サイボーグ娘SSスレッドに保管されたSSの保管庫です。一応、18禁ということで。

妹のいる生活 作者:SSスレ‐192氏

本文

 午後8時。
 慌しく過ぎていった1日も、この扉を開けることで一区切りが付く。
 郊外のマンションの5階にある、僕と妹が住む家の扉。
 他の扉と全く同じ物が使われていても、これが自分の家の物かと思うとなんとなく温かみを感じるあたり、人間なんていい加減なものだといつも思う。
 いや、温かみを感じるのは、家ではなくてその中に住む者のせいなのかも。

「ただいま〜」
「おまえりなさい〜」

 パタパタと足音がして、妹が玄関口に駆け寄ってきた。
 明かりのついた台所からは温かい空気といい匂いが漂ってくる。

「ご飯にする? お風呂にする? それとも……」
 言いかけた言葉を切り、上目遣いで僕の顔色を伺っている。
 既に儀式と化した、帰宅した僕を迎える妹との会話。

「お腹空いたからご飯、だな」
「は〜い。あとちょっと待ってね」
 微かに失望の色を浮かべつつ、それでも特に言い返す気もなさそうで、妹はそのまま台所に戻っていく。

 はて?
 いつもなら、ここでもう一押しありそうなものだけど……。

 まあいいか。

 1週間後に迫った初めての学会発表の準備のため、今日は朝からずっと忙しくて、間に合わせのゼリーとか栄養ドリンクで凌いできた。
 少しでも早くまともな夕食にありつけるのは、とてもとてもありがたい。
 実際、駅から家までの15分ほどの道のりの間で、何度お腹が鳴ったか分からない。
 かといって、妹が夕食当番の日に寄り道して外食なんかして帰るわけにもいかないし。

 妹の嗅覚が犬並みに鋭いことは、僕が一番よく知っている。
 さっきの短いやり取りの間でさえ、僕が今日一日、ろくな食事をとっていないことは、妹には分かってしまっただろう。
 あえて絡もうとしなかったのは僕を気遣ってのことだったのかと、ぼんやりと考える。

 ダイニングでしばらく待っていると、妹がお盆を手にして入って来る。
 青系の模様の付いた僕用の食器。
 赤系の模様の付いた妹用の食器。
 取り違えることの無いように色合いを異にした食器の上に、見た目は同じ料理が盛られている。

 温かそうに湯気を上げている料理を前にして、僕のお腹が一際大きく鳴った。
 それを聞いた妹の口から、くすりと小さな笑い声が漏れて出る。
 今更恥ずかしいという気は起こらないけれど、僕ばっかりが笑われるのは不公平だ。
 今度の点検の時には、『お腹の虫が無く回路』でも取り付けてやろうかと、つまらないことを考えた。
 テーブルの上に食器を並べていく妹の手際のよさに感心しつつ、ポケットから携帯を取り出して、おおよその構成のシミュレーションを組み立ててみる。
 ええと……ネットストレージに保存してある妹の腸の形状データを読み込んで、筋肉の分布として標準型に6%の乱数パターンを重畳して、収縮率を12%、円筒管の共鳴係数を0.38にすると……。

 ガキッ

 小さいけれど、耳に突き刺さるような金属音がして、妄想が破られた。
 金属音は、妹が立っているあたりから聞こえてきた。
 妹は、見つめる僕の目には気づいた風もなく、食器を並べる作業を続けている。

 金属音のように聞こえたけど、食器の触れ合う音だったのだろうか?

 携帯の画面に目を戻し、シミュレーションの続きを再開する。
 ……円筒管の共鳴係数を0.38にして、腸の1/4が液体で充填され、その中に100ccの気体が混じっている状態で収縮が起きた時に生じる音の大きさは……。

 ガキッ!

 今度はさっきよりもずっと大きな音がした。
 聞き間違いようもなく、金属同士がぶつかり合う時の音。

「後はご飯とお味噌汁だけだから、もうちょっと待っててね」

 口を開きかけた僕を避けるようにして、妹が台所に戻っていく。
 食器はあらかた並べられているけれど、後のほうに並べられた物ほど、その置き方がぞんざいになっている。

 うーん……。

 調子が悪ければすぐに教えてくれるように、いつも言い聞かせてあるんだけどなあ。
 いくら科学技術の粋を凝らしているとはいえ、自己修復機能とかいうようなものはまだ魔法の範疇なんだし。
 放っておいて酷くなったら、直す僕の手間が増えるだけなのに……。

 台所の様子をうかがっても、妹が忙しげに動き回る音が聞こえてくるばかり。
 声を掛けるきっかけが掴めない。

 仕方がない……。

 シミュレーションの途中結果を保存して、自鯖へアクセスするアイコンをタップする。
 指紋認証と4重のパスワードを通過した先にあるのは、メンテナンスプログラム。
 妹がどこにいようとも、日本国内である限り、ワイヤレスリンクを経由して24時間365日休むことなくデータを収集分析し続けている。

 普通のメーカー製品を使っていれば、こういうことは全部、サポート契約の中に含まれている。
 製品の利用者がいつどこで何をして、その結果、製品にどんな負担がかかったか、調整を要する箇所は生じていないか、部品交換の必要はないか、etc、etc……。
 まがりなりにも生命に直結する物ゆえに、サポート契約に基づいてメーカー側が行う情報収集は非情なまでに徹底している。
 そして、それと同程度のことは、好むと好まざるとにかかわらず、管理責任を負っている僕もやらざるを得ない。
 それは妹も了承済みのこと。
 妹からの自己申告が無いのなら、僕が自力で原因を突き止めるしかない。

 携帯の小さな画面に中に表示されたトップ画面には、簡略化された人体のシルエットが描かれている。
 その左肩のあたりに小さな警告マークが浮かんでいる。

 『!軽度の障害:肩関節ギアボックス - 軸歪 (0.4)』

 さっきの音はギアが噛み合い損ねた時の物だったのだろう。
 あれくらいの音がするのなら、無理に動かし続けるとギアの歯が欠ける可能性もある。

 でも、どうしてこんな障害が?
 メニューアイコンから、ログ表示を選んでタップする。
 切り替わった画面の中には、表示するログの内容に対応するアイコンが並んでいる。
 衝撃センサーを選んでタップして、表示されたグラフをゆっくりとスクロールさせていく。

 「うーん、これかな?」

 妹の下校時刻と思しき時間帯に大きな山が描かれていた。
 何か外から強い衝撃を受けたことは間違いない。
 でも、なぜそれを言おうとしないのだろう?

 苛めにでもあったのか?
 それとも犯罪絡み?

 なんであれ、黙っている理由が分からなければ、僕の方からも切り出しにくい。

 仕方なく、最終手段に訴えることにする。
 トップ画面に戻ってから、映像記録のアイコンをタップする。

 浮かびあがった認証入力画面に、僕の手が止まる。

「ええと……なんだっけ?」

 しばらく記憶をまさぐってみたけれど、大分前に聞いた物なので当然のごとく覚えてなどいない。
 そもそも英数字32桁のランダムな組み合わせなんか、普通の記憶能力の持ち主が覚えられるはずないし。
 こんなこともあろうかと、定期入れにはさんでおいたメモを見ながらパスワードを入力する。
 何度か打ち間違えた後、ようやく画面が切り替わる。

 入力欄に衝撃を受けたはずの時間帯を打ち込むと、画面の一角に再生映像が浮き上がる。
 この時間、妹が見ていたはずの映像だ。
 画素数も駒数も、本来の視覚データから大幅に間引かれたものだけれど、何が起きたかは判読できるはず。

 画面の中では、妹の視点そのままに、僕も知っている通学路のさまざまな物が映っては消えていく。
 見守っていくうちに、その映像の中に交差点が現れる。

 ……まさか、交通事故?

 だとしたらあの程度の損傷ですむはずが無いと思いながらも、動悸が少しだけ早くなる。

 交差点の真ん中に何か小さな物が飛び出して、視点がそこに釘付けになる。
 あれは何だろう?
 ボールだろうか?
 いや、何か手足が生えた物?

 それが猫らしいと分かったのとほぼ同時に、映像が激しく動きだした。
 視点を猫に据えたまま、周囲の光景が大きくぶれ、後ろへ後ろへと流れていく。
 猫の姿が大写しになり、猫を掬い上げる妹の手と視界の右半分を覆う大きな影が見え、世界がくるっと一回転して大きく揺れた後、映像は真っ暗になった。

 数秒後、映像に現れたのは、走り去っていく軽トラックの後姿と胸元から見上げている子猫の顔。
 なるほど……。
 トラックとの接触は避けられたけど、その後の受身をしくじったのか。

 妹の身体は、民生品規格の中でも一番低い水準に合わせて作ってある。
 日常生活を送っている限り、それでも何の支障もないし、この程度の障害が起こる可能性もほとんどない。
 その代わり全力で走った後で転んだりすれば、衝撃を受けた箇所の駆動軸に多少の歪は出るだろう。

 日頃から、自分の身体は大事にしろと口を酸っぱくして言い続けてきた。
 壊れたら修理すればいいとか、簡単に考えられては妹の精神発達上よろしくない。
 たとえ機械じかけでも、それが妹の身体であることに違いはない。
 自分の身体を大事に思えなくなれば、他人の身体だって大事に思うことはできなくなる。
 そう考えてのことだったけど。

 猫を助けようとして身体を壊しましたとは、確かに言い難いだろうなあ……。

「きゃあっ!」

 さて、どう声を掛けようかと考え始めたとき、台所から妹の悲鳴と何かが落ちる大きな音が響いてきた。
 携帯の画面には大きな警告メッセージが浮かんでいる。
 メンテナンスサーバーから僕の携帯宛に送られた、緊急通報用のメッセージだった。

 『!!!重度の障害:肩関節ギアボックス - ギア歯欠損』

 しまった!

 自分の迂闊さに舌打ちして、僕は台所に駆け込んだ。

 台所の床には鍋が転がり、床一面に広がった味噌汁からまだ湯気が上がっている。
 それを見下ろして立ち尽くす妹の右手が左肩を掴んでいる。

「あ、お兄ちゃん……」

 消え入りそうな声で妹が呟いた。

「……ごめんなさい……」

 何を謝っているのだろう?

 味噌汁を駄目にしたことに対してか?
 不具合を隠そうとしたことに対してか?
 それとも、結局隠し切れなかったばかりか、不具合を故障にまで進めてしまったことに対してか?

 咄嗟に答えを返せずに無言でいる僕を見て、悲しそうな顔をした妹は、その場にしゃがみ込んで鍋に向かって両手を差し伸べようとした。
 ガキッと嫌な音をあげ、左腕の肘から先だけが不自然な形で動き出す。
 それは、肩がまともに動いていれば、鍋の取っ手を掴んでいたであろう形だった。
 動かないことが分かっていても、身体が覚えこんでいる動作をすぐに変えることは難しい。

 しゃがんだまま、溜息をついて右手だけで鍋を拾おうとする妹の頭にそっと手を置いた。
 伸ばしかけた妹の手が停まる。
「猫が助かってよかったな?」
「…………うん」
 相変わらず小さいけれど、安堵の感情が篭った声。
 何が起きたかを僕が知っていることも、それをどうやって知ったかも、妹には分かったはず。

「怪我はしてなかったか?」
「……うん」
 妹の声に、更に温かみが篭る。

「じゃあ、今度はお前の身体を直そうな?」
「……でも、お兄ちゃん、お腹空いてるでしょ?
 朝から今までちゃんとしたご飯食べてないでしょ?」

 ああ、まったく分かり過ぎるのも考えものだなあ……。
 嗅覚のパラメータ調整は見直そう。

「まだ少しくらい大丈夫だよ」
「でも……」

 まだ言い募ろうとする妹の手を引いて無理やり立ち上がらせ、そのままそっと抱き締める。

「お兄ちゃん……?」
「怖かったろう?」
「………………うん」

 たとえ壊れてもすぐに直せるとはいえ、車の前に身を投げ出すのは、そう簡単にできることじゃない。
 もし僕だったら、きっと気づかないふりをしてその場をやり過ごしていただろう。
 身体のことを別にしても、妹が今日したことは賞賛に値する。

 ガキッと小さな音がして、妹の右手が僕の身体に回された。
 押し付けられてくる小さな身体は小刻みに震えていた。

 壊れた肩のことを隠す後ろめたさで恐怖が押さえ込まれていたのだろうか?

 すすり泣く妹の頭を、僕はゆっくりと撫で続けた。

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