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93-01-28「曙が横綱になることで思ったこと」

 大相撲曙が横綱になるという。そのことで毎日新聞の記事で次のような内容を見ました。

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曙、「晴れて横綱」いいね 親方涙「ドキドキしたよ」
                    93.01.25  朝刊 27頁
 ◇でも、「いやぁねぇ」って感じ
 少年時代から相撲を観戦し続けている高橋義孝前横綱審議委員会委員長(79)
 外国人に入門を許した以上、(横綱昇進は)しようがないでしょう。実力があれば優勝するのが当然だから。相撲ぶりに注文はない。でも、「いやぁねぇ」って感じ。横綱昇進の内規には「品格、力量抜群」とある。「品格」とは、つまりは「相撲取りらしさ」。違和感がありますねえ。相撲は格闘技じゃないんですよ。第一にお祭り、第二に勝っても負けても表情に出さない禁欲的なドラマ。能に似ています。横綱は言わばその家元。それが外国人というのはピンとこないなあ。相撲は興行でもありますから仕方がないんでしょうが。僕らみたいなオールドファンと最近相撲をみるようになった人とは受け止め方は違うのでしょうね。
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 いったい、この高橋義孝の発言は何なのでしょうか。彼は永年横綱審議委員をやっていて、どの相撲にも厳しい意見をいってきました。しかし、この「外国人というのはピンとこないなあ」というのはどういうことなのでしょうか。「外国人」というのは、日本国籍をもっていないという意味なのか、日本人より身体が大きい人という意味なのか、それとも「勝っても負けても表情にだす」人ということなのか、いったい何なのだろう。
 髪が金髪で、日本語が全く話せなくても、国籍が日本人ということもあります。逆に、日本で育って、日本語しか喋れず、日本人の友人しかいないという人でも、日本の国籍持っていないということも多々あります。日本人とか、外国人という概念は何なのでしょうか。
 実は私はこの高橋義孝は大変好きな文学者でした。ゲーテ「若きウェルテルの悩み」トーマス・マン「ヴェニスに死す」「トニオ・グレーゲル」などはみな、この高橋義孝の訳で読みました。また私は彼の頑固な形のエッセイも好きでした。ほとんど読んでいるかなと思います。酒好きで、あの山口瞳の先生で、私がよく飲みにいった飲み屋に何年か前に来ていたのかなんて思うと、なんだか嬉しかった。たとえば、目白通り沿いにあった「たにし亭」。私はあそこで飲んでいると、「ああ、何年も何年も前に、この店の裏で山口瞳は土手に向って吐いたり、『バカヤロー』って叫んだりしていたんだな。その先生の高橋義孝はいまでも来るんだろうな」なんて思いながら、飲んでいたものです。
 しかし、あれだけの文学者がなんという堕落でしょうか。いったいトーマス・マンに対してはゲーテ賞が与えられたが、もしも「ゲーテ賞というのは、ドイツ純粋の人でないとね、ゲーテ賞は言わば家元……」なんていう意見があったら、高橋はそんな意見を相手にもしないのではないのか。まったくの堕落です。やきがまわったんじゃないの。もう私はあなたの訳本もエッセイも読みたくないよ。
 ヨーロッパ世界では、外人も何もありませんでした。でもときどき外人排斥みたいなことが起こります。ときにそれは近代になってからです。民族という概念が近代になっておこったからです。
 日本でも近代になって、この民族、国籍の問題がたくさんおきてきます。
 ちょっとそのさらに前をかたずけると、豊臣秀吉はたくさんの人を朝鮮半島から連れてきたといいます。いまでもその子孫という人はたくさんいます。まあでもこのことはもういいでしょう。もう私たちに関係ないほどの昔です。秀吉軍が残虐だったといったって、それは侵略戦争にはつきもので、むしろどうして人間はあそこまで残虐になれるものかということを驚くくらいで、これは日本人がとか、私たちの祖先がどうたらという問題ではありません。ただ以下のことは覚えておいたほうがいいかと思います。元禄時代の荻牛徂徠が日本の士農工商のさらに下にいる「穢多非人」は昔朝鮮半島から来た人間たちで、日本人とは違うのだといっていることです。この考え方は、今も別な形で生きているように思います。
 私が昔赤坂で勤めていたときの話です。その会社は社員数が200名くらいいて、私にとっては大会社でした。私は履歴書をごまかし、さらにばれないように、埼玉大学や、前の働いていたところに口裏を合わせるように要請し、どうやら潜りこみました。ここの会社は、入社が決ると、保証人の誓約書とかさまざまいるのですが、戸籍謄本の提出が義務ずけられています。私のような、もと過激派で、職業転々の、だらず男もすぐそれをそろえました。しかし、以前にこんなことがあったというのを知りました。ある青年が入社がきまり、かなり真面目で、皆からすかれていて、楽しく仕事をやっていたのですが、あるとき総務課のある社員が、「あ、○○さん、戸籍謄本が出ていないわよ」ということで、彼にその旨を告げたそうです。そうしたら、次の日から彼は出社してきませんでした。彼には日本の戸籍がなかったのです。在日韓国籍でした。彼は日本で生まれ、日本しか知らず、日本語しか喋れません。そしてこの国籍のことをずっと悩んでいたようです。これはいったい誰がいけないんでしょうか。
 誰がいけないなんていったって仕方ないことなのかもしれません。日本はたくさんの人たちを韓国朝鮮から日本へ連れてきました。その結果がこのようなことになっています。
 でも本当に嫌なことは、その日本が韓国朝鮮を昔支配したことではなく、実際に私のいたような会社が、「戸籍謄本の提出なんてあたりまえ」という顔をして、実はこのような青年が入り込まないようにしているのが、実は本心なのだというところにあります。
 だんだんたくさんのこと思い出してきます。やくざ映画を私はたくさん見てきましたが、この在日朝鮮韓国人との問題がかなりなテーマとして描かれています。もう数えきれないくらい思い出すことができます。
 ひとつくらい簡単に書くと、深作欣二「くちなしの花」で、刑事渡哲也が、梶芽衣子と彼女の鳥取の刑務所にいる夫への面会についていきます。梶芽衣子は接見室で、夫からあることをいわれて、自暴自棄になります。鳥取の砂丘で、梶芽衣子は「半島に帰りたい」と海に入り、泳ぎだします。夫が言ったのは、実は映画でも何をいっているのか分かりません、きこえないのです。でも私は分かります。日本のやくざである夫は、妻の梶芽衣子に対して、憎しみを込めて「朝鮮人(ちょうせんじん)帰れ!」といっているのです。梶芽衣子が日本に来たのは、両親の時代で、彼女は故郷のことなんか何も知らないのです。でも夫から言われて、彼女は半島に帰ろうと泳ぎだすのです。でも勝手に彼女の父母を連れてきたのはいったい誰なのだ。



 


情況への発言








2007年01月15日(月) 22:52:48 Modified by shomon




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