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19年5月11日 合同分科会 議事録7

議事録1         10 11 12 13 14 15


○野依座長 いただいた時間がなくなってしまったんですけれども、2番の大学・大学院教育の再生に移りたいと思います。先ほどからたくさんご議論が出ております。葛西委員がおっしゃったように、全体はダイナミック、フレキシブルにすべきだということは、私は大賛成であります。大学院の問題につきましては、世界最高水準の大学院教育拠点をどういうふうにつくっていくのかということで、優秀な若者、世界に伍してやっていける人たちの質・量ともに確保しなければいけない。そのためにダイナミックでフレキシブルでないといけないと私は思っております。

 そのために、Xという名前がついておりまして、分野によってやり方はいろいろ違うだろうということでございます。世界最高水準をつくる拠点の中心となるのは、何と言いましても、大学院重点化大学だろうと思っています。こういった大学は、○○大学の大学院ということではなくて、日本の卓越した大学院としての組織、予算上の優遇、取り扱いがされているわけです。その取り扱いの前提として、学部からは独立した研究教育組織としての実態を具備すべしとなっております。これは何も連携をしてはいけないということではなくて、そういうふうに定められております。

 先ほど葛西委員は「学生がみんな行きたいところへ行けるのがいいんだ」とおっしゃいましたけれども、本当に行きたいところに行っているかということに対しては大変疑問がございます。理工系では8割以上の囲い込みと言いますか、全体として煙突型の進級になっているわけです。大学から見ますと、囲い込みでありますし、囲い込まれる学生の側から見ますと、閉じこもり、こういうふうな状況の結果、アカデミアのみならず産業界の要請にこたえるような人材を送り込めていない、養成されていないというのが実情ではないかと思っております。

 これは私の第三分科会の意見だけではございませんで、さまざまなところで言われております。平成8年に大学審議会がございまして、その中で大学院の教育研究に重点を置こうとするような大学、今申し上げたような大学ですけれども、そこでは学生の一定割合以上を他の大学・大学院から受け入れることを考慮すべきであると言われておりますし、11年の大学審議会におかれましても、やはり学生の流動性の向上がうたわれておりまして、各大学院において他の大学・大学院の出身者に広く門戸を開くなど、学生の流動性を一層高めて、学生の構成を多様なものしていくことが重要であると言われております。

 特に、今後、学部に比べて大学院の教育研究の比重を高めようとするような大学については、つまり大学院重点化大学については、それらの判断によって学生の一定割合以上を他の大学・大学院から受けることをぜひやりなさいと言っているんですけれども、まだ実現しないわけでありまして、平成15年の中教審におきまして、ついに大学院入学者中の他大学出身の割合の増加についての数値目標を設定しろと、各大学院で具体的な目標を定めて、教員、学生の多様性を高めるようにということになっております。

 また、第3期の科学技術基本計画におきましても、出身大学卒業後に大学等の機関または専攻を一回は変更したものを専攻することが望ましいということで、若手一回移動の原則というんですけれども、そういうことが奨励されております。それから、平成16年の総合科学技術会議におきましても、依然として学部卒業後に同じ大学の分野の専攻に進学することが多いので、このことは学生の研究の幅や視野を狭くしがちであると。異なる背景、文化、分野に発想を持つ人材の交流と、触発することによって挑戦的で斬新な研究に取り組む意欲を低下させているということになっております。例えば、大学院の研究科においては他大学の出身者を、また一定割合以上受け入れることを方針としている例などがあって、そういった意欲のある大学院に関しては、高く評価して支援を行うべきだということを受けております。

 そういうことがございまして、Xによって随分違うと思うんです。先ほど葛西委員は経済の場合を挙げられまして、学部と大学院を一体にしてやったらよかろうということでありますけれども、私どもの分野はアメリカでは原則排除です、0パーセントに近いです。

 全体の科学的な根拠があるのかというと、アメリカでは大体10%台です、自学からの進学は。そういったことを踏まえまして、第三分科会で議論をしまして、30%、3割以内ということになっております。そういう事情がございまして、数値目標を設定しないと、あるべき姿がわからないということで。これは明日からするということではなくて、ビジョンでありまして、それをどういうふうに実現していくかということはプログラムの問題であって、財政的な誘導が必要だろうと思います。

 小宮山委員がさっきおっしゃったように、これを実現するためには財政です。大学院生たちがいかに安心して教育を受けることができるかと、こういうことが成功するか失敗するかのキーポイントになると思っておりますので、ぜひ財政支援をお願いしたいと思っております。

○葛西委員 ちょっとよろしいですか。「大学院」という言葉で定義すると漠然としてしまいますが、今のマスターは昔の学部にあたり、今のドクターは昔のマスターのようなもので、言ってみれば基礎のところなんですね。ですから、そういう形で一度カルチャーの違ったところに行ってやってみろということを言うのであれば、それは研究者を育てるためのプロセスとして、ドクターをとった者に武者修行してこいという形になるはずだと思います。私がさっきお話したのは、経済学だけではなくて、数学がそうだったんですけれども、数学が優れている者を高校生のうちに大学に入れて大学の勉強を終わらせてしまう、できる子は大学院の修士あるいはドクターのところまでいかせてしまっておいて、大学ではほかの歴史とか文学などを学部生と一緒に学ばせるという形で、非常に効率的に才能をピックアップする形をとっています。

 もう1つ、アメリカでは0%だと野依座長がおっしゃったことは、たまたま新聞記事が出てから、私はたくさんの研究者とか、東大、京大、その他の大学、いろいろな人から、「何を言っているんだ」というような電話をいただいたり、面会を申し込まれたりしましたが、アメリカではそうはなっていないという意見が非常に強かったです。私自身の体験は随分古いので、これを参考にする必要はないかもしれませんが、今、野依座長がおっしゃったアメリカではそうなっているという話と、全くそうはなっていないという直接私の耳に入った話があるので、事実関係についてきちんと調査をしなくてはいけません。また、大学院とは何を身に付けるところかということについてもきちんと定義をしなければならない。学部と大学院という分け方は日本独特なのではないか。そこのところは、社会科学であろうと、自然科学であろうと、同じでしょうから、言葉の使い方の厳密性と実態・リアリティを検証される必要があるのではないかと思います。

○野依座長 分野によっては、数学等は10歳で自分は数学者になるんだと決めてずっとやられたらいいと思いますし、ほかの分野でもそういうコースがあっていいと思います。しかし日本の場合、現状は18歳の時点で、大学入学試験で振り分けられてある大学に入って、それが6年なり9年なりずっと煙突型でやっているということは、極めて不健全だろうと私は思っております。

○葛西委員 それはそのとおりだと思いますので、そこは改善した方がいいと思います。私がいたのは州立大学ですけれども、高校生で出来のいい子は数学については大学に入れてしまって単位をとらせていました。そういう面からいうと、さっき申し上げましたけれども、「6+3+3+4+X年」に加え、ドクター取得後の「Y年」があって、その「Y」のところは確かに野依座長のおっしゃる通りだと思いますが、「X」までは一連の作業ですから、基礎を学ぶときにあっち行ったりこっち行ったりなんていう形にするのは非常に効率が悪くなります。

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2007年06月16日(土) 08:48:07 Modified by nipponkamoshjka




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