93-02-14「いまNHKで『琉球の嵐』を見て」
いまNHKで「琉球の嵐」を見て、二つのこと感じました。一つは、明船を襲撃して、明人を皆殺しにしたことに関してなのですが、原田知世がいっていたこと、
ということです。私はこれが一番の原点なように思います。どんな理由があれ、人を殺すことは正当化できない。私はいつも思うのですが、軍事専門家とかいう連中が「軍事の観点からいえば……」などというのをぜったいに肯定できない。中東戦争のときもそうだった。多国籍軍がやった作戦は軍事的にいくら損害がすくなく、うまくやったとしても、空爆する下には当り前の人間、庶民がいるのだ。フセインが裸でたっているわけではない。
前に中国がベトナムと戦争したときに、中国軍が初戦で兵員の1割を失ったが、それは「軍事的にはきわめて当り前の確率」などとテレビでいっている軍事評論家とかがいた。いやみんなそんな言い方をしていた。
ほんとうかよ、お前等そんな風にしか考えられないのか、その1割とかの人たちには親もいれば、恋人も、兄弟もいたのかもしれないのに、そんなことしか考えられないのかと。この考え方は「軍事」なんて言いだすやつに共通している。再軍備をするべきという奴にも、「赤軍派」とかいうのにも共通している。昔やたらに私たち左翼の間でも「軍事、軍事」などという傾向があった。「国家は暴力」だなんていう連中はまったく今もそう思っている。「政治は結局こうなのだ」正義なら、プロレタリアの解放の為なら、琉球王国の為なら、天皇の為なら、人を殺し、また殺されることも致し方ないのだ。
私はこの考えを憎悪する。実に吉本(吉本隆明)さんが村上一郎への違和感も、ここにあった。村上はいつも横須賀軍港にアメリカ軍を襲撃するにはなんて計画していた。薩長藩閥政府軍を相手に北関東に於けて軍事戦をやりたいなんて考えていた。彼にはいつも何兵団かの革命戦士を指揮して、不正義と闘いたかったのだと思う。だが、「突撃!」と命令される兵隊の側で考えることはできなかった。
戦争とか軍事とかを、「鉄砲パンパン、斬り込み、武士」なんて考えているのは、全く戦争知らずの一部の馬鹿でしかしかいない。戦争とは、「ただ歩くこと」「重いものを担ぐこと」「腹がへること」「ただ逃げること」「穴を掘ること」でしかない。それを知っているのは本当に戦争に行った世代だ。私たちは今のうちに、もっとたくさんの戦争に行った人たちの話を聞くべきだと思う。
この点に関しては、「琉球の嵐」での原田知世みたいな発言はかなりいいと思う。
それからもう一つ。これはどうも否定的なのだが、そして多分沖縄でも賛否が出てくるところだと思いますが、
などと言った東山某の発言。いったいあの時代、こんな風にいっていいのか。私も断言できないが、私は琉球沖縄のことを、以下のように見ているのだ。
沖縄・琉球は明治以降あるいは薩摩支配以降の歴史をみるのではなく、この天皇制国家を解体するべき鍵を秘めているところだといえるだろう。まさしく「未来の縄文」である。私は沖縄にて働いていたとき、もっとも落ち着くべき故郷へ来たような感にいつもとらわれていたものである。しかしこれはまた今後見ていくことと、私自身が調べることかもしれない。
情況への発言
- その明人たちには、だれも親も子もあるだろうに
ということです。私はこれが一番の原点なように思います。どんな理由があれ、人を殺すことは正当化できない。私はいつも思うのですが、軍事専門家とかいう連中が「軍事の観点からいえば……」などというのをぜったいに肯定できない。中東戦争のときもそうだった。多国籍軍がやった作戦は軍事的にいくら損害がすくなく、うまくやったとしても、空爆する下には当り前の人間、庶民がいるのだ。フセインが裸でたっているわけではない。
前に中国がベトナムと戦争したときに、中国軍が初戦で兵員の1割を失ったが、それは「軍事的にはきわめて当り前の確率」などとテレビでいっている軍事評論家とかがいた。いやみんなそんな言い方をしていた。
ほんとうかよ、お前等そんな風にしか考えられないのか、その1割とかの人たちには親もいれば、恋人も、兄弟もいたのかもしれないのに、そんなことしか考えられないのかと。この考え方は「軍事」なんて言いだすやつに共通している。再軍備をするべきという奴にも、「赤軍派」とかいうのにも共通している。昔やたらに私たち左翼の間でも「軍事、軍事」などという傾向があった。「国家は暴力」だなんていう連中はまったく今もそう思っている。「政治は結局こうなのだ」正義なら、プロレタリアの解放の為なら、琉球王国の為なら、天皇の為なら、人を殺し、また殺されることも致し方ないのだ。
私はこの考えを憎悪する。実に吉本(吉本隆明)さんが村上一郎への違和感も、ここにあった。村上はいつも横須賀軍港にアメリカ軍を襲撃するにはなんて計画していた。薩長藩閥政府軍を相手に北関東に於けて軍事戦をやりたいなんて考えていた。彼にはいつも何兵団かの革命戦士を指揮して、不正義と闘いたかったのだと思う。だが、「突撃!」と命令される兵隊の側で考えることはできなかった。
戦争とか軍事とかを、「鉄砲パンパン、斬り込み、武士」なんて考えているのは、全く戦争知らずの一部の馬鹿でしかしかいない。戦争とは、「ただ歩くこと」「重いものを担ぐこと」「腹がへること」「ただ逃げること」「穴を掘ること」でしかない。それを知っているのは本当に戦争に行った世代だ。私たちは今のうちに、もっとたくさんの戦争に行った人たちの話を聞くべきだと思う。
この点に関しては、「琉球の嵐」での原田知世みたいな発言はかなりいいと思う。
それからもう一つ。これはどうも否定的なのだが、そして多分沖縄でも賛否が出てくるところだと思いますが、
- 琉球は明国の冊封なのだから、ヤマトが犯そうとするなら、黙ってはいないはず
などと言った東山某の発言。いったいあの時代、こんな風にいっていいのか。私も断言できないが、私は琉球沖縄のことを、以下のように見ているのだ。
- 南島
- 天皇制統一国家に対して、それよりも古形を保存している風俗、習慣、あるいは威力継承の仕方があるという意味で、南島の問題が重要さを増してくるだけでなく、それ以前の古形、つまり弥生式国家、あるいは天皇制統一国家を根底的に疎外してしまうような問題の根拠を発見できるかどうか、それはまさに今後の追及にかかっているのです。
- (「南島論」1970.9.3 筑摩総合大学講座於紀伊国屋ホール 1970.12「展望」に掲載「敗北の構造」 1972.12.15弓立社に収録された)
沖縄・琉球は明治以降あるいは薩摩支配以降の歴史をみるのではなく、この天皇制国家を解体するべき鍵を秘めているところだといえるだろう。まさしく「未来の縄文」である。私は沖縄にて働いていたとき、もっとも落ち着くべき故郷へ来たような感にいつもとらわれていたものである。しかしこれはまた今後見ていくことと、私自身が調べることかもしれない。
情況への発言
2007年01月15日(月) 22:59:11 Modified by shomon