94-10-04「生徒会の選挙について」
ここで何度か選挙のたびに、私は選挙なんか行かないよということを表明してきまして、さまざま話合いになってきたかと思います。今回それに関係することかなと思うことを、ここでまた少し書いてみたいと思います。
私の二人の娘は、上も下も生徒会で中2、3年と役員をやっていました。ブルータスはいま生徒副会長で、先日10月1日次の生徒会役員の選挙投票日だったようです。
上の娘のおはぎのときもそうでしたが、いまは生徒会といってもやりたがる生徒が少なく、選挙といっても、信任投票になるようです。ブルータスが選ばれた昨年に、おはぎがまだ生徒副会長をやっていたときの選挙で次のような問題がありました。
生徒会は、会計3人・書記4人・副会長2人ずつ、会長を1人選ぶのですが、すべて信任投票で、全部の名前を書いてある用紙に、ひとりずつ○をつけていくわけですが、1年生などには、全部の中で1人選ぶと勘違いしたのか、たった一人にしか○を付けていない票がいくつかありました。これは、おはぎの話だと、白山中はすべて生徒だけでやっていて、先生はなにひとつ干渉せず、その生徒の選挙管理委員会の説明が不足気味なところがこのような結果になったようです。
私はそれを聞いたときには、いくら生徒だけでやるといっても、少しは先生が解説してあげてもいいのになあと思いました。やはり1年生くらいだと誤解してしまう子がいるようなのです。こうしたことの解説なり説明は、けっこう大切な社会科の勉強だと思うんですね。でもなんにしろ、どうやらブルータスの年代の生徒会役員は信任されました。
そして今年です。前回の反省から、今回は信任には○、不信任には×をつけるような投票方式にしました。これなら間違えないと思ったのです。
そして投票の日、ブルータスが非常に怒っていたのは、そんな信任投票にすべて×をつける生徒がいたことなのです。もちろん秘密選挙ですし、ブルータスは選管ではありませんから、投票用紙そのものを見たわけではないのですが、堂々と「俺なんか全部×をつけちゃつた」と公言する生徒が何人かいたようです。ブルータスは同じクラスで、保育園時代からの親しい麗花ちゃんという子と、会長と副会長をやっていますから、その子と二人で、そのようなものいいに対しては、かなり大声で非難したようです。
もし不信任の×が多かったら、もう再び選挙というのも無理なので、生徒会がなりたたないのです。もし全部を不信任というのなら、「そんならお前が出ろよ」というのがブルータスたちの言い分なのです。私はまったくそのとおりだと思いました。ブルータスはなんとか自分の後輩たちが、信任されるよういろいろ言ってまわったようですが、こんなすべてを不信任するような連中にはもう腹がたって仕方ないようなのです。もう不信任が上回るようなら、開票の数をごまかしてもいいと思うくらいの強烈な思いなようです(もちろんそんなことはできませんが)。そんないいかげんな子たちへ、怒りしか感じないようなのです。ただ幸いどうやら今年も、全員信任されたということです。
そこで私が話すわけなんですが、すべて全員を不信任するような奴は本当は自分で立候補すべきだというのは正しいのだが、それにしろそうした行動がとれない場合もあるわけで、本来は、すべて不信任という場合は、投票せず棄権するのが正しいのだといったのです。これには娘たちは納得してくれました。
私たちが大学時代でも、日本共産党とまっこうからぶつかり合い、必ず反対する側は対案を出して論議しました。対案を出せない勢力、または対案を出せない場合には投票に於ては棄権、もしくは保留してきました。これが当り前の民主主義の姿なのではありませんか。
過去このネットで選挙について話してきたときに、私の「選挙なんか行かないよ」という言い方に対して、いや選挙はなんにしても必ず行くべきだと主張してきた方々は、こうしたある中学でのこのような問題のときにも、またどんなことがあってもみんな選挙投票すべきだと主張されるのでしょうか。私にはそのような主張は少しも説得力を持たないし、民主主義が何か判っていないのねとしか思えません。
私のこの言い方に、「いや違う」というのならば、この生徒会選挙についてどのように考えるべきなのかお答えいただきたいものです。ブルータスたちの白山中の先生方は何一つ干渉せず、だまっているようですが、私が教員としたら、少なくとも、公教育の教師として、また私は社会科の教員になっていたでしょうから、その立場からこの問題には必ずコメントしていると思います。
立候補した全員を不信任という態度をとる人は、自分で立候補すべきだ。だが立候補できない場合(これはもう卒業してしまう3年生であるとか、どうしても立候補はできないというとき)には、その人は投票を棄権すべきであると。
違うというなら、選挙投票は必ずやるべきだというのなら、ブルータスたちが、判るようなコメントをいただきたいものです。
情況への発言
私の二人の娘は、上も下も生徒会で中2、3年と役員をやっていました。ブルータスはいま生徒副会長で、先日10月1日次の生徒会役員の選挙投票日だったようです。
上の娘のおはぎのときもそうでしたが、いまは生徒会といってもやりたがる生徒が少なく、選挙といっても、信任投票になるようです。ブルータスが選ばれた昨年に、おはぎがまだ生徒副会長をやっていたときの選挙で次のような問題がありました。
生徒会は、会計3人・書記4人・副会長2人ずつ、会長を1人選ぶのですが、すべて信任投票で、全部の名前を書いてある用紙に、ひとりずつ○をつけていくわけですが、1年生などには、全部の中で1人選ぶと勘違いしたのか、たった一人にしか○を付けていない票がいくつかありました。これは、おはぎの話だと、白山中はすべて生徒だけでやっていて、先生はなにひとつ干渉せず、その生徒の選挙管理委員会の説明が不足気味なところがこのような結果になったようです。
私はそれを聞いたときには、いくら生徒だけでやるといっても、少しは先生が解説してあげてもいいのになあと思いました。やはり1年生くらいだと誤解してしまう子がいるようなのです。こうしたことの解説なり説明は、けっこう大切な社会科の勉強だと思うんですね。でもなんにしろ、どうやらブルータスの年代の生徒会役員は信任されました。
そして今年です。前回の反省から、今回は信任には○、不信任には×をつけるような投票方式にしました。これなら間違えないと思ったのです。
そして投票の日、ブルータスが非常に怒っていたのは、そんな信任投票にすべて×をつける生徒がいたことなのです。もちろん秘密選挙ですし、ブルータスは選管ではありませんから、投票用紙そのものを見たわけではないのですが、堂々と「俺なんか全部×をつけちゃつた」と公言する生徒が何人かいたようです。ブルータスは同じクラスで、保育園時代からの親しい麗花ちゃんという子と、会長と副会長をやっていますから、その子と二人で、そのようなものいいに対しては、かなり大声で非難したようです。
もし不信任の×が多かったら、もう再び選挙というのも無理なので、生徒会がなりたたないのです。もし全部を不信任というのなら、「そんならお前が出ろよ」というのがブルータスたちの言い分なのです。私はまったくそのとおりだと思いました。ブルータスはなんとか自分の後輩たちが、信任されるよういろいろ言ってまわったようですが、こんなすべてを不信任するような連中にはもう腹がたって仕方ないようなのです。もう不信任が上回るようなら、開票の数をごまかしてもいいと思うくらいの強烈な思いなようです(もちろんそんなことはできませんが)。そんないいかげんな子たちへ、怒りしか感じないようなのです。ただ幸いどうやら今年も、全員信任されたということです。
そこで私が話すわけなんですが、すべて全員を不信任するような奴は本当は自分で立候補すべきだというのは正しいのだが、それにしろそうした行動がとれない場合もあるわけで、本来は、すべて不信任という場合は、投票せず棄権するのが正しいのだといったのです。これには娘たちは納得してくれました。
私たちが大学時代でも、日本共産党とまっこうからぶつかり合い、必ず反対する側は対案を出して論議しました。対案を出せない勢力、または対案を出せない場合には投票に於ては棄権、もしくは保留してきました。これが当り前の民主主義の姿なのではありませんか。
過去このネットで選挙について話してきたときに、私の「選挙なんか行かないよ」という言い方に対して、いや選挙はなんにしても必ず行くべきだと主張してきた方々は、こうしたある中学でのこのような問題のときにも、またどんなことがあってもみんな選挙投票すべきだと主張されるのでしょうか。私にはそのような主張は少しも説得力を持たないし、民主主義が何か判っていないのねとしか思えません。
私のこの言い方に、「いや違う」というのならば、この生徒会選挙についてどのように考えるべきなのかお答えいただきたいものです。ブルータスたちの白山中の先生方は何一つ干渉せず、だまっているようですが、私が教員としたら、少なくとも、公教育の教師として、また私は社会科の教員になっていたでしょうから、その立場からこの問題には必ずコメントしていると思います。
立候補した全員を不信任という態度をとる人は、自分で立候補すべきだ。だが立候補できない場合(これはもう卒業してしまう3年生であるとか、どうしても立候補はできないというとき)には、その人は投票を棄権すべきであると。
違うというなら、選挙投票は必ずやるべきだというのなら、ブルータスたちが、判るようなコメントをいただきたいものです。
情況への発言
2007年01月21日(日) 09:38:14 Modified by shomon