#9 <<< prev





こんな間近で見るのは初めてだ。

「絵里さん・・・?」

高橋愛。れいなから絵里を奪っていった田中憲法違反A級戦犯の悪者の中の悪者。
その悪の大魔王がアホみたいに口をポカンと開けてこちらを凝視していた。
こちらというのはもちろん、れいなと絵里が抱き合ってるこの状態のこと。
あまりにもガン見してくるものだかられいなも睨み返すがあちらはガンつけられてることにすら気付いていないようで。
ちゃんと生きてるのだろうか?

「れいなゴメン」
「おお?」

絵里が力づくでれいなの腕から抜け出し高橋の元へ行くのを見て、さっきまでポカポカしてた気分が一気に冷めた。

「あの、高橋さん、これは・・・えっと」
「あちらの方は絵里さんの友達の方ですか?・・・確認しますが、女性・・・ですよね?」

カッチーン。

「ぁあ?今なんて」
「ちょっ、れいな!」

間に入ろうとする絵里を押しのけて高橋の襟首を引っ掴む。

「、っと、・・・何か気に障ることでも言ってしまいましたか。すみません、謝罪します」
「・・・」
「れいな!」
「くそっ」

最悪な気分だ。もう後は2人で好きにやればいい。れいなは知らん。
・・・帰ろっかな。

「女性ではなく、男性の方・・・でしたか」

そう言って高橋が絵里を見る。絵里はテンパっているようでさっきから視点が定まっていない。
抱き合ってる現場をガッツリ見られたんだ。男女が抱き合ってるなんて第三者から見れば恋人同士のそれにしか見えない。
正確にはれいなが一方的に抱きしめていただけなのだが、細かいことは気にするな。
どうしようどうしようなんて絵里の心の声が聞こえてきた。

「あの、高橋さん、これは、その」
「大変な場面を見てしまいましたね、あはは・・・」

高橋とかいうスーツ野朗は気まずいのか、頭をかきながらあちこちに視線を向けてせわしない。
一方の絵里も下を向いて今にも泣き出しそうな雰囲気。
これが修羅場というやつか。
れいなは別にこいつらが別れようがどうなろうが痛くもかゆくもないし、むしろ大歓迎なので口を挟むつもりは毛頭なかった。
勝手に泥沼になればいい。

「・・・・・・」

しかし、よく泣くなあ絵里は。
いつからこんな泣き虫になったんだろう、れいなのせいかな。
昔は涙を見せることなんて数えるほどだったのに。

「・・・ちっ」

絵里は笑ってる方がいい。

「あのーお取り込み中申し訳ないんですがね、高橋さん?」
「あ、えっと、はい?」

心ここにあらずだったのか突然声をかけられてあたふたしている高橋の肩に両手を置いて、

「言いにくいんですけど・・・すいません、今のはれいなが一方的に抱きしめちゃっただけなんですよ」
「え?」

嘘は言ってない。

「だから絵・・・亀井さんを責めないでやってください。れいながちょっとムラムラきて、ついハグしちゃっただけなので。
 れいなが悪いんです」
「・・・・・・」
「れいな・・・」

嘘じゃない。
しばらく自己処理活動をしていなかったので絵里のあの泣き顔を見ただけでムラムラきてしまったのだ。
本当のことを言っているだけなので別に庇っているとかフォローをしているとかでは全然ない。

「れいなと絵里はただの、友達なんで。心配せんでもよかですよ・・・」
「は、はぁ」
「そんじゃ、邪魔者は帰りますわ。後はごゆっくり〜」

情けなくなってるであろう顔を隠すため、さっさと背を向けて手を振る。
体の熱はすっかり冷めていて、今抱いたばかりの彼女のぬくもりも残滓すら残ってはいなかった。

「れいな・・・」


*****


寒いので早く帰ってこたつでぬくぬくしたいがために小走りで帰宅したものの、
玄関先で靴の数がなにやらおかしいことに気付きリビングを見たら案の定、

「・・・なんか増えとぅ」
「おかえり」

さゆとその他がこたつでぬくぬくしていた。
ちなみにこの場合のぬくぬくとは、鍋を囲んでいることを意味する。
その他のメンツとは、小春と泥酔状態の吉澤さん。そして当然のようにまだ居座っているガキさん。
鍋は誰が作ったのか、そして所狭しと置かれているこの一升瓶は誰が持ってきたのか・・・って後者は聞くまでもないな。

「れいなが居ない間に何があったと?吉澤さん死んでるし・・・」
「どっかの馬鹿が『絵里〜待つっちゃ〜ん絵里〜ん』ってマンション中に聞こえるほどの大声で走り回るもんだから、
 何があったのって心配になって来たの。このカッコいい人もそう。お酒大量に持ってインターフォンも鳴らさずに来たよ」

一人で酒盛りするぐらい暇だったんなられいなたちを働かせてくれ。

「で、お腹減ったから鍋しよーってみんなで鍋してる」
「あ、そ・・・」
「それはそうとれいな」

突然部屋の温度が2度下がった。

「この女の人、だれ?」

近年稀に見る猛烈な寒波がこの部屋を中心に襲い掛かってきた。発生源は道重さゆみ、またの名を雪女である。
れいなを見る目が暗殺者そのもので、隙を見せればやられる。

「その人は、新垣里沙さんといってれいなの、」
「田中っちと一緒にお風呂に入ったことがある新垣里沙です!よろしくぅ〜ヒック」

ガキさんはれいなのただでさえ低い地位を堕ちるところまで落としたいらしいな。
さゆは突然立ち上がったかと思うとおもむろにキッチンまで行って何かを取ってくるとその何かでれいなを、

「お、おいちょっと待った。なんで包丁持っとぅと?」
「あんたは一回刺しとかないとね世界平和のためにも」
「殺人鬼かおまえは!お風呂っていっても広いけん!共同の大浴場だし見えなかったっちゃん!」

これは嘘で実はがっつり見たのだが、ここでそれを言うとマジで殺されるので黙っておく。
別に見ただけで何もしていないのだからいいじゃないか。むしろあの時のれいなを誰か褒めてほしい。
仕方なく、と言った感じでさゆが包丁を脇に置く。いや危ないからしまってくれ。

「そういえばガキさん。そろそろなんでこっちに来よったのか教えてほしいっちゃけど」
「うん、そうなのよそれね。ポリネシアに帰ろう田中っち。田中っちを迎えに来たのよ私は」
「それだけ?」
「うん」

そんな理由でわざわざ日本に来たのか。何時間も拘束されて高い金払ってまで。
一体どんな脳してるんだガキさんって人は。
いくられいなでも呆れて溜息も出る。

「や、帰らんけどね」
「あらそう。なら田中っちが帰るって言うまでここ住むから」
「!? ちょっ、」
「ちょっと何言ってんのあんた。そんなこと許されるわけないじゃない。早く南の島に帰んなよ」
「・・・」

さゆに全部言われた。

「なによーあなたは田中っちのなんなのよ。関係ない人は口出さないでほしいんだけどねえ」
「付き合いだけならあんたよりはこっちのが長いから。れいなの好きな食べ物、嫌いな食べ物、趣味、嗜好、癖。
 なんでも知ってる。れいなにとって超大切な存在であるさゆみが関係ないはずないでしょ」
「恥ずかしいけんやめてほしいっちゃけど・・・」
「私は田中っちのパンツの柄5枚全部知ってるけどね」
「がっ、ガキさん!!そういう誤解を生むような発言は、」
「れいな?なんで新垣さんがれいなのパンツの柄を知ってるの・・・?」
「包丁をこっちに向けるな!ガキさんは洗濯係だったけんそれで知っとぅだけっちゃよ!」

というかなんでこの2人喧嘩始めてるんだよ。
吉澤さんは寝落ちしてるし小春のバカはニヤニヤしながら見てるだけで完全にただの観客モードに入っている。
見世物じゃないんだが。
なんか、アホらしくなった。

「もういいや。勝手に2人で喧嘩すればいいと。れいな鍋食べるけん」
「ここ住んでいいの田中っち?」
「それはダメ」

ブーなんてむくれてもダメに決まってる。向こうとは勝手が違うんだ。
男しか住んでない部屋に女の子一人泊まらせるなんて1週間飯にありつけてないライオンの群れに黒毛和牛を投下するようなもんだ。
男の性欲をなめてはいけないぞ。れいなだってここ最近ご無沙汰なので迫られたら何するかわからない。
というかこの鍋、肉が全然無いのだが犯人は誰だ。

「ほら、れいなもダメって言ってんだからビジネスホテルでも借りてそこ泊まってさっさと帰ったほうがいいよ」
「嫌」
「あんたねえ・・・」
「よしざーんとこ住む?」

ムクッと唐突に起きるダメ人間の発言にれいな、さゆどころか小春まで口をあんぐり開けてビックリした。

「吉澤さんマジですか!?」
「マジよマジよ大マジ。人一人養える分のお金は余るほどあるし」
「石川さんにまた殴られますよ・・・」
「生き別れの妹で通すからなにも問題ないよ。それにずっと日本にいるってわけでもないんでしょ?」
「田中っちが帰るって言ったらすぐ帰るつもりです」
「だから帰らんっちゅーに」

帰る帰らんだの・・・何度も言うがポリネシアはれいなの故郷ではないので帰るって表現はおかしいのだ。
ガキさんも故郷は日本なのにそこまでポリネシアにこだわる理由が今ひとつわからない。
誰しも故郷が一番良いと思うのだが。
渦中のガキさんはパン、と両手を叩いて、

「ありがとうございます吉澤?さん。お言葉に甘えさせていただきますね。これからよろしくお願いします」
「うん。よろしくー」
「・・・。なんかあっさり居住場所決まっちゃったけど・・・、まさかれいなの通い妻にでもなるつもりじゃ」
「ガキさん。あんまりれいなの部屋来ちゃダメっちゃよ」
「はいはーい。あ、お酒どっか余ってるの無いです?」

ほんとにわかってるんだろうか?
不安ではあったがこの話題を早々に打ち切りたかったので追及はしないでおいた。

「田中っち、お肉あるよ。はい、あーんして」

突然すぎて反応が一瞬遅れた。
汁が落ちないように下に手を添えながらガキさんが肉だんごを食べさせようとしてくる。
一瞬迷ったが絵里も高橋としてたことを思い出しじゃあれいなもいいやと口を開けた。

「・・・あーん。・・・もぐもぐ」

自分で食べるのと女の子に食べさせてもらうのとじゃ味が違うものなんだな。
後者はまろやかさが普段より増して口当たりも良く、後味もサッパリでいくらでも胃に入りそう。大袈裟ではなくマジである。
子供に退化した錯覚を覚えて、甘えたくなって素直に美味しいと言った。
そんなれいなの様子にガキさんは大変満足したようでニコニコしながら頭を撫でてきた。くすぐったい。

「なにデレデレしてんの。サイッテー。絵里にチクるから」
「! ごめん、もうしないけんそれは勘弁」
「はい、田中っち。あーん」
「ガキさん話聞いてた?」

れいな達が揉めてるの無視で横で勝手に盛り上がっている酒乱とその手下の能天気ぶりが羨ましい。
見ていると、酒乱吉澤さんがこちらに気付いて一升瓶を抱えて来た。

「はい、れいな」
「なんですか吉澤さんこれ」
「はい、田中れいなが一気しまーす!ハイ田中っ!飲んでっ!無理はっ!承知っ!ゲロもっ!承知っ!トイレはっ!あっちー!」

手拍子を交えての大合唱が始まった。
いや、飲みたくないんだがなんでこんな出来上がってんだよこの人。

「ぱーりらっぱりらぱーりらっインリン!」
「ああああもう!チクショー!!」
「ぱーりらっぱりらっオブジョイトイ!」


・・・・・・。


*****


起きているのは自分だけかな。
行動するなら今だ、と宴会の後の死屍累々の暗闇の中、目を凝らしていると、
サラサラのロングの茶髪が簡単に目に入って目当ての人物が見つかった。
起きないように音を立てず匍匐前進で近づく。

「田中っち〜・・・寝てる?ちゃんと寝てるかな?えい、えい」

ぷにぷに。
気持ちいい〜!赤ちゃんみたい・・・。

「ZZZ・・・」
「田中っちいい匂い・・・肌スベスベ・・・可愛い」

堪らなくなって田中っちの顔を抱きしめて胸に押し付けた。
さすがに起きるかな、と心配したんだけど相当お酒に弱いようで一向に起きる気配がない。

「ん、んん・・・、ZZZ・・・」
「田中っち〜田中っち田中っち田中っち田中っち田中っち〜〜〜〜」

ずっと抱きしめていたいけど呼吸できなくて死んじゃったら困るから離してあげる。
久しぶりに会ったので至近距離でずっと顔を眺めているだけでも幸せだ。
ふと、可愛い唇が目に入った。

「ZZ、んむ・・・」

ぷるぷるでとろけそうな感触に酔いしれる。
夜、田中っちの部屋に忍び込んでキスをするのが私の日課だった。
田中っちは鈍感でずっと気付かないままだったけど気付いてたら私達どうなってたんだろうね?
たらればの話なんてどうでもいいか。
上唇を甘く食んでから顔を離した。

「はぁ、だめ・・・1回じゃ足りない。・・・ん」
「んん〜・・・」

私を置いて勝手に日本に行って、寂しかった。
田中っちは周りのこと考えずにどんどん勝手に行動するから。
あと100回ぐらいキスしなきゃ満足しそうにないよ。
朝には唇が私のよだれでベトベトになってそうだけどそれくらい許してね。
吉澤さんとこ行ったらまた田中っちにキスすることできなくなっちゃうんだから・・・。


*****


オフィス街にあるビル郡の中に一際目立つガラス張りの半ドーム状の建物がある。
某大手上場企業本社。大会社らしくビルの大きさも周りに立ち並んでいる建物を3つくっつけてもまだ大きい程。
それに比例して室数は200を超える。その200の中のとある一室。
私、高橋愛が所属する部署、企画営業部がある。

「高橋くん、最近細かいミス多いね」
「すみません」
「もうすぐ新しいプロジェクトが立ち上がるし、それのプレゼンも控えてるんだからこんなんじゃ困るよ?」
「はい・・・」

失礼します、と言って執務室を出る。
ここのところ注意すれば回避できたようなケアレスミスばかりが続いていて精神的に参っていた。
これまでの自分の仕事が順調で失敗をあまり経験したことがなかっただけにダメージも大きく、睡眠も食事も満足にできない。
原因はもちろんあの時の彼。絵里さんは"れいな"と呼んでいた。
れいなさんと絵里さん。2人のことがずっと頭の中にこびりついていて離れてくれない。
れいなさんは絵里さんを抱きしめていた。絵里さんも、特に嫌がっていたとか、そういう風でもなくて。
絵里さんとは友達と聞いてもとてもじゃないがあれをただの友達に見えるほど自分の目は曇ってはいない。
理由は他にもある。
あの時の絵里さんの、れいなさんを見る目だ。
あの目には寂寥感があった。そして初めて見た顔というわけでもなく、ここ最近あの顔を見ることが多い。
一体、何を考えてるんです絵里さん・・・。

「はぁ」

今日、何十回目かの溜息をついた後、部下が入れてくれた特別濃いドロドロの冷めたコーヒーを一気に喉に流し込む。
もはや美味しい、不味いなど評価をつけられるものですらないただの黒色の泥水にはもう1週間もお世話になっていた。
そして今日も会社に泊まって仕事、おそらく明日も、明後日も。この泥水にはまだまだお世話になりそうだ。

「部長。A社から苦情のお電話が・・・」
「またか・・・。担当者をここに連れて来てくれ。・・・はい、お電話変わりました。部長の高橋です」

しばらく絵里さんとは会えそうになかった。
いや、誤魔化すのはよそう。
会いたく、なかった。





next >>> #11
 

ノノ*^ー^) 検索

メンバーのみ編集できます