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タグ検索で2004年は28件見つかりました。
男のほうがちょっとだけ先に筋道を通してくれないか
でも女の人のほうも、封建時代の家父長制みたいなことを言う男は論外でしょうけれども、なんだかんだ言って男にリーダーシップを求めている部分はあると思います。
どんな独立心に富んでいて、能力もあって、何から何まで自分でできる人でも、いざというときとか、相当きつい局面になったときなどは、男のほうがちょっとだけ先に筋道を通してくれないかな、と思っている面があるのではないでしょうか。自分のほうは責任がちょっと少ないというくらいがちょうどいい、というような感覚です。
だから、男女がお互い自分を殺さなくてすむ生活と
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%cb%a4%ce%a4%d... - 2006年12月10日更新
女の人の誤解
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%c3%cb%a4%ce%a4%d... - 2006年12月10日更新
ぼくがよく女の人は誤解しているよなあと思うことのひとつに、「男は美人を好きになる」というのがあります。
見た目がきれい、というところから恋心が始まるんじゃないかと思っている人が多いようですが、それは間違っています。ある距離に入ってしまったら、美醜なんて何の関係もない。
美というものが問題になるのは、俳優さんをテレビで見ている時とか、道ですれ違って「あっ」と思うような時くらいです。
ぼくなんかも、盛り場などで感じのいい女の人とすれ違って「いいなあ」と思うようなことがあります。ちょっと片思いのような淡
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今まで寝ていた神経が、起き上がる感じ
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今まで寝ていた神経が、起き上がる感じ。それが恋愛をしたときの実感ではないでしょうか。
これはたいへん本質的な感覚で、他のことでは代えられないという気がします。
恋愛なんか、しなくてもいいという考え方があって確かにそれはそうかもしれないとも思います。
でも、この本来的感覚というものはやっぱり大事なもので、これがある限り、恋愛は人生に不可欠なものなんだと、ぼくなんかは思いたいです。
(「超恋愛論」2004.09.15大和書房)
:| この寝ていた感覚が起き上がる感じというのは、実に誰も体験したことでは
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恋愛における精神の距離感が遠いんじゃないか
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今の若い人を見ていると、うちの子どもなども同じ世代ですが、恋愛における精神の距離感が遠いんじゃないか、と感じることがあります。
最初から精神的にあまりに近くへ行かないで、いつも遠ざかったり外れたりできる姿勢をとっている。
それなのに、日常生活の上で他人行儀になくなることは早いのです。ぼくの若かったときとは違うなあと思います。
(「超恋愛論」2004.09.15大和書房)
:| 前に、これを読んでも何も感じなかったのですが、今は大変に同感します。「うん、そうだよな」なんていうことを感じるのです。私たち
https://seesaawiki.jp/w/shomon/d/%ce%f8%b0%a6%a4%c... - 2006年12月10日更新
親鸞の善鸞義絶
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初めの奥さんとの子どもが、善鸞と言うのですが、親鸞はその子に、今の言葉で言えば、勘当したといいますか、義絶した手紙を出しているのです。
その理由は何かと言うと、二つありまして、善鸞が誰に言ったのか分かりませんが、要するに親鸞は義母に騙されて、義母というのは前の親鸞の奥さんということでしょうけれど、浄土教を変なふうにひん曲げてしまったみたいなことを言っていますね。
もうひとつは、仏教ですから、どこで修行が終わったか、悟りを開いたか、という段階をどこでつけるかと言うことなんですが、親鸞はそれを全部つけな
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靖国参拝
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東洋は、仏教、イスラム教が多いわけですが、それが国家とかなりくっついていて独立しがたいという特徴があります。宗教的風俗、習慣まで入れれば、東洋の場合は国家と宗教がめでたく分離していることはあまりないわけです。
日本なんか、東洋の国としては分離しているもうだといえます。ところが他の国の人間はそうはおもっていない。だから総理大臣が靖国神社にお参りしたといって大騒ぎするわけです。日本では国家と宗教は分離しているわけだから、靖国参拝なんて国家の問題ではないわけです。
だから靖国参拝を非難されたら、「そんなこ
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国家は宗教の最終形態
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国家というのは宗教の最後のかたちです。
未開時代や古代から宗教はあるわけですが、この宗教はかたちをかえます。その変わり方にはふたつある。
第一は、呪術的な宗教がだんだんかたちを変えて進化します。掟のような法になります。それがさらに国家だけにしか通用しない国宝とか憲法になるのです。そういうふうに変ります。そして最後は今の民族国家になるのです。だから、民族国家は宗教の最後のかたちだといえるわけです。
もうひとつ、かたちを変えない場合があります。宗教のままです。
(「ならずもの国家」異論2004.01.
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重いと軽いを取り違えている
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「人間の盾」になるためにイラク入りした日本人がいましたので、少し感想を述べてみます。
たとえば、ぼくが絶対に戦争反対だとします。では「人間の盾」になるかといわれたら、ぼくは行かないとおもいます。行きません。うまくやれば戦争を止められる可能性があるのなら別ですが、その可能性もないところで、ただ撃たれて死んじゃったというのではばかばかしくてしようがない。では、おまえが軍国少年だったころならどうかといわれれば、そういう行動をとったかもしれない。ただし、じぶんの国のためではなくてよその国、たとえばイラクのための
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