サイボーグ娘SSスレッドに保管されたSSの保管庫です。一応、18禁ということで。

「こらぁ!ゆうちゃんまちなさーい!」
「やーだよぉー!」
 
 小さなサイボーグのシルエットが廊下を走っていく。
 4歳か5歳かの男の子がカチャン!カチャン!と賑やかな音を立てて走っている。
 その後には生命維持装置の電源パックを抱えたまま、義体制御内科のスタッフが一緒に成って走っていた。

「こらッ! ゆうすけッ!」
「あッ!」
 
 母親と思しき女性に怒鳴られてビクッと体が震え、直立不動になった子供。
 スタッフがその後からがっちりと抱きしめて持ち上げた。
 小児型サイボーグとは言え、その重量は10kgや20kgじゃきかない金属の塊だ。
 調整用の設備が備え付けられたストレッチャーに押し付けられて、体のコントロールを切られてしまった。

「あぁ! ずるい!」
「はぁはぁはぁ・・・・ ゆうちゃんはまだ走っちゃダメなんだから」
「すいません、この子ったら・・・・」

 若い母親に額をペチリと叩かれて、小さな男の子が笑っている。

「また鬼ごっこしようねッ!」
「はぁはぁはぁ もうちょっと・・・・ 調整したらね」

 一年と数ヶ月前。幼稚園へと向かう園児バスが事故を起こした。
 大手運送会社のトラックが衝突し、この子は首から下を全て挟まれて、ほぼ即死だった筈だ
 しかし、事故を起こした会社は全面的な資金提供を約束した。
 その結果、僅か3例目の5歳未満サイボーグとしてセンターへ送り込まれてきた。

 人体の成長と言う、まだまだ未知数な事象を研究する意味でも貴重なサンプル。
 あっと言う間に幼年サイボーグの体が準備され、この男の子はセンター一番の有名人になった。
 そして、沈滞する空気をかき混ぜる清涼剤として重宝されつつ、ここを生活の場としているのだった。

「ゆうちゃん良いよ。ちょっと立ってみて」
 
 男の子の周りには白衣のスタッフやエンジニアが輪になっている。
 廊下に座ったり膝立ちになったりしながら様子を見ている。
 生命維持装置をリュック型にして背中に背負った男の子のサイボーグが、カーペットの上へ立ち上がった。
 身体を構成するフレーム部分の物理的容量が小さすぎて、十分な容量のバッテリーが収まりきらないのだ。
 結果的にランドセルを背負ったような形状となった男の子。

「ボクこれで学校行ける?」
「そうだな、ゆうちゃん良い子にしていたら学校行ける様になるぞ」
「やったー!」

 毎日毎日。センターの窓から下を眺め、同世代の子供達が遊びながら学校に向かうのを眺めている。 
 だがこの子は、同世代の子供達が小学校へ行く様になっても、このセンターから出る事すら出来ない。
 そしておそらく、この先5年程度はここから出る事も出来ないだろう。

 ボディ内に生命維持装置を収められるようになるサイズへ『成長』するか。
 さもなくば機材そのものが画期的に小型化しないと、この子は僅かに残った生体部品・・・・
 脳とそれを取り巻く首から上の『生身な部分』の生命活動を維持する事すら出来ない。
 
「ゆうちゃん、夕方になったらもう一度検査するから、それまでは遊んでいて良いよ」
「わかった!」
「入っちゃいけない所へ入って身体が止まっちゃったら誰か呼ぶんだよ?いいね?」
「うん!」

 この子にとっては、ここのセンターそのものが学校だった。
 大人たちばかりのセンターだけど、そこに居るのは様々な年齢層のサイボーグ。

 半身サイボーグから、脳以外は完全義体化のサイボーグまで。
 様々な種類の処置を施された人がリハビリと言う名の調整を続けている。

「先生。いつもご迷惑をおかけしています」
「いえいえ、お母さん。ゆうちゃんがここを明るくしてくれてますよ。あの子は強いなと思います」
「そう言っていただけると助かります」
「あ、むしろ私達が助けられてますよ。その意味じゃ」
 
 男の子の母親と担当医やケアマネが立ち話している。
 その周りで男の子がチョロチョロと遊びまわっているのだけど。

「あ!おねぇちゃん!」

 男の子がニコニコしながら走って行った先には、女性型のサイボーグが立っていた。

「ゆうちゃんそれ何?」
「ランドセル!」
「そっかぁー いいなぁ」

 まだ人工皮膚などの塗布貼り付けを終えていない、シルバーに光るボディの彼女。
 ゆったりとした白いガウンに袖を通しフードを深く被り、まるで修道僧とでも言うようなスタイルで居る。
 軽金属がむき出しになったボディには衣類など必要ないのだけど、逆説的に言えばそれは裸でもある訳で。
 年頃の女の子の羞恥心を守るための僅かな衣は、見た目以上に意味を持っていた。
 
 スッと腰を落として片方だけ膝立ちになって、彼女は男の子のランドセルを少し持ち上げている。
 数本のケーブルが繋がっているのだけど、一番重要なのは電源なんだろうと言う事はすぐに分かった。

「いつもご迷惑をおかけします。まだまだ大変な時だと言うのに」
 
 男の子の母親が頭を下げた。

「あ、全然ですよ。それよりいつも私が励まされてます。ゆうちゃん見てると私も頑張らなきゃって」
「そう言ってくれると私も助かります。月並みですけど頑張って」
「ありがとうございます」

 青く高い冬空から透明な光が窓越しに降り注いでいる暖かなリハビリセンターの中。。
 おねぇちゃんと呼ばれた彼女は、実はまだ脳髄など生体部品が納められた頭部の後ろ側が機械むき出しだ。

 小さな男の子を見ながらアレコレと話しているのだけど、処置室Cと書かれたドアが開いてナースが顔を出した。

「はーい どーぞ って、あれ、お話中でしたか」
「あ、いま行きます」
「じゃぁ、頑張って」
「どうもありがとうございます」

 一歩室内へ入ってみると、そこには幾つもモニターが並んでいる電子の要塞状態だった。
 そして、まるで歯医者の診察椅子のような大きくて深い椅子が一脚。
 彼女が腰掛けると椅子が深く深く倒れて行き、彼女は大きな天窓を見る形になった。
 
 頚椎部分には大きな穴が開いていて、ケーブルなどが通るようになっている。
 アシスタントが何本ものケーブルを持ってきて、彼女の頚椎部分へ光ファイバーが差し込んだ。
 リハビリはいまだ進行中であり、そしてサイボーグへの転換作業も未だ進行中で完了を見ていない。
 
 彼女が見上げてて見ている青い空に、彼女にしか見えない文字が浮かびあがった。

「あ! すごい!」
「どう?輝度調整してみるから、ちょうどいいところで合図して」

 オペレーターの声が部屋に響く。
 義体制御内科のネームプレートが胸に光る男性は、幾つもの端末情報が並ぶモニターの前に座っている。
 左目側にはヘッドマウントディスプレーを装着しており、擬似的に彼女と同じ視界を実現していた。

「この辺りです」
「そう・・・・ うーん ほんとに平気?」

 マウスをカチカチと鳴らしながらパラメーターのスライドバーをいじっている。

「僕から見るとモニター光度を生網膜で再処理してるからなぁ」

 生身の人間が持つ幅広い調整能力を、機械の身体は100%で再現出来る訳ではない。
 だけど、機械的なリミッター、プログラム上での数値的な丸め処理は生身の速度にヒケを取らない。

「これって直接神経に情報を送ってるんですよね?」
「そうだけど、正確に言うと違うんだ。神経に送ってるんじゃなくて脳に送ってる」
「じゃぁ数値的に大きすぎると脳がヤケドするんですか?」
「あぁ、そんな事は無いよ。ただ、あまり良い事じゃない。生体部分にはストレスになるからね」

 真っ青な空に浮かぶ半透明の文字列。左の上にはデジタルな文字の時計表示。
 右の上には義体が4個装着しているバッテリー残量情報や作動空気圧を生み出すコンプレッサーの熱状況。
 3種類チャンネルある広域帯高速通信のバンド別受信状況などが示されている。

「パッと見で瞬間的に理解できるよね?」
「はい。授業で習いましたから」

 そう。彼女は既に200単位を越える義体制御の授業を終えている。
 単に動かせるようになる事だけがリハビリでは無いのだ。

 彼女が『入っている』全身義体は、非常に高度な技術を投入し建造された科学技術の芸術的な結晶そのもの。
 だが、この時代最先端の技術を持ってしても、メンテナンスフリーには、まだまだ程遠いのが実情だ。
 生身の人間とて『生身の体との付き合い方』は母親に産み落とされてから長年掛けて自然に覚えていく。
 それを彼女は駆け足で覚えねばならない。僅か2週間程度の間に学問として・・・・だ。
 
 機械の身体に休息は必要ない。しかし、僅かに残された生体部品は定期的に栄養や休息を必要とする。
 だからこそ、機械部分と生体部分の付き合い方の違い、バランス感覚を彼女は覚えておかねばならない。

「だいぶ上手くなったね。これなら試験も通りそうだ」
「通って欲しいです。外に出たいし」
「制御とか操縦系はもう一人前かな?」
 
 完全義体化された彼女のような存在は、ある意味で特殊な乗り物のオペレーターなのだ。
 だからこそ、車やバイクや、そういった運転免許に相当する試験を受けねばならない。
 
 出先でのトラブルをある程度は自己解決出来る様でなければ、完全義体化人間失格。
 万が一にも暴走したり、或いはパワー制御リミッターが壊れた場合の対処能力が求められる。

 そして、それだけじゃなく。制御OSにウィルスを送り込まれて、犯罪に巻き込まれないように。
 悪意ある第三者によるハッキングを受け、本人の意思とは関係なく遠隔操作されないように。
 殺人事件や凶悪犯罪を発生させないようにする為の知識と技術を習得しなければならない。

 自動車の所有者には、犯罪に使われないようにする為に管理が求められているのと一緒。
 走行中に故障して周囲に迷惑を掛けたり、或いは交通事故を発生させ無い様にするのと一緒。
 
 自分の身体を完全に自分の制御下に置く為の、細かなすり合わせもまたリハビリの一環。
 学科と実技の両試験をパスし、義体免許を取得しなければ、ここのセンターから出る事すら出来ない。

 彼女が今居るのは、悪意ある接触から完全に遮断される閉鎖環境。いわば電子情報の無菌室。
 だけど、外界は様々な違法電波や悪意あるアクセス信号が渦巻く『雑菌だらけ』な世界。
 人の悪意の底深さと暗い闇の深さを、彼女はまだ、知識でしか知らない・・・・

「 視界のマウスカーソルを動かしてみようか」

「はい」

 視界に小さな矢印が現れた。
 左右の眼球をうごかして視界範囲をコントロールすると、画面内の文字列も自動的にレイアウトを変える。
 視野の中で邪魔にならず、しかも文字認識できるギリギリの所にボンヤリと浮かんでいる。
 
 そこへマウスのカーソルを持って行くのだけど、実際、言うほど簡単な事じゃない。
 物体を浮遊させる魔法とでも言うのだろうか。架空の存在へ意識を注ぐと言う表現しようの無い行為。
 何となくやり方を会得するしかないのだから、これはもう練習あるのみだ。

「視界の左側に小さな■が有るよね?見える?」
「はい、見えます。赤いのと白いの」
「その赤いほうが義体のシステムタブだよ。白いほうは通信システムタブだ」
「でもまだアンテナと接続してないです」
「そうだね。まだもうちょっと先だ」

 wi-fiなどを使った端末通信機能をサイボーグは持っている。
 わざわざ有線にしなくても少々のデータならやり取りできたほうが便利だからだ。
 ただ、それを使いこなすのは個人の資質、或いは、頭の回転の速さ。
 パソコンを使いこなすのと同様に、義体を上手く使いこなす事もユーザーは要求される。

「赤いほうを開けました」
「そしたらそこに実行中のアプリ一覧が有ると思う」
「はい、見えます」
「今はまだ上から、パワー制御・姿勢制御・電源管理・通信管理・アプリ管理の5つだね」
「はい」

 オペレーターが端末をカチカチと操作すると、アクセスランプが高速で点滅し始めた。
 情報が義体へ『流れ込んでいく』のを視覚的に再現している。

「いまそこに防壁管理と言う項目が追加されたね?」
「はい、出てきました。ファイヤーウォールですね」
「そうだね。ただ、この防壁はそんじょそこらの甘っちょろいモンじゃないよ」

 彼女の視界中央付近に半透明のプログレスバーが浮かぶ。その向こうを雲の塊が流れる。
 データー転送中の文字と、転送済み容量の表示。推定終了時間まで表示されている。
 なんとも古風と言うべきか、それとも親切と褒めるべきかを彼女は思った。

「君のストア容量はメインバンクだけで400TB位あるから、少々の事じゃ一杯にならないけど」
 
 転送完了の文字が出て、その下に[root a:b:c / xx]の文字が出る。
 
「制御関連のプログラム階層処理は習ったよね?」
「はい、一昨日の教室で」
「そうか。じゃぁ表示の意味は分かるね」
「もちろん」
 
 義体を制御するOSの収められたサブ電脳は身体の3箇所に独立してマウントされている。
 専用回線で相互通信を行いながら、それぞれがある程度独立した権限を持って義体をパラレル機能している。
 そして、それらはそれぞれが異なる種類の防壁を持っていて、外部からのハッキングなどに備えていた。
 より簡単に乗っ取られないよう、用心する仕組みに成っているからだ。

 彼女が『入っている』完全義体は上位2社と言うよりビッグツーと呼ぶべき、イソジマ電工製でもギガティクス社製でもない。
 元々は完全AI作動なアンドロイドを作っていた東亞重工系のグループ企業である佐川精密の『作品』だ。
 バイオ系セクサロイドや極限環境下労働デコットなどを得意としていた企業であるが、全身義体に関しては最後発と言っていい。
 それ故に上位2社の様々な事例を鑑み、先行2社とは違うアプローチで市場浸透を図っている。
 企業として得意なAIやバイオ技術に関して言えば上位2社を軽く凌駕する技術もノウハウもある。
 しかし、そこに『人』が絡むとなると、全く話は変わってくる。

 ケアマネージャーを配し、手厚いサポートでユーザーの心を掴むイソジマ系。
 必要な機能を投入し、機械と人間の融合を進め極限状況下労働などで絶対の強みを見せるギガティクス系。

 いくつかの弱小メーカーグループの中にあって、佐川精密の方針は『安全性』と『快適性』に定められた。
 どれほど悪意ある第3者が良からぬちょっかいを出してきたとしても。
 全国レベルで次々とハッキングを受けて全身義体使用者がセンターに隔離される事態になっても。
 佐川の義体はスタンドアロンで安全に快適に日常を送り続けられる筈。

 その為の、心配性もここに極まれりと言われるほどの厳重な防衛体制は全てユーザーを思っての事。

 万が一、サブ電脳のどれか一つが乗っ取られた場合。
 残り二つが合議制で感染したサブ電脳を切り離しシステムから完全隔離処理する仕組み。
 用心には用心を重ねていると言えうるのだけど、それとは別にもう一つのサブ電脳もまた頭部にあった。
 脳幹などの生体部品を管理し、サブ電脳との情報通信を監視する為の、全く異なる言語で書かれたOS。
 
 『ゴーストライン防壁』と呼ばれる、本人の思考までもが乗っ取られないようにする為の防壁。
 間違った情報を脳に送り、本人が錯乱状態や恐慌状態や、それだけでなく。
 完全パニック状態になり衝動自殺などしないようにするための、一番重要な抵抗システム。
 かつての古い時代に描かれたSFコミックの架空用語が、今現在の公式文書などでも普通に使われている。
 
 本人の意思がなくなってしまえば、義体は遠隔操作される端末と同じ。

 無差別大量殺人や自爆テロや広域破壊工作などに使われたとしても、まだ外見的に『本人が残っている』と成れば、警察組織などは銃撃など機械的な破壊を伴った攻撃的強制停止措置を行えない。
 
 だからこそ、このファイヤーウォール設置は物凄く重要なのだった。

「君のアクセスキーの一番重要な物が必要になる。脳波通信の波形を記録してあるんだけど・・・・」
 
 視界の中に2次元バーコードが浮かんでいる。
 8ビットの縦横が組み合わさった128ビットの暗号キー。

「この画像をとにかく覚えて。ここは理屈じゃないよ。力技だ。君の生体脳に擦り込むしかない」
「うー こういうの苦手」
「だけど、仕方が無いんだよ。これを3種類組み合わせて一辺が32768ビットの3次元暗号コードにするんだ」
「3次元ですか?」
「そう。これで大体35兆通りの基本暗号パターンが生成できる」

 カチャカチャとキーボードを叩く音が聞こえる。
 視界の中に二つ目三つ目の2次現バーコードが浮かび上がった。
 
「今から定期的に試験するソフトを入れておくよ。不定期に視界へ浮かび上がるから・・・・」
 
 システムタブのアプリ管理部分がジンワリと光っている。
 意識の中のカーソルを動かして光っている部分をタッチすると、[記憶トレーニング]の文字が出てきた。

「このアプリは不定期で3種類のうちどれかを示してくる。合計正答率99.5%を達成すると出現回数が減るから」

 そんな説明を受けているうちに、視界の中へ[第1回試験]の文字と共に、16マスの空欄が現れた。

 □□□□ 第1回試験
 □□□□ パターン1
 □□□□ レベル1
 □□□□ 正答率0%

「説明は要らないよね。それぞれのマスをクリックして反転させてやればいい」
「あぁ、なるほど・・・・」

 彼女の瞳が赤く光る。それは電脳領域にアクセスしている外的サイン。
 
「えーっと」

 いくつかのパターンを思い出してビットを反転させてやる。

 □■■□
 ■□□□
 ■■□■
 □□■□ [Enter? Y/N]

 画面の中にクラッカーの弾ける簡単なアニメーションが再生されて、大きめの文字で[正解!]が出た。

「おぉ!優秀だ!その調子だね。3種類の正答率平均が上がってくると2つ同時や3つ同時になるから」

 再び視界の中にマスが現れる。

 □□□□ □□□□ □□□□ Test Sample
 □□□□ □□□□ □□□□ レベル9
 □□□□ □□□□ □□□□
 □□□□ □□□□ □□□□

 これ、全部覚えられるのか?と不安になるのだけど、逆に言えば覚えないとここから出られない。

「あまり根詰めても人間の脳は覚えないよ。ゲーム感覚と言うか暇つぶしのつもりでやればいい」
「はい、分かりました」
「何段と回答難易度が上がっていくと。最初は時間無制限だけど、時間制限が付いたりするからね」

 オペレーターが再びマウスをカチカチと動かし始めると、画面の中の表示が切り替わって表示が消えた。
 それだけじゃなく、視界のあちこちに浮いていた表示が全部消えてしまった。
 
「視界がクリアになった?」
「はい、全部消えました」
「これが生身の視界。表示が浮かぶと君のようなサイボーグの視界。どっちが便利?」
「えぇっと・・・・ 要らない時に消せる方が良いです」
「じゃ、しばらく常時表示にしておくよ。明日まで様子を見よう」
「はい」
「今日初めて視界割り込み表示のソフトを入れたにしては上出来だね」

 カチカチとキーボードを叩く音が聞こえて、再び視界の中に色々な表示が浮かび始めた。

「まだ市販のソフトを入れちゃだめだよ?焦らずじっくりやろう。試験まで2ヶ月有るから」
「はい。ありがとうございました」

 彼女は自分の首筋へ手を伸ばし、ロックを外してケーブルを引き抜いた。
 光ケーブルを抜いた瞬間に外界の光が受光部を照らして一瞬ビクッとなる。

「ほらぁ! まずは端子のスイッチ切ってからだよ」
「うー!またやっちゃった!」
 
 プラグ&プレイ対応なソケットモジュールだけど、それなりのお作法があるのは自明の理。
 一つ一つ覚えていかなければならないお作法の多くが、実は彼女自身を守る為に必要な事。
 それを彼女自身が深く理解する事もまた、社会復帰リハビリのもう一つの重要なテーマ。
 
 ソケット部分にカバーを取り付け、その上から首筋をすっぽりと隠す帽子をかぶった。
 年頃のお嬢さんなのだから、あまりにもむき出しな姿を人前に晒すのは、やはり恥ずかしい。
 
「ありがとうございました」
「無理しないで」

 そう挨拶して部屋を出る。
 カーペット敷きの廊下を歩いていくのだけど、最近では随分と歩くさまも人並みになってきた。
 背筋を伸ばし膝をあまり曲げず、美しいフォームで歩く練習。
 二足歩行ロボットがまだまだ発展途上時代に有ったような無様な姿にはなっていない。
 
 ふと目をやった窓の外。
 大きなイチョウの木が黄色い葉っぱを風に飛ばしていた。
 歩道の上には舞い散った葉っぱが降り積もって子供達が遊んでいる。
 
 センターの外はもう冬が来ている。

「外を歩きたいなぁ・・・・」
 
 ぼそっと呟いて窓に左の手を触れた。
 まだカバーの付いていない指先は、軽金属製の機械がむき出しだ。
 右の手も持ち上げて窓に触れる。暖かいとか冷たいとか、そう言う情報はまだ入ってこない。

 どこか自嘲気味に笑って、ジッと手を見ている。
 
「機械なんだなぁ 今の私」
 
 なんとなく泣きたい様な気分だったのだけど。でも、落ち込んでばかりも居られない。
 これといってやる事も無いし、試験に備えて勉強するくらいの手持ち無沙汰な時間。
 個室になっている自分の病室へ戻って行くと、サイボーグ専用寝台の上に何かが乗っていた。

 最初は何か荷物かと思ったのだけど、良く見たら様々な光沢を放つサイボーグだった。
 そしてそれは彼女自身も知っている存在・・・・

「ゆうちゃん?」

 そっと近づいて肩を揺すってみる。だけど、全く反応がない。
 センサーの電源が入ってなければ、この子は死んでいるのと同じだ。
 
「ゆうちゃん どうしたの?」

 男の子の胸の部分にある小さな液晶へ目をやると、残りのバッテリー容量が15%を切っている警告が出ていた。

「おねぇちゃーん ねむーい」
「ゆうちゃん ランドセルは?」
「知らない」

 電源容量が絶望的に足らない小児型の場合は残量低下で危険な領域へ入るとスリープモードに落ちるんだろう。
 生体部分を『生かしておく為』の予備バッテリーに切り替えてもスリープモードだと3時間が限度だとか。
 そろそろ充電してあげないと、この子の生体部品が死んでしまう・・・・・・

「じゃぁ ゆうちゃんのお部屋行って寝ようか? おねぇちゃん連れて行ってあげるね」
「・・・・やだ」
「どうしたの?」
「あそこさみしいからやだ おねぇちゃんとねる」

 ・・・・そうか。
 この子は全身サイボーグだけど、心は5歳の男の子なんだ。
 いつも人が居るサポセンの前の特等室だけど、常時、人が居るわけじゃないんだ。
 
 まだまだ甘えたい歳なんだよなぁ・・・・・

「じゃぁ、おねぇちゃんと一緒に寝ちゃおうか」
「うん」
「その前に、これを繋がないとまたゆうちゃん叱られちゃうよ?」

 男の子の腹部にある小さなハッチを開けると、彼女の物とはサイズが少々違う電源コードが現れた。
 成人サイズであれば通常型のアース付き3Pコンセントプラグなのだけど、この子の電源コードはUSBサイズ。

「おねぇちゃん 繋いでくれる?」
「うん いいよ」

 彼女はベッドの上に横になった。
 自分のコンセントをベッド脇の専用電源タップに繋ぎ、電源スイッチを入れる。
 給電が開始されると、視界の中のバッテリーマークにコンセントプラグのピクトサインが表示された。
 残りのバッテリー容量から見て、充電完了まで約2時間。

 だけど・・・・

「ゆうちゃん もうちょっとこっち来て」
「うん」

 モゾモゾとベッドの上を這い上がってくる男の子。
 まるで母親に甘えて抱きつくようにしている。
 彼女は男の子のケーブルを延ばして、電源コード収納部にあるオプション用のUSB端末に繋いだ。
 
 視界の中のUSBポートを示すピクトサインに[外部へ電源供給中]の文字が浮かぶ。

「おやすみ ゆうちゃん」
「おねぇちゃん おやすみ」
 
 省エネモードだったにも拘らず動いた事で、残りのバッテリ容量が10%を切ってしまったようだ。
 男の子は成人型よりも遥かにバッテリの容量が少ない関係で、残量が50%を越えないとダメらしい。
 意識レベルが睡眠モードで落ちるように仕向けられ、『寝る子は育つ』を地で行くように眠ってしまう。
 
 まるで寝息を立てているように呼吸しているのだけど、この子もまた空気作動型のサイボーグ。
 それはコンプレッサーを冷却する為の空気循環でしかなく、生暖かい排気だけが出てくる
 ただ、彼女にとって小さな男の子に頼られ寝かしつけると言う行為が、母性本能をくすぐられる事だった。

 男の子の意識レベルが睡眠モードに入ったのを確認して、サポセンのスタッフを呼ぶ。

「あらら ゆうちゃんたら」
「このままで良いですよ。お昼寝です」
「じゃぁ、目が覚めたら呼んでね」
「はい」
 
 本当は午後一番で身体運動ソフトの再調整をするはずだったのだけど、どうやらプランは延期のようだ。
 食事や睡眠をそれほど必要としないとはいえ、生体部品である脳はこのような状況になると、やはり睡眠モードに移行を提案してくる。

 サイボーグには必要ないのだけど、でも、脳の中にある人間の部分がそれを必要としているのだから。
 彼女は薄がけのタオルケットを片手で器用に広げて、男の子と一緒になって被った。

 こんなシエスタも悪くないな。
 ふと、そんな事を思っていた。

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