サイボーグ娘SSスレッドに保管されたSSの保管庫です。一応、18禁ということで。

全ての感覚を遮断された真っ白な世界。眩いほどに真っ白な世界。
 どこからかチョロチョロと水の流れる音だけが聞こえてくる。

 白い世界の中にフッとフォルムが現れ始め、眩さが落ち着き始めた。
 白い壁。白い天井。床まで白い。そっと足を下ろすと、足裏にひんやりとした感触があった。
 
    ―― 夢?

 まだ彼女は事態が飲み込めない。
 彼女の見ている世界は、病院の標準ベッドが一基だけ置いてある小さな部屋だ。

    ―― 脳が夢を見てる・・・・・

 真っ白のワンピース姿で彼女は腰掛けている。
 彼女は不意に自分の頬をつねってみた。
 鋭い痛み。そして、視線の先には驚くべきもの。
 自分の手に爪が、皮膚が、筋肉が付いている。

    ―― うそ

 ヒョイと手を返してみれば、見覚えのある手相の掌。
 手を握ってみれば、皮膚が弛んでいって折りたたまれる感覚がある。
 
 そっとベッドから立ち上がってみた。
 身体の中で音がする。骨がこすれギリギリと鳴る。
 そして予期しない感覚が体内を走る。
 
 鼓動。
 胸の中に心拍を感じた。

 狐につままれたなどと言うのだが、本当に化かされているんじゃないかと錯覚する。
 不安そうに部屋の中を見渡して見つけたのは、白い壁にぶら下がっている鏡。
 恐る恐るその前に立って鏡を覗き込む。

 肩甲骨を通り越し、腰まで伸びる黒髪。健康的な肌の色の顔。
 ワンピースの下には柔らかな肉体。

    ―― これって・・・・・

 部屋の隅にあるドアを見つけた。
 病院の殺風景な部屋の中にある、引き戸のドア。
 
 なにか凄く怖いモノが向こう側に有るような気がしたけど・・・・

「遠慮なく開けてみて」

    ―― え?

「いま君が見ているのは仮想現実。実態の君はサポートベッドの上でスパゲッティシンドロームだよ」

 殺風景な部屋の片隅に、音も無くフッと薄型テレビが姿を現した。
 たった一つしかないスイッチをオンにすると、鈍い音を立てて映像を映し始める。

 ネットワーク接続試験中と言うキャプション表示と共に、だんだんと映像が浮かび上がってきた。
 背もたれの倒れた大きな椅子に腰掛けている、見覚えのあるサイボーグむき出し姿の女性。

    ―― じゃぁ 今の私は?

 そのサイボーグの女性の前で、見覚えのある男性が手を振っている。
 [義体心療内科]のネームプレートがチラリと見えた。

39 :リハビリ室3−2:2013/01/02(水) 15:33:58.74 ID:oQ+13Qej
「いま君はわが社の提供している仮想空間の中にいる」

    ―― 仮想空間?

「そう。全国に居る、わが社の義体ユーザーだけが入ってくるSNSだよ」

    ―― SNSですか?

「そうとも。ブログとかでキャラ作りして参加するのがあるよね」

    ―― はい。私もやってました。

「その仕組みの仮想空間版だ」

    ―― ・・・・すごい!

「いま君が居るのは桜ヶ丘と言う仮想住所の君の私室。ただし、まだ仮登録だけどね」

 ドアを開けて部屋を出ると、大きなフェンス張りのバルコニーへ出た。
 ちょっと高い位置から街を見下ろすような格好だ。
 頬を撫でる暖かな春風が気持ち良い。
 降り注ぐ光に確かな温もりを感じる。
 
 随分と忘れていた、懐かしい感覚。

「ビジョンのレイアウトが滅茶苦茶なのは勘弁して欲しい。実際にそんな構造の家は無いからね」

 そんな言葉が聞こえるのだけど、彼女の精神はそっちを全く気にしていなかった。
 太陽に向かって大きく両手を突き上げ、全身に太陽の光を感じている。
 背中の腱が伸びてふとももの裏側まで延びる感触を味わう。
 胸の中で一際大きく鼓動が走っている。
 
    ―― これ、全部仮想現実なんですか?

「そうだよ。今は佐川製の義体ユーザーしか入れない、電子の箱庭だよ。」

    ―― でも、太陽も風も心臓も・・・・

「君が感じてるのは、君の脳の記憶野に残っている情報を励起しているからだよ」

    ―― じゃぁ、これ全部私の記憶?

「そう。そしてその記憶野の情報を一旦電子情報としてホストにストアし、若干手を加えてリロードしている」

    ―― 私の記憶を吸い取られてるの?

「吸い取られてると言うのは表現的に正しくない。君の記憶をみんなが共有しているんだ」

    ―― みんなって?

「佐川精密の全身義体を使っているみんなだよ。君が感じた太陽や風や鼓動の情報を皆が味わっている」

    ―― じゃぁ いま私が見ている世界は?

「日本各地のこんな風景を見てきたって人達の記憶を繋ぎ合わせてる、仮想の日本だよ」

 仮想・・・・
 彼女の脳裏に少しだけ暗い影がよぎる。
 現実じゃないと言う部分が殊更にクローズアップされている。

    ―― じゃぁ、全部作り物なんですね?

「そうだね、作り物だね。だけど、作り物ゆえにこんな事も出来るよ」

    ―― え?

 さっきまで居た白い部屋の中に誰かが居る気配を感じた。
 慌てて振り返ると、その部屋の中に人影があった。
 大手チェーン系カレーショップのユニフォームを来た男性。

「お待たせしました! 野菜ミックスカレー300gです」

 部屋の中から良い香りがしてきた。
 香り・・・・ そう!匂いだ!匂いを感じる!

 いま現状、機械の身体で唯一再現し切れていないものがこれ。
 脳が直接感じると言う唯一の感触器官。臭覚。
 バイオ系のセンサーを接続するまでは、サイボーグに臭いの情報は無い。
 全く動けない状態から調整を重ねる事4ヶ月弱。
 100日を越えて遮断され続けていた感覚が蘇ってくる。

 そして、その香りは味覚神経を刺激するカレーのスパイス臭。
 突き抜けるような香りが脳を直撃する!

「食べてみて」

    ―― たっ! 食べられるんですか?

「ここは仮想現実だよ?何でも出来る。空も飛べる。おなか一杯ケーキ食べながらコーラ飲んでも太らないし」

 ドキドキしながら・・・・部屋を覗く。
 そうだ、これだ!この感覚だ!
 胸がときめく時に感じる鼓動感!
 
 部屋に足を踏み入れると、小さなテーブルの上にはお皿に乗ったカレーライスとグラスに入った氷水。
 紙ナプキンの上に置かれたスプーンを持って、コップの水に浸して、そして・・・・ そして・・・・

「どうしたの? 美味しそうに見えない?」

    ―― 久しぶりなんで、どうやって食べればいいか忘れちゃって

 気が付けばテーブルの上に涙が零れていた。
 ポタリ・・・・ ポタリ・・・・
 
「最初はみんなそんな反応だよ」

    ―― いただきます

 カレースプーンがライスの山に突き刺さる。カレールーを絡めて山から離陸する。
 そのまま口の中へと運ばれた、カレーの絡まった炊き立てご飯の味わい・・・・・

    ―― おいしい・・・・

 心からの言葉が口を突いて出てくる。
 食べ物を食べると言う行為そのものが、これほど重要だったのか!と驚く。

 カレーの合間に呑む水の、その、喉を通って胃の府へと落ちていく感覚までが感動の嵐だった。
 一心不乱にカレーを食べ続けた。辛味を感じて舌がヒリヒリするような感触を楽しんだ。
 余計な事を考えず一気呵成に流し込んで満足して、グラスの水を飲み干して・・・・

ただ、ふと。気が付いてしまった。
 何で気が付いてしまったんだ!と、自分を責めたくなる。

    ―― でも、これ。仮想なんですよね?

「もちろんそうだよ。全部作り物」

 全部作り物・・・・
 その言葉が胸に突き刺さった。

 自分が食べてるわけじゃない。自分は食べ物を必要としない。
 外部から給電されてバッテリーに電気を貯めて動く、電気仕掛けの機械人形。
 その現実が改めて突き刺さった。拭い切れない現実と言う奴が襲い掛かってきた。

    ―― でも 私は 電気仕掛けの・・・・

 スプーンをお皿に置いて、そしてもう一度涙を浮かべる。

 どうしようもない現実が襲い掛かってきたのだけど。
 もう何度も何度も開き直ったと思ってきたのだけれど。

 だけど、どんなに覚悟を決めたと思っても、それはただの、上っ面だけの。
 どこか概念的な自分を騙すための、偽りの覚悟でしかないと思い知らされた。

「そうだよ。君の身体は電気仕掛けの人形だ。それは間違いない。けど、それを制御しているのはなんだい?」

 何処か冷たい口調で聞こえるオペレーターの言葉。
 何を言わんとしているのか。その核心を思い浮かばない。

「君の身体は125ボルトのバッテリーで動くコンプレッサーが作った圧縮空気で動いている」

 その口調は教え諭すものでもなく、また、何かを問いかけ、思考を促すものでもなく。
 まるで取扱説明書を読み上げる声のように。抑揚も無く感動も無く。ただ、淡々としている。

「熱も圧力も痛みでさえも、光神経が送る数値情報でしかない。足の裏に踏みしめる大地の温もりも感じない」

 崖っぷちで飛び降りようとしている自殺志願者に向かって『早く飛べ!』とでも言っているかのように。
 目を覚ましたときに、機械の身体になっていた衝撃からやっと立ち直ってきた筈なのに。
 誤魔化したり意図的に無視したりしてきた部分の、そのやっと固まった瘡蓋を力一杯はがすかのように。

「今更どこか希望や救済や奇跡なんか無いよ。今の君は外見的はただの、そう、操り人形(たんまつ)だ」

 冷酷無比に。
 傲岸不遜に。
 
 一番弱い部分を突き刺してえぐって切り裂く刃物のように。
 いままで必死に思いとどめてきた感情が、今まさに溢れかかっている。

 涙もこぼれなくなって、ただ呆然とカレー皿を眺めて放心している。

「だけど・・・・ 君はAIかい?」

 機械のような。マシンボイスのような抑揚の無い問いかけ。

「コンピューターの作り出した電子情報の模擬人格かい?」

 少し小さな声。
 だけど、ほんの僅かに温かみがあった。

「プログラムに沿って動くロボットかい?」

    ―― 違う

「なんだって?」

    ―― 違う!

「じゃぁ、一体なんだって言うんだい?」

    ―― 私は・・・・ 私は・・・・

「わたしは?」

    ―― 私は私でしかない! 私だもの! 私は私!

「そうだ。その通りだ。君は君でしかない。自分を自分足らしめているのは自分しかないんだよ」

 まるで父親が子供に語りかけるように。
 まるで神父が信徒へ語りかけるように。

「自分を自分足らしめている物はただ一つ。それは自分の意思だ。そうだろう?」

 彼女は白い部屋を飛び出した。
 誰かの指示ではなく、自分の意思として、仮想空間の中を走った。

「君は君の意志がある限り、たとえ人工血液と人工脳液の中に浮かぶ脳髄だけだったとしても」

 訳も無くあのバルコニーへ飛び出て太陽を眺めた。
 自分の記憶の再生であるならば、あの太陽は私の物だ!と思った。

「電気仕掛けの操り人形の中に入った総計2kgに満たないタンパク質の塊だけだったとしても」

 眩い太陽に目を細め、流れる風に髪をなびかせた。
 全ては仮想空間の作り物だったとしても。
 コンピューターが作り出した幻だったとしても。

「君は人間だ。人間は魂の、心の、意志の生き物だ」

    ―― 意思

「そう。意思だよ。AIには欲望や目的といった意思が無いんだよ」

    ―― 目的?

「そう目的だ。生きる目的。一番汚くて一番ピュアなもの。欲が無いんだよ。これはAIでは作り出せない」

    ―― でも、仮想空間の物を欲しがっても本物じゃないですよ。私は本物にさわりたいです。

「生身で感じる全てが本物だなんて、一体どこの誰が保障してくれるんだい?」

    ―― え?そんな事言っても・・・・・

「そうだとも。味を感じるのは舌? 臭いを感じるのは鼻? 全ては脳がそう処理しているだけだ」

    ―― 処理している・・・・

「脳と言うコンピューターが作り出した夢と言う幻想でも味を感じるだろ?それと一緒だよ」

 突然視界が真っ白に染まった。
 ホワイトアウトした視界の中に、デジタル時計の表示が浮かび上がった。
 小さな■のタブが視界の隅にいくつか浮かび、その反対側にはバッテリー表示が漂っている。

「おかえり! カレーライスは美味しかったかい?」
「はい? え? あ・・・・ おっ 美味しかったです」
「そう、良かった。ところでなんか気が付かない?」
「えっ?」

 そう問いかけられ、彼女は視界の中へ注意の先を送り込んだ。
 各パラメーター表示におかしいところは無い。
 さっきまで1メモリ無くなっていたバッテリーが一杯になっているくらいだ。

「特に・・・・ 強いて言えばバッテリーの残量が・・・・ あぁっ!!!!」
「わかった?」
「はい! わかった! わかった!!!!」

 オペレーターが笑いながら端末を操作している。
 彼女の視界に[!]マークが表示された。

「君がカレーを食べている間にバッテリー管理ソフトをバージョンアップしておいたよ」
「うそ・・・・ 信じられない・・・・ これって」
「さっき言った通りだよ。どんな情報も脳が処理してるだけなんだ。だから逆に言えばなんでも出来る」
「今日はその為の・・・・」
「そーいうこと。いいもんでしょ?ソフト同士のAPIを再調整してある。ソフト同士がリンクできるんだ」

 実はさっきから、彼女はある感覚を味わっている。
 仮想空間で食べたカレーライスの味でも、喉を流れた水の感触でもない。
 もっともっと、原始的で原罪的で、そして、人の心理に忠実なもの。

「おなか一杯になるって、こんな感覚でしたよね」

 涙を流すほど嬉しい感触。満腹感を彼女は味わっている。
 満腹中枢が刺激され、幸福感を感じつつも『やばい!太る!』と慄く。
 それを見透かしていたかのように、水を差すような言葉が投げかけられる。

「ただ、ここから先は冷たい現実だ。覚悟は良い?」

 急速に世界が色を取り戻した。大きな窓の外に葉を殆んど落としたポプラ並木が並んでいる。
 少し曇っている空だけど、彼女の視界にはさっき見た太陽の眩い残像が浮かんでいる。

「バッテリー残量が90%を越えると満腹感を感じる。そして逆に言えば」
「空腹感ですか?お腹空いたって?」
「そうだ。残量が30%を切ると空腹感を感じ始める筈だ。ついでに言うと15%を切るとフラフラし始めるよ」
「フラフラ?」
「そう。低血糖症で手足が震えたりフラフラしたりする。生身の身体と同じ感覚だね」
「分かりやすいですね。アナクロで」

 やっと彼女の顔に笑みが浮かんだ。

 少し立ち直った?
 いや、違う。
 
 全て吹っ切れた。
 そんな清清しい表情だ。

「お昼はもう良いね。『お腹一杯』だろ?」
「はい。ちょっと食べすぎです」
「大丈夫だよ。ドラム缶一杯食べたって太らないから。むしろ食べ過ぎて太る義体を作りたいくらいだ」
「でも、良いですね。これ。美味しいケーキの食べ歩きとか」
「ハハハ!それは無理だ。どんな美味しいケーキもまず数値情報化しないと。または誰かの記憶を共有するか」

 なんだ・・・・
 ちょっとガッカリしたようにして彼女はむくれている。
 ただ、それを見ていたオペレーターがニヤリと笑う。
 
「まぁ、生身の身体の連中じゃこれは出来ないよ。それに」
「それに?」
「それに、数値情報化済みの美味しい物だけ食べられるのは我々の特権」
「あ、そうか。不味かったら仮想化しないんだ」
「そうそう。その通り」

 オペレーターがニッと笑ってサムアップしている。

「生身の連中は食べ過ぎれば太るし、呑みすぎれば二日酔いだけど、我々はボタン一つで酔いから醒める」
「そうですね・・・・ って、え?我々って・・・・」
「あれ?言わなかったっけ?」

 オペレータの左目が赤く光る。
 国際規格で定められた全身義体に義務付けられる外部表示。
 サイボーグが電脳体で何か作業している時に出てくるサイン。
 
     カチカチ・・・・ カチャン

 右手で左腕を持って肩の付け根で分離させてしまったオペレーター。

「ほら、僕も全身サイボーグだよ。ちょっと古いけど」

 自嘲気味に笑ったオペレーター。
 再び腕を分離面に宛がってガチャガチャと音を立てている。

「君が入っている4000シリーズ、LX4000Fは、いま僕が使っているLX1000Mの4世代後のタイプなんだよ」
「じゃぁ、先生は佐川精密の社員さんなんですか?」
「そうだよ?でも、正確に言うと佐川系の関連企業だね。佐川メディカルの社員」
「初めて知りました」
「制御内科は佐川精密系、構造外科は東亞重工系の人間が多いんだよ」
「そうなんですか」
「僕は元々医者だったんだけど佐川で義体化してから心療内科に転職さ」

 優しく語り掛けていたオペレータは椅子から立ち上がって、彼女の頚椎に差し込まれたプラグを抜き始めた。
 プラグを抜く時に暗幕代わりのハンカチで光ケーブルのソケットを隠すのは優しさだ。
 光神経を使ってやり取りする以上、ケーブルの無くなった接続面に環境光が入るのは辛いのだろう。
 
 むき出しになった皮膚の接触神経の上でを虫が這うようなものだ。

「君のように落ち込んでる人を助けたかった。なんせ元々医者だからさぁ」
「ほっとけなかったんですね」
「そうだね。自分もサイボーグになってみて良くわかったよ」

 彼女はソケット部にカバーを掛けて光が入らないようにして、やっと椅子から立ち上がった。
 身体の内側から聞こえるのは、心臓の鼓動や関節の軋みではなく、スクロールコンプレッサーの音。
 そして、各部のアクチュエーターや空気シリンダーの給排気音。

 どんなに取り繕っても、彼女はやはり、電気仕掛けの操り人形(たんまつ)でしかない。
 だけど、その中身には意思のある人が入っているのだと、今は胸を張って言えると。
 そんな自信に満ちたような表情を浮かべていた。

「元お医者さんですと、やっぱり使命感みたいなものが・・・・」
「使命感かどうかは分からないけど。あ、あと、元医者じゃなくて、今も医者だよ。サイボーグのお医者さん」
「あ。失礼しました」
「いいんだよ。制御内科も構造外科もみんな医者だ。治す系の医者。ボクは心療内科。癒す系だね」

 癒す系。どこかちょっと恥ずかしそうにそう言って、サイボーグのお医者さんは笑った。

「人間は心の生き物だってさっき言いましたよね」
「そうだとも。どんなに精巧に作ったAIだったとしても、その反応はただの予定調和だよ」
「予定調和?」
「そう。こう反応したら相手が喜ぶ。その反対の反応をしたら相手が悲しむ。最近のAIはそこまで計算する」
「確率論的な物ですか?それとも統計論?」
「単に乱数だとボクなんかは思ってるけどね。でも、中には本当に凄いAIもあったりするんだ」
「そうですか」
「だけどね」

 彼女はふと、首筋にあるジャックのカバーがちゃんと閉まっているかを確認した。
 無意識の動作だけど、段々とサイボーグ慣れしている証拠でもある。
 その背にガウンを掛けて、それから、金属むき出しの指でも持ちやすいように書類を調えて、手にもって。
 
 女性的な優しい笑みを作ってオペレーターを見た彼女。

「だけど、なんですか?」
「やっぱりね。心が無いんだよ。相手を喜ばせようとするのはAIでも出来るけど。でも」
「心ですか・・・・」
「そうなんだよ。どんなに作りこんでも、むしろ作りこめば作りこむほど機械的に成ってしまう」

 ・・・・機械的
 身体が機械だからかな?
 いや、そうじゃないよね
 
 いろんな事が頭の中をぐるぐると駆け巡り、答えの出ない問いで少々混乱する。
 だけど、なんとなくハッと気が付く事もまた思い出された。

「実際、人が対応してくれる受付窓口でも機械的な対応されると気分悪いですけど・・・・」
「そう言うことだよ。最後は人の温もりなんだよ。だって」

 接続器のメイン電源を落としてカバーを掛けながらオペレーターが窓の外を見た。
 葉を落とした並木越しに市井の生活が垣間見える。様々な人が生きている。

「生きることそれ自体を目的にするのは人間だけでしょ。AIもロボットも目的が有るから作られる」
「逆説的ですね」
「そう。だからこそさっきの言葉なんだよ。人間は魂の、心の、意志の生き物だってね」
「良い言葉ですね」
「だろ? なんせ」

 後片付けを終えドサリと椅子に腰を下ろして笑っているオペレーター。
 椅子のサスペンションがグッと沈むのはサイボーグの証。

「昔読んだ漫画のね。敵方のボスがサイボーグでね。だけど自分は人間だって言い切ってて」

 楽しそうに笑うオペレータに釣られて彼女も笑みを浮かべる。

「回り全てを巻き込んで戦争を始めてみんな殺しちゃんだけど。それを見て楽しそうに笑うんだよ」

 え?戦争?殺す? 物騒な言葉に一瞬うろたえる。
 だけどそれが漫画の中なのだと思い出して、少し安堵もする。

「生きる目的が戦争なんだと。そう言ってね。戦争の歓喜を味わう為に。その為に生きているんだと」
「だから・・・・ 魂の、心の、意志の生き物なんですね」
「そうゆうこと。もっとわがままになりなよ。自分が楽しいのが一番大事だよ。そして」
「そして?」

 オペレーターの笑みが何処か子供っぽいいたずらっぽさを帯びてきた。
 楽しい遊びを心行くまで楽しんでいる幼子のような、そんな表情。

「我々にしか出来ない事を見せ付けてやればいい。生身では出来ない事をね。サイボーグの特権だよ」
「特権ですか?」
「そう。特権だ。君いまいくつだっけ?」
「18です」
「そうか。じゃぁ後20年経ったら分かるよ。なんせ僕らは外見上、自然に歳を取らないからね」

 ハハハハ!と笑いながら立ち上がって彼女に退室を促した。
 滑らかに動く肢体が良く整備されている事を連想させる。

「僕のL1000シリーズは駆動部が超音波モーターなんだ。だから完全無音型。ただ、電気だけは3倍喰う」
「じゃぁバッテリーが大変ですね」
「そうなんだ。だからL1000以降は油圧に水圧に空気圧。完全電動は姿を消した。だからこれを使い続けてる」
「更新しないんですか?」
「しないよ。まぁ、超音波モーター式が出れば話は別だけど。それに、意地を張ってるおかげでいい事もある」
「なんですか?それは」
「ぼくね。実は今年で55歳なんだ」
「うそ!」
「だろ?」

 ニヤッと笑った男性型サイボーグ。
 その姿はどう見たって20代後半位の、まだまだ若々しい姿だ。
 最近でこそ40歳50歳に見える男盛りのサイボーグも増えてきたのだけど。
 
「そろそろ外見の処理をする頃だよね?」
「はい。来週には」
「そうか。じゃぁ、来週合う時には普通の服を着ているはずだね」
「たぶんそうなると思います」
「来週を楽しみにしているよ。じゃぁ、お疲れさん。試験ガンバんなよ」
「ありがとうございます」

 軽くお辞儀をして彼女は歩き出した。
 まだまだ身体の各部から空気圧の作動音が聞こえてる。
 
 ただ、先月に比べれば歩くフォームは格段に綺麗になった上に、動きに優雅さが出てきた。
 機械じみたぎこちない動きは影を潜め、ちょっとした振る舞いに女性らしさが出るようになっている。
 リハビリフロアのスタッフが皆それに気が付いているのだけど、当の本人はまだ気が付いて無い様だ。
 
 今日はやる事も無いし、検査もないし手持ち無沙汰。
 いつの間にか夕暮れの日差しになりつつある外を一瞥してから、彼女はカレーライスの味を思い出していた。

 −終−

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