94-10-14「大江健三郎がノーベル賞だとさ」
大江健三郎がノーベル賞を受賞したということです。いまさら何が大江なのという感じがしますが、もともとノーベル賞自体がどうでもいいものだから、なんでもいいや。ただいえるのは、日本文学が評価されたのではなく、大江健三郎という作家自体の文学が欧米でも評価されているということでしょうか。これはいいことです。
いま私の本棚みても、大江の本は1冊もありませんね。昔はいくつかは読んだものでしたが。彼の作品で私が好きだというのは、「万延元年のフットボール」かな。あと、「セブンティーン」「飼育」とか初期の作品は好きですね。それと「厳粛なる綱渡り」「持続する志」のエッセイもよく読んで好きなほうでした。なんにしても、25年ほど前に読んだものですね。でもね、近頃の作品はどうなんでしょうか。
息子さんが障害児で、そのことを書いているものなんか、まったく好きになれません。それととくに近頃彼が書く評論は少しも理解できません。理解できないというより、私しゃ彼のいうことが馬鹿馬鹿しくてなりません。
吉本ばなながというなら判るんだけどな。そのときはまたノーベル賞自体を評価してしまうでしょうね。私もおおいにいいかげんです。
さて、上のことを書いたのは、朝にテレビで大江がノーベル賞ということだけ見て書いたものだったのですが、作品としては「万延元年のフットボール」が評価されたというのを、また夜になって知って、ノーベル賞の選考担当の連中も少しはよく判っているのかなと思いました。おそらく日本の人だと、あの作品を大江の代表作とはいわないように思うのです。私にはむしろ大好きな作品なのです。ただ少し最後のあたりが間延びしているような印象があって、そこがちょっと気にかかっていました。また読み直さなきゃななんて思っていたところですが、こうしてノーベル賞なんていうと、どうにも読み直すにしても、図書館でも手に入らないだろうから、先の話になってしまいます。
ちょっとついでにいうと、今回の大江のノーベル賞の受賞に一番ショックだったのは石原慎太郎でしょうね。
なんてやけ酒飲んでいるかもしれません。
思えば、石原慎太郎が最初選挙に出たときに、それなら革新社会党の側では大江健三郎を出すべきだなんていう言い方もありましたね。もっと余計なこと段々思い出せば、石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞(だったよね)をとったときに、落選した作品に高橋和己「悲の器」がありました。和己は「太陽の季節」を読み比べて、かなりな消耗感だったようです。大江健三郎、石原慎太郎、高橋和己、みんな同じ世代なんですね。でもこの3人とも格好悪いなあ。
ノーベル賞なんてどうでもいいのだけれど、もし大江の「ヒロシマノート」とかが評価されるなら、まだ井伏鱒二の「黒い雨」がノーベル賞の対象となったほうがいいなと思いますよ。いいというか、まだずっと気持いいことです。
それから大江が「天皇を頂点とした国家の維持装置としての文化勲章は受けない」とか言ったということに関してです。そんなこと言わないで、文化勲章もらえばいいじゃないの。天皇から賞を受け取る大江を見てみたいですよ。思えば昔、永井荷風が文化勲章をもらったときなんかが、この文化勲章のけっさくなところでしたね。
もうどんどん脱線すると、私は永井荷風はどうして玉の井なんかを歩いていたのかというと、その根底には「大逆事件」があると思うのです。徳富蘆花はあの事件のときに「謀叛論」を書くのですが、荷風はもう「俺には無理だ、俺にはできない、この日本ではできないんだ」と考えたのじゃないかな。それが江戸情緒懐古になって、あのように墨東を歩いていたのじゃないでしょうかね。逃げていたように思えるのです。
でも私には、風呂敷を抱え雨傘をもって、玉の井や浅草を歩いていた永井荷風のほうが、今の大江健三郎よりは格好よく思えます。よく日本をとらえようとしていたと思います。……………またいずれこうしたことも書いていきたいなと思います。
なんにしても「大江健三郎がノーベル賞だってさ!」。
情況への発言
いま私の本棚みても、大江の本は1冊もありませんね。昔はいくつかは読んだものでしたが。彼の作品で私が好きだというのは、「万延元年のフットボール」かな。あと、「セブンティーン」「飼育」とか初期の作品は好きですね。それと「厳粛なる綱渡り」「持続する志」のエッセイもよく読んで好きなほうでした。なんにしても、25年ほど前に読んだものですね。でもね、近頃の作品はどうなんでしょうか。
息子さんが障害児で、そのことを書いているものなんか、まったく好きになれません。それととくに近頃彼が書く評論は少しも理解できません。理解できないというより、私しゃ彼のいうことが馬鹿馬鹿しくてなりません。
吉本ばなながというなら判るんだけどな。そのときはまたノーベル賞自体を評価してしまうでしょうね。私もおおいにいいかげんです。
さて、上のことを書いたのは、朝にテレビで大江がノーベル賞ということだけ見て書いたものだったのですが、作品としては「万延元年のフットボール」が評価されたというのを、また夜になって知って、ノーベル賞の選考担当の連中も少しはよく判っているのかなと思いました。おそらく日本の人だと、あの作品を大江の代表作とはいわないように思うのです。私にはむしろ大好きな作品なのです。ただ少し最後のあたりが間延びしているような印象があって、そこがちょっと気にかかっていました。また読み直さなきゃななんて思っていたところですが、こうしてノーベル賞なんていうと、どうにも読み直すにしても、図書館でも手に入らないだろうから、先の話になってしまいます。
ちょっとついでにいうと、今回の大江のノーベル賞の受賞に一番ショックだったのは石原慎太郎でしょうね。
- 大江がノーベル賞なら、俺は本来首相くらいになっていなくてはいけないはずだ。……………政治なんかに首つっこまなきゃ、俺のほうがノーベル賞だったかもしれないのになあ。
なんてやけ酒飲んでいるかもしれません。
思えば、石原慎太郎が最初選挙に出たときに、それなら革新社会党の側では大江健三郎を出すべきだなんていう言い方もありましたね。もっと余計なこと段々思い出せば、石原慎太郎の「太陽の季節」が芥川賞(だったよね)をとったときに、落選した作品に高橋和己「悲の器」がありました。和己は「太陽の季節」を読み比べて、かなりな消耗感だったようです。大江健三郎、石原慎太郎、高橋和己、みんな同じ世代なんですね。でもこの3人とも格好悪いなあ。
ノーベル賞なんてどうでもいいのだけれど、もし大江の「ヒロシマノート」とかが評価されるなら、まだ井伏鱒二の「黒い雨」がノーベル賞の対象となったほうがいいなと思いますよ。いいというか、まだずっと気持いいことです。
それから大江が「天皇を頂点とした国家の維持装置としての文化勲章は受けない」とか言ったということに関してです。そんなこと言わないで、文化勲章もらえばいいじゃないの。天皇から賞を受け取る大江を見てみたいですよ。思えば昔、永井荷風が文化勲章をもらったときなんかが、この文化勲章のけっさくなところでしたね。
もうどんどん脱線すると、私は永井荷風はどうして玉の井なんかを歩いていたのかというと、その根底には「大逆事件」があると思うのです。徳富蘆花はあの事件のときに「謀叛論」を書くのですが、荷風はもう「俺には無理だ、俺にはできない、この日本ではできないんだ」と考えたのじゃないかな。それが江戸情緒懐古になって、あのように墨東を歩いていたのじゃないでしょうかね。逃げていたように思えるのです。
でも私には、風呂敷を抱え雨傘をもって、玉の井や浅草を歩いていた永井荷風のほうが、今の大江健三郎よりは格好よく思えます。よく日本をとらえようとしていたと思います。……………またいずれこうしたことも書いていきたいなと思います。
なんにしても「大江健三郎がノーベル賞だってさ!」。
情況への発言
2007年01月21日(日) 09:39:23 Modified by shomon