梅と兵隊
- 私がカラオケで一番多く唄ってきた歌というとこの歌でしょうか。いやもちろんカラオケのないところでもそれこそ大量に唄ってきましたが。
曲名 梅と兵隊
作詞 南条歌美
作曲 倉若晴生
唄 田端義夫
一 春まだ浅き 戦線の
古城にかおる 梅の花
せめて一輪 母上に
便りに秘めて 送ろうじゃないか
二 覚悟をきめた 吾が身でも
梅が香むせぶ 春の夜は
戦忘れて ひとときを
語れば戦友(とも)よ 愉快じゃないか
三 明日出てゆく 前線で
何れが華と 散ろうとて
武士の誉れじゃ 白梅を
戦闘帽(ぼうし)にさして 行こうじゃないか
(昭和15年)
- 私が現在よく行く東京都台東区谷中初音通りの飲み屋街のある店なのですが、そこは実にお客としては私が一番若いくらいのお店です(ただし、このごろは私が連れていく女性が一番若いようです)。私がこの店に入ることになったのは、この「梅と兵隊」があるのです。
- ある夜(たしか1982年くらいのことでしょうか)、私はこの飲み屋街を初めて歩いていました。なかなかどこの店に入ろうか、迷います。とにかく初めてなのですから。そうしたら、ある店の前でママが、私を誘います。私は「梅と兵隊」のカラオケテープあるんなら入るよと言ったところ、そのママは
- あんた、何言っているのよ、その歌なんか、当然にあるわよというので、私はその店に入って、ビール一杯飲んで、すぐ唄いだしました。ママは大正6年生まれの方で、私はすぐにその店の常連になってしまいました。
- もうそれからその店には18年も通っています。もう大正生まれのお客さんは少なくなりました。一番年上では、ついこの間までときどき明治42年生まれの方がおいでになります。今では最初のママ(この方を大ママという)は引退されて(引退と言っても、なんと店のお客と恋愛結婚したのだ)、その妹さんたちがやっています。
- ちょうど日中戦争に出兵している兵隊を唄ったものでしょう。私の父も日中戦争にも行きました。
- まだ私が二八歳くらいの正月に、詩吟の会のお弟子さんたちが、父と兄の自宅へやってきて愉しく新年会をやったことがあります。そのときに、私の父がこの歌を唄ってくれました。父は私の兄の名前が莞爾というのは、二・二六のときの決起将校で処刑された中島莞爾からつけたものであることを言い、その二・二六のあと不幸な日中戦争の中でのこの歌を唄ってくれました。
- その歌はいまでも私の耳に残っています。不幸ないい歌だなと思ったものです。
武士の誉れじゃ 白梅を
戦闘帽(ぼうし)にさして 行こうじゃないか
- と黙って私の母に敬礼して出かけていく、私の父の姿が見えるように思います。
軍歌軍国歌謡
2006年12月21日(木) 17:08:40 Modified by shomon