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19年5月11日 合同分科会 議事録3

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○野依座長 どうもありがとうございました。葛西委員、どうぞ。

○葛西委員 全体の話とこれからお話しする話が切り離しにくいので、多少大学・大学院教育の再生に話が寄るかもしれませんけれども、よろしいですか。

 私は、基本的な方向をどうするかを考える場合、制度化あるいは固定的なものにしていくということよりは、弾力的で自由でダイナミックな仕組みにしていくという方向を強く打ち出す方がいいと思います。一面では日本の教育の長所の一つだったのかもしれませんが、今日的に云えば制度化がきちんとできすぎているというところは短所の一つではないかと思います。

 大学のプロジェクトXも、大学院を良くしたいという気持ち、これはみんな同じだと思うんです。しかし原案を見ると、大学4年+大学院X年というところの4年とX年を切り離して、4年は教養に重点を置く。そして、大学院X年で高等教育のレベルを上げようというふうに、直列的に並べているように思えます。それぞれに別々の使命を与えようとしているのですが、実際にはアメリカの大学でも、あるいは、世界的に見ても、4年とX年をこういう形で切り離して制度化するという仕組みはほとんどないわけでありまして、4年とX年がある意味で入り乱れる、あるいは、高校3年と学部4年が入り乱れるというような感じの自由な飛び級の仕組みとか、自分の得意な科目については高校生のうちに大学の勉強を進めるというようなやり方の方が一般的だと思います。

 私自身の体験でいうと、私はアメリカのある大学の大学院で2年間経済学の勉強をいたしました。そこで見ていまして、アメリカの大学院の平均的学生の教養レベルは日本の学生よりも低いと思いました。また、専門的知識もやはり低いと思いました。ただ、そのときに私はアメリカで非常に学ぶ点があると思いましたのは、私を教えていた教授の1人はマクロ経済の理論経済学者で、25歳のときエール大学でドクターをとっておりました。もう1人は、ミクロの理論経済学の教授で、21歳のときスタンフォードでドクターをとっておりました。彼らはいずれもプレップスクールから一流大学に進み、学部のうちに数学などについては大学院の修士、ドクターの部分をほとんど終えてしまって、並行してそれ以外の教養科目を学ぶという仕組みで進んできた人たちであります。そうでないと21歳でドクターはとれません。非常に優秀な先生でありました。

 そういう意味で考えてみますと、どの段階では何をやるということをシリーズに並べていくのではなくて、むしろ高校3年と学部4年を並列的に進める。学部4年と大学院を並行に捉えるほうが良い。私が通ったウィスコンシン大学では、先生が夏休みに高校生をスカウトに行って、数学などの才能のある子を見つけますと、高校生のうちからその分野については大学にも並行して通わせます。それから、大学に入ったときは専門だけは大学院の勉強をするという形でやっていく。それによって伸ばすところは伸ばし、足りないところは他の学生と同じように補っていくという仕組みになっておりました。

 これから教育をよくしようという気持ち、志は皆同じだと思うんですが、よくする際に大切なのは、制度の問題ではなくて、優秀なものはどんどん伸ばす、支援してやるという心がけとか心構えとか、社会的な気風の問題なんだと思うんです。その面でみますと、学生の自由意志というのはできるだけ尊重しなくてはいけません。例えば、住んでいる場所とかいろいろな問題があるし、何を勉強したいか、どこで勉強したいか、だれに習いたいかということがあるわけでありますから、大学と大学院を切り離して、そこで独立したものとして、自校の大学からの大学院への進学者の上限を3割にするという数値目標を定めるのは余りにも日本的でありすぎると思いますし、世界の常識からみると逆行しているように思います。そういう形ではなくて、むしろ自由で弾力的で、そして、各人の志を最大限度尊重する仕組みが大切でありますから、プロジェクトXの3、4、5の項目は、そういうふうに書き換えなくてはいけないと思います。早期卒業制度で多少の弾力性を匂わせておりますが、基本的には「6+3+3+4+X」という直列思考から一歩も抜け出ていないという感じがいたします。

 それから、自校の学生を優遇する必要はないと思います。きちんとした公正な試験で採用すればいいと思います。ただ、自校の学生であればずっと同じ先生が教えてくれるというケースが多く、その学生の将来性の判定は、担当の先生がより正確にできると思いますから、他校の場合には他校で教わった先生からの推薦状を評価の対象にして見ていくということは必要かもしれません。いずれにせよ、一定の比率、例えば3割と書いてありますけれども、3割ということについて何らかの科学的根拠があるかというと全くないと思います。そういうものを書くこと自体が科学的態度でないわけでありまして、姿勢として自由に公平に行きたいところに行けるような仕組みをつくってやるということを言うのは決して間違ってないと思います。根拠のない数値目標のようなものを入れることはやめるべきだと思います。

 それから、今申し上げましたように制度化をしていくというよりは、才能を伸ばすためのダイナミックで自由なルートをつくってやる。直列ではなくて並列にして、自分の得意な分野は高校のときに大学のものをやり、大学のときには大学院のものを終えてしまう。

 そして、それ以外の教養は学部で教わるというような形にすることが、「鉄を熱いうちに打つ」ということにもなるわけであります。私のいた大学はノーベル賞を20人ぐらいとっていました。経済学部はアメリカでナンバー10に入るというようなところでしたが、学生は日本の大学の学生よりも優れているとは思いませんでした。それでも、一般的な経済学の先生を養成する上では機能しているわけです。その中で特に優秀な人は、先ほど申し上げました教授のように特別なルートで養成されており、一般とは別のルートが用意されている。それを大学・大学院教育の再生の中に分かるように盛り込んでいただきたいと思います。

○野依座長 どうもありがとうございました。全体というより柱の中のご説明をいただいたように思います。川勝委員、どうぞ。

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2007年06月16日(土) 08:42:48 Modified by nipponkamoshjka




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