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大衆からの孤立感
日本的転向の外的条件のうち、権力の圧制、圧迫というものがとびぬけて大きな要因であったとは、考えない。むしろ、大衆からの孤立(感)が最大の条件であったとするのが、わたしの転向論のアクシスである。生きて生虜の耻しめをうけず、という思想が徹底してたたきこまれた軍国主義下では、名もない庶民もまた、敵虜となるよりも死を択ぶという行動を原則としえたのは、(あるいは捕虜を耻辱としたのは)、連帯意識があるとき人間がいかに強くなりえ、孤立感にさらされたとき、いかにつまずきやすいかを証しているのだ。
(「転向論」1958.
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c2%e7%bd%b0%a4%a... - 2006年12月03日更新
内発的な意志がなければ
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c2%e7%bd%b0%a4%a... - 2006年12月03日更新
本多秋五は、「転向文学論」のなかで、佐野、鍋山の転向ゃ、獄中生活の苦痛や日本国家による圧迫なしにも、不可避的に、声明書のような内容をもちえたかどうか疑問で、耳を覆って鈴をぬすむ背教者の仕業とみるのが、当時もいまも変らぬ健全な常識であろうと思う、とのべているが、わたしは弾圧と転向とは区別しなければならないとおもうし、内発的な意志がなければ、どのような見解もつくりあげることはできない、とかんがえるから、佐野、鍋山の声明書発表の外的条件と、そこにもりこまれた見解とは、区別しうるものだ、という見地をとりたい。
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c6%e2%c8%af%c5%a... - 2006年12月03日更新
転向
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転向とはなにを意味するかは、明瞭である。それは、日本の近代社会の構造を、総体のヴィジョンとしてつかまえそこなったために、インテリゲンチャの間におこった思考転換をさしている。
(「転向論」1958.11「現代批評1号」に掲載 「芸術的抵抗と挫折」1959.2未来社に収録された)
:| 中野重治「村の家」の勉次の「よく分かりますが、やはり書いていきたいと思います」という答えが、日本の封建的優性とこれからまた対決していく姿であり、それが私たちがうけついでいくことなのだろうと思います。
[[隆明鈔--吉本隆明
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文学の形式的構成力
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作品の形式的構成力は、作家にとって、自己意識が安定感をもって流通できる社会的現実の構造の函数である。論理性の大きく通用する社会層に安定した意識を感じうる作家にとって作品を論理的に構成することは易々たる自然事なのだ。また、論理性があまり通用しない社会層を意識上の安定圏とする作家が頭も尻尾もない私小説的な作品をつくらざるを得ないことも当然である。
(「芥川龍之介の死」1958.10「解釈と鑑賞」に掲載「芸術的抵抗と挫折」1959.2未来社に収録された)
:| 作家の知的能力ではなく、作家の生意識の社会的基礎
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ca%b8%b3%d8%a4%c... - 2006年12月03日更新
芥川龍之介の死
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芥川龍之介の死は、「歯車」や「或る阿呆の一生」のあとに、どのような作品も想像することができないように、純然たる文学的な死であって、人間的、現実的な死でなかった。したがって、時代思想的な死ではなかった。「架空線の花火」をとらえようとして、すでに、それをとらええなくなった失墜した作家の文学的自然死であった。人生の、社会の、ぶつかりあい矛盾しあう現実社会の火花をとらえようとして、とらええなくなった作家の人間的な死ではなかった。
(「芥川龍之介の死」1958.10「解釈と鑑賞」に掲載「芸術的抵抗と挫折」1959
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芸術の内容と形式
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人間が生きているのは、社会的、階級的必要以前に、人間的必要からである。人間が生活するのは、社会的、階級的必要以前に、人間的内容と形式の上に立ってである。人間的内容と形式の全き確立のためにのみ、階級的、社会的必要が生まれるのである。ダンテの芸術の内容を為すものは、ダンテによって代表される階級の必要ではなく、ダンテによって代表される人間的必要である。
(「『戦旗』派の理論的動向」1958.1「解釈と鑑賞」に掲載 「芸術的抵抗と挫折」1959.2未来社に収録された)
:| 昭和3年結成の全日本芸術連盟(ナップ
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