最終更新: kusakidoshoten 2023年09月29日(金) 23:37:27履歴
松本清張 旧宅を買う!?
北九州市は不動産価格が安く、築年数の多いマンションや一戸建ての相場は東京では考えられない値段。200万円台の
一戸建ても数多くある。但し山の上。『懸け造り』というのでしょうか、崖に迫り出して建てられた建物ですね。高齢者は皆、坂の上の家から逃げ出しているのが現状。一方若い人達は、庭も塀も無い小綺麗なマッチ箱状の「システムハウス」が流行で、瓦屋根で木造の老朽家屋には見向きもしない。
従って見晴らしだけは良い日本家屋の売却価格は捨て値に。
爺、買う程の貯金も無いのに、物件巡りが愉しみのひとつになっていて、広告チラシや「住宅ネット」を見ては現地を見に行く。「✕✕池の上の物件ね。眺望抜群だけれど北側が急斜面で土石流地区だから...」「✕✕町の◯◯万、あそこ犬飼えるけどエレベーター無しで自主管理」「駐車場が無くて近隣6000円」「根太と軒が腐ってるから要リフォーム」「幅4m以上の道路に2m以上接してないから再建築不可」「私道負担があるね」「2項道路なんで要セットバック」なんて不動産屋より、詳しくなっている。但し爺の現地見学会は、外見からだけの観察なのだ。買う気もないのに不動産屋には連絡できない。あくまで「ここに住んで、こんな生活をして...」と一時妄想に耽るだけの事である。
そんな中、平坦地でスーパーも近く、50坪古屋付で1000万という物件を見つけた。小倉の黒住町。昔この地には小倉炭鉱という良質の石炭の出る鉱山があったのだけれど、施設の痕跡も記憶も人々の中から消し去られつつある。その炭鉱住宅があったと思われる街「黒住町」。多分元は「黒炭」だろう。細長い商店街が住宅地の真ん中に連なって昔はさぞかし賑わったろうが、御多分にもれず今は数軒しか開いてない。隣の三郎丸に倉庫を借りてた時があり土地勘はバッチリ、現地はすぐに分かった。ところが玄関前に看板が立てられいて、
「松本清張旧宅」
えーっ。文化財売っちゃっていいの?
道路側には七坪程の倉庫も付いている。全国にユニークな古本屋は数あるが、文豪旧宅で営業しようという者はおるまい。よし借金をして、と早速算段し始めた。『やっぱ推理小説専門店にするしかないな。小倉城内の「松本清張記念館」にパンフレットを置いて貰い、シャトルバスを運行させて旧宅見学ツアーを始めるね。拝観料はまあ200円。一日50人で日銭が一万。横にミステリ専門店を開くと、清張の初版本なんぞが飛ぶように売れて、ローンの返済は、5年で住むな....』などと妄想は果てしなく広がっていく。
松本清張は「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞、朝日新聞の東京本社に転勤する
昭和28年まで、この家(社宅)に住んでいて、デビュー作「西郷札」も此処で執筆されたという。当時、関門海峡まで石炭を運ぶ為に「小倉鉄道」というのが敷設されていた。清張は直線距離で近いので、自宅からこの線路の上を歩いて砂津の朝日新聞西部本社まで通っていたという。(「半生の記」参照)
「清張旧宅で古本屋、こりゃ面白い企画じゃ」と同業のSさんに画像添付でメールした所、さすが情報通。「現在、所有者の方と、清張氏の遺族の方、各方面の関係者の方々で、この建物をどうするか検討中らしい」との返事。一瞬、夢は広がったけれど、当事者に差し障りがあっては...と断念。発見記事をネット上で話題にするのは控えた。何の事はない、暫くして現地に行ってみたら、古びた木造家屋は既に解体されて新築の家が建ち一般の方がすでに住んでおられた。かくして文豪宅の古書店、は幻となった。
後で調べたら杉田久女もこの近くに住んでいたらしい。松本清張は「菊枕」で数奇な女流俳人を描いている。
"春雨の畠に灯流す二階かな" (久女)
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