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とおくまでゆくんだ
とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合わせても窮迫したぼくらの生活からは 名高い恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによってぼくらはきみによって ただ屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ
(「涙が涸れる」1954.8.1「現代詩」第1巻第2号、百合出版に発表され、「吉本隆明詩集」1958.1書肆ユリイカに収録された)
:|「遠くまで行くんだ」という雑誌があった。第6号まで出て廃刊になってしまった。結局はとおくには行けなかったのだろうか。それともとおいところがすぐそばにある
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ぼくが罪を忘れないうちに
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無数のぼくの敵よ ぼくの苛酷な論理にくみふせられないように
きみの富を きみの名誉を きみの狡猾な子分と やさしい妻や娘を そうしてきみの支配する秩序をまもるがいい
きみの春のあひだにぼくの春はかき消えひょっとすると 植物のような廃疾が ぼくにとどめを刺すかもしれない
ぼくが罪を忘れないうちに ぼくのすべてのたたかいは おわるかもしれない
(「ぼくが罪を忘れないうちに」1954.7「詩と詩論第二集」荒地出版社に掲載
「吉本隆明詩集」1963.1思潮社に収録された)
:| すべてのたたかいはまだ続く。だが
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予言者は故郷や家では軽べつされる
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マチウ書十三で、「故郷へもどって、かれが教会で説教したところ、それをきいたものはおどろいて言った。かれは、どこで、かかる智恵と奇蹟とにたっしたのか。かれは大工の子ではないか。かれの母は、マリではないのか。ジャック、ジェセフ、シモン、ジェドは、かれの兄弟ではないのか。そして、かれの姉妹も、みなわれわれの間にいるのではないか。だから、かれは何処でこれほどまでになったのか。そして、かれは、かれらにとって、さてつの機会となった。しかし、ジュジュは、かれらに言う。予言者は、故郷や家では、軽べつされるのだと。そして
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秩序にたいしてとりうる三つの型
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キリスト教は、それ以後、マチウ書のしめした課題にたいして三つの型をとった。第一は、己れもまたそのとおり相対感情に左右されて動く果敢ない存在にすぎないと称して良心のありどころをみせるルッター型であり、第二は、マチウ書の攻撃した律法学者パリサイ派そのままに、教会の第一座だろうが、権力との結合だろうがおかまいなしに秩序を構成してそこに居すわるトマス・アキナス型、第三は、心情のパリサイ派たることを拒絶して、積極的に秩序からの疎外者となるフランシスコ型である。人間の歴史は、その秩序にしたがって秩序の構造を変えてゆ
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マチウ書の仮構と思想
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マチウ書にあらわれた史観は、原始キリスト教の教義ときりはなすことができないが、おなじように当時のイスラエル民族がぶつかっていた混乱や危機というものと、きりはなすこともできない。教義、現実の危機、象徴的教祖ジュジュの性格、これらのあいだの強い結びつきのなかに原始キリスト教の思想的な特徴が鋭くあらわされている。マチウの作者が、ジュジュをあたかも実在の人物であるかのように描き出したという点だけから見れば、マチウ書はいまではほとんど読むにたえない幼稚な、仮構の書であるかもしれないが、ジュジュに象徴されるひとつの
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マチウ書の作者がつくったジュジュ
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マチウ書の作者は、メシア・ジュジュをヘブライ語聖書のなかのたくさんの予約から、つくりあげている。この予約は、もともと予約としてあったわけではなく、作者がヘブライ聖書を予約してひきしぼることによって、原始キリスト教の象徴的な教祖であるメシア・ジュジュの人物をつくりあげたと考えることができる。だから当然史観というべき性質のものであり、ジュジュはマチウ書の作者の主観が凝集してつくりあげた象徴的人物に外ならないと言える。
(「マチウ書試論」1954.6「現代評論」1号に掲載「芸術的抵抗と挫折」1959.2未来社
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