなの飲むと?」
シャツをめくって胸を見せるとさらに泣いた。当然だが男の胸には蚊ほども興味がないらしい。
ぶやぁ〜〜〜!なんてブッサイクな泣き方しくさってご近所迷惑にも程がある。
なんとかなだめたいがれいなのおっぱいからはミルクは出てこないからな・・・いやそもそも1歳児って乳飲むのか?
「ベロベロバー!」
ぶやぁあああぁあああああああああ! ・・・もっと泣いた。
顔芸しても笑わないとはひねくれたガキだ。いったいどこの子だ?
ってれいなの子だよ!と一人ツッこんであたふたしていると階段を上る音が聞こえてきた。この足音はたぶん、
「あ・・・れいな」
「や、やっぴぃ絵里・・・ちょうどいいところに。ちょっと助けてほしいっちゃけど・・・」
「なんでれいなが"れいな"抱っこして・・・まぁいっか」
絵里がれいなからガキを受け取ると、今までギャンギャン泣いていたのが嘘のように大人しくなった。
泣き疲れたのか絵里の腕の中で静かに寝息を立て始める。母の力ってやつなのか、単にれいなが嫌われているだけか。
「・・・様になってるっちゃね・・・」
「そう?絵里よりさゆの方が慣れてるけどね。ウチ上がる?」
「お、おう」
「汚いけどどうぞー」
「おじゃまします・・・」
久しぶりに入る絵里の部屋はところどころ散らかっていた。
以前来た時はそれなりに小奇麗に片付けてあったのだが掃除をする暇もないくらい仕事が忙しいのか、ただ絵里が無精なだけか。
ソファーに腰を落ち着け一息つく。
「・・・・・・絵里」
「ん〜?」
座って呆と天井のシミを眺めているといろいろな問題が頭の中に浮かび始めた。
まず確かめなくてはいけないことは、"れいな"というややこしい名前のこの赤ん坊のことだ。
「おまえの抱いてるそのガキ・・・マジでれいなと絵里の子供なん?」
「うん」
コンマ数秒も待たず即答されたぞ。
「・・・そっか」
「れいな?」
「ごめん・・・」
「・・・」
「謝っても許されることやないっちゃけど・・・ごめん」
絵里は黙ってれいなを見つめている。
置き土産だけ残して自分は外国に高飛び、あとの苦労は全て絵里任せってさゆの言うとおりれいなはかなりのクソヤローだ。
こんな口頭だけの謝罪じゃ軽すぎる。全裸で土下座した後、三回回ってワンぐらいするのが当たり前ってもんじゃ・・・
「謝ることないよ」
「え?」
「だって絵里は嬉しかったもん。この子がいたかられいなと離れてても繋がってる気がして・・・」
「絵里・・・」
「だから、れいながまたアメリカに行っても大丈夫」
「!・・・・・・そか・・・」
アメリカへ戻る。
本当にそれでいいんだろうか?自らの責任を放棄して自分だけやりたいことやってあとのことは知らん振り。
それって結構なサイテー野朗なんじゃないか?
そうだそうだこのダメ男め!と罵倒するようにいつの間にか起きていた息子がれいなに向かってバタバタと腕を振る。
「パパが好きみたい」
「・・・どう見ても嫌われとぅやん」
「そんなことないよ〜。あ、ところで"れいな"ご飯食べた?」
「ファミレスで雑炊食べさせたっちゃよ」
「そっかぁ。じゃあもう寝よ?シャワーは朝すればいいし・・・絵里ちゃんもうクタクタだよ〜」
「え?寝るって・・・れいな泊まっていいと?」
「そのつもりで来たんじゃないの?」
そのつもりではなかったが絵里がいいなら好意に甘えさせてもらおう。
少しでも絵里やこのガキと一緒に時間を過ごしたい。
寝巻きに着替えた絵里がシングルベッドに寝転がる。れいなが入るとおしくらまんじゅう状態になった。
目の前に絵里の顔があり、けしからん欲望がムクムクと頭をもたげたが鉄の意志でそれを殺し、
れいなと絵里の間に"れいな"を寝かせる。
「親子川の字だ〜。うへへへ」
「狭いのに嬉しそうっちゃね・・・」
「うへへへ〜。だってずっとこうしたかったもん」
「そっか・・・」
半分瞼が落ちていた息子がいの一番に寝息を立て始める。
それを合図にれいなと絵里も目をつぶった。
だがその日はなかなか寝つくことがなかった。
口元のにやつきを止めることができなかったから。
家族ってこんな感じなんだな、あったかいなぁ・・・
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