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19年5月11日 合同分科会 議事録4

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○川勝委員 全体の柱について、4番目の柱が「教育財政の充実」とありますが、これは明確な意思表示で結構です。それから、3番目の「社会総がかりで教育再生」というのが、「地域ぐるみ」という形で言い換えられているのが、これまでの分科会において多くのところで地域の子供を地域で育てるということが報告されておりますので、この言葉が「社会総がかり」と対応する新しい言葉と。これは「地域ぐるみで教育再生」よりも「地域ぐるみで実行」の方がいいと存じます。

 それから、大学・大学院教育の再生というのは、今、葛西委員のお話を承り、また、プロジェクトX等の議論を踏まえますと、再生というよりもむしろ一新するというふうに言った方がいいのではないかと。一新する中身を副題で目玉として出した方がいい。これはプロジェクトX、あるいは、大学院の議論におきまして国際化の推進というのか柱になるのではないかと思います。

 それから、1番目の学校教育の再生は、今回は徳育の充実というのが入っております。副題にもし入れるとすればこれではないかと思いますね。しかし、これが誤解を与えるとすれば、第1次報告で出ていましたような「人間力を上げる」ということで、そのような流れの中に学力、徳育を入れるのがいいのではないかと思います。

 それから、今の葛西委員のお話は6・3・3・4プラスX年ということでありますが、後半の3・4・X年を見直すということでありますね。これは大きな意味では6・3・3・4制の再考ということになるのではないかと思います。6・3制につきましても、第二分科会で脳科学のお話を承ったときに、脳科学の発達に応じた小中学校の見直しが必要だと、それは4年生までと、5年生、6年、中1までと、それから中2、中3というところで、脳の発達がそれぞれ違う。また、それは我々の経験からしてもそういうところがあるかと存じます。そういう意味で、小中一貫教育、これは公教育でありますけれども、必ずしも6・3制というものにこだわらなくてもいいと。そうしますと、全体として6・3・3・4プラスX年と言いますか、これ全体を見直す方向性が出てきているのではないかと思います。

 それから、プロジェクトXについて、葛西委員の意見は非常に説得力のあるものだと思いましたが、一方で誤解もあると存じますね。たくさんの大学院がありますけれども、いろいろな役割を持って大学院がつくられている。1つは、プロジェクトXが明確にしていますように、大学院重点化という大学ですね、そこで国際的な競争に匹敵する研究教育をする。これは文字通り競争ですから、すべての大学ができるわけではありません。そういうところでは、内外の学生に完全に開かれている。しかし、研究拠点、教育拠点は日本にある。その意味で日本人だけを優遇しないということをどういうふうに示すかということが求められていると思うわけです。

 そのような、大学院だけではなくて社会人、いわゆる生涯教育として、いつでもどこでも思い立ったときに大学院で専門的な教育を受けられるという意味において、社会的な人材を養成していくと。そういう意味での大学院教育が多くのところで社会人教育として求められている。さらに、それぞれの大学、例えば北海道ですと、「きらり」ですか、すばらしい品種改良によって、自然的な条件の下ではコメがつくれないところで日本最高のコメがつくられているのは、北海道の札幌農学校以来の伝統が生かされているということで、まさに地域密着型の研究がなされているわけです。あるいは、長崎ですと、シーボルト以来の伝統によって医学があります。そういう意味では、それぞれの地域において、産学官が共同してするような地域密着型の教育というものもあるわけですね。

 プロジェクトXがもう少し明確にするべきは、どこを狙っているのかということで、実は少数精鋭であると。したがって、仮に大学院重点化教育の大学であれば、全体として日本人、それが3割でしかないという位、世界に開かれていると。これは学生だけではなくて、先生も内外の先生に開かれているということでなければいけないと思います。葛西委員が行かれたアメリカの大学もそうであったと存じますけれども、私がいたイギリスもエジプト人、インド人、アジア人、内外入り交じった先生方がおり、そこではケンブリッジで教えたり学んだりしているということで、単に学生だけのことではないわけですね。

 しかし、それがイギリスに存在している、あるいは、アメリカに存在しているということが重要で、それが日本において、どちらかというと日本の、日本人による、日本の青年のための、日本語による教育と、そういう形でのエリートというところでない、そういう世界的な拠点として立ちうる大学院になると本当に限られてきます。そこはむしろ学部とは切り離してもいいぐらいであります。つまり、6・3・3・4年で、オックスフォードやケンブリッジも過去30年をごらんになりますと、カレッジの中で大学院生だけの大学院というようなカレッジができ上がっているんです。全体として学部と大学院がありますけれども、例えばそれを東大に引き映してみれば、教養学部があります。これは先端知をそこに体現している優れた学部ですね。しかも、そこに大学院もありますね。

 それは小宮山委員の言われる教育院構想にもつながってくるもので、先端知をそこに集約している。しかも文理融合である、少なくとも制度的には。そうしたものは、まさに日本の教育院のハブとして、拠点として日本全体の教育を上げていく、そういうことができると思いますけれども、その他の法学部、経済学部、あるいは、文学部といったものは、そこに学部がなくても、教養教育院でできるということであります。そして、大学院に関しては全部、東大の出身、北大の出身、東北大の出身、早稲田の出身、その人たちが海外の留学生も含めて、開かれた競争を経て、9月入学で入れば、そこは国際村だということで、先生方も海外の先生がいると。ただし、全体としてはそこで大学院の世界に開かれた拠点があるというふうなことができるわけであります。ですから、この点、葛西委員の正論を、誤解もちょっとあるように思いますので、明確にするために大学院一般としてやらない方がいいと思います。

○野依座長 ちょっと短くしてください。各論に入っていますので、短くお願いします。

○葛西委員 今、川勝委員が言っていらっしゃった「6+3+3+4+X年」についてですが、その後にYというのがあって、少なくともドクターコースまでの間は、継続的にやった方が効率が良いケースが多いと思うんですね。ドクターまでというのは一種の基礎教育ですから、そこまでの間で切るのはあまり意味がない。その後のY年にあたる部分については、専門分野であるから、川勝委員の言われたような形は十分あり得るのではないかというのが私の印象です。

 もう1つ、国際化ということをおっしゃいましたが、国際化ということと、レベルを下げないということ、この両方を両立させないといけないわけでありまして、日本の大学でいきなり国際化ということを主張するとレベルが下がると思います。私はアメリカの友人に、「私が英語でしゃべる時は、私の本当の能力の7割になっていると思ってください」と言っております。アメリカやイギリスに国際的な大学があるという事実は、アメリカやイギリスが世界の軍事的・政治的覇権国であるということからきています。フランスなどの大学がある程度国際化しているとすれば、それは北アフリカなどのかつての植民地から学生が来ていることによって国際化ができていると言えます。イギリスの場合も、バングラディシュとかパキスタンとかインドから多くの学生が来ているわけですね。

 そういうようなことを考えますと、国際化というのは方向としてはいいのですが、急ぎすぎるとレベルを下げることになります。私の場合、英語で授業を受ければ7割からさらに下がると思います。

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2007年06月16日(土) 08:44:07 Modified by nipponkamoshjka




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