最終更新: yurimatome 2017年10月10日(火) 00:57:15履歴
放送から一周年の10月6日、Twitterの公式関連アカウントに対して大量の中傷リプライが飛ばされるという事例が発生した。
広報担当者を「老眼」と言ったり、暴利を貪っていると糾弾したり。この暴利についてだが納得いかなければ「買わない・行かない」という選択をすればいいだけの話だ。誤解されがちだが、「需要と供給」の関係にはどちらかが偉いなどという図式はない。あるのは「売る権利」と「選択する権利」だ。しかも過激派は「買わない」と宣言しているわけだから既に「お客様」ではない。
また、「勇利くんが嫌いなんですね」と言うが、全てのシリーズに主人公である勝生勇利は存在する。要するにヴィク勇妄想に邪魔な他のキャラクターを商品展開するなということなのだろう。だが、例えばジャンプ作品などは主人公だけでなく、脇キャラや悪役のフィギュアなども潤沢に発売している。この類の「クレーム」は他のマンガやアニメファンから見るとかなり異様に映るだろう。
また、映像版権元を敵と認定してから、過激派は放送局に熱い視線を送っているが、放送局から見ても「厄介なクレーマー」としか映らないはずだ。
現に「いいね」の数、「リツイート」の数を見ても、多くて50前後。数千、数万存在するこの作品のファンのほんの一部の突出したクレーマーであることは明らかだ。
クレームの電話を映画館に入れ、気に入らないことをしているのは映像版権元だと言質をとったとのリプライ。基本的に売り場や商業施設はクレームの電話やメールにはまず謝る。「ほかの企業に迷惑をかけないでください」という言い方は、コラボ先を人質にとったような嫌な言い方だ。「映像版権元企業が自分たちの気に入るような展開をしなければコラボ先の企業にクレームを入れ続ける」ということなのだから。
そもそも、4DXの新規キービジュアルのヴィクトルの右手には指輪はなかった。それは拡大した解像度の低い画像ではなく、実際の印刷物で確認できる。原案の「指輪は部活のノリ」という言葉に怒り、まるで自分のものを盗まれたかのように怒る過激派の言動は、これまで一貫したものだった。
監督の「既存の恋愛関係のような型にはまったものではない」という言葉を過激派はどう解釈しているのだろう。過激派が蔑ろにしていると怒るキャラクターを与えてくれたのは間違いなく公式だし、どう展開させていくのかを決める自由は公式にある。自分たちの解釈に創作者を縛り付けようとする過激派の行為に、暗澹たる気持ちになるクリエイターもいるだろう。
グッズ売り場の店頭写真をアップするのは、過激派が過激派スレでよく行う行為なのだが、とうとう表だって公式関係のアカウントに送りつけるまでになったようだ。
「ユーリ・プリセツキーはいらない」という意見は一部の過激派の意見でしかない。過激派によると「自分たち勝生勇利ファンは、放送中からずっとユーリ・プリセツキーファンに嫌がらせをされてきた被害者だ」とのことだが、それはネット掲示板内の荒らしの行為以外の何ものでもなく、ユーリファンがここまで表立って叩き行為をしているのにはお目にかかったことがない。
またさりげなく挟まれているが「勇利がいないとこの通り」とヴィクトルの商品の残状況もアップしている。なぜここまで非難や憎しみをぶつけることができるのだろうか。過激な行為によって「自分たちは恐ろしい存在だから批判無用」とアピールしたいのだろうか。
このまとめでは、Twitterに関してアカウント名を全て伏せてある。
だから、放送一周年に関する大量の誹謗・中傷のリプライを一覧にすると、多くの人物がこのような行為をしているように見えるかも知れない。しかし、実際は公式関係の各アカウントへ同じアカウントが重複してリプライをしており、中には一人で何度も自己リプライを行っているアカウントもある。要するに実際の誹謗リプライを行っているアカウントは、見た目の印象のほど多くはない。
この何倍もの一周年おめでとうのツイートがなされており、勇利、ヴィクトル、ユーリ・プリセツキーの素晴らしいイラスト、また本編のGPシリーズでしのぎを削り合い、そして友情を育んだ各国の選手たちのイラストを上げているアカウントがたくさん存在する。
趣旨と外れるのでそれらをアップすることはないが、これが人気作品の一周年記念日の本来の風景であることは言うまでもない。
広報担当者を「老眼」と言ったり、暴利を貪っていると糾弾したり。この暴利についてだが納得いかなければ「買わない・行かない」という選択をすればいいだけの話だ。誤解されがちだが、「需要と供給」の関係にはどちらかが偉いなどという図式はない。あるのは「売る権利」と「選択する権利」だ。しかも過激派は「買わない」と宣言しているわけだから既に「お客様」ではない。
また、「勇利くんが嫌いなんですね」と言うが、全てのシリーズに主人公である勝生勇利は存在する。要するにヴィク勇妄想に邪魔な他のキャラクターを商品展開するなということなのだろう。だが、例えばジャンプ作品などは主人公だけでなく、脇キャラや悪役のフィギュアなども潤沢に発売している。この類の「クレーム」は他のマンガやアニメファンから見るとかなり異様に映るだろう。
また、映像版権元を敵と認定してから、過激派は放送局に熱い視線を送っているが、放送局から見ても「厄介なクレーマー」としか映らないはずだ。
現に「いいね」の数、「リツイート」の数を見ても、多くて50前後。数千、数万存在するこの作品のファンのほんの一部の突出したクレーマーであることは明らかだ。
クレームの電話を映画館に入れ、気に入らないことをしているのは映像版権元だと言質をとったとのリプライ。基本的に売り場や商業施設はクレームの電話やメールにはまず謝る。「ほかの企業に迷惑をかけないでください」という言い方は、コラボ先を人質にとったような嫌な言い方だ。「映像版権元企業が自分たちの気に入るような展開をしなければコラボ先の企業にクレームを入れ続ける」ということなのだから。
そもそも、4DXの新規キービジュアルのヴィクトルの右手には指輪はなかった。それは拡大した解像度の低い画像ではなく、実際の印刷物で確認できる。原案の「指輪は部活のノリ」という言葉に怒り、まるで自分のものを盗まれたかのように怒る過激派の言動は、これまで一貫したものだった。
監督の「既存の恋愛関係のような型にはまったものではない」という言葉を過激派はどう解釈しているのだろう。過激派が蔑ろにしていると怒るキャラクターを与えてくれたのは間違いなく公式だし、どう展開させていくのかを決める自由は公式にある。自分たちの解釈に創作者を縛り付けようとする過激派の行為に、暗澹たる気持ちになるクリエイターもいるだろう。
グッズ売り場の店頭写真をアップするのは、過激派が過激派スレでよく行う行為なのだが、とうとう表だって公式関係のアカウントに送りつけるまでになったようだ。
「ユーリ・プリセツキーはいらない」という意見は一部の過激派の意見でしかない。過激派によると「自分たち勝生勇利ファンは、放送中からずっとユーリ・プリセツキーファンに嫌がらせをされてきた被害者だ」とのことだが、それはネット掲示板内の荒らしの行為以外の何ものでもなく、ユーリファンがここまで表立って叩き行為をしているのにはお目にかかったことがない。
またさりげなく挟まれているが「勇利がいないとこの通り」とヴィクトルの商品の残状況もアップしている。なぜここまで非難や憎しみをぶつけることができるのだろうか。過激な行為によって「自分たちは恐ろしい存在だから批判無用」とアピールしたいのだろうか。
このまとめでは、Twitterに関してアカウント名を全て伏せてある。
だから、放送一周年に関する大量の誹謗・中傷のリプライを一覧にすると、多くの人物がこのような行為をしているように見えるかも知れない。しかし、実際は公式関係の各アカウントへ同じアカウントが重複してリプライをしており、中には一人で何度も自己リプライを行っているアカウントもある。要するに実際の誹謗リプライを行っているアカウントは、見た目の印象のほど多くはない。
この何倍もの一周年おめでとうのツイートがなされており、勇利、ヴィクトル、ユーリ・プリセツキーの素晴らしいイラスト、また本編のGPシリーズでしのぎを削り合い、そして友情を育んだ各国の選手たちのイラストを上げているアカウントがたくさん存在する。
趣旨と外れるのでそれらをアップすることはないが、これが人気作品の一周年記念日の本来の風景であることは言うまでもない。
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