最終更新: kusakidoshoten 2024年03月13日(水) 16:36:34履歴
【当店宛贈呈本】 (1)
木版画詩集 「うずま川」 平成23年刊
望郷の、あるい幻景の川 (詩集「うずま川」は昭24年 矢野巖.作)
先日、伊豆に実店舗を出していた時、ご贔屓頂いたお客様から、自刻自摺の詩画集を恵送頂いた。「うずま川」と題された和紙仕立ての限定20部の私家本。A5変判、奥付、題字、巻頭色刷り口絵を入れて26頁。昭和24年ご尊父が36歳の折り、少年時代の故郷の思い出を瑞々しい感覚で詠んだ詩集。
表紙には、薄紙にぼかしを使った多色刷版画の題簽。和紙の端を二方に使って粋なものだ。それが薄く堅牢な和紙のカバー越しに、まるで川霧の向こうに故郷を茫漠と浮かばせる趣向に見えて秀逸。表紙裏表紙は、推察だが越前三椏局紙を使いしっかりとした製本。石州和紙(出雲和紙)なども使用されている様子だが、店主浅学にて、見返しや扉、本篇、全てに使用されている用紙の産地を同定する事能わず。作者も出来栄えを鑑賞して
もらえれば、腑分けして解説するのは野暮、と先刻ご承知の所であろう。手にした方々の「眼光紙背に徹す」
眼力に委ね、達観して頂こう。
口絵頁、図柄は、うずま川岸辺の蔵と柳の暮景。題簽の青にも感じられるが、天然の岩絵具か何か凝った顔料を使っているのではないだろうか?制作者は、詩集を包みこんだ工芸品を創ろうとしている、とさえ窺える。
20年近く前だったか、熱海店に初めてお越しの節、「平塚運一」関係の本は無いか?とのお申し出に、丁度「版画芸術」を一棚並べており、ご依頼に添えて嬉しかったと記憶している。
さて、店主も全く馴染みのなかった「巴波川(うずまがわ)」であるが、ググってみると「問屋町として栄え、北関東の商都と呼ばれた栃木市を支えた川」とある。この川の歴史は、元和3年(1617)、徳川家康の霊柩を久能山から日光山へ改葬した際、御用荷物などを栃木河岸に陸上げしたことに始まる。店主は水戸の生まれ。国鉄水戸線は栃木の小山市が終点。そこから少し北に栃木市はあるのだが、残念ながら訪れた事が無い。NHKのブラタモリで栃木県は
「足利」「日光」「佐野」「宇都宮」と見どころ豊富で4回放映された。
すぐ隣の県なのに行ったのは「日光」だけで、何と惜しい事をしたか!とくに栃木市はすぐそばではないか!
「巴波川」現在は舟運というより、蔵の町として観光化され美観地区のような存在になっているようだ。
望郷の
どんな芸術作品も魂が込められてこそ成立する。本書は、版画家に亡父が憑依したごとき一冊と言えよう。
この詩画集が時空を越えて完成した今も、巴波川は、絶えることなく、南へ南へ流れている事だろう。
【うずま川原文はここに付しますので、ご鑑賞の程を。現代詩に多弁なる解説は無用にて。】
矢野巌(禅巌)(詩人・俳人) 大正3年栃木市万町生まれ・平成19年小田原市没 曹洞宗にて出家矢野禅巌と改めその後還俗。 外務省文化事業部市河彦太郎の秘書務める。 数年後外務省退職 小田原一撮庵にて詩や俳諧三昧送る平成19年没 | (主な著書) 栗実る頃(黄河書院S15年) 雨の中に薔薇は咲いている(S15年) 祈りは私の故郷である(S17年松文堂) |
※巴波川の現在、はこちらから
令和元年の台風19号の被害を受け、浸水対策として、巴波川の下に2.4Kmに亙り排水路を設置、との記事も。
人命の為とはいえ、川底の地下に放水管、とは、あまりイメージしたくはない。
情緒は、本冊子巻頭の川の渦巻きを眺めて味わうのが最上かと。追憶は常に美なり。
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