93-10-09「今回の米騒動のこと」
今年の米作は大凶作ということですね。東北地方では米の買付けの騒動があると報道されています。私のあるクライアントの社員では故郷の福島県の実家に大量の米を送っているというのをききました。なんだか、大正期の米騒動とか天保期の大塩平八郎の闘いなどを思い出します。
なにかの記録で、関東から東北にかけての農村に伝わるこうした飢饉の記録を読んだことがあります。この天保の飢饉はかなりなことを各農村に教訓として残しているようです。そしてさらに、その各地の農村に伝えられているのが、その天保の大飢饉のはるか昔の天明の大飢饉です。この天明の大飢饉の教訓をいかしたところは、天保の大飢饉でも餓死者が出なかったりということがあったようです。
この記録というのが何だったかよく思い出せないのですが、島崎藤村「夜明け前」大原幽学に関する研究書、樋口清之の本などでもいくつか、これらの飢饉への記述があります。たくさんのことを教えてくれているように思います。
今年の凶作はその天明、天保の規模を上回っているようですね。東北の農村の方がいま「買占め」とかいう行為に走るのも、そうした過去の経験から出ているのかもしれません。
ところで、私がここでいいたいのは、次のようなことなのです。どうもこうして米がなくなるとばかりに、走りまわる人に対して、そういう行為こそ無知でまた余計な騒動を引き起こすのだというような論調があります。テレビラジオで聞くと必ずそのように言います。私はそのような言い方こそ許したくありません。なにか自らのウチから沸き上がるような不安から、それは祖先からの知恵なのだと思いますが、こうして行動していくのはいいことなのです。国家や各マスコミにのっている意見なんかが信用できるでしょうか。富山県で打ち壊しをはじめた主婦たちの行動は正しいのです。
私は以前で次のように書きました。
私はあの時の主婦たちの行動も「買占め」とは呼ばず、「買い溜め」と言っていました。あとからはあのときの主婦たちの行動を「備蓄」といういいかたで肯定する人も出てきました。
私は今回も同じように感じています。祖先の飢饉の教訓が強いところほど敏感に感じ、行動しているのです。
日本の私たちの先祖は、こうした飢饉に備えてたくさんのことを残しています。野山の野草がどこまで食べられるかのいう記録や、松の木の皮をどのように料理したらいいかという書物もあります。日本のどこにでもある土壁は、とくに土蔵や塀に使われていた藁を塗りこんだ土壁は、防火の為もありますが、飢饉の時に崩して食糧にするために作られていたのです。いざその時になったときの、料理法まであります。
しかしいまどこにそうした用意があるでしょうか。とにかく「備蓄」しなくちゃと走る農村の人がいるのなら、その人のその行為は間違ってはいないと思います。問題は別なところにあるのです。
情況への発言
なにかの記録で、関東から東北にかけての農村に伝わるこうした飢饉の記録を読んだことがあります。この天保の飢饉はかなりなことを各農村に教訓として残しているようです。そしてさらに、その各地の農村に伝えられているのが、その天保の大飢饉のはるか昔の天明の大飢饉です。この天明の大飢饉の教訓をいかしたところは、天保の大飢饉でも餓死者が出なかったりということがあったようです。
この記録というのが何だったかよく思い出せないのですが、島崎藤村「夜明け前」大原幽学に関する研究書、樋口清之の本などでもいくつか、これらの飢饉への記述があります。たくさんのことを教えてくれているように思います。
今年の凶作はその天明、天保の規模を上回っているようですね。東北の農村の方がいま「買占め」とかいう行為に走るのも、そうした過去の経験から出ているのかもしれません。
ところで、私がここでいいたいのは、次のようなことなのです。どうもこうして米がなくなるとばかりに、走りまわる人に対して、そういう行為こそ無知でまた余計な騒動を引き起こすのだというような論調があります。テレビラジオで聞くと必ずそのように言います。私はそのような言い方こそ許したくありません。なにか自らのウチから沸き上がるような不安から、それは祖先からの知恵なのだと思いますが、こうして行動していくのはいいことなのです。国家や各マスコミにのっている意見なんかが信用できるでしょうか。富山県で打ち壊しをはじめた主婦たちの行動は正しいのです。
私は以前で次のように書きました。
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- 93-08-11 色眼鏡とどしゃぶり1
- 思い出すのですが、1973年のオイルショックの時です。私は大学を出て、水道橋にある印刷屋に勤めました。「フーテンの寅」にでてくるタコ社長の朝日印刷のような印刷会社です。私は職工でした。あの年に、洗剤がない、トイレットペーパーがないというようなことがおこりました。
- 私は本当にこまりました。私は北浦和に下宿していましたから、さまざま困ったものです。この印刷屋で昼食のときなどさまざまこの問題を話しました。私がトイレットペーパーがなくて困っているというと、
- そんなのは、「ないない」と馬鹿な女が騒ぐからなくなるんだ。我慢していれば、すぐ出てくる。だいたいに、トイレットパーパーがなくたってこまらない。新聞紙使えばいいんだ。
- と男性のタイピストがいました。この人は日本共産党の党員でした。私は、実際に何故困るのかを説明しました。私の下宿は水洗トイレになったばかりで、新聞紙というわけにはいかないことをいました。生活なんかまったく関係のないこの共産党員は、まったく「騒ぐからいけない」「女は馬鹿だ」を繰り返していました。
- そのとき社長が(この社長は昭和20年代に山村工作隊で火炎瓶をなげ、裁判を受けたもと日本共産党員で、当時はもう六全協後の日共を憎んでいました。今もでしょうけど。こんな経験のある先輩方を私はたくさん知っています)、
- 我慢していれば出てくるなんて言ったって、実際に紙がないんだよな。
- ウチは印刷屋だから困っちゃうんだ。
- といって、私と熊さんという社員に、紙をある問屋の倉庫に取りにいくように命じました。私と熊さんは必死に紙を集めました。女が悪いのか、誰が悪いのか、とにかく紙がなければ印刷できないのです。ただ私は、女である、私の母とか、私の当時の恋人とか、その恋人の母とか、その祖母とか、私の弟の恋人とか、みんな女の人は「トイレットペーパーがない」とか「洗剤がない」とか「砂糖もなくなる」とか、懸命に騒いでいましたが、それが原因だとは思いませんでした。むしろ「馬鹿な女が騒ぐから、なくなるんだ」という男共よりも、「ないない」と騒いでいて必死になっているたくさんの女性たちと同じ側に私はいたと思います。
- 私はその当時赤羽線に乗っているときに、男の若者たちのこんな話をききました。私は腹がたちました。
- 女ってのは馬鹿なんだよな、なんであんなに騒いでいるんだ。
- もう、うちの母親なんか、トイレットペーパーがないとか、洗剤がなくなるとか大変なんだ。
- やっぱり女ってのは馬鹿なんじゃないか。自分らがさわぐから、なくなるのがわからないんだ。
- 砂糖もなくなるんだって、馬鹿じゃないか。砂糖なんかなくたっていいよ。
- 砂糖どころじゃないよ、塩もなくなるって騒いでるよ、塩なんか海にいけばいくらでもあるじゃないか。
- だから女はやっぱり馬鹿なんだ。
- この男の子たちは、自分のお弁当のたまごやきに、おかあさんが砂糖を使って美味しく作っていてくれることがわかりません。今の塩が海から取られているものなのかどうか分かっていません。おかあさんが、トイレでつつましく紙を使っているのが分かっていません。
- いったいあの騒動は誰が悪かったのですか。騒いだ女が悪かったのですか。そんなの嘘でしょう。あのときの必死で洗剤を並んで買っていた女たちは正しいのです。それをうすら笑い、馬鹿にしていた男共の方がよくない、間違っているのです。必死に買占めしようとした主婦たちは間違っていない。冷静に売りおしみして、値段をつり上げようとしたずるい企業、それを認めていた国家が悪いのです。
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私はあの時の主婦たちの行動も「買占め」とは呼ばず、「買い溜め」と言っていました。あとからはあのときの主婦たちの行動を「備蓄」といういいかたで肯定する人も出てきました。
私は今回も同じように感じています。祖先の飢饉の教訓が強いところほど敏感に感じ、行動しているのです。
日本の私たちの先祖は、こうした飢饉に備えてたくさんのことを残しています。野山の野草がどこまで食べられるかのいう記録や、松の木の皮をどのように料理したらいいかという書物もあります。日本のどこにでもある土壁は、とくに土蔵や塀に使われていた藁を塗りこんだ土壁は、防火の為もありますが、飢饉の時に崩して食糧にするために作られていたのです。いざその時になったときの、料理法まであります。
しかしいまどこにそうした用意があるでしょうか。とにかく「備蓄」しなくちゃと走る農村の人がいるのなら、その人のその行為は間違ってはいないと思います。問題は別なところにあるのです。
情況への発言
2007年01月16日(火) 09:04:21 Modified by kozymemory