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95-08-07「南京城壁修復って一体何のことだ?」

 6日の朝刊に次のようなベタ記事を見ました。

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南京城壁修復で1000万円寄付/保存日本委員会
 95.08.06  本字朝刊3頁
 日中戦争などで荒廃した中国の文化財、南京城の修復に協力している「南京城壁保存修復協力日本委員会」(会長平山郁夫・日中友好教会会長)は五日、城壁の修復寄付金として日本円で一千万円を南京市に寄贈した。:| 毎日新聞社
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 朝帰りで2日酔いの私の頭にも、この記事は「なんだ、なんだ」と気になりました。いや、気になるというより平山郁夫という画家は、いったいどういう頭しているのだと怒りを覚えました。
 さて、それで他の新聞も調べてみました。

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南京城壁修復を支援 平山郁夫展が始まる/東京・日本橋三越
 95.07.25  東京読売夕刊14頁 社会面(全273字)
 中国・南京城壁の保存修復事業への協力を呼びかける「平山郁夫展」が二十五日、東京・日本橋の三越本店ギャラリーで始まった。
 城壁は約六百年前の明の時代に建設されたもので、日中戦争時の日本軍の攻撃などで約三分の一が破壊された。現在は延長約二十一キロが残っており、南京市が昨年から本格的な修復工事を行っている。
 平山画伯が会長を務める日中友好協会などは、戦後五十年を機に修復に協力することになり、同展はその一環として開かれた。会場には城壁や中国各地の風景を描いたスケッチなど、平山画伯の新作五十四点が展示され、修復支援の募金箱も設置された。展示は三十日まで。           読売新聞社
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 あ、これが少し問題になっていたことなのだなと思いました。私はこの二つの新聞の書き方にも、まずは異議があります。そしてこの記事のもともとは以下のNHKのニュースの報道に問題があります。

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放送日       :1995年 5月24日19時00分 ニュース7
原稿題名・タイトル:南京市の城壁 日中の協力で修復始まる
発局      :国際
内容      :
 日中戦争で壊されたままになっている中国・南京市の城壁が日中両国の協力で戦後五十年の記念事業として修復されることになり、きょう現地で修復事業の開会式が行われました。
 南京市の市街地を囲む城壁は、今から六百年ほど前の明の時代に築かれました。日中戦争の際、砲撃によって城壁に穴が開いたり、楼閣が吹き飛ばされたりしたこともあって、長さ三十三キロのうち現在残っているのは三分の二だけです。
 城壁は戦後五十年近く壊れたままになっていましたが、中国政府が二千年までに修復する計画を立て、これに日中友好協会が協力を申し入れて、修復事業が実現しました。
 きょうは、高さ二十メートルの城壁の上で修復事業の開会式が行われ、日中の関係者六百人が参加しました。
 開会式であいさつした日中友好協会の平山郁夫会長は「戦後五十年の今年は、再び不幸な出来事がないよう誓う年でもある。日中両国の人々が、共に協力し合い、文化財とともに心の傷も修復していきたい」と述べました。
 開会式のあと、北京の日本人学校の生徒ら参加者たちは協力して崩れた城壁のかけらを拾い集める作業を行いました。
 日中友好協会では、総額二十億円に上る城壁の修復事業の費用の一部を日本国内で募金をして支援するほか、若者を中心に、南京で修復工事を手伝う修復ボランティアのツアーも企画しています。
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 一体、古代のギリシア軍がトロイアの城壁を破壊してしまったから、我が日本に修復してくれと、いわれたら、平山郁夫はまた募金箱を置いて、寄付するのでしょうか。
 この南京の城壁を破壊したのは、一体誰なのですか。あの城壁を破壊したのは、文化大革命時の中国政府自身ではないのですか。それがさも、旧日本軍がやったのかのような報道の仕方は許すことができません。
 私たち日本人は中国の文化を大事に尊敬してきました。そうした姿勢はありましたが、破壊しようなどと考えたことなどはありません。中国は自分達自身で、かの文化大革命とかいう馬鹿なことをやったときに、自らの輝かしい過去の文化を破壊尽くしたのではありませんか。そして現在もまたやっているようですが。
 平山郁夫が芸術家ならば、総ての文化を破壊しつくそうとした文化大革命をしでかした中国共産党にこそ、強く抗議して反省を促すべきです。どうして「心の傷も修復していきたい」などと、この南京城壁破壊のことで述べてしまうのでしょうか。
 日本と中国とが残念ながら戦争をしてしまったことは、大いなる心の傷でもあります。だが、この南京城壁の破壊のことは関係ないはずです。いったい平山郁夫は歴史をどう考えているのでしょうか。文革で破壊されたものを、「戦後50年」と絡ませているなんて、認識不足というよりは、悪意としかいいようがありません。そしてNHKは、毎日読売新聞は、何を取材して、どう真実の報道をしようとしているのでしょうか。

 でもひょっとしたら、トロイアの遺跡に関しても、寄付してもかまわないという方がいるかもしれません。それはそれでいいのです。私が問題にしているのは、日本が破壊したからという言い方を付け加えられても、寄付するのかということです。当然紀元前の時代にトロイアを破壊したのは、ドーリア人やイオニア人支配以前のアカイア人というギリシア勢力ですから(註)、私たち日本人は全く関係ありません。まさかトルコ政府もギリシア政府もそんなことを日本に請求してこないでしょう。それを平気でやってくるのが、現代中国なのです。

(註)実はトロイアは2度ギリシア勢力に攻撃を受け、街を破壊されています。
  1度目は、ヘラクレスとテラモーン(トロイア戦争のときの、大アイアースの父)によって攻撃を受け、敗北しています。2度目がアガメムノーンを総大将とするギリシア軍の攻撃を受けたトロイア戦争です。

 どうしても平山郁夫が南京の城壁を修復したいのなら(いや私だって修復できたほうがいいと思っている)、まず我が日本がこの南京城壁を破壊したのではないという当り前のことを確認しておいて欲しいのです。中国の南京市民他は、実際にこの城壁を破壊したのが文化大革命期の中国政府であることは充分見聞しているわけですから、なんだかこうして加害者ぶって、金を出してくる日本のことをどう思うのでしょうか。
 もうせせら笑うだけではなくなってくるかもしれませんよ。
 今も平山郁夫は、この城壁修復ということをやっています。


 


情況への発言







2007年01月21日(日) 09:46:15 Modified by shomon




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