創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

誤謬・詭弁

ニルヴァーナ詭弁


ニルヴァーナ詭弁あるいは完璧なソリューション詭弁とは...
ニルヴァーナ詭弁(Logical Falacious)

現実的なソリューションと、理想的なソリューションを対置し、「完全な世界」あるいは「不可能な標準」を比較した結果として、現実的ソリューションを、棄却あるいは軽視する。改善は多くの場合に、十分に良い理由であることを無視する。
論理形式:

我々はXを手にしている。
Yは完璧な状態である。
したがって、Xは十分に良いわけではない。

要は「そんなものでは問題は完治しない」とか偉そうに言う詭弁である。
[ wikipedia:Nirvana fallacy ]

ニルヴァーナ詭弁(nirvana fallacy)とは、現実の事物と、非現実的な理想的な代案を比較する非形式的詭弁である。これは、「特定の問題には完全な解決策がある」と仮定する傾向についても使われる。これと非常によく似た概念が、完璧な解決策詭弁(perfect solution fallacy)である。

明らかに優れているが、同時にまったく尤もらしくないオプションを提示する誤った二分法を作ることで、ニルヴァーナ詭弁を使って、対立するオプションを不完全だという理由で攻撃できる。この詭弁を使うと、選択は「複数の現実世界の解決策」の間ではなく、「現実的に達成可能な可能性と、何らかの意味でより良い非現実的な解決策」の間で行われることになる。
としては...
詭弁反論
これらの飲酒運転防止キャンペーンはうまくいかない。人々は何があろうと酒を飲んで運転する。飲酒運転の撲滅はこれらのキャンペーンの目的ではない。飲酒運転を減らすことが目的である。
シートベルトは良い対策ではない。シートベルトをしていても交通事故で人々は死んでいる。シートベルトで100%安全を確保できるわけではないが、交通事故による死亡の可能性を小さくできる。
(クリケットの)審判レビュー制度は良い対策ではない。それでは誤審をなくせない。審判レビュー制度では完全に誤審を正せるわけではないが、誤審の回数を減らすことはできる。

Skepdicの記述

ニルヴァーナ詭弁は、気候変動否定論やワクチン否定論や反福祉などでも、よく使われる。
skepdic:perfect solution fallacy (nirvana fallacy)

完璧なソリューション詭弁(別名: ニルヴァーナ詭弁)とは、「あるアクションがその問題に対する完璧なソリューションでなければ、採用する価値がない」という仮定詭弁である。大げさに言うと、この仮定は明らかに偽である。この詭弁は、通常、より微妙に述べられる。例えば、インフルエンザワクチンやワクチンなどの特定のワクチンに反対する主張は、しばしばワクチンの不完全性を強調している。なぜなら、ワクチンは100%効果があるわけでも、100%安全でもないからだ。ワクチンは安全で効果的である。しかし、100%安全で効果的というわけではない確かに、ワクチン接種で、病気が100%予防できるわけではない。だからといって、「すべてのワクチンが、すべての人がいかなる病気になるのも予防できて、誰にも害を与えなくなるまで、ワクチンを誰も摂取すべきではない」と推論するのは、妥当ではない。

ニルヴァーナ詭弁は、たびたび気候変動否定論者によって使われる。否定論者たちは「地球温暖化が人間の活動によるものであり、化石燃料の使用を制限しなければ、全地球的に重大な帰結をもたらすことが絶対確実であることを、完璧な科学研究のよって証明されない限り、化石燃料の使用制限を行うべきではない」とまでは言わない。そう言ってしまえば、その主張は明らかに誤っている。科学的研究は完璧ではなく、誰も絶対的確実に未来を予測できない。気候変動否定論者の一般的な戦術の一つは、モデルの弱点・欠点・誤りを指摘することである。気候変動やインフルエンザによる死亡などの複雑なことについて、未来を予測しようとするモデルが100%正確であることはない。(注意: 予測モデルに対する攻撃は、藁人形論法であることが多く、気候変動やワクチン接種プログラムの効果を実証する事例を構築するために使用された他のすべての科学的証拠および推論を無視する。)

ニルヴァーナ詭弁は、科学に基づく医療や手術の拒否の背後にもよくある。誰も「有害事象が誰も起きる可能性がなくなるまで、安全に接種できない」とまでは言わない。そういう言い方をすれば、その主張は愚かに見えるだろう。しかし、「問題の医薬品を服用後に起こった可能性のある事象の長いリストを挙げて、医薬品の服用を拒否する」ことは愚かには見えない。「医薬品の有害事象が起きたと主張する人々の逸話に基づいて、科学に基づく医療を拒否する」ことは愚かには見えない。(「主張する」と書いたのは、我々が知っていることは、「医薬品を服用したことと、その後に有害事象が起きたこと」だけだからだ。その事実は2つの因果関係を証明する十分な証拠ではない。)

政府の福祉制度に反対する人々の中には、主として「一部の人々が制度を悪用してい詐欺をしている」という理由を挙げる者がいる。それは本当だが、完璧な福祉制度などありえない。「命令に従う能力のない精神障碍者が、命令に従わなかったという理由で、警官に撲殺あるいは射殺された」という事件報告を読んだという事実から、警察を廃止すべきということにはならない。不正をしたり、逮捕した犯人や受刑者を虐待したり、不当に殺害したり、詐欺を働く警官は常に存在するが、それは警察を配するるには、十分な理由ではない。性的・肉体的・精神的に部下を虐待する上級将校は常に軍隊にいるだろうが、それは軍隊を廃止するのに十分な理由ではない。

例として、EBMを否定する心理学者Gary Kleinの記述が挙げられている。
完璧を求める論がモロに主張されている例がある。残念ながら、それにより、論者である心理学者Gary Kleinがバカに見えている。Kleinは次のように書いている。

Any enterprise has its limits and boundary conditions, and science is no exception. When the reach of science moves beyond these boundary conditions, when it demands respect and obedience that it hasn't earned, the results can be counter-productive. One example is Evidence-Based Medicine (EBM), which is the scientific idea that I think we should retire....we should only trust EBM if the science behind best practices is infallible and comprehensive, and that's certainly not the case.

いかなる事業にも限界と境界条件があり、科学も例外ではない。科学の到達範囲がその境界条件を超えれば、敬意と服従を望んでも得られず、逆効果となる。その一つの例がEBM(証拠に基づく医療)である。これは我々が放棄すべきだと考える科学的アイデアである。ベストプラクティスの背後にある科学が絶対確実かつ包括的である場合のみ、EBMのみを信頼すべきだ。

[ Klein 2014 ]


EBMは絶対確実(反証不可能)ではなく(それは何?)、包括的(それは何?)でもないが、それはEBMを放棄するに十分あり湯ではない。(上記例は、Steven Novella: "Science Based Medicine"による)

そして、政治家たちもニルヴァーナ詭弁を使うことがある...
1969年、経済学者Harold Demsetzは、公共政策を扱う政治家たちに、広く普及している広範なアプローチだと考えられるものを表現するために、「ニルヴァーナ・アプローチ」という言葉を使用した。これは、理想を現実的な選択肢として、不完全な「制度的取り決め」との対置するという、誤った二分法の使用である。政策立案者は「実際の制度的取り決め」の中で、現実的選択肢を比較しなければならない。政治的・経済的・社会的な問題に完璧なソリューションが存在する可能性は、いかほどのものか? 常に、不完全なソリューションから選択になる。最も合理的なアプローチは、現実的ソリューションについて、主な賛否両論を検討し、賛成が否定を上回るソリューションを選択したら行動を起こし、それが適切なら、結果がどうなろうとも、人が何と言おうと、制度改革への道を開くべきである。


関連する事項としてゼロリスクバイアスがある。

また、詭弁として使うのではなく、本気で信じてしまっている場合もある。




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