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ラバウル海軍航空隊

……ラバウルは美しい火口港の縁に横たわっていた。かかる自然美に恵まれた場所が、破壊と死の場所と化しているとは想像し難い。われわれは暫し上空を旋回した。高度一万フィート。今朝は攻撃が予定されている。アヴァンジャーの青い機影、高射砲弾の黒煙───ラバウルの日本軍の砲兵は南太平洋で対空射撃が最高に正確だという評判を持つ。当然であろう。連日のように腕を磨かされているのだから。地上では火災が発生し始めた。町中にも路上にも人影は見当たらぬ。にもかかわらず、何万という日本軍がそこに潜んでいるのは知れたことだ。夥しい眼がわれわれを監視し、われわれに発砲する価値があるかどうか監視していることだろう……。 (リンドバーク「第二次世界大戦日記」より)
 これだけ米軍以下の連合軍に恐れられた存在がラバウルの日本軍でした。実に十万余の将兵が本土からの支援支給のないまま、自給自活の生活をしながら、日本敗戦の日までほとんど無傷でした。
 そのラバウルの歌で私たちがかなり唄ってきた軍歌があります。

曲名  ラバウル海軍航空隊
作詞  佐伯孝夫
作曲  古関裕而
 唄   灰田勝彦

一 銀翼連ねて 南の前線
  ゆるがぬ護りの 海鷲たちが
  肉弾砕く 敵の主力
  栄えあるわれら ラバウル航空隊
二 海軍精神 燃えたつ闘魂
  いざ見よ南の 輝く太陽
  雲に波に 敵を破り
  轟くその名 ラバウル航空隊
三 沈めた敵艦 墜した敵機も
  忘れて見つめる 夜ふけの星は
  われに語る 戦友(とも)のみたま
  勲(いさお)は高し ラバウル航空隊 
                   (昭和19年)

 英蘭豪米軍との戦闘の最前線だったラバウル、そして毎日毎日厳しい戦闘訓練にあけくれ、とうとう最後までここを守り抜いた将兵たちを思います。そして敗戦後最後まで「責任」をまっとうしたラバウルの将軍今村均大将に大いに敬意を感じます。
 この歌はまたいつもいつまでも唄っていきます。


 



軍歌軍国歌謡









2006年12月21日(木) 17:16:54 Modified by shomon




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